昔、新羅から聞いたことがある。恋は活力だと。
誰かを愛することは生きる上でのエネルギーであり、生き方での道しるべだと。
そして、恋をしているうちは、死を望まないのだとも。

―――それを逆手に取ろうとしている輩がいることを、私はまだ知らない。



≪08≫



今日の紀田くんは上機嫌だったなあと、帰路につきながらぼんやりと考える。
いつも、女の子とはこういうシチュエーションになりたいとか男とはこうあるべきだとかナンパの展開はどうこうと語り、私はついていけなかったりするのだけど。
今日はなんだか、女性にされてみたいこと的なことを語っていた気がする。
いつも自分が動く派の彼が言うにはどこか疑問を感じる内容だったけど、それを言うとそっちの方面の質問を私に振ってきそうだったから、聞いてはいない。
何かあったのかな。

そんなことを考えながら歩いていると、対面から見知った人が来るのが目についた。
私が少し驚いて歩を止めると、あちらも気がついたのか軽く笑んだ。


「こんにちは、杏里ちゃん。今帰り?」
「あ、はい。志紀さんもですか…?」


私がそう尋ねると、彼女は笑顔をもって肯定した。

―――私が彼女と知り合ったのは、中学生時代。まだ、美香さんの腰巾着だった頃だ。
その当時、美香さんが惚れていた男性に夢中になって欠席した日。その時を狙って私をいじめている女子グループが、街で私を謗っていた時に彼女は現れた。

そんなシチュエーションなら、今まで幾度か経験しているけれど。
竜ヶ峰くんや折原さんとは何か違った感じの、介入方法だった。
彼女は、いじめを咎めるために私の前に現れたのではなく。
ただ、声をかけてきた。それもどこか初対面にしては異様なまでにフレンドリーに。

容姿が影響してか、彼女は女子グループに年上として見られず、逆に絡まれた。
私は申し訳ない気持ちでいっぱいになりつつ、さりとて何かが出来るわけでもなくただ事の成り行きを見ているだけだったのだけれど。
そこはさすが年上とでもいうのだろうか、女子グループがかける罵声を的外れのようで的を射た言葉を返した。

それに激高した女子グループに手を出されかけたものの、流れるような動きでそれを受け流す。次に手を出しにかかった女子も同様。
三人いた残りが逃げに転じようとしたところで彼女はその子の制服の襟を笑顔のままつかんだ。
彼女と女子グループの対話はそれが最後だったが、私でもその状況の意味はわかった。
襟を掴まれた相手は、前に進めない。
行ってもいいよという言葉とは裏腹に、彼女は前に進むことを許さない。
首が絞まってもいいならどうぞ、ということだったのだろう。

結果的にいじめを止める形になった彼女にお礼を言おうと、しかし言葉が浮かばず私が戸惑っていると彼女がこちらに歩み寄ってきた。
驚いてどうしたらいいか分からなくなっている私に、彼女はとても無邪気にこう言う。


「よかったら友達になろう!」


…要するに、彼女は私を助けるために割り込んだのではなく、私と友達になりたいと思って割り込んだのだそうだ。
―――そのまま済し崩しにお互い知り合いになった。


(志紀さんは不思議な人だなあ…)


私は、そう思いながら出店の前に立っていた。
彼女と出会って、じゃあ近くでお話しようと言われたので私は承諾。
近辺には話をするにうってつけの広場があり、訪問客を的にした出店がある。
そのひとつのアイス屋台で、私は抹茶ソフトを待っていた。
少しして、それを受け取る。その代金を支払う。
そして、それを志紀さんへと渡した。

「はい…、抹茶ソフトです」
「ありがと。はい、こっちは杏里ちゃんのね」


不思議なのは、今の状況も同じような気がする。
二人分支払うよと言った彼女に遠慮して、私は自分で払いますと言った。
それに彼女が少し考える素振りを見せ、私は好意に甘えるべきだったかなと戸惑ったのだが……彼女が返したのは、全く逆方向の言葉だった。

私が志紀さんの分を買って、志紀さんが私の分を買うという提案。

私は、意味がわからず固まってしまった。
しかし、意味を解せない割に悪い気はしなくて、逆になんだか嬉しい気もした。
何かを与えられるのではなく、私が何かをあげて彼女が私に返す。
そう考えれば日本人の風習らしいのだけど、やっていることは全くもっておかしい。
おかしい故に自然と笑みがこぼれ、彼女が差し出したソフトクリームを受け取ると視界が明るむような錯覚を覚えた。

自分で支払っていないけれど自分も負担した。そのうえで貰ったもの。
私が常々感じる引け目を軽く乗り越えてしまったその甘味に、口をつける。
おいしい。


「おいしいです」
「そうだね。杏里ちゃんから貰ったのが更に嬉しいね」


言って、彼女は笑った。
買う前にもこんなことを言っていたのを思い出し、彼女の言葉が本心なのだと直感的に確信する。
そのあと、他愛もない話で夕方になるまで過ごした。