ねえシズちゃん、
キミはどのくらい彼女に感情移入してるんだい?

できれば、死にたくなるくらい強いことを望むよ。



《03》



池袋を歩いている俺の名前を呼ぶ声がした。
俺を自動喧嘩人形と称する者は声などかけてこない。
記憶の中にある数少ない友人の中からその声の主を探り当て、振り向く前から頬が紅潮するのを感じた。
その表情が出ていないか少し心配しながら、しかし躊躇うことなく振り向いた先にいるのは、志紀。
微笑んで、俺に軽く手を振っている。

――俺が彼女と再会したのは、少し前のこと。
いつものごとく臨也を追い回し、道端のものを引っこ抜いて振り回して投げ飛ばして。
撒かれてしまったので来た道を引き返していたら、それらを戻している人がいた。
小柄で女性なので自販機のような重量物は戻っていないが…たしかあの時は標識を戻していた。
その動作は、標識を戻しているというよりは華道で華をさしているような…というのは、俺の色眼鏡表現だろうか。今の俺が形容するなら、なんかそんな感じだったと、思う。

俺は、数秒停止した。
彼女がわかった理由は簡単、見た目が殆ど……いや、全くと言っていいほど変わっていなかったから。
対して彼女は、俺の見た目が変貌しきっているのか近くにいるのを察知していないのか、気が付かないまま作業をしている。
恐る恐る声をかけてみたら、本人だった。
その時の彼女の表情は、まだ鮮明に思い出せる。俺が引き抜いたのを目の当たりにした割には、曇りのない笑顔で喜んでいた。
後で聞いた話、彼女がそこに居合わせたのは偶然らしい。大学の帰路なのだとか。

なぜ声をかけたのかなんて、その時はわからなかった。
いつもなら、やめておこうと思い止まるのに。
彼女は俺がこうなる前の友人。そして、伏せてはいたが後にも文通程度に交流があった友人。
新羅のような変わり者というよりは、どちらかと言えば門田寄りの。
……罪悪感や迷いもあったが、寂しかったのかもしれない。

彼女には俺の暴力について語ったことはなかった。
そして彼女も俺に声をかけられるまでそれに気付いていなかったらしい。
なのに、彼女の態度はこの通り。なんか、不思議な感覚を抱いたのは否定しない。


「こんにちは、シズ。今日はいい天気だね」
「あ、あぁ。そうだな」


――そう、今俺の目の前にいる彼女が言う。
繰り返しになるが、彼女は俺が化け物じみた力を持つ前の友人だ。
隠しようがない俺の力を彼女は知っているというのに、避けるような素振りは一切ない。むしろ、俺を見かけたらあちらから話しかけてきてくれるくらいだ。
俺が怖くないのかと聞いてみても、『力持ち凄いよね、自販機とか持てないなー』とか言った。
そんな彼女の反応に、逆に俺が全力で驚いた。

でも、こうして声をかけてくれることは嬉しくて、そしてどこかくすぐったい。
気が利いた言葉を返せない俺がもどかしい。
頭を掻きながら、彼女を直視できず視線が泳ぐ。
ああ、俺あやしい。でもどうしたらいいのか本当に分からない。
そんな俺を見て、彼女はたおやかに笑う。
まだ夏でもないのに暑くなってきたかもしれない。落ち着け俺。

昔からそうだ。志紀は何を言っても動じないしマイナスな受け取り方をしない。
見透かすとは違った、どこか安心感を伴う眼差し。
だから、俺は彼女に何か繕ったりすることが出来なくなる。
元から苦手でしないことだが、殊更にだ。

挙動不審の俺はしどろもどろに彼女と会話を交わす。
ああ、なんだか胸のあたりがぬくい。
絆されるようなこの感情が何かよく分からないが、悪い感情ではないことだけはわかる。
相変わらず俺のペースは戻ってこないが、話していると段々と笑顔を返せるようになる。
できることなら、こんな時間がずっと続いてくれたらいいとさえ思う。

しかしお互いそんなに悠長にしているわけにもいかず、話が終わりの雰囲気を醸し始める。
そんな中彼女はついでのように口を開いた。


「…今日ね、雨が降るかもしれない」
「雨?」
「そう」


今日の天気予報は降水確率が低かったことを思い出し、彼女の言葉に疑問を浮かべる。
彼女はやわらかく微笑むだけ。
確固とした理由を明示せず、言葉のままに予測でしかないことを笑顔で示していた。

彼女は、時々いきなりこういうことを言う。
本人は『電波かもしれないね』と明確でない言葉を返すだけだが、それにしては的中率が存外高い。
まあ外れないので誰も理由は求めないが、不思議ではある。

とりあえず、俺は注意するよと彼女に言葉を返す。
彼女は静かに笑って、そのまま踵を返した。

その彼女に、声をかけた。
振り返る彼女が、不思議そうな表情を俺に向ける。


「…あの、なんだ。えっと…」


言葉に詰まった。
無意識に引き止めてしまったので慌てて言葉を探し、さっきの言葉の根拠について尋ねてみる。
別に、それが気になっていたわけではないので変な質問になったかもしれない。
というか、何を言ったかわからなくなってきた。頭が真っ白だ。
調子が狂ってどうしようもない。なんて聞いた、俺?

そんな俺に気付いてか気付かずか、彼女はふわりと笑む。


「風さんが噂してたからだよ」


そう言った彼女の笑顔に、揶揄も嘘も混じってはいないのに俺には意味がわからなかった。