14.半歩分の距離が届かない


 礼美ちゃんはカーペットの上にぺたんと座っていた。
「礼美、おやつよ」
 典子さんの声に反応して顔を上げた礼美ちゃんは、大きな瞳を瞬いている。ページが開かれた絵本が床に置いてあった。どうやら今まで読んでいたらしい。
 それにしても非常に乙女心を擽る部屋だ。淡いピンク色の壁紙に、真っ白なアンティーク調のフレンチ家具がレトロで可愛い。部屋を横切ってトレイを窓辺のテーブルの上に置く典子さんに私も続く。
「こんにちは、礼美ちゃん。おやつの仲間に入れてね」
 麻衣ちゃんがやさしく声をかけると、礼美ちゃんはじわじわと頬を紅潮させた。私は怖がらせないようにやや離れた位置でゆっくりとしゃがみ、礼美ちゃんに笑いかけた。
「礼美ちゃん、こんにちは。私も仲間に入れてね」
 礼美ちゃんはこくりと頷くと、傍らに寝かせてあった人形を抱き上げて駆け寄ってきた。紹介された時も抱いていたお人形だ。お気に入りなのかな?
 金髪に、青い眼がきれいなビスクドール。
「コンニチハ」
 お人形の右手が差し出される。懐かしいなあ、お人形遊びか。
「初めまして。あなたのお名前は?」
「ミニー」
 私と同じように麻衣ちゃんも隣にしゃがみ込んだ。
「ミニーちゃん、よろしくね。あたしは麻衣だよ」
「私は飛鳥っていうの。ミニーちゃん、よろしくね」
「ヨロシクネ、麻衣チャン。ヨロシクネ、飛鳥チャン」
 私達は順番に小さな手と指先で握手を交わした。
「礼美ちゃんは、本を読んでたの?」
 頷く礼美ちゃんに何を読んでたの、と麻衣ちゃんがたずねると、はにかんだように黙り込んで典子さんのスカートの陰に隠れてしまった。
「ちょっと緊張しているのよね」
「そっかー。知らない人だもんねー」
 納得したように麻衣ちゃんは微笑む。
「突然知らない人がいっぱい来て、びっくりしたでしょう?」
 私が聞くと照れたように頷いた。ミニーが代わりにウン、と答える。
「イッショニ読ム?」
「……絵本? 読む読む」
「私も読みたいなー」
 私達が了承すると、礼美ちゃんは早速絵本を膝にのせて開こうとした。
「礼美。先におやつ食べちゃったら?」
 見守っていた典子さんがそう促した時だ。
 窓からふわりと風が吹き込んで、レースのカーテンを膨らませた。窓際に佇んでいた典子さんのスカートがばさりと翻る。
 と、同時に礼美ちゃんは突然、持っていた絵本をばたんと閉じた。顔を強ばらせて人形を抱き締めると、カーペットの上に急いで駆け戻る。
 ……急に、どうしたんだろう?
「礼美、おやつは?」
 礼美ちゃんは典子さんにも背を向けて、絵本を開いた。
 それっきり、典子さんが傍に寄って話しかけても礼美ちゃんは黙って俯いている。開いた絵本はちっともページが進んでいない。典子さんは苦笑混じりの笑みを浮かべて立ち上がった。
「じゃあ、礼美の分はテーブルに置いておくね。お姉ちゃんは麻衣ちゃんたちとお外で食べるから。気が向いたら出ておいでね」
 トレイから礼美ちゃんの分だけをテーブルの上に並び直し、典子さんは気まずそうに私達に言った。
「ベランダでもいい? 風があるから暑くはないと思うわ」


 言われた通り、広いベランダは風が通って気持ち良かった。
 私達に謝る典子さんは暗い表情だ。この家に引っ越してきてから礼美ちゃんは気難しくなったらしい。元々は人懐っこい子だったんだけど、この辺りには同い年の子がいなくて、更には遠い私立の学校に入れてしまい車で送り迎えをするから、放課後に同級生と遊ぶことも出来ない。学校の先生にも友達がいないと心配されたらしい。
「ねえ? 本当のところ、この家で何が起こっているんだと思う?」
 思い詰めたように典子さんが訊いてきた。
「まだ分かるはずないですよー。今朝来たばっかりですもん」
「そうだね。……これから本格的に調べるところなので、何も分からないです。ごめんなさい」
 私は答えている内に申し訳なくなって眉を下げた。
「そう……そうよね」
 典子さんは自分に言い聞かせるように呟く。悩ましげに髪を掻き上げた。
「いずれにしても、少しずつ分かってくると思いますよ。……うちの場合、ややそのスピードが遅めなんですけど。だよね、麻衣ちゃん」
「うん」
「遅め?」
「……所長が石橋を叩いて叩いて叩き壊す寸前にならないと渡らない性格なもんで。でも慎重な分、動き出したら確実ですから」
 ってあたしが言うと身贔屓みたいで信憑性激減ですよね、と麻衣ちゃんは苦笑う。
「二人を信じることにするわ」
 それでも、典子さんはくすりと笑ってくれた。
 私は喉の渇きを感じて麻衣ちゃんの淹れてくれた紅茶を一口飲む。うん、茶葉はいつもと違うけど、相変わらずの美味しさだ。
 典子さんもティーカップを傾けて、美味しいと顔を綻ばせた。


◇ ◆ ◇



 案の定渋谷さんにはいつまでさぼっている、とお叱りを受けた。
 そしてなぜか、不機嫌具合が休憩をとる前よりも増している気がする。
 ……ベースから一時間以上姿を消した私達だけではなく、ソファーに陣取って優雅な午後のティータイムを過ごしているお二方にも苛々しているのかもしれない。
 所長は無駄を嫌うからなあ。何も働いていない様子の二人に視線をやる。あれこれ茶々を入れでもしたんだろうか。
「日が暮れたら、もう一度、気温測定」
 わざわざ一音ずつ区切って言い含める所長は、とても恐ろしかった。
 日が暮れるのを待って、朝の要領と同じように全ての部屋を温度計を持って回る。気温を計るだけだから朝よりは楽ちんだ。
 クリップボードに挟んだ用紙に数字を書き込んでいく。麻衣ちゃんと分担した担当の部屋の測定が全部終わってベースへ戻ると、また一戦やりやった後のようだった。にやにや笑みを浮かべるぼーさん、シンデレラの継母のように意地悪く笑う綾子さん。ぶすくれる麻衣ちゃんにこっそり事情を聞くと、どうも冷やかされたらしい。
 私は麻衣ちゃんの肩を労りの気持ちを込めてぽんぽん叩きながら、ため息を堪えた。
 確かに、旧校舎の調査の際に麻衣ちゃんが愚痴っていたように個性豊かな面々みたいだ。
 とりあえず、私のいる時に今度こそ余計なちょっかいを出してきたらぴしゃりと跳ね除けよう。友達が馬鹿にされて黙っている謂われはない。
 ……あまり強くは言えないかもしれないけれど。
 私達が休憩している間、建物を調べていたリンさん達に結果を聞くと、建物自体に異常は見られないそうだ。
 水平で、古い建築だけど傾いている様子もない。基礎もしっかりしていて、背後に池はあるけど建物自体は堅牢な地山の上に載っていて安定している。
 古い配管など問題の起きそうな箇所は補修の際に全部新しくしてあり、建物自体が怪現象を引き起こす可能性は低いとのこと。
 幽霊の仕業なのか、と恐々聞いた麻衣ちゃんに対し渋谷さんは意外にもどうだろう、と首を傾げた。
「何かがいるとまで言い切れるかどうか」
「前の住人は……十和田さんだっけ? 何もなかったんだよね?」
「のようだな。その前の住人も異常を感じていた様子はない」
 デスクに控えたリンさんを見る。典子さんの依頼を受けてから今日までに、予備調査として近隣の住人に聞き込みをしたらしいが。
「ありません」
 リンさんが答えると、所長は頷き一家はごく平穏に暮らして当たり前の事情で転出していった、と締めくくった。
 不吉な噂もなく、近所で有名な幽霊屋敷という訳でもない。
 しかしぼーさんは不服そうに、こんだけ古い家で何もないってのはかえって嘘くさいと反論する。
 近所が何かを隠している可能性を指摘し、それも一律あるなと納得していると所長が軽く息を吐いた。
 憶測でものを言っても始まらない。ポルターガイストが本当に起こっているのか確認することのほうが先決だろう、とは所長のお言葉だ。
「……もっとも、現象自体が軽微なようだから、実際にポルターガイストが起こっているにしても、確認するまでには時間がかかりそうだが」
 どことなくうんざりしたように、渋谷さんはファイルを閉じた。


◇ ◆ ◇



 そこからは機材を見守りながら、ひたすら怪現象が起こるのを待った。
 途中、森下家のご厚意で差し入れてくださった夕飯を有り難く噛み締めて、時折リンさんに呼ばれて機材達のチェックを手伝う以外は暇だったので、お腹が一杯になったことで襲いかかってきた眠気と戦いながら、私は麻衣ちゃんと雑談をして暇を潰す。
 そして壁掛け時計が十時を過ぎ、私が欠伸を噛み殺したところで唐突に書斎の外から慌ただしい足音が近付いてきた。ドアが勢い良く開き、転がり込むようにベースに入ってきたのは香奈さんだ。
「ちょっと、来て!」
 真っ青な顔をした香奈さんは、上擦った声で呼びかけた。
「どうしました?」
 冷静に問い返す所長の腕を乱暴に掴む。
「いいから、来てよ!」
 私とリンさんを除く四人が顔を見合わた。行こう、と振り向いた麻衣ちゃんに首を振り、私はモニターの前に座るリンさんの傍に移動した。
 本当は私もついて行きたかったが、そしたらベースにリンさん一人になってしまう。あの香奈さんの様子だともしかしたらモニターに何か映るのかもしれないし、人手はあった方がいいだろう。
 推し量るように見下ろしてきたリンさんにちょっと笑いかけると、私はクリップボードを構えて並べられたモニターを注視した。


 あの後戻ってきた所長に急いで機材を設置するように言われて、私は今度こそリンさんと一緒にベースを出た。
 昼間訪れた礼美ちゃんの部屋の変わりように呆気にとられたかと思えば、変わり果てた居間の惨状に言葉を失う。
 斜めになった家具達にまず驚き、次に家具を載せたままひっくり返ったカーペットには開いた口が塞がらなかった。どうやってこんな見るからに重そうな家具たちを動かしたんだろう。椅子や、天板に大理石が嵌っていた机は重そうだけどまだ分かる。しかし、香奈さんが趣味で集めているという大中小の置き時計が飾られた棚なんかは、中身が入ったまま裏返しだ。
 礼美ちゃんは今夜、典子さんの部屋で寝ることにしたようだ。どこか泣きそうに顔を歪めていた礼美ちゃんが気にかかったが、急かす所長の声に私は慌てて手を動かした。
 無人になった部屋を総出で片付け、機材をセッティングしていく。
 次に居間にぞろぞろ向かい部屋の惨状を見ると乾いた笑みがもれた。しかしただ入り口に突っ立っていても元通りになってくれる訳もなく。私は改めて気合いを入れ直すと、作業に取りかかった。
 カーペットごとひっくり返っているものだからせっせと家具の中身を取り出して、一度部屋の外へと運び出す。カーペットを表側にして、家具を部屋の中へと順番に戻していく。取り出したの家具の中身をやっとこさ戻していると、リンさんと共に家具を動かしていたぼーさんが口を開いた。
「やっぱポルターガイストだよな。疑問の余地なし……だろ?」
「そのようね」
 綾子さんが作業の手は止めないまま、同意する。
「誰かの悪戯じゃないし、物理現象でもない」
「ポルターガイストで確定でしょ。問題はポルターガイストを引き起こしてる犯人」
「地縛霊じゃねえの」
「地霊かも」
 地霊は朝に応接間で憶測を話している時に綾子さんが主張してたけど、ぼーさんの地縛霊説は初めて聞いたな。
「でも、大仰なだけで実害はないし、そんなに大した奴じゃないかも。明日、祓ってみようかな」
 今からコンビニ行ってこようかな、みたいな軽い口調だ。最後の時計を棚に収めると、綾子さんは両手を払って立ち上がった。
「あんたたちは不寝番? 時間の無駄だと思うけど?」
 眉をぴくりとも動かさない完璧なスルー、お見事です渋谷さん。
 綾子さんは肩を竦めると、私達に手をひらひら振って一言。
「まあ、好きなだけやってるのね。とりあえず義理は果たしたし、あたしは明日に備えて寝ようっと」
 顔を引きつらせる私やじと目の麻衣ちゃんにも構う素振りを見せず、綾子さんは颯爽と居間から出て行った。

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