好意と共に膨らんでいく不安に。
押しつぶされないように、と願いながら。



*



弾き終わり、譜を最初に戻すために捲っていたら背後から声がした。
どうやら今回はシンが聞いていたよう。向けられるのはやはり拍手なのだが。


「上手いもんだね」
「それはどうも」
「僕が弾くよりもピアノのためになりそうだw」


言い、自嘲の笑みを洩らした。
ピアノの黒体をなでながら、どこか懐かしげな感情を瞳に映している。
もしかしてこれはシンのものなのかと思い、興味本位で尋ねてみる。


「……あなたのピアノなんですか、これ」
「そうだよ。僕がシュンに買わせた」


ああ、シュンが苦手がってたのはシンだったからなのか。
ではこれを置いていったのも、シンだ。
確か彼は放浪吸血鬼であるときいたことがある、それは置いていくしかない。
ただ、だからといってシュンが快諾するわけもない。なるほど。


「調律もちゃんとしてるんだね」
「わかるんですか」
「うん。音感だけは自信あるよ。
 腕前には自信ないけどねww」


どうやら言い方的に彼は絶対音感のようだ。
なるほど、これで音楽に対して好きだという気持ちがあれば音楽活動も好きなわけで。
試しに聞いてみれば、どうやらシンは演奏タイプではなく歌唱タイプのようだった。


「歌うのが好きなんですね」
「そうだね。曲作ったりもするよ」
「楽譜は?ないんですか」
「あったっけ?ちょっと待って探してみるから」


一部は旅のお供に持って行き、たまに紛失しているらしい。
それもどうなんだと思いながら、なら残りのものが置いてあるのだろうと待機。
どこに置いたかなーと少しの間探していたが、そのうち見つけたのか
あったあったと言いながら戻ってきた。


「恥ずかしいねー、上手いわけじゃないからさ」
「まあ、そこは気にしませんから。
 見せてください」
「僕これでも小心者なんだよww
 うー、はいはい。どうぞ」


いつもの自由奔放さはどこにいったのか、緊張しているようだ。
自分を過小評価しているのか、ボクを過大評価しているのかはしらないが。
まあ、本人が自ら安心しなければ何を言っても無駄なので今は構わないでおくことにした。

受け取った楽譜を見て、なるほどボクとは違うタイプのメロディをつくるなと感じた。
初見演奏でざっと弾いてみて、こんな感じであってますかと言うと
振り向いた先でシンが目を丸くしていた。


「譜読みそんなに早くできるもんだっけ」
「まあ、ボクには」
「wwwwすごいwwww感動したwwww
 いいなあシュン、こんなニンゲン捕まえるなんて」


僕が欲しいし、と言いながら後ろから軽く抱き着かれる。
ピアノがある手前暴れるわけにもいかず。
話が出来る程度には和解したとは言え最初があれだったため、まだ警戒心が強い。
離してくださいと冷たく言い切るが、彼は離そうとしない。


「そんなにシュンが好き?」
「………………」
「今本人居ないんだから言ってもいいのにw
 ねえ、シュンが好きなの?」
「………………」


言葉に出すのが照れくさくて、頷くことで肯定を返す。
考えないようにしていたのに、思い出せば募るばかりの感情を素直に認める。
それにシンは羨ましいなーと笑いながらうなずいた。

その返しが不思議で、首をかしげる。
吸血鬼は大体が人間を嫌っている。好かれたって嬉しくはないはずだ。


「……………吸血鬼は人間のこと嫌いなんじゃないんですか」
「危険だとは思ってる。けど、嫌いだとまでは思ってないよ?僕はね」
「……………シュンは?」
「嫌いだろうね」


はっきり言われ、刃物が突き立てられたような痛みが走る。
それが解っていたのだろう、申し訳なさそうにシンがボクの頭を撫でて。
軽く頬のあたりにキスされるが、反抗するほど気力がなかった。

シンがきてから、シュンの態度が変わった。
シンがいて苛立っているのかなんなのか知らないが、冷たいのだ。
なのにボクを抱くときに乱暴かといえばそうではなく。
ただただ、表情が冷たくて。抱かれていても、怖いと思うことがある。

彼自身が怖いわけではない。いまだってボクは彼が好きだ。
だけど、ボクが話しかけても単語だったり。言葉を返さなかったり。
そんなことばかり繰り返されては、ボクだって不安が膨らんでくる。

好いてほしいとは思っていない。あくまでボク等は退魔師と吸血鬼だ。
それでも、嫌われたくはないもので。
冷たい素振りをされると、怖いのだ。
それ以上なんて望まないから、せめて彼の嫌いな部類に入ってしまいたくないのにと。

そっちに入ってしまったら、ボクはどうするのだろう。
多分彼のことだ、飽きたらボクを殺す気になるだろう。
ボクを殺そうとするシュンを、ボクはやはり殺すのだろうか。
力量的には、まだ殺される側でしかないのだが。


「ごめんね、キツイこと言って」
「……………いえ………人間と吸血鬼なんてそんなものですから」
「そうじゃないのもいるけどね。
 ……………僕だったら、愛してあげるよ」
「……………っ、ん………」


リップ音をたてて、瞼にキスをされる。
愛される期待の出来ないボクにそんなことをするなんて、
彼はズルいとしかいいようのないやつだ。
満たされない思いがそれを受け入れたがるが、理性がシュンでないと嫌だと言い。

もう、何が何だかよくわからない。


「……………抱ければ誰でもいいんですか」
「ひどいねwこれでも僕はフェミニストだよ。
 君のことは結構気に入ってるよ?」


言いながら、移動してボクの横に来たシンが
ボクの視線を自分と正面になるように縫い付ける。
淋しいという気持ちがぐらつくのを懸命に抑えながら、何を言うのかと思えば。


「……………ね、マサ?」
「………ッ!?」


名前を、呼ばれた。
どうして、と掠れた声で返せば、彼は軽快に笑いながら
僕がここに何日滞在してると思ってるの、と応えた。


「結構シュンも言わないように気を遣ってたみたいだけどね。
 ……………ずっと言わないわけも、ないんだよ?」
「……………っ」


ボク等退魔師の間では言ってはいけないものがいくつかある。
そのひとつが名前だ。
名前は心的に強い作用力を持っていて、握られてしまえば言うことを聞かざるを得ない。
死ねと言われれば死ぬし、殺せと言われれば殺さなくてはならない。

どうやらシュンは言霊操作タイプではないようなのでそこには安心したが。
シンのこの行動と、右目の包帯がいやに不穏な空気を呼んだ。


「シュンは鈍いから知らないんだろうけど、キミは察しがいいね?
 ……………キミが思ってる通りだよ」
「……………っ、………」
「まあ、多用する気もないけどw
 シュンがキミをあまりに傷付けるようだったら、」


一旦言葉を区切り、右目の包帯を緩める。
視認できるようになった右目が、紫色に輝いていた。
青と赤の混色。
隷属系言霊操作タイプだ。

見てはいけないのに、視線を離すことが許されなくて。
暗鬱に嗤う彼が、止めた言葉を再び口にする。


「僕がキミをもらってあげるよ」


言いながら、彼が首筋に口付けるのを認識。
掌握された心が、悲鳴をあげるのを感じた。