11.演出にふさわしい言葉でどうぞ


 クラス合同で行われた春の身体測定で、麻衣ちゃんもしーちゃん達と親しくなった。
 さっぱりした性格のしーちゃんを通じて仲良くなったさくちゃんはおしとやかに見えるけど実は笑い上戸で、みーちゃんは個性的で我が道を行くようだけれどこの五人の中で一番の常識人だ。
 今では隣のクラスにお邪魔して、誰かの机と椅子を拝借して一緒にお昼を食べる事が定番となりつつある。
 恵子ちゃん達三人組とはちょくちょく話すし、相変わらず仲は良い方だと思うけれど、肉食系な彼女達の勢いに着いていけないことも多々あった。
 決して悪い子達じゃないんだけどね。
 麻衣ちゃんは渋谷さんのことを根掘り葉掘り聞かれて、少しうんざりしたみたいだけど。
 私の全治一週間の怪我は綺麗さっぱり治って、痕一つ残っていない。
 体に不調をきたすこともなく大いに盛り上がった体育祭が終わると、中間考査がやってきた。
 それをどうにか乗り切ったかと思えば期末試験がやってきて、気付いたらあっという間に夏休みが間近に迫っていた。


「リン! お客様にお引き取り願いなさい」
 所長の絶対零度にまで下がった声が、黙々と作業中だった資料室に響いた。
「……今日何回目ですかねえ、これ」
 思わず私が困った顔で笑うと、リンさんも口元に微かな苦笑を浮かべて立ち上がった。
 リンさんは無口だ。
 仕事に関して質問すると丁寧に答えてくれるし、事務的な会話はするけれど、あまり雑談に応じようとはしない。いつも無表情で何を考えているのか分からないと麻衣ちゃんは首を捻るが、分かり辛いだけで何となくだが感情が見え隠れする瞬間があると思う。
 多分それは、私がリンさんと仕事をする機会が多いから、気付けたのだろう。
 事務員兼リンさんの補佐として雇われた私は、専ら機械関係の仕事を担当している。とは言ってもSPRが現在所有している機材の使い方をリンさんから教わったり、新しく届いた機材を英語の説明書(偶にドイツ語の説明書だったりもする)と格闘しながら組み立てたりと、多種多様な機材のメンテナンスを一人でこなしているリンさんには遠く及ばない。
 笑えるのが、英語が通じるか不安だからと海外赴任に着いていかなった私が、結局英語に触れざるおえないでいる現状だ。
 一応筆記はリスニングよりはまだましだけどなにせ専門用語が多く、英和辞典と和英辞典が大活躍している。どうしても分からない単語は普通にリンさんに聞いちゃうので、微妙に距離を掴みかねている様子の麻衣ちゃんにこれも代わりに聞いてきて! とこっそり英語の題名が書かれたメモを渡されたりもする。分かる範囲だったら教えてあげるのだが合っているか自信もない為、結局リンさんに確認を取る方が早い。
 ここで本を頼んだ張本人に聞くという選択肢が浮かばない辺り、大概怖い存在なのだ。
 でも麻衣ちゃんは物怖じせず所長に向かっていっては轟沈しているので、その勇気には大きな拍手を送りたい。
 ……いや待てよ。ナルシストのナルちゃん呼びを許容しているくらいだから、実は渋谷さんって懐が深い……のか? いや、単純に呼び名なんてどうでもいいのかもしれない。それか、ナルって言葉に近いあだ名で呼ばれてたのかな? 一也(かずなり)だし。
 日々すごい量が送られてくる本(これまた英語)を分類し、更に発注した本を麻衣ちゃんやリンさんと書店まで受け取りに行ったりもするので、頭脳労働だけではなく事務員としてオフィスに出勤しながら肉体労働もあった。お陰で力瘤が結構ついたんじゃないかと自負している。
 まだ本格的な調査を経験していないので、機材の使い方を教わるそばから忘れてしまいそうなのが、唯一の悩みだった。
 せっせと麻衣ちゃんが分類してくれた資料を本棚に入れているとトントン、と資料室の扉がノックされる。
「飛鳥ー。お茶入れたからちょっと休憩しよう」
 はーい、と返事して手元の資料を手早く一カ所に纏めた。
 麻衣ちゃんは自分は単なる雑用係りだと言うが、これも立派な業務の一つだと思う。私が手ずから淹れた紅茶は全然美味しくなくて、ティーパックの方がまだまともに飲める味だ。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
 麻衣ちゃんの淹れる紅茶は、喫茶店で出てくるやつみたいに本格的で美味しい。
 初めて茶葉から紅茶を淹れた際に、不味いと顔を顰めた所長を見返してやろうと、図書館で本を沢山借りて読み込んだらしい。備品の茶葉を持ち帰って家で何度も練習するなどの弛まぬ努力を重ねた結果、美味しいとは言われないものの就業時間の中で何度かお茶を要求する辺り、所長は麻衣ちゃんの淹れる紅茶を気に入っているのだろう。
 頭脳労働には甘味が欠かせない。私はミルクピッチャーからミルクを少し注ぎ、砂糖壺から角砂糖を二つ紅茶にトポンと落としてスプーンでかき混ぜた。
 来客用のソファーに陣取った不機嫌極まりない渋谷さんに遠慮して、私達は小さな声でお喋りする。
 甘いミルクティーを飲み干すと、麻衣ちゃんはさっと立ち上がって私のティーカップを簡易キッチンに持って行ってくれた。
 皿洗いくらい私にも出来るのに、麻衣ちゃんは自分の仕事だからと頑として譲らない。
 再び資料室に引っ込んで、中断していた作業を再開して暫く。
 麻衣ちゃんに呼ばれて資料室から顔を覗かせると、二十歳過ぎくらいの若い女性が、不安そうな顔で所長の質問に答えていた。
 彼女はこの度の依頼人で、森下典子(もりしたのりこ)と名乗った。
 典子さんが帰った後、所長とリンさんが調査の打ち合わせをする傍ら、所長の指示で録音した典子さんの話を聞きながら要点を纏め、調書にしたためた。
 曰わく、昨年引っ越してきてから誰もいない筈の部屋で妙な物音がする。古い家だが明らかに家鳴りの音ではない、床を踏み鳴らすような音や、誰かが拳で壁を叩くような音がする。
 誰も動かしていない筈の物の位置が気付くと変わっていたり、更には家具がガタガタと揺れてすわ地震かと思ったら他の部屋は全く揺れていなかった、ということまであったそうだ。
 私は麻衣ちゃんと顔を見合わた。これはいよいよ、本格的な調査の機会が訪れたのかもしれない。


◇ ◆ ◇



 森下邸に調査へ出掛ける日は、丁度夏休み初日だった。
「着替えはこれでよしっと」
 私は着替えとその他諸々必要そうな物をリュックに詰め込んでいた。
 調査は泊まりがけで行われるという事で、一応母に電話で聞いてみたら勉学に影響しない程度だったら構わないと至極あっさり許可をくれた。ちなみに心配性の父は反対するかもしれないので黙っておいたが……もしかしなくても母が伝えそうだ。
 しかし、我が家は母がヒエラルキーの頂点に君臨している。影の支配者に父も面と向かってノーとは言い辛いだろう。
 もちろんその辺は計算ずくである。

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