今になって思う、アイツが俺をああ呼ぶのを嫌がる理由が。

―――シズって呼んでいいのは、志紀だけだと。



《04》



「うっわ…何だよこれ、天気予報のウソツキ…」


そう呟いて、俺は近くの本屋の軒先に立っていた。
今日の天気予報では、雨が降るなんて言ってなかった。
だから俺は傘なんて持ってないわけで、そして今の俺は雨に降られて濡れ鼠。
なんて運が悪いのかと、大粒を叩きつける空を見上げながらため息をついた。

今日は帝人と杏里は委員会の都合で帰宅が遅くなるというので、一緒にはいない。
俺は待つよと言ったんだけど、かなり遅くなる予定のようで二人に遠慮された。
そんな一人の俺を、追い打ちのように雨。ああ、どういうことだ!
寂しくて寒い。俺は今、絶賛マッチ売りの少女の気分だ!


「おもしろい顔してるね、正臣」
「え?」


静かなトーンの声が響く。どこからかわからずあたりを見回してみれば、俺が雨宿りをしている本屋から出てくる見知った顔があることに気付いた。


「志紀ねぇ!久しぶりじゃん!」
「うん、久しぶり。こんばんは」


最初の挨拶であるはずのその言葉にワンテンポのズレを感じつつ、そんなことよりも嬉しさが勝っていた俺は彼女に足早に歩み寄った。
ほんの数歩の距離だが、彼女は柔らかく笑ったまま俺を待ってくれている。


「何してんの、こんなとこで?あ、本?」
「うん。参考文献」
「参考文け……ああ、志紀ねぇもう大学生なんだっけ」


それに彼女は肯定の笑顔を浮かべる。
多分レポートに使われるのだろうそれに視線をやり、すぐに興味を失って視線を戻す。
いつもの軽さで、彼女をお茶に誘う口上を連ね始める俺。

――彼女は、俺が引っ越してきた当初からの知り合いだ。
なんの偶然か、俺がこっちに引っ越してきた同じ日に、正面の家に引っ越してきた。
当時の彼女は中学生で、引っ越しの手伝いもままならず暇そうにしていた。
おれも手持ち無沙汰だったので、いつものように話し掛けたのが最初だ。
そのまま仲良くなって、俺が中学生になった時も色々とお世話になった。

今はまた引っ越して違う場所に住んでいるが、街から外には行っていないのでこうしてたまに会うことがある。
まあ、顔を合わせる機会がなくとも話をすることはできるのだけど。


「お茶?いいよ。どこに行く?」
「え、マジ?やりぃ。えっと…そうだな、カフェとかどう?」


レポートに忙しいのかと思いきや、結構あっさり誘いを承諾した彼女に驚きながらもカフェを提案する。
しかし、そのカフェが現在地から少々かかるところにあることを思い出し、俺は慌てて言葉を濁す。


「どうしたの?」
「あー、えっと。そのカフェちょっと歩かないといけなくて」
「私は別にいいよ?」


即答だ。いや、確かに彼女は通常の女子より気が長いのでちょっとやそっとの距離では不満を言い出したりはしないのは知ってるけど。
なにを隠そう、俺は雨宿りをしていたのだ。つまり、傘を持っていない。
それに数秒遅れて気付いたらしい彼女は、ああ、と小さく呟いて、肩から提げているバッグへ手をいれて何かを探しだした。

少しの間それを不思議な思いで見つめていれば、出てきたのは折り畳み傘とタオル。
折り畳み傘はわかるとしても、何故タオルが入っているのかわからない。
呆気にとられている俺に、彼女はタオルを広げて被せた。


「わ、ちょっ、何?俺大丈夫だよ、志紀ねぇ」
「水も滴るいい男のままでいられちゃ困るの、私が。拭かせてね」
「う……はい。俺も罪な男だね」
「そうでしょう」


あはは、と二人で笑う。
彼女といると、こうして軽口を言っても、真剣なことを言っても安心できる。
そう、言うなれば姉弟の信頼とでもいうのだろうか。そんな感覚をもてる。

俺を軽く拭いて、濡れたタオルは袋にいれてバッグへ戻る。
そして入れ替わりにバッグから出てきたのは、パーカー。
彼女のもにしてはやけに長いが、たぶんサイズを間違えたとかそういうオチの代物だろうと予想がついた。それを肩にかけられる。


「…へへ、何?志紀ねぇのフェロモンサービス?俺、酔っちゃうよ?」


彼女はそれに笑顔を返してきた。
言いながら、体温保持のためにかけてくれたのだと理解している。
素直にありがとうと言えばいいのに、その結果がこの言葉なのだから俺はもしかしたら照れているのかもしれない。
そうでなければ、甘えているのだろうか。

そんな俺の脳内問答をよそに、彼女は先程出して腕にかけていた折り畳み傘を開き始めた。
その動作になんとなくもう予想がついているのに、手伝いもせずその光景を見つめる。
彼女がしてくれることを待っている女々しい俺。

案の定、傘を開いた彼女はそれを俺に向けた。


「行こっか、正臣」


入ってと促すその声に、俺は表情が緩むのを感じながら歩み寄った。