13.魔女に恋をした心臓は無事か


 書斎のドアを開いた柴田さんと典子さんは、変わり果てた室内の様子に絶句している。
 しかしそれも無理はない。組まれたラックに押し込まれたモニターは十台以上だし、用途別にそれぞれ機材が配置され、高感度カメラや赤外線カメラなどその他諸々が今か今かとその出番を待ち構えている。なかなかの迫力だった。
 私は機材を積んだ車と書斎の往復とで滲んだ汗を拭いふう、と息を吐いた。
 軽食の載ったワゴンを置いて出て行った柴田さんに会釈して、私は部屋の隅に置いていた自分のリュックから携帯用ウェットティッシュを取り出すと、はいと麻衣ちゃんに一枚あげた。
「さっすが飛鳥。用意がいいね」
「いえいえ」
 私もウェットティッシュでしっかり手を拭くと、有り難くワゴンからツナサンドを頂いた。もそもそ頬張っていると、典子さんから受け取った建物の見取り図が載っているらしい大きな冊子を捲りながら、所長は再び質問を始めた。
 典子さんから聞いた話を纏めると、前の持ち主である十和田さんご夫妻は業者からこの洋館を買ったらしく、建てた人物は分からないらしい。
 ちなみに十和田さんはお兄さんと仕事がきっかけで知り合って以来家族ぐるみの付き合いになったそうだ。その縁で度々お兄さんはこの洋館に招かれたらしく、自慢する十和田さんご夫妻をしきりに羨ましがっていたらしい。
 けれど、洋館に住んで三年経った頃に十和田さんの奥さんが大病を患い、信州に引っ越すというのでこの洋館を気に入っていたお兄さんが譲り受けたという訳だ。
 話を聞く分では十和田さんが住んでいた期間は特に異常な出来事はなかったようだ。
 建物の設備を時間をかけて整えたのにも関わらず、思いがけず手放す事になってしまって残念がっていた十和田さんご夫妻を、春か秋の過ごしやすい時期に遊びに来て下さいと招待していたらしい。けれどお兄さんの長期海外出張が重なって、その話は秋まで持ち越された。
 典子さんは十和田さんの前に住んでいた人物については知らなかったが、もしかしたら秘書の尾上さんだったら何か聞いているのかもしれないとのこと。
 前の持ち主の時から庭の手入れをお願いしている曽根さんは、普通の家族が住んでいたと言っていたそうだ。
「変なことが起きるのは、主にどの部屋ですか?」
「特にどことは……。印象としては、どこでも、という感じです」
 困ったように首を振った典子さんの言葉を聞くと、所長は少し考え込んだ。
「とりあえず基礎データがほしいな……樋口」
「はい」
 リンさんに調査とは具体的に何をするのか事前に教わっていたので、私はすんなり頷いた。
 つまり温度計、電磁波計、騒音計を持って各部屋を調べて来てほしいって意味だ。
「麻衣、は。……食事が済んだら取りかかってくれ」
 慌てて口の中の物を飲み込む麻衣ちゃんに苦笑して、私は柴田さんに出された紅茶を手渡した。
 こらこら。まったり昼食を満喫している二人は確かに羨ましいけれど、睨んじゃだめだよ。


 まず温度計で室内の温度を測り、高周波電波や低周波が検出されないか電磁波計と騒音計で調べ、次に妙な臭いのする箇所はないか等と定められた項目事に部屋の隅々まで調べていく。
 麻衣ちゃんと手分けして部屋を回ったからか、三十分程度で終わった。
 それぞれ計測した数字や気になった事などを書き留めた用紙に不備がないか確認し合って、私達は所長がベースと呼んだ書斎へと戻った。
「只今戻りましたー」
 振り向いた作業中のリンさんにちょっと笑いかけて、私達は用紙を挟んだクリップボードを所長に渡した。
 渋谷さんはそれを軽く一瞥すると、頷いて視線を前に向ける。
 視線を追った先には、いつの間にか居心地が悪そうに向かいのソファに腰掛けている尾上さんがいた。
「では、業者にも建物の来歴は分からない訳ですね?」
「ええ。……はい」
「十和田さん以前の住人は?」
「名前や連絡先は教えていただけませんでした。ただ、前にお住まいの方はごく普通にお過ごしだったようです。事故や事件もなかったと。最も、業者のことですから何かあってもないと言うのかもしれませんが」
「その方はどれくらいここにお住まいでしたか?」
「詳しいことは聞けませんでしたが、二十年以上お住まいだったようです。ここで子供を育て上げたそうですから。旦那さんが病気で亡くなってここを引き払われたとか。最初は貸家にしようという話もあったのですが、相続税の関係から手放すことになったのだそうです」
 所長はそれから曽根さんについて訊ねると、そういうことは言えない。他人に家の中の事を勝手に喋ってほしくないだろうと断られてしまった、と尾上さんは言った。確かに、曽根さんの言っている事は至極全うだと思う。
 渋谷さんも納得したように頷いて返すと、私達が渡したクリップボードにさらっと眼を通した。
「特に問題のありそうな箇所はないな。……二階と一階の廊下にカメラを一台ずつ。玄関ホールに一台。それで当面、様子を見てみよう」
 私達は所長の指示に従いながらカメラ等の機材を運び、設置していった。一人で抱えるには少々重い物は二人で力を合わせて運ぶ。
 安全第一。弁償出来っこない高級品達だからね、これ。終わる頃には冷房が効いた室内だというのに、全身汗だくになっていた。
 所長に休憩を貰い書斎で涼んでいると、作業に一区切りがついたのを察した典子さんが私達の泊まる部屋を見に来ないかと誘ってくれた。
 階段を登って二階へ上がると、建物の裏手に面した部屋へ案内された。
「ゲスト用のベッドルームだから、殺風景で申し訳ないんだけど」
 典子さんは申し訳なさそうに微笑んだが、十分過ぎるくらいの部屋だった。
 広い書斎や応接間に比べると少しコンパクトに感じるが、天井は高く壁紙は落ち着いた色で、なんだか居心地が良さそう。
 壁に飾られた水彩の風景画の他に、可愛らしく生けられた花々がツインの部屋に泊まる私達への心遣いを感じられて、自然と笑顔になった。
 二つ並んだベッドを回り込むと、外国の映画に出てきそうな窓があった。白いレースのカーテンを開けて、外を覗くと大きな池が広がっている。
 湖ほど大きくはないが、ちょっとしたボートなんかは浮かべられそうな広さだ。水面に周囲の山が映り込んでいる。
「わー。いい眺めだ」
 麻衣ちゃんがはしゃいだ声を上げた。
「そうだねえ……」
 私は自然に囲まれた田舎の祖母の家を思い出して少ししんみりした気持ちになった。近くにあるダムの湖は透き通っているから、ここの池のように深い青緑色ではないけれど。
「春と秋にはもっといいのよ。桜が咲いたり、紅葉したり」
 典子さんは私達の脇に立って窓の外を眺めた。
「兄はこの眺めに惚れ込んでいたの。私達もね。それで引っ越すことに決めたのよ。庭が池の縁まで続いているの。池のこちら側に建っている家はどこもそうみたい」
「へえー……」
 元々灌漑用に人工的に作られた溜め池なので綺麗な水ではないようだが、桟橋を造ってボートを繋いでいる家もあるらしい。
 釣りぐらいならできるかな、と振り返った典子さんは、明るい声色に反して複雑そうな笑みを浮かべている。
「でも近頃はちょっと気味が悪くて。ほら、よくあるでしょう? 池で溺れた人が仲間を呼んで……なんて話」
 硬い表情で顔を伏せた典子さんは、旅行先で以前聞いた事があるという水を堰き止める為に人柱を埋めてそれを慰める為に池の畔に神社があるだとか、霊を慰める祭りの話を引き合いに出した。
「そういうのって関係あると思う?」
「……うーん」
 私は難しい顔で唸った。
 ううう、アパートに暮らしてこの方そっち方面の知識は身に付いていっていても、私自身は霊感ゼロの一般人だし。
「詳しいことはまだ分からないですけど、でもきっと何とかなりますよ。うちの所長、解決出来なかった事件はないそうなので」
 麻衣ちゃんは典子さんを元気付ける。
「すごいのね」
「はい。所長の自信は過剰気味ではあるんですけどね……」
 大真面目に麻衣ちゃんが言うと、典子さんはくすっと笑ってくれた。
「……ちょっと気が楽になったみたい。兄がいないから、本当は心細くて」
 そうだよね。女ばかりで男手が一人もいないんだもんな。
 麻衣ちゃんは茶目っ気たっぷりに綾子さんとぼーさんの賑やかさに心細く思う余地なんてなくなりますよ、と断言した。
「そうなの?」
「はい。ぜんぜん霊能者っぽくないんです。……まあ、それを言えばうちが一番霊能者っぽくないんですけどね」
「ふは、確かにそうかも」
 私は思わず吹き出した。
「ふふ、そうかもしれないわ」
 やわらかく微笑む典子さんの顔は少し明るくなっていた。
 典子さんは最後に窓の外に視線を投げると、くるりと私達の方を向いた。
「二人共、お茶はどう? 丁度おやつの時間なの。礼美が一緒でよかったら」
「ご一緒します!」
 即答する麻衣ちゃんに、私は所長に叱られる未来が頭を過ぎったが、せっかく気を持ち直した典子さんの表情を曇らせたくなくて笑顔で頷いた。
 後で甘んじて、お叱りを受けよう。……びびっている時点で既に負けは確定しているけれど。
 私達は、自分達の着替えを備え付けられているチェストに入れると私物のリュックなどを部屋に置いて、部屋の外で待っていてくれた典子さんの後に続いた。
 キッチンで紅茶とおやつを準備する典子さんを手伝う。とは言っても下手に手を出すと余計時間がかかるので、私はおやつを運ぶ係りだ。
「ごめんなさい。手伝ってくれてありがとう」
「いいえー、事務所でいつもやっている事なので」
「麻衣ちゃんの腕前はプロ級なんですよ」
「ふふ、それは楽しみだわ。さ、ついてきて」
 トレイを捧げ持ち階段を昇る典子さんにそう言えば、と私は気になっていたことをたずねた。
「礼美ちゃんは、そういう変な現象には気付いているんでしょうか?」
「どうかしら……。物が失くなったり移動することには気付いているみたいだけど、あんまりそれを不思議なことだとは思っていないみたいなの。あれって声を上げてから、妙に納得した顔をすることがあるから、そんなものだと思っているのかもしれないわね」
「まだ八歳ですもんねえ」
 麻衣ちゃんがしみじみと呟いた。
 私が小学校の低学年の頃なんて、世の中不思議なことやものに溢れていた気がする。今思えば笑えるようなことに悩み、くだらないことに笑ってたなあ。
 典子さんは階段を昇りきると、二階の廊下を左手に折れた。曲がって最初にある部屋が、礼美ちゃんの自室らしい。すごいな、私がこのぐらいの時に自分の部屋なんてまだなかったよ。
 軽くノックして、ドアを開ける。典子さんの後に麻衣ちゃんが続き、ドアを抑えてくれた。私はお礼を言いながらおやつの載ったトレイを持ち、室内に入った。

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