きみのとりとめのない愛も崇高な手のひらも



「主。起きろ、主」
 どこか覚えのある囁きが、遠くで小さく響いた。
 布団の温かさを感じながら、しかしそれは思考するそばから微睡みに解けていく。
「うひゃ!」
 突然冷たい物が頬に触れ、俺は素っ頓狂な声を上げて反射的に目を開けた。
「目が覚めたか?」
 覚醒仕切ってない頭をのろのろと動かし、声が降ってきた方を仰ぎ見る。
「鶴丸……か?」
「お早う主。すまんな、朝早くに起こして」
 そこには、今日も今日とて真っ白な鶴丸国永が居た。
「んー……」
 俺は鶴丸に背を向ける形で本能の赴くまま、ごろりと寝返りを打った。どうせいつもの驚きとやらを仕掛ける為に俺を起こそうとしているのだろうが、付き合ってやれそうにもない。俺は眠いのだ。
「おい、主。寝るな」
 しかし、早起きなこの刀は情け容赦なく俺の体を揺すってくる。
 半分夢の世界に浸かりながらも、俺は回らない舌を必死に動かした。
「う〜……なんだよ。俺まだねみぃのに……。つーか、いつものイタズラだろ? わるいが他あたってくれ……」
「いいや、それとは違うものさ」
 むしろ、もっといいものかもしれないな。
「……へえ? あーもうわかった。起きるよ」
 一歩も引かない鶴丸に根負けしたのもあったが、それよりも含みを持たせた鶴丸の言葉に興味をそそられて、俺は温もりを惜しむ体に鞭を打ちしぶしぶ布団から這い出てやった。
 眠い目を擦って障子を見れば、部屋に差し込む光はまだ青白い。この分だとまだ夜も明けていない時刻かもしれなかった。
 どおりで眠い筈だ。いつも起き出す時間よりもずっと早い。
「どうしても君に見せたいものがあってな。……しかし、先ずは身支度が先か」
 鶴丸はぐずる俺からてきぱきと寝間着を脱がし、いつもの和服を着付けてくれた。足元は防寒の為、足袋ではなく和服には微妙に合わない分厚い靴下を履く。衣を重ね、最後に灰青色の羽織りに袖を通す。
「こんな時に便利だなあ、君の部屋は」
 急かされながら顔を洗い歯を磨き用を足して戻ってきた俺を見て、満足そうに鶴丸は頷いた。そんな鶴丸に俺は首を捻りかけてすぐにああ、と合点がいく。用意された本丸の審神者用――つまり俺の自室には驚く程何でも揃っている。トイレに洗面所、シャワー付きの風呂に簡易キッチンまで。
「よし、支度は終わったな。……しかしその格好ではまだ寒いか」
 鶴丸は動いている内に段々と覚醒してきた俺の姿を上から下まで眺めて何やら呟くと、徐に箪笥をごそごそと漁りだした。
「ちょ、おい。平野と前田がせっかく綺麗に畳んでくれてるんだ。頼むからぐちゃぐちゃにはするなよー」
 慌てて制止の声を上げれば鶴丸は視線は手元に向けたまま、あっさり頷く。
「ああ、分かっているさ。……と、これか?」
 鶴丸が取り出したのは、俺が冬になってから巻くようになった厚手の襟巻きと手袋だった。
 ということは。
「外出んの?」
「ああ。だからしっかり着込ませただろう?」
「うん。ちょっと動き辛いぐらいにはな」
 けれど、このぐらい着込んだって寒いものは寒いんだろう。
 古式ゆかしい風情の我が本丸は、しかし室内に一歩足を踏み入れると文明の機器を最大限に駆使された空間だ。つまるところ快適なのである。年中暑さと寒さには悩まされない。しかしそんな本丸も、ハイテクな部分とアナログな部分が見え隠れした。
 室外の気温は管理出来ないのだ。
 俺が審神者となって初めて迎える真冬は、現代っ子の適温に慣れきった軟弱な体では、とてもじゃないが太刀打ちできないぐらい寒い。
「ぐぇっ」
「おおっとすまん! 力が強すぎたな」
 つらつらとどうでもいいことに意識を飛ばしていたら、思いがけず首が絞まった。俺は蛙が潰れたような声を漏らしてしまった気まずさから、もにょもにょと慰めなのか何なのか不明瞭な言葉を鶴丸にかける。
「いや、大丈夫だよ。つーかこんな事までしなくていいのに……」
 彼は一度襟巻きを外すと、今度は壊れ物を扱うかのような丁寧な手付きで結び直していく。何だかそれにむず痒い気持ちになりながら、俺は「それで」と、漸く回ってきた頭で起こされてからずっと気になっていたことを訊ねた。
「鶴丸の用は何なんだ?」
 すると儚い風貌に反して行動派な神様は、よくぞ聞いてくれたとばかりに胸を張る。流れるように俺の手を取ると、すたすたと廊下へと繋がる障子に近付き、そのままスパーンと、豪快に引き戸を開けてみせた。
「これを早く主に見せたくてな!」
 ――飛びこんできた"白"に目が奪われる。
「……うわあ」
 外は、一面の雪に覆われていた。
 たった一晩でここまで降り積もったのだろうか。そこにはただただ静寂な銀世界が広がっている。俺は暫くの間、呆けたように真っ白な庭を見渡した。
「そこに君の履き物がある」
 鶴丸は既に地面に降り立ち草履を履いていた。
 白い手の指差す方を見れば、ご丁寧にも俺が愛用しているスニーカーが置いてある。どうやら準備の良いことに、わざわざ玄関から取ってきてくれていたらしい。
「サンキュ、じゃなくて……。ありがとう鶴丸」
 礼を言い、着物には不釣り合いだが実用性を重視したスニーカーを履こうと、ゆっくり体を曲げて縁側に腰掛けると。
「動き辛いだろう? 無理はしなくていい、俺が履かせよう」
 何の躊躇いもなく雪の中跪くものだから、俺はびっくりして名前を呼んだが。
「鶴丸!」
 続く制止の声を上げる暇もなく、鶴丸は手早く俺に靴を履かせ立ち上がった。
「さあ、早く行こう」
 目を輝かせて誘ってくる鶴丸は、先程のやり取りを微塵も気に留めてはいないようだった。
「……ありがと」
 これっぽっちも気にしていない当人に訴えても仕様がない。俺は胸を占める形容し難い感情をぐっと堪えて、過保護な鶴丸にぼそりと礼を言った。
 誘われるがまま、そろそろと最初の一歩を踏みしめる。
「おおお……」
 すぐさま俺は、その感触に夢中になった。



◇ ◆ ◇



 ひとしきり雪にはしゃいだ後、少し休憩しようといつの間にか縁側に腰掛けていた真っ白な刀の隣にお邪魔させてもらう。
 ふう、と息を整えていると、微笑ましいものを見るかのような、生温い視線を寄越された。
「まるで幼子だな」
「うっせえな! ……こんだけ沢山積もってるの珍しいからテンション上がってるんだよ!」
「珍しい?」
 首を傾げた鶴丸にこくりと頷く。
 元々俺の住んでいた所は、雪とは縁遠い地域だった。例え積もったとしても、雪だるまを作ろうとすれば子供の拳ほどの大きさの時は真っ白だった雪玉も、次第に砂利や泥を巻き込んでいき汚くなってしまう。
 しかしそれならばまだいい。数ミリどころか、全く積もらない年もあった。
「だからこんなにたくさん積もった雪なんて、初めてなんだ」
 勿論映像越しにならば何度もある。それでも、触れて確かめたそれらは思い描いていたものとは随分違った。
 積もった地面に手を差し入れたら手首の辺りまですっぽりと埋まるなんて未知の体験だったし、手袋越しに触っていても指先の感覚がなくなるだなんて、まさに今体感中である。
「そうか。ならば、見た甲斐はあったかい?」
 溶けた雪でぐっしょりと濡れた手袋を外し、まるで分厚いグローブに何重にも覆われているかのようにさえ感じる両手をさすりながら、俺は満面の笑顔で答えた。
「おう! 独り占めしたみたいですげえ贅沢だったし、楽しかった! ありがとうな、鶴丸。こんな驚きならいつでも大歓迎だよ」
「礼には及ばないさ。俺としても、君がそこまで喜んでくれるのは嬉しい誤算だったよ」
 心底嬉しそうに、じわりと眦を赤く染めて笑み崩れる鶴丸に、知らず鼓動が早くなる。
「そ、そんな喜ぶことかよ……」
 俺はそんな鶴丸を直視出来ず、ついと視線を外す。誤魔化すようにわざと憎まれ口を叩いた。
 すると、横から伸びてきたほっそりした手が俺の両手を包み込む。
 一瞬びくっと肩を揺らした俺を宥めるように指先を撫でられ、力が抜けた所を少しだけ温かいそれが、ぬくもりを分け与えるかのようにぎゅっと握った。
「俺は君の驚いた顔を見るのも好きだが、それ以上に。君の喜んだ顔を見るのが好きなんだ」
 ずいっと顔を寄せて覗き込まれる。俺は手を握られたまま、勢い良く仰け反った。馬鹿みたいに顔が熱い。
「っ」
「ふふ、まるで林檎だ」
 それもすっかり熟れた、な。
 くつくつと笑みを零し、段々と焦点が合わないくらいの距離にまで近付いてきた鶴丸に、俺は耐えきれずに眼を閉じた。ふにふにと唇を摘まれ、直ぐ傍で吐息がかかるのを感じる。
「残念、期待したか?」
 囁くような呼気と共に額にやわらかな感触が触れた。……ん、額?
「……は?」
 至近距離から聞こえたリップ音にびっくりして目を見開けば、忍び笑いを漏らす鶴丸の姿があった。
 細められた蜂蜜色にはからかいの色が多分に含まれている。それを知覚するなり、俺は恥ずかしさに肩を震わせて思い切り吠えかかった。
「っ鶴丸!! 俺をからかったな!」
「ははっ! 君は、相変わらず初々しい」
「う、初々しいってなんだよ!」
「――とても愛らしいってことさ」
 しかし、揶揄し過ぎて拗ねられでもしたら大変だ。口を聞いてくれなくなる。
 鶴丸はそう宣うと、俺から退けて縁側に座り直した。
「この庭を見たら皆、驚くだろうな」
 さらりと話題を変えた鶴丸を、横目でじとりと見やる。
「なにせ、この躯になってから始めての雪だ」
「……そっか。そうだよなー……」
 ――雪原を元気一杯駆け回る愛染や蛍丸、大所帯の粟田口に戸惑う小夜を笑顔で引っ張る今剣と、そしてそれを見守る保護者達の温かな視線……。
「短刀達が喜びそうだなあ」 
 思い浮かべたみんなの姿に怒りがすうと引いてゆく。はしゃぐみんなを想像してほっこりする俺に、鶴丸が妙案を告げた。
「だったら、この庭で雪遊びでもしたらいいじゃないか?」
「お! それいいな!」
 思い返せば週休二日制を掲げる我が本丸もここ最近政府が用意した演習などで忙しく、交代制で回していた。それぞれの休日もばらばらで、満足に休めていたかも怪しい。心なしか俺も疲れが溜まっている気がする。
「せっかくだから日課と内番とやること終わらせたら、みんなで遊ぶか!」
 今日の出陣は取り止めて、休日にしてしまおうか。
 数日前から遠征に出している部隊についてはいつも帰還した次の日に休みを与えてはいるが、今回は多めに休息を取らせてしっかり労ろう。
「なあ、たまには息抜きしたって罰は当たらないだろ?」
 一応目の前の神様にお伺いを立ててみる。
「そもそも俺が言い出した事だろうに……。いい判断だと思うぜ」
 よし。これで言質は取った、と。
 まあ心配しなくとも口うるさ……げふん。真面目な刀達も否やは唱えないだろう。一期なんかは弟達の期待の籠もった瞳にせがまれて、真っ先に陥落しそうだ。
 そうと決まれば善は急げとばかりに、俺は既に起き出して準備を始めているであろう朝餉当番達を手伝おうと、やる気を漲らせて立ち上がった。
 が、しかし。
「へ、」
 勢い良く立ったのがいけなかったのか、俺は数歩進んだ所で踏み固められた雪に足を取られ、ふらりとよろめいた。
 バランスを崩してそのまま後ろ向きに倒れ込んでいく。
「……っ主!!」
 鶴丸の叫ぶ声が嫌にゆっくりと聞こえ、俺はなす術もなく目を閉じた。
「はあ。……間に合ったか」
 ――あれ、痛くない?
 想定した衝撃が来ず、疑問に思いながら恐る恐る薄目を開くと、鶴丸が心配そうに顔を覗き込んでいた。
「主、大丈夫か? 怪我は?」
「だい、じょうぶ……」
 咄嗟に腕を引いて庇ってくれたのか、覚悟していたよりも痛みは少ない。
「どこか痛みは?」
「特にない、な」
 雪がクッションとなったのも、不幸中の幸いだったようだ。
 ほっと安堵したのも束の間、じわじわと現実を認識してくると間抜けな自分に対して笑いが込み上げてくる。
「っあははは! びびったあああ! 背中冷てえー!」
「……一体君は、俺の話を聞いているのかい?」
 地面に寝転がりながら腹を抱えて笑う俺に、鶴丸は呆れたような視線をよこす。
「はは、ごめん。庇ってくれてありがとう。というか鶴丸こそどっか痛くないか? 怪我は?」
「……全く、仕様がない主だ。俺は大丈夫さ。これといって痛みもない」
 今更ながら謝った俺に、寛大な神様は苦笑い一つで許してくれた。
「……はしゃぐのは大いに結構だが、気をつけてくれよ」
 伸ばされた手が確かめるように俺の頬を撫ぜる。
「……少し冷えたな。でも血色は良い」
「そういう鶴丸はどこもかしこも真っ白だよなー」
 言いながらちらりとその全身に目を通す。
「ふむ。如何にも鶴らしくていいだろう?」
「……雪に溶け込むってか?」
 俺が冗談めかして茶化せば、鶴丸は虚に憑かれたように固まった。
「……そうかもしれないな」
 鶴丸はまるで自分に言い聞かせるかのように呟いた。
「しかし、」
 すうっと蜂蜜色が細められる。
 前触れもなく鶴丸は、笑い過ぎて脱力しきった体を起こそうとしていた俺の上へと覆い被さった。檻で囲うように、両手が真横に着かれる。さらさらと白無垢の袂が耳をくすぐった。
「それ以上に俺が君を、何者からも隠してしまえるのは魅力的だ」
 口端を吊り上げた鶴丸の表情は、精巧に作られた人形のように作り物めいていて、ぞくっとしたものが背筋に走る。
 ――ああ、いつも忘れそうになるけれど、このひとは神様なのだ。
 頭では理解したつもりでいるけれど、ふとした瞬間にその側面を覗かせる。その度に俺はまざまざと痛感するのだ。ちっぽけな人間からは、とてもじゃないが計り知れない存在なのだと。
 雰囲気に呑まれ息を呑んだきり二の句を告げないでいる俺に、鶴丸はピンと張り詰めた空気を壊すかのようにふっと眦を緩めると、囁くような声で問いかけた。
「……約束を、覚えているかい」
「……約束?」
 鶴丸の言葉を鸚鵡返しに繰り返す。
「今と同じような話題になった時、君が俺に言ったことさ」
 同じような話題?
「うーん…」


 必死に思い出そうとしているらしい主の様子を見下ろしながら、鶴丸は自身の記憶を呼び起こした。
 あれは確か、初夏の頃だったか。


『鶴丸は、雪に紛れたら分からなくなりそうだね』 
 短刀達はとうに寝静まる夜半過ぎ、思い思いに酒を酌み交わす刀達の中から、ふとそんな話題がこぼれた。
『……ああ』
『確かに、同化しちゃいそうだね』
 酒が入れば存外素直な大倶利伽羅と、燭台切が揃って頷く。
『……鶴らしくていいだろう?』
 鶴丸は反射的に眉を潜めそうになるのを堪え、相槌を打った。
『ははっ、鶴丸の衣は真っ白だもんな!』
『おまけに髪の毛もね』
 笑う獅子王に、蜂須賀が同意する。
『なになに? 何の話?』
『あっ主!』
 グラスを持って現れた主に、嬉しそうに加州が駆け寄った。
『鶴丸さんは真っ白だから、雪に紛れちゃいそうって話だよ』
 くだらなさそうに大和守が円座に腰掛けた主に伝える。
 さて、どうせ主も皆と似たり寄ったりな反応を返すのだろう。
 鶴丸は機嫌良く笑う一方で、幾分冷めた眼差しを主に向けた。
『いいや。俺は鶴丸を見つけ出せると思うぜ』
 しかし、鶴丸の予想に反して主はけろりと否定の言葉を紡いだ。
『え、そうかな?』
 意外そうに燭台切が相槌を打つ。この場に居た者は皆怪訝な顔をしていた。
『黙ってれば紛れるかもしれねえけどなあ……。鶴丸っていつも驚きを求めてるだろ?』
 まだ未成年だからとノンアルコールドリンクや炭酸ジュースを嗜んでいた主は、可笑しそうに口角を上げる。
『みんなを吃驚させて、時にはやり過ぎだ! って説教される事もあるのに全然懲りないで、あれこれ手の込んだ仕掛け作っては楽しそうに笑ってる。……そんな存在感ある奴、見逃すと思うか?』
『確かにそうかもしれないけれど……』
『言われてみれば……』
 主の言葉に納得したように頷く者がいる一方。
『ええー。でも俺は紛れちゃうと思うけどなあ』
『うん。真っ白だから……』
 納得しきれていない者もいて。
 その中で当たり前のように言い切った主の言葉は、ずっと鶴丸の心の奥底に残っていた。
『それでも俺は、絶対見失わないと思うよ』


 鶴丸に見下ろされながら記憶を探っていると、朧気にだが脳裏の片隅に引っ掛かるものがあった。
 あ! もしかして、あの時の……?
 あれは確か梅雨が開けた頃。普段頑張ってくれている皆を労ろうと、酒好きの次郎さんに聞きながら美味しいお酒を発注した。燭台切と歌仙の勝手場を取り仕切っている二人を主軸に、指示を貰いながら短刀達と俺も手伝い、美味しい料理や美味しいおつまみを沢山用意してテーブルに並べ、粗方の準備を整えた蒸し暑い夜。
 俺は宴会を開いたのだ。
 そして短刀達も寝静まり、宴もたわわとなった頃。
 何故そんな話をしていたのか経緯は知らずに、話を振られたから俺は何かを答えたのだと思う。けれど些細なことだったし、色んな話をしたから自分がなんと答えたのかまでは思い出せなかった。
「――君は、俺を見つけ出せると言ったんだ」
 鶴丸は静かな面持ちで続ける。
「この雪景色を見た後でも、その言葉に変わりはないかい」
 俺は少しだけ考えて、その問いにはっきりと答えた。
「うん。……だって、鶴丸は」
 俺みたいな何の変哲もない普通のそこら辺にいそうな男を――好きだって言ってくれた物好きな奴で。
「……特別だから」
 俺の大好きなひとだから。いや、厳密に云うと“ひと”ではないけれど。
「……」
「……」
 しばし無言のまま見つめ合う。じいっと合わさる視線に先に根を上げたのは俺の方だった。照れ臭さに耐えきれずに、左右に目線を泳がせる。
「……そうか」
 鶴丸は脱力したように体の力を抜くと、徐に美しく整った顔を近付けてきた。
「……ん! ……ふ、」
 俺が慌てて眼を瞑ると、待っていたかのように熱いそれが重なった。深い口惚けを幾度か交わし、最後に俺の唇を軽く食んで鶴丸は離れた。
「主……」
 そっと目を開く。ほっそりした指に、生理的に滲んだ涙を拭われた。
「とろけそうだな」
「〜〜!」
 それは鶴丸がいきなり口惚けてきたからだろうが!
 言葉にするのも恥ずかしくてただ唇をわなわなと震わせる俺に対し、鶴丸はこれでもかと口角を上げて笑った。
「はははっ」
 あんまり嬉しそうに笑うものだから、照れ隠しに噛み付こうとしていた俺は思わず口を噤む。
 鶴丸はひとしきり笑うと、満足したのか俺の上から退けた。
「ほら」
 差し伸べられた手を掴むと難なく起こされる。鶴丸は片手で俺を立ち上がらせると、繋いだままの手をやわく握った。
「……すっかり冷え切ってしまったな」
 鶴丸は柳眉をしかめると、俺の手を引いて歩き出す。
 縁側で靴を脱ぎ、障子を開けて自室に戻ると、程良く暖められた空気が俺たちを出迎えてくれた。
「あったかい……」
 鶴丸は足早に箪笥に近付くと、またごそごそと漁りだして、中から俺の着替え一式を引っ張り出した。
「君は芯から冷えているからな……。熱い風呂に浸かった方が手っ取り早い」
 自室に備え付けられているお風呂も文明の利器を搭載していて、ボタン一つで準備が整う。湯を張るのも数分かからない。俺は鶴丸に言われるがまま風呂に入り、しっかりと温まってから上がった。

 あとから上がってきた鶴丸(あれから俺は同じように冷え切っていた鶴丸の体に驚いて風呂に入るよう訴えたのだ)に、俺はタオルで丁寧に髪の水分を拭われていた。
 座椅子に腰掛け、雪見障子越しに空に太陽が登る光景をぼうっと眺める。
「朝焼けか……」
「ああ」
 橙色のあたたかな光が、室内を明るく照らしていた。
「にしてもすっかり着物濡らしちゃったなあ。今日の洗濯当番は確か……」
「国広組だな」
「堀川かあ……『もう! 二人共余計な洗濯物増やして!』って叱られそう……。俺、山姥切の気持ちが今なら分かるわ」
 いつも被っている白い布が戦や内番なんかで薄汚れると、堀川は情け容赦なく嫌がるあいつから剥ぎ取っていくのだ。しかもやたらと良い笑顔で。
 お風呂に浸かって温まった筈なのに、背中に走った寒気にぶるりと身震いすると、鶴丸は背後から俺の頭を拭いていた手を一旦止めてそっと囁いた。
「なあに、その時は俺が庇ってやるさ」
 甘やかすような、優しい響きに。
「……おう」
 俺は照れ混じりにわざとぶっきらぼうに肯く。
 手の動きを再開した鶴丸は、しかしそれすらもお見通しのようで、可笑しそうにくくっと喉を震わせるばかりだった。

title by リラン
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