ここに来て数週経った。
そろそろ街のギルドにも死亡したと判定されているだろうかと思い巡らせながら、
灰色のフィルターでも掛ったかのような屋敷の窓を、見上げた。



*



ボクは街で退魔師ギルドに所属していた。
危険度の高い仕事であるが故にひとつひとつの仕事の報酬は高いし
武器も剣などを除けば符であることが多いので、自分でつくれるボクには金銭が余る。
充分過ごせるだけの稼ぎはあるが、何もしないのも暇なのでもう一つ仕事を持っていた。

埃をかぶった黒い外装を撫でる。
こんなものがあったのかと思いながら、それの保護布を剥がした。

グランドピアノである。

ボクは曲をつくる趣味があり、ギルドの仕事をする時以外はピアニストをしていた。
勿論、それが副業であるのであまり力を入れていたわけではないが。


(結構立派だな、これ)


外装をはがし、白い鍵盤に触れる。
ハンマーが弦を叩き、澄んだ音が響く。
屋敷が広いため少しずつ掃除をしていて見つけたのだが、存外大きな掘り出し物だ。
上等なピアノのようだが、何年ほどここで眠っていたのだろうか。

ボク自身も弾くのが久しぶりなので、慣らしに簡単な曲を選んでみる。
弾いていなくても指が勝手に吸い寄せられる感覚はそのままで、
ほぼノンストップで叩き終える。
結構譜は頭に残っているようだ。これで少しは暇つぶしをすることができる。

弾き終えてみれば後ろから感心したような拍手を送られる。
気付いてはいたが、気付かれない程度に小さく溜息をついてから振り返った。


「聞いてたんですか」
「うん。意外だなあ、ピアノ上手いんだ?」
「まあ、趣味程度に」


趣味でそれだけ弾ければすごいよーと言いながら彼がこっちに寄ってくる。
そのまま鍵盤に触れるが曲を知らないのか音は滅裂で、メロディになっていない。
これは、ピアノを弾いていた主は彼ではないなと思いながら。
ボク以外に誰か居た時のものだろう。一瞬脳裏を何かが過ったが無視した。


「何かリクエストがあれば言ってください」
「弾いてくれるの?でも俺曲名わかんないわ」
「好きな曲調でいいです。適当に選びますから」


じゃあこういうのがいいな、といってくるので、適当に沿ったものを選抜して指を滑らせる。
それに彼は楽しそうに耳を傾けているものだから、少し気分が綻んだが面には出さない。
別に表出したくないわけではない。鉄面皮が癖なだけで。
彼の気を引くものがひとつ増えたのかと思うと、嬉しいのは確かだ。

奏でながら、ピアノの音色に集中する。
ピアノを弾き音を紡ぐことは本当に好きなので、これを気に入ってくれたらと。
出来うる限り最上級の旋律を奏でられるよう。

弾き終えればまた拍手が響く。
すごいもんだねと褒められたことが嬉しくて、ありがとうございますと返した。


「まさかこんな特技があるとは思わなかった」
「ボクもまさかこんなところにピアノがあるとは思ってませんでした」
「うん。これ俺のじゃないからね」
「でしょうね」


話がそっちに向き、少々嫌な気もしたが引っ掛かったままも嫌だなと思い
なんでここにあるのかと聞いてみることにした。
それに彼は頬を掻きながら言葉を選んでいる。


「んー。知り合いのなんだけどね」
「そうなんですか」
「そいつも音楽活動が好きで」


吸血鬼にも音楽活動が好きな奴がいるのか。
そこにまず盛大に驚いたが、別に吸血鬼と人間は種が違うだけでヒト科なので
あり得るんだろうなと勝手に思考内で結論を出した。

そんなことは知らない彼はその先を言い淀みながら、続ける。


「あいつ結構自由だからさ、俺に金たかってきたんだ」
「あなたより自由な吸血鬼なんて居たんですか」
「居るんだよこれが。場所もないからってここに置いていきやがった」


それは随分な話だ。
しかし最初の様子を見るに、何年もここに来ていないのではないだろうか。
それで音楽活動云々と言っても、同業としては微妙な気分なのだが。

まあそんなことは言わなくてもいいので口にはしないが。
どうやらその吸血鬼のことが苦手らしい彼が居心地悪そうにしているので、
その話は切り上げることにする。


「……じゃあ、ボクが使ってもいいんですか」
「いいよ。使われた方がピアノも本望じゃないかな」


俺は整備出来ないけどね、と言う彼に、自分は出来るのでやると伝える。
調律くらい出来て当たり前なのだが、知見の無い彼にはわからないのだろうか。
へーそんなこともできるんだと返される。

一々関心している彼も。
何の気なしだろうが、ピアノを与えてくれたことも。
ボクとしては嬉しいばかりで。
返答の代わりに笑顔を返しておいた。

それに一瞬彼が目を丸くしたが、気に留めずピアノに向き直る。
さっき弾いた限り、少しばかり調律が必要そうだったから。
音が不安定だった鍵を叩き確認すると、やはりここだなと思う。


「では、少し整備しておきます」
「うん。……なんか俺、いきなり優雅になった気分」
「充分貴族じゃないですか、なりが」
「だって外見よくしておかないとニンゲン共ビビり過ぎなんだもん」


俺的には旅装束くらいラフでもいいんだけどねー、と一言。
どうやら人間から血液を搾取する都合の延長で、身形を整えているらしい。
確かに、彼ほど面倒くさがりだったらこんなにピシっとはしなさそうだ。


「今ボクしかいないんだから別に楽にしてもいいんじゃないですか」
「あんまり持ってないしね。
 それに、ニンゲンがいるときはどうしても癖でこんなの着ちゃうし」


言われ、さっきから無視し続けていた感情が首をもたげる。
これが何かなんて知っている、多分嫉妬だ。
あまり強く膨らまないで欲しいのだが、有耶無耶にしたところで妄想膨大するのは
目に見えている、難儀だ。

一度溜息で流し出し、続いて揶揄するように軽口をたたいた。


「……外見はいいですもんね。女性でも釣ったんですか」
「うん」


あっさりと返した。
地味に傷付いたが面に出してはやらず、息を詰める。
そんなボクの努力もむなしく、彼が続ける言葉に違う意味で息を忘れた。


「みんな殺したけどね」


何も執着していない顔で言い切った。
どうやら彼にとって人間はその程度であるらしい、殺す時も躊躇わなかったのだろう。
人間側からすれば大変な凶行なのだがそこは吸血鬼、感覚が違うようだ。


「……何故?あなたを愛していた人間なのでしょう」
「そうみたいだね。俺興味なかったし。第一血が不味かった」
「基準は血か」
「それ以外に何かあるの?」


吸血鬼は大体一人行動で、群れない。そこに所以があるのか、冷めている。
だからこんなに血液が優先事項が高いのだろうか。信じられない気分になる。

彼ら吸血鬼が不味いというのは星無し、一ツ星のことである。
星無しは完全に不味くて飲めないらしい。
一ツ星は、飲めるがほぼ無味で美味しくはないらしい。
大半がここに当て嵌まるようで、苦いものを毎回飲むのは嫌だと彼が愚痴ったことがある。

他にも二ツ星、三ツ星、四ツ星があると言われている。
二ツ星以降は珍しい部類のようで、出会う確率はあまりないらしい。
二ツ星は上々、三ツ星は上等にプラスして吸血鬼側に催淫作用。
四ツ星は人間側に催淫作用があるとされる。

もう一つ五ツ星もあるがこれは不定形で、人間側にはほぼ害悪。
吸血鬼側にも不味い美味いでかなり差があるようだが、
人間側は服毒作用か支配作用に見舞われる。
要するに、結末が死であることが多いのだ。

ボクは彼にとって三ツ星。
彼がどう思っているのか気になるが、少なくともまだ利用するだけの価値はあると
考えられていることは確かである。


「……ボクの血液は、美味しいんですか」
「うん。いい血してると思うよ」


どういう褒め方だ。
呆気にとられながら、そうですかと返して。
ボクが彼を意識していると気付いているのだろう、からかうように顎に手が添えられる。


「……何?飲んでほしい?」
「飲んだら盛るじゃないですか。昼ですよ」
「仕方ないじゃない、相性なんだから。
 ……それとも、何?別のものを期待してるの?」
「……まさか」


ぐっと堪えて、反発を示した。
所詮ボクは退魔師、人間である。
彼から見ればただの餌。愛されることなど望めない。

それでもここにいるのは、それでも傍に居たいから。
自虐のようだが、感情が勝手にそうさせるのだから止めようがない。

言い淀んだボクがおもしろいのか、本当に?と聞いてくる彼。
性質が悪い性格をしているものだと思いながら。
勝てる気もしないので、好きにしてくださいとだけ言ってやると
ボクの反応を見るためだけの、感情の籠らない口付けをされる。

それでも湧き上がる気持ちに、受け入れながら彼の服の裾を引っ張って耐えた。