09.ここのつ、来ないままにして


「おはよー飛鳥。数学の課題やった?」
「おはよう。もちろんやったけど、そんな私は現文の課題が終わってないんだな、これが」
「はは、そんなのいつも通りじゃん」
「じゃあ、いつものようにノート交換しない?」
「するするー!」
 怪我をして授業を受けられなかった時と同様に、クラスメートのしーちゃんにノートを貸してもらった。数学は公式と答えさえあっていれば正解だけど、現代文は作者の心情を読み取って答えろなんて問題を出してくるから、ある程度オリジナリティがなければ不味い。じゃないとそのまま写したことがバレてしまう。
 だから私は現代文が得意な友人のノートを参考に、自分の言葉を捻り出すのだ。
 周囲の喧騒も忘れて課題をこなしていると、先生が教室に入ってきた。
 いつまでも姿が見えないと思っていたら、麻衣ちゃんは欠席だった。先生に連絡はきていないらしく、家にかけても通じなかったらしい。
 朝のSHRの後に担任の先生にこっそり聞いた所によると、旧校舎の調査にかかりきりになっているのかもしれないとのことだった。
 確かめたくても麻衣ちゃんは携帯持ってないからなあ。
 ちなみに現文は四限目だったから、課題は十分間に合った。


 真逆な得意科目のお陰で持ちつ持たれつの関係であるしーちゃんに誘われて、私は隣のクラスに訪れていた。しーちゃんは持ち上がり組で、仲良しの友人達とはクラスが離れてしまったらしい。
 自分のクラスに慣れる事に必死で隣のクラスとの交流が乏しかった私は、初めて訪れた教室に少し緊張しながらしーちゃんの友達二人と一緒にお昼を食べた。
 話題は、専ら外部入学生である私の事だった。
「谷山さんといつも一緒だけど、同じ中学だったの?」
「ううん。違うよ」
 首を振って否定すると、赤縁眼鏡のさくちゃんは驚いたように瞳を丸くした。
「じゃ、知り合ったのは高校から?」
 興味津々といった様子で質問してきたのはマッシュルームカットが特徴的なみーちゃんだ。
「うん。同じ中学の友達はみんなばらばらになっちゃって、知り合いが一人もいなかったらすっごく緊張してたんだ。そしたら入学式の後の席替えで隣の席になった麻衣ちゃんが、笑顔で話しかけてくれて……」
 あの時は麻衣ちゃんが天使に見えたね、うん。
「そうだったんだー。わたし、てっきり昔から友達なのかと思ってたよ」
「……行く行くは親友の座を狙っておりますゆえ」
 芝居がかったそぶりで流し目を送りおまけに口角をくいっと持ち上げると、向かい側に座る二人に爆笑された。
「あはは、飛鳥の顔超ゲスい!」
「はははっ女子高生がしていい顔じゃないよ、それ!」
「非道いしーちゃん! 私ゲスくないよ! ふふん、残念ながらみーちゃんと同じ女子高生だよ。……さくちゃんは笑い堪えなくていいんだよ?」
 口元を押さえてぷるぷるしていたさくちゃんは私が言うやいなや、ぶはっと吹き出した。苦しそうにお腹を抱えて笑っている。
 私は新たな友人をゲットし、隣のクラスと交流を深め、実に有意義な一日を過ごした。


 学校から帰ってすぐアパートの地下にある温泉に直行した私は、髪を洗い体を洗ってせっけんを洗い流した所でふらりと女湯に入ってきたまり子さんにしげしげと背中を確認された。
「だいぶ痣薄くなってきたわね」
「ほんとう?」
「ええ。この分だと数日もしない内に消えそうよ」
「やったー!」
 私は諸手を上げて喜んだ。立ち上がってごつごつとした岩の湯船まで移動して浸かると、ざばんとお湯が溢れた。
 アパートの地下には、大家さんがどこかの次元と繋げて引いてくれたという本物の温泉がある。疲労回復に効果があるらしく、一日の疲れは湯船に浸かるとたちまちほどけて消えた。
 多分、私の怪我にも効いているんだと思う。
 考えてみれば怪我をしてからそろそろ一週間になる。湿布は今日まで処方されていたが、もうほとんど痛みはない。肩は押したらまだちょっと痛いけどね。でも強く押されない限り、大丈夫だ。


◇ ◆ ◇



 次の日。遅刻してきた麻衣ちゃんは心ここにあらずといった様子で、私が声をかけても生返事だった。昼休みに昨日の休みの理由を聞いたら、先生の推測通り渋谷さん達のお手伝いをしていたらしい。
 でもそれも昨日で終わったと話す麻衣ちゃんは、お手伝いの当初あんなりげんなりしていたのが嘘のように、ちっとも嬉しそうじゃなかった。


 ガタン、と午後の眠たい授業中響き渡った音に、みんな一斉に午睡から揺り戻された。
 私は隣の麻衣ちゃんが唐突に席を立ったのが分かって、どうしたんだろうと視線を向けた。麻衣ちゃんは窓の外を一心に見つめている。
「たにや」
 先生は突然席を立った麻衣ちゃんに注意しようとしたけれど、ガラスの割れるような耳障りな音がその言葉尻を掻き消した。
 窓から見える崩壊していく旧校舎に釘付けになる。誰とも知らず席を立ち上がると、我先にと窓際に駆け寄った。私も急いで窓にへばりついた。
 旧校舎の最後だった。轟音を立て、倒れ込むように沈んでいく。砂埃がもうもうと舞って、塵がぶわりと巻き上がった。
 中途半端に崩れ落ちた旧校舎の取り壊し作業は、その数日後に始まる。

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