曖昧に触れうるなら



 夜中にふと目が覚めた。
 悪夢に魘されたからではなく、単純に厠に行きたくてだ。温かい布団の中は名残惜しかったが、俺は観念して布団から這い出した。ひとまず手探りで、いつも枕元に置いている灯りの薄ぼんやりとした光を、強くする。
 立春も過ぎて暦上では春だが、一年の中で最も寒い月だ。特に朝晩はとても冷える。少し明るくなった部屋の中で座椅子を探し当て、その背もたれに掛けておいた長袖の上着を羽織る。
 そして、廊下と自室を仕切っている障子戸を開けようと顔を上げた時だった。
 障子越しに何かの影が映っているのに気付いてしまったのは。
 俺はその場に立ち止まって数秒硬直した。
 いやいや俺ホラー全力で駄目なんだけど! どうしよう、隣で寝ているあいつを呼ぶか……。いやでも、常日頃食事作りに精を出してくれているからしっかり休ませてあげたいし。ましてや俺が怖いからって理由で起こすのは、些か情けないからなあ……。
「あ、あのう……」
「っ!!」
 内心葛藤していると、障子越しに話しかけられてはっと息を呑んだ。
「……主様? 起こしちゃいましたか?」
 ここは恥を忍んで歌仙を呼ぶべきなのか! って、うん?
 そのか細い声には聞き覚えがあるぞ。というかむしろ最近になってとても慣れ親しんでいる声だ。
 俺は身構えたものの、己の勘を信じて恐る恐る障子戸を開いた。
「……なんだ、五虎退だったのかあ…」
 果たしてそこにいたのは白い夜着に身を包んだ五虎退だった。縁側に五匹の仔虎たちと並んでちょこんと座り、俺を見上げて目を潤ませている。
「ご、ごめんなさい……!」
「ん? どうして謝るんだ?」
 俺は理由が分からず首を傾げた。
「ぼ、僕がっ」
「うん」
「ここに座ってたから、」
「うん」
 つっかえつっかえ喋る五虎退を急かさないように、辛抱強く相槌を打った。
「……っあ、主様を、起こしてしまって……!」
 ん? それは、ちょっと違う。
「いや、俺はちょうど厠に行きたくなって自然と目が覚めたんだよ」
 だから、お前のせいじゃない。
「気にすんな」
 どうやら火急の用事ではないようだと、落ち込む頭をうりうりと撫でる。
 そこで俺は徐に神妙な顔で切り出した。
「と言う訳で、戻ってきたらちゃんと話聞くから。……そろそろ厠行ってきてもいいか?」
 こくりと頷く五虎退の頭を最後にひと撫でして、俺は急いで厠へと向かった。


◇ ◆ ◇



「だから、五虎退は主に何か用があるのかい?」
「その…っあのお……。ご、ごめんなさいっ」
「……ああもう! 僕は謝ってほしい訳じゃなくて、理由を教えてほしいだけなんだけれど!」
「ひぃ! ご、ごめんなさっ……!」
 出すもんだしてすっきりとした気分で自室へと戻ってきた俺は、半泣きの五虎退に何故か今日の近侍である初期刀の歌仙が詰め寄っている場面に出くわしてしまった。
「歌仙。ストップ、ストップ」
 歌仙の迫力にビビりまくっている五虎退を見るに見かねて二人の間に割って入ると、ばっと山吹色の瞳がこちらを見上げた。今にも溢れ出しそうなそれに、俺は大丈夫だからと安心させるように笑いかけて柔らかい髪の毛を乱した。
 ご主人様の肩に乗っている仔虎が甘噛みしてきたので、毛並みを整えるように撫でてやる。
 滅茶苦茶ふわっふわだ。アニマルセラピーになるな、これは。あー癒される……と、違う。今は二人に事情を聞かなきゃいけないんだった。
 俺は頭を切り替えて、難しい顔で仁王立ちする歌仙へと改めて向き直る。
「あーと、それで? 歌仙は何に怒ってたんだ?」
 先ずは比較的落ち着いている歌仙にたずねた。両者の意見を聞かないと不公平だしな。
 すると歌仙は如何にも不服だと言わんばかりに眉を寄せた。
「勘違いしないでほしいんだが、僕は怒っている訳ではないよ。……少し前から部屋の外に五虎退の気配を感じていてね。何か主に用があるのかと聞いただけさ。そしたら五虎退は謝るばかりで理由を答えないから、僕は頭を悩ませていたんだよ……」
 なるほど。
 はっきり物を言う歌仙の勢いに、引っ込み思案な五虎退が呑まれてしまった訳か。きっと歌仙が聞き出そうとすればする程、五虎退はしどろもどろになっていくという悪循環に陥っていたんだろう。
 歌仙は自分にも他人にも厳しいが、面倒見も良いし何より優しい奴だ。しかしその優しさはふとした時に覗くものの、普段は隠されている。まだ新参で、しかも人見知りのきらいがある五虎退には正しく伝わらなかったんだろう。
 俺は俯いている五虎退の表情がよく見えるように畳に膝をついた。萎縮してしまっている五虎退と視線を無理に合わせようとはせず、努めて柔らかい口調を意識して語りかける。
「無理に答えようとしなくて大丈夫だぞー。はいだったら頷いて、いいえだったら首を左右に振ってくれ」
 躊躇いがちだったが、それでも白い頭は小さく頷いた。
「よし、偉いぞ。……五虎退は緊張して頭が真っ白になっちゃったんだよな?」
 こくりと上下に動く。
「そっか。つまり、悪気はなかったんだよ歌仙。俺も小さい頃は喋るのが苦手でさ。何か聞かれても言葉が続かずに、すぐだんまり決めてたんだよ」
 その点、五虎退はきちんと声を出せるからすごいな。
 いい子いい子と頭を撫でると、おずおずと五虎退の顔がちょっぴり上がって、すぐにまた俯いた。
 それを見て、歌仙は眉間の皺を緩め、しょうがないなと言いたげに苦笑している。よし、歌仙の方はもう大丈夫だろう。苛々していたけれど、元々怒っていた訳じゃないし。
「それで、五虎退はどうしたんだ。俺に用があってきたんだろう?」
 促しながら、俺は跡がつきそうなほど強く握り締めている五虎退の手を上から包み込んだ。冷え切っていたそれに驚いて、俺は自分が羽織っていた上着を脱ぐと、有無を言わさず五虎退に被せて余った部分を巻き付けた。
 五虎退は最初遠慮しようとしたが、俺が真顔のまま首を振るとしぶしぶ頷いてくれた。
 暫し待つと、握り締められていた拳がゆっくり開き、五虎退はぽつりぽつりと語り出した。
「……こわい……夢を、見たんですっ」
「うん」
「でもいち兄たちは遠征に行っているから居なくて……っ。叔父上は手入れ部屋でばみ兄や薬研たちも…」
「夜戦でいない、と」
 俺の合いの手にこくりと頷き、五虎退は話を続けた。
「昼間戦に出ていた他のみんなは疲れて寝ているのに、僕だけ眠れなくて……けどっ部屋でじっとしているのも恐くて……。主さまは、いつも遅くまで起きていらっしゃるので……。迷ったんですけどっ、もしかしたら……と思って」
「俺がまだ起きているかもしれないって、様子を伺ってたのか?」
 つまりはこういう事だ。
 怖い夢を見て起きたが、一期一振は遠征の為不在。鳴狐は手入れ部屋でまだ体を休めている。骨喰たちや短刀だが頼りになる薬研も池田屋に出陣していていない。
 ぐっすりと寝ている周りの短刀たちを起こすのも忍びなくて粟田口部屋を出た。うろうろとさ迷い歩いていたところ、俺がまだ起きているかもしれないと閃き部屋の前に来てみたが声をかけられず。
 とりあえず縁側に座ったら、タイミング良く俺が起きてしまったと。
「そっかー……。怖かったな、五虎退」
 俺の体温が移って大分赤みを取り戻していた手を離し、五虎退の肩に乗っている仔虎を落とさないように気をつけながら抱き締める。あやすように小さな背中をぽんぽんと叩けば、縋りつくように夜着の肩を掴まれた。
「手入れを受けて眠っている鳴狐は俺の采配が至らなかったせいだし、一期や骨喰たち、薬研が今日に限って居ないのも最終的に部隊を決定した俺のせいだしな……」
 うーん。なにか手っ取り早く解決策はないものか……。
「そうだ! 今日はこの部屋で俺と一緒に寝るか? 兄ちゃん達の代わりにはなれないだろうけど……」
「ふぇ!?」
「はあ!?」
 口をぽかんと開けて吃驚している五虎退は兎も角、事の成り行きを静観していた筈の歌仙にまでなぜか低い声で凄まれて、俺は背中をさすっていた五虎退から体を離し、慌てて弁解する。
「ただ添い寝するだけじゃねえか! んな怒るなよ……」
「ただ添い寝って……! 僕は前々から臣下との距離が近すぎるんじゃないかと注意しようと思っていたんだ! 君は特に短刀たちには殊更あまっ」
「あー、あー! 夜中にでかい声で説教すんじゃねえよ! ……もうっ、歌仙も一緒に寝るぞ!」
「は? ちょ、おいっ!」
 唐突だったからか膝立ちの俺に腰を屈めてくどくど苦言を呈していた歌仙を力任せに引っ張ると、呆気なくバランスを崩したので渾身の力で布団の横の畳に転がした。
 華奢に見える割に、俺より筋肉ついてるから重いんだよな。
 まあそれは日頃出陣して歴史修正主義者達と戦っているからだろうし、修練の賜物だろうから根っからの現代人である俺とは身体の作りからして比べものにはならないだろうけれど。
 何より、刀の神さまだしな。
 しかし、デスクワーク中心で相対的に運動不足な審神者が多い中、俺は忙しい時期以外は筋トレをかかさず行っているし、仕事の合間を縫って短刀達と全力で遊ぶこともいい運動になっている筈だと自負している。
 いつか同田貫のような実用的でバキバキの腹筋をつける事が密かな目標だ。
 が、どうも筋肉がつき辛い体質らしく、ぷにぷにはしていないがしかし、バキバキに硬いという訳でもないのが悩みの種である。
 そんな割とどうでもいい事を考えながら、俺は手早く五虎退に巻き付けた上着を回収して座椅子の背もたれにかける。枕元の灯りに手を伸ばし、癖で一番弱くしようとしてはたと考えた。俺は薄暗くても眠れるけれど、五虎退は怖いかもしれない。いつもよりも明るい、けれど眠りを邪魔しない程度に明るさを調節した。
 厠に行きたくなって這い出した際に足元に適当に畳んでおいた掛け布団と毛布はそのままに、シーツに潜って端っこに詰めた。
 そうしてから、わざとスペースを開けた敷き布団の真ん中を叩く。
「五虎退、おいで」
 五虎退は戸惑ったように視線を右往左往させていたが、俺が笑って肯くと怖ず怖ずと隣におさまってくれた。
 ちなみに肩に乗っていた仔虎は見事なジャンプで地上の仲間たちと合流を果たしている。
「ほら、歌仙も」
 俺はさっき布団の外に転がしたまま放置していた歌仙に声をかけた。腕を伸ばして寝転がっている五虎退の左隣を指差す。
「……はあ。本当に君は、仕様がないな」
 いつの間にか正座で俺たちの様子を見守っていた歌仙は一瞬固まった後、重そうなため息をついてから無言でするりと五虎退の隣に滑り込んだ。
 五虎退を挟むようにしてその左隣に歌仙、右隣に俺。
 これぞまさしく川の字だな。
 毛布と掛け布団をそっと肩までかけてやると、途端に五虎退の表情が緩む。
「あったかいです……」
「うん。ぬくぬくだなー……」
 五匹の仔虎たちはご主人様である五虎退の周囲だけに留まらず、各々好き勝手に俺や歌仙の顔の横や首周りに陣取って丸くなったり、だらーんと伸びているから、ぬくもりは倍増だ。
 五虎退の頭を撫で、一番上の掛け布団から出した片手でお腹をやさしく叩く。
「もしまた怖い夢見たら起こしてやるから、眠くなったら遠慮なく寝ろよー……」
「はいっ」
 五虎退の言った通り、俺が這い出してから多少時間が経っていた為布団は冷たくなっていたが、三人分の体温ですぐに温まった。仔虎たちの毛皮は相変わらずふわふわで、頬に触れるとくすぐったい。
「ふぁ、」
 大きな欠伸がもれる。五虎退を寝かしつけようと始めたお腹ぽんぽんも、どんどんゆっくりと止まりがちになってゆく。耐え難い眠気に、俺は温かくて柔らかいものを胸に抱えると抗うことなく身を委ねた。


「主さま、寝ちゃいましたね……」
 五虎退は主を気にしてか小声で呟いた。
「ああ。よく眠っているね」
 健やかな寝息に、審神者としての第一歩を踏みしめたその日から見守ってきた初期刀の眼差しも緩む。
「それにしても五虎退より先に眠るだなんて……」
「! 主さまは悪くないですっ。僕が、僕が眠れなくて…起こしてしまったから……」
 自分で言いながら涙目になっていく五虎退を、歌仙は抑えた声量で叱り飛ばした。
「それはもう主が許しているのだから、君もうじうじと考え込まない!」
「は、はぃぃ……」
「分かればよろしい。……それにしてもしっかりと抱き込まれているね。苦しくないかい?」
 気遣わし気な歌仙の声に、文字通りの懐刀は頬を紅潮させて照れ笑った。
「……えへへ。大丈夫です。……どこか懐かしい感覚ですから。ありがとうございます、歌仙兼定さんっ」
「歌仙で構わないよ。……僕達も、そろそろ寝ようか」
 そう言って歌仙が肩を竦めると、五虎退も慌てたように小さく頷く。
「はいっ。……歌仙さん、おやすみなさい」
「ああ。おやすみ」
 歌仙は藤色の瞳をゆるりと細めて微笑んだ。
 寝こける主をよそに交流を深めた二振りの男士は、明日に備えて同じ布団で眠りについた。
title by リラン
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