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燐光舞うように





――夜空がどこまでも広がる月の渓谷に白い光が出現した。・・そこから、1人の少女が倒れる様にして現れた。
 彼女の身体は、もう手の施しようがない程に傷だらけだった。転移魔法に力の全てを費やしたため、下級の回復魔法すら唱える精神力も残されてはおらず、意識を保っていられるのも時間の問題だった。

「・・・・ここまで・・か・・・・」

 少女は“裏切り者”と呼ばわれ、破壊衝動に心踊らす者に背後から闇討ち同然に攻撃され、散々痛めつけられていた。どうにか残された力で転移魔法を唱えることが出来、止めを刺される前に逃げ伸びる事に成功したのだが・・・・戦場へ向かうどころか、“次の戦い”にさえ戻る事が出来るのかも怪しい状態であった。

「・・・・・・」

 動く力もほとんど残されてはいなかった・・・・ただ、どうしても最後に見たかった景色があった。
 力を振り絞り、体を空へと向けた・・が、目に映るのは、谷の間に見える空。彼女の見たかったものは見えなかった。少なくとも落胆したが、この夜空を見れただけでも・・・・と、無理に満足させてから、彼女は目を閉じた。

――ガシャン・・

「・・・・・・」

 暫らく浅い呼吸を続けていた少女の耳に、甲冑の立てる金属音が届いた。
 ・・何者だろうか・・・・コスモス側の人間か、或いは・・・・。どちらにしても、放っておいても消えるだろう彼女へ関心を示すとは余程暇らしい。

『忠告はしたはずだ』
「・・・・ゴルベーザ・・?」

 だがそれは、彼女にとってこの世界で唯一信じられる人間だった。

「どうして戦わなかった・・」
「誰と・・・・?」
「“世界”と“己の運命”にだ」

 黒い鎧を纏う大男は、少女を見下ろしながら語りかけた。声に感情は感じさせなかったが、それでも少女は彼の声に安らぎを得られた。
 少女は“神々の闘い”に、混沌の駒の1人として参戦しており、もう二度も勝利の時を経験していた。だが彼女は他の戦士たちとは違い、繰り返される戦いのそのほとんどを避けて来ていた。その為・・記憶のほとんどが失われたままだった。

「何を躊躇っている」
「・・・・戦う為に、この世界に召喚ばれたことは理解してます・・ですが、どうして理由もなく剣を握らなければならないのか・・・・私には、それが出来なかっただけです」

 瞼を押し上げ、虚ろな瞳を再び空へと向けた。夜空に輝く星たちが見える。
 逃げる時、この場所を選んだのも・・・・どこか懐かしいものを以前から感じていたからだった。記憶を少しでも取り戻そうとすれば、その理由も理解出来たのかもしれない、が・・・・。

「・・思い出す事も・・嫌でした」

 意識していなければ、自然と瞼が閉じてしまっていた。
 敵対するコスモスの戦士と向かい合い、戦うことで記憶が戻ることは分かっていた。それを拒んだのは自分自身。・・・・失われた記憶の中には、思い出してはいけないものまである様な気がして、恐かったのだ。

「・・・・・・」

 ゴルベーザが動いたのが分かった。すでに目を閉じていた少女には、音でしか彼の動きを判断できない。・・きっとそのまま去って行ってしまうのだろうか・・・・そう考えた彼女ではあったが、すぐにそれは違うと分かった。
 ゴルベーザは少女を抱え上げると、どこかへと歩き出した。冷たい鎧に覆われた腕に抱えられている、その固い感触は音以外にも感じられるモノ。彼が歩を進める度に伝わる振動までもが、まだ自分が生きている証拠だと知り、涙が頬を伝った。

「・・神々の闘いなんて、私にはどうでもいいだけでした・・・・私はただ・・帰りたいだけ・・っ」
「フン・・・・甘いな」

 自分の元居た世界の・・名も思い出せない故郷の地――そこにはきっと、家族や友人たちが居て・・戦いはあったかもしれないが、戦う理由や守りたいものはきっとすぐそばにあって、“今”より過酷な場所ではなかったと思いたい。
 この世界では逃げていただけだった・・・・今更ながら、彼女は自分の行いを恥じた。理由のない闘いを避けたところで、帰ることは出来ない。彼の云う様、甘かった。だが、ただ闘っているだけでもダメだということも解っている。

「・・・・戦いは繰り返される」
「分かってます・・この目で見てきましたから。でも、失うものはありません・・・・どうせ蓄積された記憶はほんの少ししかありませんから」

 少女の身体から、ついに“黒い光”が溢れ始めた。この世界での寿命が尽きようとしている・・・・ここに留まっていられるのも、後僅かだ。

「お願いがあります、ゴルベーザ・・・・もし私が“帰って”きたら、あの人たちに嘘を吹き込まれない様助けて下さい」
「・・・・・・」

 彼には幾度と助けられて来た。素顔を見せた事は一度としてなかったが、初めてお互いを知った時・・少なくとも少女は、初めて会ったという気はしなかった。むしろ、彼を求めていたからこそこの世界で会えたのかもしれない・・・・そんな気さえしていた。
 そんな男に最期を看取られるとは・・・・この世界においての数少ない救いに思えた。
 少女は、彼の姿を忘れてしまわぬ様にと・・もう一度だけ目を開けた。

「・・・・・・!」

 ゴルベーザの腕の中で少女が最後に目にしたものは、涙で滲んだ世界へ映る黒い兜とその向こうに在る夜空に輝く2つの月だった。

「・・・・ありがとう・・」

 最期の最後に、戦うこともなく思い出せた事があった。“貴方が誰だったのか”を・・・・ようやく思い出せた。
 だがそれを口にはしないし、そしてもうそれを喋る力も時間さえも残されてはいない。少女はただ、感謝の気持ちを伝えるだけに留めておいた。

――貴方は、私が“貴方にとってどんな存在だった”のか、思い出せていたのだろうか?

 きっと・・・・彼は知っていただろう。少女は闘わなかったことを後悔した。何が失うものは少ない、だ・・・・その小さな思い出が、あまりにも大きすぎる。そして彼に、申し訳なかった。

 消えゆく体を取り巻く“黒”はいつしか青白い光へと変化していた。その光は長らくゴルベーザの腕の中でただの光として残っていたが、徐々に空へと立ち昇り、ついには見えなくなってしまった。残されたものは、ゴルベーザの目に焼き付いたものと、夜空の星や月・・そして“彼の中”にも、それは残されていた。
 それでも・・もう二度と目にすることは叶わない。

「・・・・さらばだ」

 燐光舞うように消えていった少女は、もう・・ここへは戻っては来ないだろう。
 ・・・・それでいい。







-End-



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