記憶に薄らと残っている声が闇に向いた心を振り向かせる。
笑ってと呟いた声と表情が、ボクを前にも後ろにも進めなくしていた。



*



やることを終え、自室に戻ってベッドに倒れ込んだ。
今日も今日とて相変わらずの二人は、ボクの迷いなど知らないかのよう。
きっとそんなことはないけれど、あからさまに表に出しているのはボクだけである。

自分ですら、もう既に宥めることが叶わない。
暴走してボクを振り回すばかりのこの感情は、ボクを疲弊させるだけ。
嬉しいという気持ちより、淋しいとか悲しいが多すぎて、心が悲鳴を上げていた。

ヒトは、マイナスの言葉ばかり受けるとマイナスの感情を持つ。
マイナスの感情ばかり持っていると、マイナスの思考に浸食される。
マイナスの思考に浸食されるとどうなるかなんて、言わずとも誰もが解っているだろう。
ボクは、このままどうなってしまうのだろうか。

執着しすぎたのだろうか、シュンに。
叶わないと、届かないと知っていてここへ来たはずだった。
なのにそれが解っていたのは理性だけであって、感情はついてこなかったようで。
彼が好きだという気持ちは、彼からのものをずっと望み続けた。

彼がニンゲンを好くことなど、ないのだというのに。


「………………」


寝返りをうって、俯せから仰向けになる。
腕で視界を全て隠し、偽物の闇に意識を置いて逃げた。
わかってる、逃げだなんて。それでも、つらいままでは耐えきれなくて。
ああ、理性だけで気持ちは抑えきれないものなのだと今更理解した。

心が納得しなければ、こうなってしまう。
選択肢がないのに、選んでしまったから。おかしくなってしまったのだ。
ボクが諦めてしまえばいいのか。何かほかに道があるのか。もうわからない。
判断力なんて、身に着いた戦闘判断力しか残っていない。

それでも、シュンを好きだと思っているボクはなんなのだろうか。
彼の名前を呟けば、呼応するように胸に痛みが走った。
痛い。痛い。どうして痛いのかすらわからない。ボクはボクが泣いている理由すら知らない。
頬を伝う涙が、視界を覆った腕とシーツを濡らしていくだけ。

わからない。ボクはこのままシュンを好きでいて大丈夫なのだろうか。
本当はもう、自信がない。この感情を信じる勇気がない。
まるで頭がプログラミングされたかのように、繰り返しているような気さえして。
それではボクは壊れたラジオ程度の思考力になっていることになる。


「……………っ、………………」


声も出せないのに嗚咽はあがる。
悲しいのか?苦しいのか?何もわからない。
何もわからないのに何故ボクはここにいるのだろう?
何に執着しているのだろう?

冷たい目をした彼を、ボクに振り向かない彼を。
怖いと思い始めてまで、ボクは何を得ようというのか。
怖いという感情と好きという感情になんの共通点があるというのか。
もう、自分がこのまま壊れてしまえばいいと思っているのか。茶番だ。

負のスパイラルに入ってしまっているボクの耳に、ノック音が届く。
何かと思ってゆっくり起き上ってみる。返事はする気はない。
こんな状態で、誰かに顔を合わせるなんて無理だ。

それでも扉をノックした主は立ち去ることをせず、かといってノックもしてこない。
それは素直に有難かった。何度もノックされたら、急かされているようで怖い。
放っておいてほしいとまでは言えないが、触れられたらきっと痛がってしまう。
臆病な自分に、嘲るように笑みを浮かべた。


(ボクってひどいやつだな)


用事が何にしろ、相手を無視しているのだ。
しかし言葉が浮かばないというか、返事をする気力が出てこないというか。
そのまま何も出来ずにいれば、扉の向こうから声がした。


「………マサ。起きてるかな?」
「………………」


どうやら、ノックをしてきた主はシンのようだ。
それに心がざわつくのを感じ、胸元の服をぎゅっと握りしめる。
どうしたというのか?わからない。気持ちが乱れる。

苦しくて、どうしたらいいのかわからなくなって。
再び流れ始めた涙が、ボクを自己嫌悪に陥れる。

シンはボクに優しくしてくれるのに。どうしてこんな気持ちにならねばならない?
自分を大事にしようと気を配ってくれる者を、拒絶などしたくないのに。
まるでシュンがボクを見るように、そんな冷たさで彼を傷付けたくないのに。

退魔師という身分などもう思考のどこにもなくて。
友人にすらドライだった自分もどこにもいなくて。
何にそんなに心揺らしているのか。迷っているのか。なにもわからなくて。

扉を挟んで少しの間沈黙が横たわる。
たった一枚の隔たりによってボクの怯えている姿は隠されて、
彼はボクの意思をうかがい知れず戸惑っている。
操作系にあるまじきほどの思いやりである。


「………マサ。開けなくていいから、扉の前まで来てくれる?」
「……………操作すればいいじゃないですか」
「いやだ。………だめ、かな?」


名前を知っている以上、彼はボクを操ることが出来る。
なのにそれを即答で拒否し、再びボクに請うように柔らかい声で言った。
なんなんだ、もう。なんでそんなに、優しい声音が出来るんだ。
安堵してしまう気持ちを、懸命に警戒させようとしている自分に気付き更に混乱し始める。

返答も出来ず何秒も無言でいるが、彼はなかなか辛抱強く待っている。
何がしたいのかは知らないけれど、そんなにボクと話がしたいのだろうか。
そこまでしてくれているのに無碍にするのもなんだか気が引けてきて。
覚束ない足取りで、ゆっくりと扉に近づいた。

しかし相対するにはまだ乱れたままの気持ちが、扉に背を向けさせた。
そのまま背を預け、床にずるずると座り込む。
何の用かと聞こうと思ったものの、声を出す気力はやっぱり出てこなくて
軽く扉を叩いて、ここに来たことを知らせる。

それにシンが嬉しそうな声をあげた。
安堵したような、そんなかんじのプラスの感情。
今のボクに足りないもので、どことなく彼が羨ましくなった。

それと同時に、そんな無邪気な彼に無意識に笑みがこぼれる。
しかし自覚など出来もしないボクは、数秒でまた表情を失った。


「ねえ、マサって植物は好きかな」
「………………嫌いでは、ないです」
「そっかw
 あのね、このあたり結構むさい植物ばっかりなんだけど、
 少し離れたところに綺麗な花木が咲いてるところがあるんだよ」
「………そう、ですか」


何を話したいのかと思えば、ただの雑談だった。
まあいきなりボクの傷を抉るような話をしにきたのだったら殺したくなるだろうが。
そんなことを嬉しそうに話してくるなんて、そんなに彼は花が好きなのだろうか?

特に嫌な気分もせずそのまま話を聞いていれば、随分と綺麗な花のようで。
そこまで植物に興味があるわけではないが、見てみたいとくらいは思った。
今、灯りの消えたこの部屋はモノクローム。色など、死に絶えている。
青空のもとで、太陽に照らされて綺麗に咲き誇る花はきっと美しい。

部屋にいても気分は塞ぐだけだし、そんな理由でも出てみたいとは思う。
そう、考える時間が欲しくない。考えなければ痛いなんて思わなくていいのに。
ただ、仕事を増やしたところで手をつけられない程度に悩んでいては意味はない。
こういった、ちょっとした自発心がきっとちょうどいい。


「……………そんなに、きれいなんですか」
「うん。僕は昔から好きだよ。
 放浪帰りには絶対に寄って見に行く」
「………………。…………それは、見てみたい……ですね……」


言えば、驚いたのか彼が一瞬黙った。
しかしすぐに嬉しそうな雰囲気を出し、機会があったら一緒に行こうよと言ってくる。
そんな挙動が一々、ボクの悩んでいる気持ちを削っていく。
なんだか、苦しんでるボクが馬鹿みたいに思えてきた。


「………シン」
「ん?なに?」
「………立ちっぱなしは、きついでしょう。
 入ってもいいですよ」
「………ほんと?」


心配そうな声音で聞き返さる。
濡れた頬を拭いながら、とりあえずこの状況のままではいけないと思って。
数秒間をおいて、嘘を言ってどうするんですかと返した。

それに彼はやっぱり嬉しそうな声を聞かせてくれる。
扉を開ける前に、よりかかっているのかやけにはっきり聞こえる声が言った。


「一種だけだけど、花摘んできたんだ。
 マサにあげる」


そんな子どもっぽいことを言う彼に、
どうしようもなく暖かい想いを感じた。