難しいことは、考えるのが苦手だ。
ただ、僕が望んだのが彼の笑った顔であっただけで。



*



気怠い身体を起こし、カーテンをめくれば朝陽が僕を照らした。
今日はいつもより暖かいようだ。
そんなことを感じながら、数分そうやって脳の覚醒を促す。

ふと、扉をノックする音がした。
欠伸を噛み殺してからどうぞと言えば、開いた先に居たのはマサ。
朝ごはんできましたよ、と言いに来たらしい。
別に呼びに来なくても勝手に行くのだが、そういうところが律儀である。

従者のようなことをするものだと内心で笑いながら、解ったと言って笑顔を返した。
それに彼は表情を変えないが、少し瞳が泳いだのを見ると少し何か感じたらしい。
深入りすることはせずそのままにしていれば、退出するタイミングを失ったのか
僕をじっと見ていて。


「何?用事まだあるの?」
「あ、いえ……ない、ですけど」
「吸血鬼のくせに朝陽とか浴びちゃって灰になるんじゃないとか思った?」
「それを退魔師に聞くんですか」


そんなものお伽噺の設定でしょう、と返してきた。
そうだね。別に朝陽を浴びても灰になんてならないし、大蒜も普通に食べる。
そして僕のアクセサリーに十字架がモロにある。
けったいなお伽噺だ。

それを軽くあしらった彼は、いつも通りの僕に少し気分を緩めたのか目を細める。
ゆるく笑っているようなそれに、嬉しいと感じている自分がいることに気付き。
強く彼を求めるわけではないが、彼が笑んでいるのは強く望んでしまう。
どうやったら、彼はもっと笑ってくれるだろうか。

考えながら、とりあえずは朝食をとりに行くことにした。





食べ終わり、マサは片付け、シュンは仕事をしに部屋へ戻った。
何をするわけでもない僕はシュンの仕事部屋に押し掛け、くつろいでいる。
本当はマサの手伝いでもしたかったのだが、今はそれより先にやることがあって。
寝そべった体勢をシュンに向けながら、口を開いた。


「シュン」
「何」
「マサ頂戴」


単刀直入にばっさりと言えば、解っていたのだろう
彼は特に表情を変えることもなく。
書類に走らせている筆を置き、肘をついて僕を見下ろした。


「………欲しいのか」
「うん。くれるよね?」
「お前のその頼み方どうにかならないのか。
 やらないって言ったら?」
「くれるよね?」


笑顔と刃物を彼に向けてやる。
それで脅しをかけることは出来ないが、僕が本気で言っていることくらいは伝わる。
まあ、彼ならこんなことをしなくても伝わっているだろうが、より一層。

それに彼は嘆息し、言葉を選び始めた。
あまり僕を逆撫ですると面倒くさいのだろう、力技に走れば勝つのは僕だ。


「お前がそこまで入れ込むとは思わなかったな」
「何を隠そう僕が一番びっくりしてるよ」
「解ってる。お前がそこまで言うのは初めて聞いた」
「さすがシュン」


言いながら、刃物を収めた。
戦う気は元からないし、ここは彼の執務室だ。書類は大切である。

僕の言いたい事など解りきっているのだろう、長い付き合いの幼馴染は溜息をついて。
少々遠い目をしながら、執着ではなく吐き捨てるだけのように呟いた。


「………折角見つけた三ツ星なんだけどな」
「僕的には四ツ星だよ」
「お前は俺の棚から牡丹餅待ってるタイプだろうが」
「だって落ちてくるんだもの、牡丹餅」


どういう理屈だと言いたげな目をされる。
まあ、ピアノとか他の件は確かに僕が彼のすねをかじったのだが。
マサは違う。落ちてくるのを待ちたいんじゃない。
奪い取りたい。今すぐにだ。

僕が彼の何を好いているのかは知らないのだろうが、
僕が彼を好意的に気に入っているとは知っているのだろう。
シュンは呆れ顔で僕を見ている。


「……お前、ニンゲンを愛せるんだ?」
「シュンみたいに傷付いたことがないからね」
「お前も一回くらい盛大に傷付いてみろ、運にだけは愛されやがって」
「あはは、羨ましいだろ」


けらけら笑う僕に、溜息だけで答えた。僕は何の扱いだ。
しかし彼もそこまで僕に冷たいわけではない。
だからあんなグランドピアノを買って置かせてくれてるわけだが。

彼はニンゲンを冷血極まりないくらい冷たく扱うのに対し、
吸血鬼に対してはそこまで冷たく扱わない。
まあ、クーツンだけど。デレないんだこいつ。

よって、僕に対してもそこまで渡したくないわけではないのだ。
まあ味覚的に僕よりはグルメだから、手離したくはないだろうけど。
それこそ、彼がマサを愛して離したくないと強烈に思うでもしなければ
特に頓着は示さない。

そこにマサが悩んでいるわけだが、僕はそれを逆手にとろうとしている。


「………ある意味羨ましいよ、お前」
「んー?」
「なんでもない。
 どうせ渡さないって言っても連れていくんだろ」
「当然」


シュンは解っている。
マサが自分に惚れていることも、そのせいで病んできていることも。
心を傾けはしないが、憐れまないわけではないのだろう
自分のもとで病んでしまうよりは、僕のもとでの変化に期待したいようだ。

そういう気配りは出来るのに、マサが望んでいることには配慮しないのだから冷たい。

さて、これからどうしようかと思考を巡らせる。
明確に僕に渡すと言ったわけではないのにこのまま話が進んでいくのはいつものことだ。
とりあえず、シュンから離したいのが僕の考えなのだが
マサがそれを拒絶すればそうもいかない。

シュン自体はこのまま三人で住むといっても特段反対はしないのだろうが、
それではマサが病んだままだろうし。
また瞳の力でも行使するしかないのだろうか、嫌われそうだからやりたくはないんだけど。

というか、どこに連れて行こう。僕は家無しだから拠り辺がない。
この辺りに住んでいる吸血鬼といえば、女が二人程度だ。
男二人で乗り込むのも、なんだか気が引けるというもので。
かといってニンゲンと吸血鬼のコンビでの旅は、危険度が抜群に上がってしまう。

僕は別に、ニンゲン相手なら三ケタくらい居ても殺せるんだけど。
マサを危険な目に合わせたくないから、どこかに身を寄せるしかないだろう。
というか、日常的な日々を送りながら彼を見ていられたらいい。
わざわざニンゲン共に喧嘩を吹っかけて楽しまなくても、満たされる。


(……彼は)


僕を、選んでくれるだろうか。
気持ちだけで相手を動かせるわけではない。
でも、彼が沈んだ顔をしているのなんて、もう見たくない。

願う気持ちを抱えながら、不安な気分で空を見上げた。