自分の迷いを整理できないまま。
再びボクの部屋を訪れたシンに、苦々しく笑みを向けた。



*



今日はシュンが用事で屋敷をあけていた。
その分やることがなくて、手持無沙汰なボクを彼が捕まえ。
いつも通りの雑談になっていき。

話をしていれば、この間言っていた花木の話になり。
思い立ったが吉日だよ、行こうとシンに手を引っ張られて、仕度をしている。
ラフな格好から、いつもの装束に着替え。
手に取ったゴーグルを見つめ、そのまま思考に耽る。

対操作系吸血鬼用の防具である。
その操作系吸血鬼と出掛けようというのだから、なんとも笑える話だ。
彼を信用していないわけではないが、念のためにと頭につける。


(………ボクは、どうしたいんだろう)


以前は、シュンが好きなのにシンに心を許し始めた自分を厭った。
まるで自分が腰軽で、愛されたがりのような気がしたから。
でも、彼がボクの部屋を訪れるたびに、そんな心配すら馬鹿っぽく思えて。
ボクが笑えば彼が嬉しそうにするから、絆されてまた笑顔を返したくなった。

それを繰り返しているうちに、シュンへの不安が段々薄まっていくのが解った。
負の連鎖に取り込まれ、痛みを強く酷く増していくだけのボクに、
粘り強く寄り添って、何も聞かずに傍で笑ってくれていたのは、シンだ。

この心地よい感覚は、シュンへの想いと同じものなのだろうか。
まだわからなくて、でも強く否定したいとまでは思わない。

そんなことを考えていれば、時間が経っていたのか扉がノックされた。
マサ、と声をかけてくるシンに返事をし、部屋を後にする。




話をしながら、先導する彼についていく。
どうやらこのあたりは獰猛な生物が住んでいるわけではないらしく、
人間の行動範囲にあるオアシスのような穏やかさを醸していた。
鳥の囀りや、木々の木漏れ日がボクを包み込んでくる。

相変わらずテンションの高いシンは、あれこれと話してくれる。
どうやら彼は一人でも話し続けられるタイプのようで、ボクは専ら相槌。
たまに返事や質問を返せば、より一層嬉しそうに話すから
どこまでも無邪気な彼に、暖かい感情を覚える。

なんなのだろう、これは。
シュンに対して自発的に感じたあの強く鮮烈な感覚とは違って、
これは明らかにシンがボクに与えている感覚である。
こんな風に何かを与えてくるのは、ボクにとっては音楽くらいだった。

そう思えば、彼はボクにとって音のような存在で。
きっと、ボクが聾になってしまったら悲しい気分になってしまうだろう。
当たり前のようにそこにいるのに、いなくなってしまったらきっと。


「もうすぐだよー」


そう言い、何を思いついたのかシンがボクの両目を手でふさいだ。
なんですか、と聞けば、いいからいいからと返ってくる。
とりあえずはその彼に付き合い、目隠しされたままで歩を進める。
少々歩きづらいが、まあ無理なほどではない。

花の匂いが鼻孔をくすぐる。
どうやら多種の花木が咲いているらしいそこに踏み込み、
目隠しをとられたらどんな光景が広がっているのだろうと少々楽しみになる。
魚か何かがすんでいるのか、軽い水音が聴こえた。

シュンが住んでいるあたりは、はっきりいって化け屋敷に相応しいような
おどろおどろしい植物がすんでいる。
何故そんなところにわざわざ建てたのか疑問だが、彼のことだから土地が安かったとか
そんな単純な理由なのだろう。
同じ森だというのが少々信じられない。これは穴場というやつである。

そんなことを考えていれば、シンが足を止めた。
一歩遅れてボクも止まり、シンがこっち向いてというので向きを調整。
彼が手を退け、視界に広がった光景にボクは言葉を失った。


「………………」
「きれいでしょー?」


言いながら、彼が覗き込んでくる。
ただただ目を奪われて、それにすら気付かず。
シンが嬉しそうに笑ったのを、ボクは知らない。

ボクが立っているのが、どうやら桜の木の下のようだ。
桃色の花びらがあたりを舞い、花吹雪のよう。
その足元は芝で、水流に囲まれちょっとした孤島状態になっている。

その水流の向こうにはまた違う花が咲き誇っていて。
リスのような生物もいれば、清流にすむ魚の姿も見える。
青苔も、木漏れ日も、色んなものが透明感をもってそこに存在していた。


「………きれい、ですね」
「うんwいいとこでしょ」


本当にここが好きなのだろう、彼は笑顔を見せる。
それを見て、この場所がどれだけ彼に似合いの場所であるかと考えた。
強くて残忍な吸血鬼なのかと思えば、自らの能力を抑え込んでいて。
それでいて無邪気な彼は、この景色のようにきれいな存在に思えた。

そんなことを考えるほど自分は女々しかっただろうかと苦笑を禁じ得ない。
ここまで来ていてなんだが、やはりボクはまだ迷っている。
答えも見つからないまま、ただ流されるように生きている。

誰を好いていればいいのだろうか。
この苦しい想いをどうすればいいのだろうか。
迷って、迷って、どちらにも進めないまま。
同じことをぐるぐるずっと考えて、ずっとそのままで。

思っていれば、シンにいきなり背後から抱き締められる。
何事かと思って固まるが、彼の表情が見えないことには何を思っているのか解らない。


「……マサ。僕と一緒に来ない?」
「………………」
「まだ、シュンと居たい?」


問い詰めるというよりは、確認したがるような声音がボクの耳元に降り注ぐ。
答えを持っていないボクは返答に困り、黙り込んだ。

わからない。わからないんだ。
まだ気持ちにケリがついていなくて、何かもわかっていない。
ボクはまだシュンが好きなのだろうか?
それとも、この暖かい感覚はシンを好きだと言っているのだろうか?

このタイミングで聞いてきたのだから、彼は本気で聴いてきているのだろう。
つまり、彼はもう自分の気持ちを決めているのだ。
それを、ボクは受け取っていいのだろうか。

このままシュンのもとで心を殺していくことが正しいとは、思わない。
ただ、だからといってシンを選ぶのは、逃げなのではないだろうかとさえ思う。
逃避願望がシンを好かせているのではないかと、疑問を消せない。
かといって、シュンの傍でずっと彼を好いていられるかも、疑問なのである。

どこまでも疑問だらけで、なにもわかってなくて。
苦しい感覚が、再び胸を締め付けはじめる。
きっとシンはこんなことを望んでいないだろうに、それでもボクの感情は悲鳴をあげる。
痛くて、苦しくて、段々余裕がなくなってくるのがわかった。

そのボクを宥めるように、彼が更に強く抱きしめてきた。


「ごめんね。まだ迷ってるよね」
「……………」
「無理に選ばなくていい。シュンを好きなままでもいい。
 僕は、マサが笑ってる表情が好き」
「…………、それは……」


どういう、と続けようとして、口を噤んだ。
言いたくないとかそういうのではない、何か、喉に鉛でもあるかのような感覚。
重たくて、言葉にできない。

彼が望んでいるものがそれということは、ボクに心重たいままでいてほしくないということ。
そこまで想ってくれているのに、ボクは迷ってばかりで何も彼に返せない。
不甲斐ないばかりで、でも何が出来るわけでもなくて。
なんと返事をすればいいのだろうか。

わからなくて。わからなくて。どうしたらいいんだろう。
ぐるぐると思考が目を回す。
立ち位置を失った眩暈のような感情は、どこにもいけはしない。


「マサが笑ってるところが好き」


言い、彼が背中側から耳に口付けてくる。
それにくすぐったい想いを抱き、少しだけ身動ぎをする。


「マサが楽しそうにしてくれると嬉しくなる」


次いで頬に唇を落としながら、言葉を繋げていく。
抑えきれない感情が込みあがってくるのがわかる。
これは、なんだ。
痛くはない、悲しくもない、でも、苦しい。

喉を重くさせるあの感覚とは正反対に、これは喉から何かがこみ上げてくる。
わからない、いや、わからないのではない。
目を、背けているだけなんだ。シュンを言い訳にして、目を逸らしている。

先に好いた方を好きで居続けなければならないなんてルール、どこにもない。
浮気というのなら大変あくどいが、残念ながらボクは永遠の片思いで。
ヒトがヒトを好くのは、生涯でたった一人なわけではないのに。
選べるのがたった一人なだけで、この気持ちはシンを好きだと言っているのに。

どうしても捨てきれない想いが、彼に応えることを許してくれない。
シュンに対する執着を、どうしたら捨てられるのかわからない。


「シュンへの気持ちは棄てなくていいから」
「え、」


心を読んだかのようなタイミングでそう言われ、動揺する。
彼を見れば、にっこりと微笑んだ。
操作系は操作はできても心を読むことはできない。
なら、彼は何故。

どうして、が心の中で渦巻いて、彼をじっと見つめてしまう。
紅い瞳が優しく見つめ返してきて、どこか気恥ずかしい思いを感じた。
彼が再び言葉を選び始め、唇を額に寄せてきた。


「僕は勝手に君を好いただけ。
 シュンを好いて大事に思ってるマサだって、僕は好きだ」
「、ん」
「そういうのも含めてぜんぶ愛してる」


目元へと唇が触れる。
力が抜けるような思いで身を委ねる。
色んな部位に触れてくるそれに、迷いもこみ上げてくる気持ちも膨らんでいく。
どうしたら、いいんだ。わからない。

泣きそうな気分になりながら。
表情がそうなっているだろうことを感じたが、コントロールはできなくて。
絞り出すように、呟いた。


「………………んですか」
「ん……?」
「こんな、ボクで、いいんですか………」


迷ってばかりで。もしかしたら、最終的にシュンを選んで彼を突き放すかもしれない。
一時の安寧のために利用しかねない、そんなボクを選ぶというのか。
そう思い至って、漸く自分で理解する。
そうやって彼を傷付けたくない気持ちが、全て邪魔をしていたのだと。

そんなことは解っていたのだろう、彼は微笑んでくれる。
静かな肯定に、こみ上げてきた感情が涙に変わって溢れだした。
どうして。どうしてボクは二人も好きになってしまったのだろう。

抑えるのをやめてしまえば、答えはすぐそこに転がっていて。
迷ってばかりで恋穢いボクを好きだと言ってくれる彼を、
それでもいいと言ってくれるシンが好きだと、気付いてしまえばもう抑えが利かない。

泣き出してしまったボクの目元に口付け、涙を吸い取ってくるシンはどこまでも優しくて。
その仕草すら心地よくて、暫く泣き続けたが存外すぐに落ち着いた。
涙が止まったところで彼が頭を撫でてくれるから、されるままに甘える。


「………シン」
「ん?」
「桜がどういう意味をしてるか、知っていてボクをここに連れてきたんですか」


聞けば、彼が暫しきょとんとして。
数秒目を閉じ、うん、と応えた。
やはり。
どうやったのかは知らないが、彼はボクが住んでいた街のしきたりを知っているようだ。

ボクが住んでいたところは、広い街で。
住宅街や商店街は喧騒が絶えないが、一か所だけ閑静な場所がある。
街に一本だけ咲いている、桜の広場だけが。

そこも、ここのように手入れは最低限でほぼ自然の状態にされている。
どういった経緯かは聞いていないが、
桜の木の下で相手の気持ちを受け取ればずっと幸せでいられるという。
なんともベタな、恋愛スポットなのである。

利用者はそんなにいない。
そういったジンクスを忘れてしまった現代では、仕方のないことなのかもしれないが。
ただ、何故桜なのかと言われれば簡単なことで、この地域は桜が咲きにくいからである。
咲きにくいうえにあの街にある桜は一本のみ。ご利益を付与するにはとてもいい。

彼がそんなに雰囲気を大事にするタイプだとは思わなかった。
そして、ボクも今まで信じていなかったそれを信じてみたいと感じるなんて思わなかった。
彼の腕から抜け出し、正面から彼を見据える。


「ボクに、何を伝えたいんですか」
「もう言っちゃった。んーそうだな」


強いて言い直すなら、と呟いて。
彼を見つめていれば、少し照れくさそうに頬を掻いていた。
ああ、こんなところでそんな表情するなんて、初心な。

そのまま彼の言葉を待っていれば、思い切ることにしたのか
ボクの頬に手を添え、自分に視線を合わせて縫い付ける。


「僕の傍で、笑っててほしいな」


なんとも控えめな言葉だが、ニュアンスがどうにも自分のものにしたいと告げている。
彼のその想いが熱くて、どうせならこのまま彼に気持ちを奪い取られてしまいたくなった。
それも、もしかしたらいいのかもしれない。

一笑し、奥手なまでに動きを見せない彼の首に手を回す。
桜の木の下で気持ちを受け取るには、口付けが条件である。


「………笑わせてくださいよ。あなたの手で」


ボクの承諾に、彼はまた嬉しそうに微笑む。
触れた唇が、ボクに柔らかい感情を抱かせた。