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 カイン・ハイウインドは他人のために身を犠牲にすることを当然と考える男である。生真面目で寡黙。己に流れる血に誇りを持つ気高き男。それが彼と言う人間であった。
 ただ彼は他人を思うあまり自分のことに関しては幾分無頓着であった。人の為に己の感情を抑制することは良くないことであることはその経験故に彼自身重々理解しているらしいのだが、果たしてそれの全てが悪いことかと問えばきっと彼の中で答えはでない。他人を思うことは彼の正義であるし、何より、それで自分が大切に思うものが救われるのならば何よりだと思うらしいのだ。きっと、彼は己の身を削るなと言われてもやめないのだろう。彼はそういう男である。

「貴方はどうして自分を大切にしないの」

 その女は何かとつけてカインを批判した。
 女はカインのことをよく知っている。前の世界からの付き合いであるし、何より彼は有名であった。世界一の軍事国家の伝統ある竜騎士団団長。世界を救った英雄の一人。そのレッテルの裏にある彼という人格まで女は知っている。そして自分とは性格不一致の度合いが著しいことも覚えている。
 女には理解出来なかった。他人の為に身を犠牲にするなど彼女の記憶する限りの人生観からすれば考えられないことだった。己の持論を説いてみたが、ほんの少しくらいは考えてみてもいいものを彼は「俺はこの考えが間違っているとは思わない」との一点張りだった。女は改めて、カインとは一生かかっても相入れない相手だと痛感した。

 暫くして調和の戦士が何者かによって意図的に消されているという情報が彼女の耳に入った。調和の戦士達がそれなりに実力が高いことは知っていたし、通常集団で行動している自分達が有益な情報を流さないままイミテーションや敵相手に全滅することはきっと無いだろうと考えた女は、もしかしたら調和の戦士の中に裏切り者がいるのではないかと考えた。元より疑り深い女は例え自分を出し抜こうとしている相手が敵であろうが見方であろうが警戒心を緩めなどしなかった。カインが近寄ってきた時も同様であった。

 きっと他の者と同じように、カインは女を手にかけた。ただ疑り深い女は上手く気絶したふりをして逃げ出す機会を伺い、また彼の真意を知ろうとした。
 カインが仲間を匿っている歪みへ女を運んだ時、女は彼が何かを隠していることを確信した。彼から全てを聞き出した時、やはり女はカインを否定した。次の戦いに望みを賭け、仲間を気絶させ安全な場所で眠らせようとしたなど馬鹿馬鹿しい考えだと思った。また女はその理由と情報の出所を聞いた。特に後者は何より彼女が疑問に思ったことだった。そして女は憤慨した。

「お人好しというレベルをとうに超えている。貴方はただの馬鹿だ」

 何故昔敵対していた相手を信じ、不確かな情報などに希望を見いだしているのだ。忘れたのか。あれは、ゴルベーザという男は、我々の信愛なる恩師の命を奪った男だ。何故信じるのだ。女のその言葉にカインは、理解されないのは当然だろうと自嘲した笑みを浮かべながらこう言い切った。

「信じることの尊さを知っているからだ」

 女は絶句した。彼がいう親友から教わったというそれはあまりにも不確かで曖昧なものだった。
 その親友がなんだというのだ。あの男は貴方の団の優位を蹴落とし高潔なるプライドを踏みにじり、挙句には愛した女性まで奪ったではないか。そんな男を親友と呼び、庇い信じる必要がどこにあるというのだ。そんなものの為に貴方は死ぬというのか。貴方は自分の為に生きたらどうなのだ。いつまで己の罪を背負い続けるつもりなのだ。女がそう言えばカインは「相変わらずお前の優しさは遠回しだな」と苦笑した。

「俺にとって、そして多分お前にとっても、他人を信じるということは簡単ではない。きっと俺は、相手があいつらだからこそ出来るんだろうな」

 女にとって優しさではない筈だったがどうやら彼はそう受け取ったらしい。何故かこそばゆい気持ちになって顔をしかめ、また彼が誰に対してもではなく相手が信頼するに値する者であるからこそそうするのだという言葉に対して突っ掛かりを覚えた。女には理解が出来なかったからだ。困惑する女を見てカインは「お前もそんな相手に出会えればいいな」と言った。カインはきっと女がいくら止めても無限の軍勢が湧き出る敵陣へ向かうのだろう。そう思わせる程彼の表情に迷いはなかった。



「私はあやつを見捨てたのだ」

 漆黒の鎧に身を包むその男は遥か彼方に輝く青い星に目を向けていた。その兜故に表情は伺えない。しかし男の声はどこか震えているように感じた。

「私が助言したあまりにあの男は消滅を選んだ。その選択をしたあやつを目の前にしながら、私はそれを止めなかったどころか、奴を殺そうとする混沌の戦士の助太刀までしたのだ」

 前回の戦い、即ち十二回目の戦いまで、女がよく知るあの男はこの世界にいたのだという。甲冑の男ゴルベーザからその全てを聞いた時、彼らしい死に方だと思った。他人の為に己を犠牲にする悲しく優しく、そして哀れな男。それが女が知るカインという人間の像だった。想像するには易い。しかし女の気持ちは何故か悲しみを訴えていた。

「仮に我々が元の世界に戻れたとして、この世界で消滅した者まで戻れるという保証はない。それを知りながら、あやつは選択したのだ」

 先の戦いで女はカインから頼まれ事を受けたらしい。それは歪みの中で秩序の戦士たちを眠らせ続け、無事に十三回目の戦いに繋げること。それをゴルベーザから聞いた時、女は己がしたことを思い自嘲した。あぁきっと、所詮私も裏切り者。彼を救えなかった裏切り者。いつだって大嫌いだった目の前にいる男のことも、彼が親友と呼ぶあの男のことも、自分には他人を否定する権利などもう何処にもない。

 女は何よりも悔いていた。十二回目の自分は一体どうしてそのような頼みを受けたのだろうか。確かにその役割は彼の目的の為にはなくてはならないものだったのだろう。だからと言って次の戦いまで限りなく敵の少ないそこにいたのは正しい選択だったのだろうか。彼の為になったのだろうか。本当は彼の隣で共に戦かったほうがよかったのではないだろうか。自分のしたことは、もしかしたら彼を見捨てたも同然のことではないのだろうか。
 女は今までは他人の為に自分が犠牲になるなど馬鹿がすることだと思っていたし誰かの為に自分が死のうとするなど言語道断だと思っていた。この考えが間違っているはずなどないと今でも思っているが彼が消えたことを知った時から女はずっとこう悩み続けている。それがどうしてかは女はわからないが胸に何かが突っ掛かっかる不快感は前にも感じたことがある気がした。


「思い出したことがあるんだ。僕は、いつも彼に助けられていた」

 女が元いた世界で軍隊の隊長を務め、そして後に国王にまでなったセシルは最終決戦を前に悲しみに暮れていた。それは女が告げた十二回目の戦いのことにある。真実を知った時、彼は涙した。

「彼はどんな時だって僕達のことを考えてくれていて、いつだって僕達が知らないうちに自分を犠牲にして、なのに僕はいつもその時になるまで彼の気持ちに気付けないんだ。なんて、なんて情けないんだろう」

 僕は彼の親友なのにいつも助けられてばかりだ、どうしてぼくはこんなに彼の為になにも出来ないんだ。そう言って男は止めどなく涙を流していた。それは間違いなく、心からの涙だった。咽び泣く声が女とセシルの間に響いている。

 あぁ、果たして彼は報われるのだろうか。女は赤黒く染まっている混沌の空を見上げた。もう直にきっと、調和の戦士の力をもって、世界は救われる。この空も青く澄み渡るに違いない。我々は元いた世界に戻り、そこでも平和を築くだろう。そこに貴方はいるだろうか。誰もが貴方と共にいることを望んでいる。
 純粋にこのようなことを考えている女は、再び自嘲した。私がこのように思っていることを十二回目の自分が知ったら驚くだろうか。お前はいつから偽善者に成り下がったのだと罵るだろうか。もしかしたら怒声を上げ憤慨するかもしれない。
 女はそこまで考えて、多分どれも違うだろうと思った。きっと私は彼を信じたのだ、彼だから信じたのだ。その時彼の頼みを受諾した自分もそう思ったに違いない。それにこれで彼の願いは叶うし、何よりも確かに、あのゴルベーザも、彼の親友のセシルも、自分も彼を思っている。そして女は気付いたことがあった。

 あぁ、きっと彼は愛された。こんなにも愛されていた。私はきっと、彼が皆から愛されていて欲しかった、報われて欲しかったのだ。


 それに気付いた時、女は涙した。彼が愛されていることを知ると涙が止まらなかった。勝利を目前にする十三回目で、女は初めて涙した。


夜泣きする大人は


「人が涙する時はどんな時なんでしょうか」

 十三回目の戦いも十二回目の戦いも、寧ろその世界が形勢すらされてない時。元あるべき世界で唐突にその女はそう言った。あまりに唐突過ぎて男は返す言葉も出なければ意味を理解するのにも苦労しているようだった。確かに説明不足だったと女は言葉を続ける。

「街を歩いていると子供が泣いていたのを見て、そう言えば自分は暫く泣いていないことに気がついたんです」
「大の大人が街中で泣き散らすのもどうかと思うがな」
「それもそうですが、でも人はどうして大人になると泣かなくなるのでしょうか」

 そういうと男は暫く考え込んだ。女は私がこの様なくだらないことで悩むなど珍しいなと自分に対して思いながら男の返答をぼんやりと、しかし期待はしながら待った。そして暫くの後「そうだな」と男は口を開いた。

「きっと、大人になると多くを望まなくなるからだろう」
「どういうことですか?」
「望んでも報われないことがあることを知って心のどこかで諦めているからかもしれん。きっと、報われることを心からの望んだら、涙が出るんだろう。大人と子供の違いなど、それが人目につく所がつかない所かの差だ」
「そうなんですか、昔の貴方を思い出すと妙に説得力がありますね」
「お前のその皮肉な性格は治らんものか……」
「こんなこと貴方に対してしか言いませんし思いもしません。それと、もしその考えが正しいなら私は心からの望んでいることは何もないらしいです」
「あぁ、だがそれは良いなことだろう。今の俺もお前も幸せらしい」
「貴方はもっと何かを望むべきです。私は、貴方は幸せになるべきだと思います」
「お互いにな」


(2010401)


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