自分の住処を背に、踵を返した。
多分もう戻ってこないだろうそこに、振り返ることもなく。



*



あれから、彼が言った通りボクは命を奪われず解放された。
散々玩具のように弄ばれ、腰は痛いし声は枯れるしいいことなどなかった。
強姦された女性が心を閉ざすというのも理解できるもので、
こんなことを経験すればきっと人間不信にだってなんだってなるだろう。

ただ、ボクは襲われる前に彼に魅入られてしまった。
無事に街に帰還しても身体の痛みなどどこ吹く風で、
隙間なく浸食された頭はもうどう転がしても手遅れのようだった。

狩るべき存在で。しかも同性である。
なんでそんな存在に一目惚れしてしまったのかと自嘲するばかりだが、
どうしたってこの気持ちは彼を好きだとしか言わない。

錯覚だとか、色々理由をつけてみたけれど。
どうしたって意識は彼に向いてしまう。
気を紛らわせようと他の吸血鬼を狩りに行ったりしたが、
トドメをさした吸血鬼の死体を見ながら思うのはやっぱり彼で。

自分で言うのもなんだが、ボクは退魔師の中でも結構戦闘力が高い方だ。
攻撃が出来なくなっていたとはいえボクから武器を奪ったのだ、
彼も相当戦闘力はあるのだろう。
だから心配などはしないが、重ねて見ることはしてしまう。

死んで欲しくないとかでは、ないかもしれない。
よくわからないので、そこは明確ではないが。
解るのは、自分以外にトドメをさされることが嫌だということだった。

どうせ死ぬのなら、自分に殺されてしまえばいいのにと。


(なんだろうな、これ)


不思議で仕方がなかった。
だから、否定するよりは何かを知ろうと思って彼を探した。
彼に出逢ったのは、他の件であの辺りを調べていたからで、偶然だったから。
「シュン」という名前だけを手掛かりに、調べ上げた。

どうやら彼はあのあたりを統治しているらしい。
他の吸血鬼のように突然人里に現れて襲撃するなどをするわけではなく、
領主のような雑用をすることと、その報酬に定期的に血液を交換することで
あの地に住んでいる。

ただ、さすがに人間にとって吸血鬼は畏怖の対象であるため
何度か討伐隊が向かったこともあるようで。
最大級で30人ほどの規模の退魔師が手を掛けたようだが、
三分の二の退魔師の死亡で討伐は未遂に終わっている。

まあ、ボクも最大で25人ほど束になった吸血鬼を始末したことがあるので
彼がどの程度の手腕をしているかはなんとなく察知した。


(……シュン)


これが、戦闘的な興味なのか。好意なのか。今の自分では判断できなくて。
わからないのなら解るようにすればいい、居てもたってもいられなくて
危険度A級の依頼を請け、今彼の屋敷の前に立っている。

廃墟のような外観をしているが古びているのは外だけのようで、
ピッキングで屋敷に入りこめば中は普通の邸宅だった。
侵入者に気付いて出てきたらしい彼が、階段の手すりに腕を預けてボクを見下ろしていた。


「なんか見覚えのあるヒトがいるなあ?」
「………………」
「なに?この間の仕返しに殺しに来たの?
 それとも、また抱かれに来たの?」


軽口を言って揶揄する彼を無視し、床を蹴る。
跳躍だけで距離を詰め、手持ちの中程度の長さの剣を彼に突き出す。
それを軽く避けた彼が横からボクに短剣を向けて。
手すりを軸にしてそれを回避、廊下に着地と同時に詠唱を完了していた術を展開する。

広範囲のそれを避けるためには彼は跳ばなければならない。
案の定横へ跳んだので、そちらへ向けて武器を投擲する。
投擲したものすべてを短剣で受け、反撃にその武器をこちらへ跳ね返してきた。
さすがにそこまでしてくると思っていなかったので、次の攻撃をキャンセルして避ける。

避けたところで彼が距離を詰め、長い脚が横から首を狙ってくる。
のけぞりながらそれを回避し、隙を見せてはいけないと炸裂符を使って彼を退避させる。
炸裂符の使用は予想していたようだが強力さを図り違ったのか、
少々吹き飛んだ彼が身を捻って上手く着地する。


「あはは、雑魚じゃないってことかー」
「………………」
「強いやつは好きだよ?退魔師は嫌いだけどね」


言いながら、酷薄な笑みを見せる。
掲げた右手に呼応するように、屋敷を伝っている植物が彼を取り巻きはじめる。

吸血鬼は、ヒト以外の生物を眷属とする。
要するに、動物や植物は全て敵になるということだ。
ヒトは元素や無機物を使うがそれは彼ら吸血鬼も持っているものなので、
はっきりいってかなり分が悪い。だから退魔師は戦闘能力を求められる。

彼の手が指示するままに彼らは動き、ボクを狙ってくる。
蔦系の植物が顔面を狙ってくるのでかわして燃やし、
続いて向かってきた呪文を同程度の符で中和し、対消滅したところで再び武器を投擲する。

それを眷属が叩き落とし、その隙にもう一度武器を投擲する。
それに追い打ちをかけるように爆発系符を掲げ、彼を守る巨体の眷属を再起不能にしてやる。
時間を置けば眷属が増えてしまう。新手が出てくる前にと彼のいる床へ着地し、
腕組みをして突っ立っている標的に向けて距離を詰める。

それを特に避けるでもなく彼は迎え、ボクが振りかざした剣を手で受けようとして。
どういう凶行かと思いながらそのまま振り切るが、彼の手を切り裂く前に砕け散る。
状況が理解できず呆気にとられるが、一旦身を引こうと後ろへ跳躍する。
しかし数瞬遅かったようで、腕を彼に掴まれそのまま壁に叩きつけられた。

思わず呻き声があがり、彼の手から逃れようと抵抗するものの
首を締め上げられ、息に詰まっている間に蔦が嵩を増してボクを囲みこんだ。


(これは、逃げられないな、)


どうやら彼の方が上手のようだ。
本気で強襲できたかといえば出来た気はしないがそんなものは関係ない。
ボク等退魔師と吸血鬼の間にあるのは、生か死のみである。

蔦に腕やら脚やらを縛り上げられ、動けなくなったボクから彼が手を離した。


「で、何しに来たの?君」
「………これが、退治以外の何かに見えるんですか」
「男は拳で挨拶ってもんでしょ。
 もしかしたらお話しに来たのかもしれないじゃない?」


何を呑気な。
これが強さ故の余裕だというのなら、最早大したものだとしか言いようがない。
返す言葉もないボクに彼は一笑、頬に手を添えてくる。


「俺は君ならお話してもいいよ?」
「何故」
「美味しかったから」


言い、彼が気味悪く笑む。
覚えているのだろう、ボクが三ツ星であることを。
吸血鬼にとって三ツ星はそうそう現れない御馳走である。
要するに、彼はボクを獲物として見ているのだ。

それに安堵を覚える。
死が怖いという安堵ではなくて、そんな理由でも彼に興味を持たれているということに。
返答のないボクが面白くないのか、彼は冷めた表情でボクを見、再び首を絞めあげてくる。
先ほども本気だったようだが、今度は気道を潰す勢いで力を加えている。


「………、ぐ………ッ」
「そういえば聞いてなかった。名前教えてよ」
「………ッ、………ッあ、………ッ」
「俺の名前…は、覚えてるからここにいるんだよねえ?」


笑顔に釣り合わない力で絞めあげられ、酸素が足りなくなって視界がぼやける。
しかし息が絶える前に彼は力を抜き、いきなり呼吸を許された僕が咽るのを楽しげに見ている。
ボクを玩具のように愛でる無機質な愛撫が頬をなぞる。


「名前、教えてくれないの?」
「……、ボクはあなたを殺しに来たんだ。必要ないでしょう」
「この状況でまだ言うの?粘り強いねー」


嫌いじゃないよそういうの、と言うものの好きだと言わないあたりどう思っているのか。
相変わらず攻撃的な瞳がボクを見ている。
それに応えるように、ボクも彼を見据える。
何を思ったのか、数秒見つめ合ったところで彼が嗤った。


「俺を殺したい?」
「仕事ですから」
「怖いなー、寝てるところとか襲われそうで」
「四六時中狙ってあげますよ」


それに彼がきょとんとした表情を浮かべて。
呼吸が整ってきたので、笑みを返してやる。


「………どういう意味かな。俺がこのまま帰してあげると思ってるの?」
「いいえ。帰りません」
「何がしたいの?」
「ボクは三ツ星なんでしょう?住ませろ」
「わあーとっても単刀直入」


何それ押し掛けなの?と問う言葉には無言を返してやる。
それに悪い気はしないのか、彼は小さく笑って。
頬を伝っていた手が顎を掴み、視線を彼の瞳へと縫い付けられる。


「交換条件ってことだね。
 じゃあ、一回目は俺の勝ちってことで食べてもいいの?」
「………………」
「無言は肯定と取るよ?
 まあ、今更おめおめと三ツ星を離してやる気なんてないけどさ」


言って、彼が首筋に歯を立てた。痛みに悲鳴があがる。
痛いのは嫌だが、彼に触れられたり抱かれたりすることが
嫌じゃないと感じているあたり、自分はもう駄目だなと思った。