ただ、腹立たしかった。
この気持ちが何かなんて、わからなくて。
握る手が、力を籠めるのだけは解った。



*



この間。
マサが久しぶりにピアノを弾いているのを聞いて、雑務をしている手を止めた。
暫くそのまま聞いていたが、仕事に疲れているのもあって
筆を置いてピアノのある部屋まで行ったのだが。

シンが先客に居て、入る気を失くし。
かといって戻るのもなあ、どうしようかなあと悩み始めたら。
2人が音楽の話で盛り上がっているのを耳にして、何故だか苛立ちを感じた。

2人とも音楽活動が好きなことくらい、俺は知っている。
だから2人揃えばそういう話にくらいなるだろうし、盛り上がってもおかしくはない。
ただ、積極的に彼に音楽の話をふっているマサと。
マサにはフレンドリーなシンの会話を聞いていたら、複雑で。

シンがつくった曲をさらっと弾いてみせたことも、
シンがキスをしても拒まないことも、
俺の話題で言葉を返さなかったことも、
何故かすべて苛立たしいのだ。

挙句、彼はそのままシンに抱かれてしまっている。
抵抗の声が聴こえなかったのは、どういう意味なのか。
わからない。わからない。ただ、苛立たしい。


(俺の三ツ星なのに)


しかも、それ以降彼は俺を襲撃してこないのだ。
それだけではない、むしろ部屋から出てこない。
たまにシンが部屋に入っているのを見てもなんだか苛立って。
俺が入ればいいだけの話なのだが、入れない自分にも苛立って。

苛立ちと空腹がかぶって、今の俺は苛立ちがMaxである。

彼の部屋の扉を開け、部屋を見回すが見当たらない。
一瞬不思議に思うが、電気の点いていない部屋ではわからないので
足を踏み入れて、電気をつけて再度見回す。

しかしどうにも見つからなくて、不在なのかと思ったが
部屋にマサの気配を感じるのでそうではないらしい。


「………マサ。どこ」
「………………」


返事がない。
何がどうなっているのかはわからないが、彼が俺の言葉に返事をしないことが
どうにも嫌で。
彼が隠れられそうな場所を探して、片っ端から開けていく。

大き目な場所から探してクローゼットなんかを開けてみるが、いなくて。
屈めば入れるだろうかというところにまで手を伸ばして開けてみれば、
座り込めば入れる植込みの物置部分に、シーツにくるまって小さくなっている彼を見つけた。


「………なにやってるの」
「………………」
「マサ。ねえ」
「………………」


応えない。
無理矢理ひっぱりだすのもどうかと思い、とんとんと肩を叩いて様子を見る。
どうやら嫌がってはいないらしい。

なら外に引きずりだそうかと思い、声をかけるが首を振らないので承諾とみる。
いつものように脚と背に手を回し、そのまま外へ引き出した。
それでも相変わらずシーツに顔を埋めて外に出そうとしないので、
苦慮して頭を撫でてやる。

暫く無言でそのまま撫でてやっていれば、少しだけ彼が顔をあげた。
知らず知らず顔が綻んでいたようで、なに、と声をかけたらいきなり抱きつかれた。


「………どうしたの」
「………………」
「言いたくないなら別にいいけど」


よしよし、と再び頭を撫でてやる。
苛立っていたのはどこにいったのやら、抱き着いてきた彼がかわいくて。
空腹が少々きついが、まあすぐに死ぬわけでもないので今は我慢しておく。
こんな状態の彼を食べたいとは、思わない。

数十分はそのままだっただろうか。
落ち着いたのか、彼が口を開いた。


「……………なにか、ようですか」
「……えっと」


言葉に困り、何かないかと考える。
まさかこのタイミングで腹が減ったから血液寄越せともいえない。
かといって嘘をつきたくもないので、マサが部屋から出てこないから…と微妙な返しをする。


「しんぱい…してくれたんですか……」
「そりゃあね。……マサの飯が一番美味いし」


俺とシンの料理の腕前ははっきりいって絶望的だ。
食える程度にはつくれるが、お世辞にも美味しいわけではない。
それに比べ、マサはしっかりとつくってくれる。
ニンゲンと吸血鬼の差なのかもしれないが、それにしてもという感じではある。

付け足しのように言った言葉に、彼はまた黙りこくった。
付けないほうがよかったのかなー…と少々後悔もするが、言ってしまえば戻せない。
それに、彼の飯が美味いのは本当である。
嘘は、言ってない。


「………。無理は、しなくていいけどさ。
 マサの飯、食べたいよ」
「………………」
「あと、マサがいないと暇だしさ………」


困った。何を言えばいいのだろうか。
いつも彼が合いの手にツッコミやらなんやらをしてくれていたので、
俺は結構楽にしゃべることが出来ていた。
彼が黙ってしまうとこれだ、俺そんなにトークスキルなかったっけ。

そんな思いで彼に語りかけていれば、何か声がした。
俺の腹あたりに彼の頭部があるので何を言ったのか聞こえず、
聞き返せば少し間をあけてもう一度言った。


「………そろそろ、血が欲しいですか」
「………………」


単刀直入過ぎてどうしよう。
確かに俺は今空腹だ。血液はものすごく欲しい。
シンの飯で萎えた食の感覚的にも、彼の血液は美味いからすごく。
だがそんな雰囲気であるのかがイマイチ察せない。

かといって無言のままでいるわけにもいかないだろうから、
言葉を選びながら、返した。


「………腹は、減ってるけど。
 マサが元気じゃないなら………まだ我慢できるし、いいよ」
「………………」


俺達は空腹を覚えてから三日間くらいは生きている。
細かいところは個人差があるが、大体そのくらいで死ぬのだ。
彼の状態を考えれば短いが、あと三日くらいは俺だって我慢できる。
最悪、シンの血でも飲めば少しは長持ちする。ただし飲みたくはない。

少々の間彼は黙っていたが、また小さくか細い声で返事をしてきた。


「………飲むのは、別にいいです。だくのはだめです」
「俺に一人で発散しろって?」
「………フェラしますから。ぼくはだめです」


どういうことだ。
自分を愛してくれない男に開く身体はないとでもいいたいのか?
その割にはそんなニュアンスが感じ取れなくて、訝しむ感覚が膨らんでいく。


「………なんで?」
「………………」
「ねえマサ答えて。なんで」


肩を掴み、抱き着いていた彼を引きはがす。
今日初めてまともに見た彼の瞳は憔悴しきっていて、
泣いていたのだろう、目に赤みがかかっていた。

やっぱりおかしい。何かが、俺の考えてることと違う。
わからない。そう、俺はわからないんだ。鈍いなんてシンによく言われている。
わからないなら、聞くしかないじゃないか。

口籠って、彼が口を閉ざした。
瞳が昏く淀んでいる彼が、このまま言うとも思えなくて。
瞼に唇を落としながら、怒らないからと言葉を添えた。


「……………汚い、ですから」
「………どういうこと」
「ボク………きたないですから………」


シュンが汚れてしまう、と聞きとりづらい声量で呟いて。
説明を促せば、彼の感情の堰が決壊したのか
再び涙を零しながら言葉を吐き出していく。


「だって、ボク、シンに二回もヤられて」
「………………」
「嫌がれなかった。淋しいだけで受け入れてしまった」
「………………」
「そんなボクが、シュンに抱かれる権利なんて」


嗚咽混じりに、言葉を連ねていく彼を見遣る。
どうやら俺の誤解だったようで。でも、彼も俺を誤解しているようで。
どうやったらこの涙を止めれるのかがわからず。
強引に唇を奪い取る。


「……ん………っ、ぅ」
「………………」
「…、ん……‥っ、んぅ………ふ……」


舌を挿し込んで、戸惑う彼の舌を絡め取る。
甘吸いすれば、彼の身体がぴくんと小さく跳ねる。
それがおもしろくて長く遊んでいれば、息苦しくなったのか彼が胸を叩いて離してと請うた。

それに応えて唇を離せば、名残のように銀糸が伝う。
重力と距離にまけて切れてしまったそれから視線を離し、彼の瞳を見つめる。


「そんな話聞かされたら尚更喰わせてもらわないと」
「………え、」
「シンの。上書き、してやるよ」


笑みを向けてやり、首筋に顔を埋める。
彼は俺の三ツ星。俺のものなんだ。
シンに手出しされる筋合いも、シンに曇らせる心もいらない。

俺だけをみていればいいんだから。