小説 | ナノ
白状します。私は臆病者であります。


ある人は私の事を優しい心の持ち主だと笑って、ある人は臆病者だと怒った。私にとって、それはどちらでも同じことだった。優しいと言ってもらえばありがたいけど、どちらかと言うと臆病者だと言ってもらえた方がしっくりきた。私を優しいと言ってくれた人は優しく、私を臆病者だと怒った人は優しくなかった。でも、正しかった。戦うことは怖かった。痛いのは嫌だった。だからそろそろ重くなった剣を放り投げてしまいたかった。それを臆病と言うのは知っていた。ある種では優しさであるとも知っていた。自分に限って優しいのだ。ただのわがままだった。そろそろ、何の取り柄もなくなりそうだった。この世界で戦う意思を投げだすことは、世界に相手をされなくなることだとわかっていた。どれもこれも嫌だった。戦うのは嫌だったけれど消えるのだって勘弁だった。だから不承不承、ずるずると引きずって歩いた剣をなげやりに掲げて、中途半端な意志で怪我をしそうになって、助けてもらってを繰り返す。その度にライトニングが「そのままでは死ぬぞ!」と何回も私に怒号し、私は視線を逸らす。その度にラグナが「まあまあ、そう言わさんな」と窘めて、私はラグナからも視線を逸らす。敵にもビクビクして、仲間にもビクビクしていた。これが臆病者。何回かやらかした時、ライトニングが「少しは反省しろ!」と私の胸倉をつかみ上げた。くっと喉を絞められて体が地面から浮いたような気がした。ライトニングの綺麗な顔が明らかに怒りに塗れているのを見て、もう見ていられなくなった。「ごめ、な、さ」と喉が不自由になったせいで所々途切れてしまった謝罪の言葉を言えば「聞き飽きた!」という怒号が私の身体を揺さぶった。近い筈なのに、なんとなく遠くに感じる所で、ラグナが何か言って、それはライトニングの言葉と同じくらい大きな声に違いなかったのに何と言ったかは本当に聞こえなかった、舌打ちの音と同時に私の身体が放されて膝からくずおれた。くずおれても尚、みんなの視線が私に突き刺さって、痛かった。視線は槍のようだった。余すところなく、何本も私に刺さった。自分の膝ばかり見つめて、槍の矛先は見たくなかった。「だって…もう…」それ以上は言えなかった。思考が僅かに口から零れたのを必死で抑えた。誹りを免れないのもわかっていた。ライトニングの言っていることはよくわかっていたけど、もうつくづく嫌になってしまったのだ。幾ら倒せど数の減らないそっくりさんは、体力も精神力も奪っていった。痛さに何も考えられなくなった。槍は刺さったままで、もしかしたら誰もいないんじゃないかと思ったが、顔を上げる気力すらなかった。瞼を閉じて、只管痛みに耐えるしかなかった。とても、長く感じられた。
固く瞑った瞼の裏で色が消えて闇にしたんだ頃、カチャカチャと金属が擦れ合う音が聞こえる。
「お前さ、」
人間の声に、瞼を開ける。私の草臥れた脚と、私のものでない銀の厳つい靴が見える。
「俺と来いよ。お前は何もしなくていい。俺がお前の分戦う」
な、と少し低い声と同時にカシャカシャと頭を撫でまわされる。金属音に紛れて良く聞こえなかったが、なんとなく懐かしい音もしていた。
「文句ないだろ、ライト」
「……好きにしろ」
ようやっと頭を上げるとライトニングはもう背中を見せて遠くに行ってしまっていた。
「ヴァン君、よくやった!おじちゃん褒めてやる!」
「うわっ、やめろってラグナ」
ラグナがヴァンの頭をわしゃわしゃと頭を洗うみたいにして撫で回すと、ヴァンの手が私の頭から離れる。いつも右に寄って分けていた髪の毛が前に垂れると、ヴァンは煩わしそうに前髪を掻きあげていつもの髪形に直す。
「名前もごめんなぁ。俺が何か言ってやれば良かったんだけど」
「なんで?」
「なんでって……うーん、俺がこの中じゃ一番歳食ってるからな。結局お株はヴァンに取られちゃったわけだけど。俺もまだまだだなぁ」
「株?」
「あーあー、名前の髪の毛がくしゃくしゃ。ヴァン、お前頭撫でるにもコツってもんがあるだろ」
「俺は?」
「お前はいいんだよ」
「わかった。色目っていうんだろ、こういうの」
「ヴァン君、君は少し黙っていたまえ」
ヴァンは人差指で自分の頬を掻いた。ラグナは私の髪を指で梳いて、最後にポンポンと音が鳴るような軽快さで私の頭を叩いた。鏡がないのでよくわからないが、おそらくちゃんと髪形が直っているのだろう。
「ライトもああ見えて、ああ見えてっていうか見たまんまなんだけど、意地っ張りだからさ、名前のこと苛めたいわけじゃないんだよ」
ラグナは父親のような目をしていた。自分の子どもが聞き分けの良い子だと信じて諭す父親の目だ。だけど私は、何を諭されているかもよくわからず、ただラグナにされるままになっていた。ラグナの株がなんなのかも、ヴァンと同じでわからない。ラグナのその目に私は答えられなくて、やっぱり俯いてしまった。


求めるもの

「戦うの嫌なんだろ。だったら無理して戦わなくていい。俺は別に嫌いじゃないから戦うけど」
私を子供扱いするヴァンは、やっぱり私と同い年くらいで、それでもその広い背中に甘んじている私は、やっぱり子どもだった。
あれからライトニングとは口もきかなくなってしまった。ライトニングは先頭を切って先に行ってしまうし、私はヴァンの背中にくっつくように後ろを歩いているだけだ。
ヴァンは、戦闘中に私を呼んだりはしなかった。剣は念のために持っているくらいで、もうお飾りとなってしまった。見ているだけは歯痒いのに、私が入ったら邪魔になってしまいそうで一歩も動けなかった。足が竦む。
そこは稜稜しい山なりになっていて、風が渦を巻いているようだった。山間を通り抜ける風は鋭く、身体の表面がすっかり冷えてしまう程で、びゅうびゅうとした冷たい風音に耳が痛いと騒いだ。ライトニングとティファはその長い髪をマントみたいに靡かせながらも風に我関せずと一番前を颯爽と歩く。
「女は勇ましいな」
「あのスカートは風に負けないからな。あー、くっそ」
「何の話ですか」
「べ、別に!ぜぜんっ何でもないぞぉ!」
何を訊ねるとラグナは急に慌てて大声を張り上げる。その様子がおかしくて笑うものの、耳がキンキンして無邪気に笑えない。
「お前は大丈夫か」
「耳が、」
「手で覆っていろ」
カインが言うように掌で耳を覆うと、耳の痛みは和らいだが誰の話声も聞こえなくなってしまった。轟々と、風が唸りを上げる音ばかりが聞こえた。カインを見上げても、何かをラグナと話している風であるがまったくわからない。呼気しながら視線を平行にする。ライトニングは、今どんな顔をしているんだろう。面映ゆい私はライトニングの細い背中を見るしか叶わない。
「   」
「っ、ごめん」
肩と顔にゴツリとした衝撃。
私は耳を覆っていたせいでヴァンが何と言ったのかはわからなかったが、ヴァンが急に立ち止ったせいで、私は彼の背中にぶつかってしまった。それでもヴァンは何事もなかったみたいに、ずっと立っているままで、私は彼の前に立って、寝ているかを確かめるように目の前で手を振って見せる。「あ、あ」と返事にもならない声になんだか怖くなってしまって一歩下がる。ドクンドクンと、心臓が戦闘の時みたいに打ち鳴らす。彼の名前を呼ぼうと、吸った息を喉に溜めた時だった。
「思い出した!飛空挺!」
彼は寝起きの伸びみたいに胸部を反らして腕を天に突き上げながら空気を吸った。そのまま腕を首の裏に回して手を絡めて頭を支える。
「ひくうてい」
「飛空挺、知ってるか?」
「……なんとなく」
「あ、そうか。まだ思い出せないよな。でも、お前の世界にもあると思うぞ。空飛べるんだ。凄いだろ。これがあったらイミテーションと戦わなくて済むし、行きたいところまでひとっ飛びなんだけどな」
ヴァンはとても優しそうな顔をした。どこかで見た事のある眼差しだった。欠落した記憶に潜む何かが彼の眼差しにあった。彼のブルーグレイの瞳は、確かに何かを見ていた。
「ヴァン、」
「ん?」
何見てるの、とは言えなかった。私を見る彼の目は、いつものどことなくいとけない目に戻っている。
「耳痛くない?」
「そりゃ痛いけど、風の音聞いてないと忘れそうだから」
それは、代償  ?
ヴァンはそんな様子など、私が聞かなければおくびにも出さなかっただろう。彼はまたあの優しい目付きになって眺めていた。景色か宙か風か、何か。
「そっか、ここにあったんだな」
まるで誰かに語りかけるようだった。その声も優しかった。
あんなに強かった風の音も蕭々としてきた。ヴァンを見遣ると、彼はもう腕を下にさげて歩くリズムに合わせてゆらゆら揺らしていた。
「あー、こっちに行きたい。いや、こっちには何かある。妖精さんが囁いてる、気がする。こっちに俺たちの求めているものがある――と」
「何を求めているって?」
「うぉ、聞こえてた!?」
「当たり前だ。そんなでかい声をされてはな」
「ラグナに道を任せると私達迷子になっちゃうもんね。カインもヴァンも名前も、早くついてこないと迷子になっちゃうわよ」
「でも、少し行ってみたい気もするよね。迷子は嫌だけど」
ティファが此方を向いて、手を後ろに組んで見せる。ユウナは顎に指を添えて微笑んでいる。ライトニングはやっぱり、むすっとしていて、少し怖い。

「ごめんなさい」と言ったと同時に向かい風になったのは誰かの嫌がらせだ。


守りたいものはいつだって、この手に収まりきらない。

ユウナは時々、少しだけ気持ちがどこかに行っている。抜けているのではなくて、他の事に気を分けているように感じる。そして、その後には必ず小さな溜息を漏らす。
「ユウナ、何かあったの?」
「ううん、行きましょう」
彼女はいつもはんなりと笑う。
その時私の頭は意地悪に出来ていた。たまたま奸智に長けていた。人の上げ足を取る子どもの屁理屈と同じことを思いついた。ただそれを悪いと思っていなかった。
「何も無かったの?」
瞠目。彼女の顔がぐるんと少し袈裟にこちらに回って、髪の毛が少し遅れて靡く。そしてパチパチと音が鳴りそうなくらい強く瞬きを繰り返した。ユウナみたいな人もそんなことをするんだ、と少し後ろに傾いた頭が思う。
「あっ驚かせちゃった。ごめんね」
驚かせたのは私なのに、彼女は謝る。その謝り方というのが不思議で謝られて心地よいのだ。不思議と、謝らなくていいよ!だとか、私が驚かせちゃったのに!と言うのが必要ないような言い方をする。私は「うん」と返して彼女の瞳の往く先を見つめた。少し斜め下から同じ角度で斜め上へと移行した。
「そう、言う通りなの。何も無かったの、って言っちゃうとこの場所に失礼なんだけど」
ユウナはあの時のヴァンみたいな顔をした。とても似ているのだけど、ユウナはとても悲しそうな顔をした。その緩やかな瞬きを、長い睫毛が合わさる様を見守らせる、見守らざるを得ない瞳をしていた。チクリと頭に上がってきた。図書館で膨大な数の本を前にしても尚、一冊だけ目に留まる本を手にとって眺めているみたいだ、と思った。何故か目を離せられないような、魅力的な瞳だ。目を細めて、自嘲みたいに彼女はふふっと笑った。
「私ね、探し物があるの。それを探してたんだけど、やっぱりなくて」
「何を探してるの?」
ユウナはかぶりを振った。彼女の髪の毛に空気が入ってふわりふわりと揺れた。
「自分で見つけたいの」
ユウナは自分の意志を伝えるのが上手だった。そんなに強い口調じゃないのに、有無すら許さないような堅さを持っていた。
「大切なんだね」
「うん、凄く。そして、あなたもそういうものを持っている」
「わかるの?」
「わかるよ」
「私は、わからない」
「今は少し、見失っているだけ。目を向ければすぐわかるよ。そういうものはね、眉毛と睫毛くらいすぐ近くにあるんだから」
私は右目を瞑って、眉毛と睫毛の間を指で計った。指と指の間は、本当に近かった。その指を保ったまま、首を傾げる。「そう、それくらい」ユウナの軽やかな笑い声が聞こえる。その指の間から見える景色はそれでも蕩然としてあった。
「ユウナ、私もユウナみたいな魔法が使えたらな」
「私の魔法が使えなくたって、あなたはあなただけの魔法を持っているわ」
私が言う魔法は、ユウナの喋り方のことだったのだけど、ユウナは何を思ったのだろうか。
遠くでヴァンが「おーい、ここら辺のイミテーション片したぞー!」と手を振る。「うんー!」とユウナが手を振り返す。
「私を見てもその答えは見つからないよ。ほら、手を振り返さなきゃ」
ユウナは意外と意地悪だ、と思いながらも促されるまま手を振る。


それは確かに強さだけれど、それに縋ってはならない。それは弱さだ。

ガキン、と耳を塞ぎたくなるような、剣と楯が激しく鬩ぎ合った音に怯えて瞼を堅く瞑る。反射的に屈んだ体を息を吸いながら元に戻す。目を開くと、うっすらと涙の膜が眼に覆いかぶさっているらしく物と物の境界線がぼやけて見えた。先の音とは別に、カタカタと音がして、音の出所を探すと、私の剣が鞘の中で震えていた。正確には、剣を持つ私の腕が震えていたからだった。
「戦いたいんでしょ」
静かな声だ。そして冴え渡っている。ティファは少し怒っているように見えた。本人はそれを隠そうと努力しているようだったが、なんとも言葉や視線の鋭さが怒っている時のそれだった。空気が薄くなったような苦しげな顔をして、すぐにティファが「ごめんなさい、こんな風に言うつもりなかったの」と私の顔を覗き込む。私は未だ、どう答えたらいいかわからなくて瞼を少し伏せて申し訳なさそうなふりをする。瞼がふるふると痙攣みたいに震えてしばしばと瞬きを繰り返した。
「私が名前の気持ちになるのはとても簡単なの。誤解しないでね、懐かしいのよ。その記憶が戻った訳じゃないの、なんだろう、感覚がするの。うじうじするくらいなら、さっさとすっきりすればいいのにって」
「私……」
沈黙は肯定である。ティファの言うことは尤もだった。それも自分でわかっている。わかっている、わかっている、わかっている。でもなにもしていない。それを許されてしまった私は、理由そのものを失ってしまった。何回目?何回目でも。自問自答ばかり得意になっていく。
「あなた、誰かさんを見習うべきね」
視線が私から外されたのを感じて、ティファを見る。彼女の瞳は真っ直ぐ、強く、鋭ささえ感じさせるようだった。
「ティファは強いね」
「私が強いって決めつけてるの、名前だけよ」
ティファは、少し呆れたように息を吐いてから、小さく笑った。カタカタと音は鳴り続け、世界は未だぼんやりとしている。


夜を知った子ども。
夜の子どもは、眠りと死。蒼然の月が浮かび、荒蕪の大地に一つの線が描かれている。多くの人が踏んで均した道だ。それが延々と続いている。月は低く、日が暮れてからそれ程時間が経っていなかったらしい。紺色が段々と色濃くなっていく瞬間に私はいた。星がチラチラと瞬き始め、生き物が息を潜め、風が囁く。子供はもう寝る時間だよ。これ以上進むものなら攫ってしまおうか。お前のその瞳から星という星の光を消し去って暗くてだだっ広い世界にお前を置いてきてしまおうか。怖いだろう。ほら、怖いだろう。
「暗いな。今日はもう休むか」
「いいえ、もう少しだけ」
視線が斜交いになっているのがわかる。私は声の持ち主を見遣ることもなく、月に心を奪われたみたいに目を離さずに歩を進める。

風が体温を攫っていく懐かしい感覚に瞼を開く。懐かしい、と思ったのはこれが私のかつての記憶だからだ。私の小さな一欠片。私は私に問う。これは、大切なの?私は何故「もう少し」と言えたのだろう。何故あの時声の主を何故見遣らなかった。瞼はスクリーンのように、けれども主観的な記憶を映す。

「どうした?休むか?」
前を歩いていたヴァンが腰から上を少し捻ってこちらを向く。手は頭の上で組んでいるままだった。
「いいえ、もう少しだけ」
「じゃあ、もう少しな」
ヴァンは時々、こうやって後ろを振り返ってくれる。たまに、彼だけうんと前に行った後に走って戻ってくることもある。ヴァンは「いなくてびっくりしたぞ」と言った尖らせた唇で音階の繋がらない口笛を吹いた。本当は歌でも鳴らしたかったのだけど、よく思い出せないような、そして、思い出そうと必死になって手探りで鳴らしたようなたどたどしい口笛だったのを思い出す。でも不思議と不愉快ではなかった。そうやってぼんやりと懐古していると「もう休もうぜ。俺が休みたい」とヴァンが適当な所に腰掛ける。それにならって、私もヴァンの隣に座る。
「疲れさせちゃった?」
「別に、お前のせいじゃないよ。何しなくても腹が減るみたいなもんだろ」
「それは、ちょっと違うと思う」
「そうか?」
ヴァンは一瞬考える素振りをしたが、すぐに虚空とはまた別の薄墨の空を見た。重そうで、今にも圧し掛かってきそうな空だ。
「お前さ、俺と一緒にいても綿みたいだよな」
綿?と訊くと、「うん、綿。こんな感じ」と返ってきた。彼は首の座らない赤ん坊みたいに首に力が入っておらず顔が空を向いている。ここ何日も彼と一緒に行動して、わかったことは彼が正直者だということだ。正直者で、無謀だ。
「お前が綿みたいになってんの、見てらんなかったよ」
「そんなにひどかったの?」
「ライトじゃないけど、このままじゃ死ぬなって思った。こうやって守ってもお前はずっとそんな顔してるんだ。なあ、俺、何したらいい?」
コキンと小さな音が鳴って、ヴァンは気だるそうに首を座らせ、流し目で私を見る。睥睨のように強い眼差しだ。私はというと、混乱していた。ヴァンは良くやってくれている。お陰さまで私は剣を振るわずにここまで来られた。そろそろ愛想を尽かれてもおかしくないと思っていたのに、何故彼がこれ以上を望むのか。わからない。私の口は、時々思った事を言いそうになる。冷たい空気が肺を無意識に満たして、痛みを以て私は唇を結ぶ。
「もう嫌なんだよ。お前のそういう顔見てると自分で自分が許せないんだ。よくわかんないんだけどさ、頭がカーッとなって、それから胸が苦しくってたまらなくなる。あと、頭も痛くなる」
ヴァンは、すらすらとその症状を言った。患者と言うより、医者がその病気の症状を述べるようだった。訴えではなく、事象をそのまま伝える口ぶりだった。
「ごめん」
「そう思うなら何とかしてくれよ。俺何すればいいの?」
「ヴァンのせいじゃないの、ヴァンが悪いんじゃ」
「俺のせいじゃなくってもさ、俺が何かやって守れるならいいんだよ」
そう言ってヴァンは掌を力強く握り締め、開く。ゴツゴツと、皮膚や肉が見るからに硬そうな掌をしていた。その剛悍な体に剛毅な精神に似つかわしい掌である。痛々しいと思った。蛸の出来た彼の掌が、自分の小さく軟らかな掌が、痛い。こんな掌では、やはり彼の頸木として納まるしかないのか。頼られ過ぎた掌と頼り過ぎた掌がひどく惨めだった。揃えた膝に額を付けて目を閉じると、あの情景が浮かんで、すぐに見たくないものから顔を背けるように顔をあげる。
「ヴァン、私ね、怖いの。何もかもが怖いみたいにとっても怖いの。ティファが戦いたいんだって言った。そうなの、戦いたいの。でもそれは申し訳なさからくるものかもしれない。ねえ、それすら怖いのよ。ひたすら怖い。今また戦って、またぐずぐずになっちゃうのも怖いの。あなたの邪魔になるのだって、風の音も瞼を閉じたら見える一瞬の暗闇だって」
「何でもいいけどさ、戦いたいんだったら戦えばいいし、疲れたならまた休めばいい話だろ。怖いなら俺が守る」
「……うん、そうだね」
「寒いなら着るもの貸すし」
「……うん」
「貸すか?」
「寒くはないの、大丈夫」
例えではなく、彼には寒そうに見えたらしい。それも仕様のないことだ。私の今の格好は、腕で体を抑え込み、どれだけ自分を縮められるか試しているみたいだった。ふふ、と小さく笑い声を立てる。声に出して笑ったのは久しぶりに感じた。と同時に何かが崩れる。私は揃えた膝をより体に近づけて心臓を無理やり抑えつけた。優しく、幸せな夢を見た後の現実みたいな気持ちがそこにあった。
「私も、飛空挺見たい」
ひんやりとした膝が熱くなった瞼を覚ますのにぴったりだった。
「もう一回、戦ってもいいかなぁ」
それは彼に聞こえなかったかもしれない。それくらい声は小さくて、そして私の縮こまって閉塞な空間に籠った。膝を冷たい指先が細くなぞる様な寒気を覚えて、そこでやっと私は了解なしに涙が出てきたことを悟った。音もなかった。その一瞬だけとにかく静かだった。風の音も自分の鼓動も気道を通り抜ける空気の音すら聞こえなかった。
「さあ、行くぞ。あんまり遅いとライトにまた怒られる」
彼の掌が私の腕を掴んだその感覚に、私の心臓は動き始める。


騎士よ、お前が命を落としてよいのは主を守る時だけよ

「あいつは、騎士としての役目を果たしたか」
ヴァンと歩いていると、カインとラグナに会う。私に気付いたカインはわざと歩く速度を遅くして私の隣に並んだ。そして小さく、「俺がどうこう言える立場ではないがな」と付け加えて言う。
「カインは、騎士だったのね」
「かつてはな。だが、失格者だ」
失格者だ、という言葉にただならぬ重みを感じた。カインのきっちり閉まった唇に、もうこれ以上自分を明かそうといない意志を見出せる。カインは、自分の事をあまり話そうとしない人だった。それは戒めのように、強く頑なに。以前の私だったらそれにただならぬ痛みを感じて目を逸らしたに違いないな、と自嘲する。爪先を立てて回りかけて踵で止まり、カインの方を見る。
「またなればいいわ」
「随分簡単に言ってくれるな」
「言うのは簡単なの、わかってるから」
だが同時に信頼の証でもある。カインは鼻で笑ったような声を漏らして「覚えていたらな」と空の方に顔を向ける。
「騎士になるのは意外と簡単だぞぉ。なんたってこのおじちゃんも騎士だったんだからなぁ」
ラグナは手を顎に添えて、得意気な顔をして語る。
「そうだったのか、そうは見えないな」
「ああ、映画で騎士の役をな」
「役者さんだったんですか?そうは見えないですね」
「君達、俺を何だと――まあ、いいや。なりゆきってやつ。別に才能があったり夢があったりしてなったわけじゃない。でも、想像してたより楽しかったな」
「いいな、私もそういう人になりたい」
「なるのは構わんが、方向音痴だけは真似してくれるなよ」
「カイン君?それは俺のみりきの一つだと考えてみたらいかがかな?」
ラグナ曰く、大人の余裕という笑顔で答える。確かに大人の余裕だ、と私は今更ながら感心するのだ。その顔を見ていると、何故だかこっちが溜息をつきたくなる。子供の戯言につきあってられない、大人の好む都合のよい捉え方によく似ていて、それなのに憎めない。
カインが騎士として誰かを守る姿も、ラグナが騎士の映画も見てみたいな。また見たいものが一つ増える。


白状者

いたぞ、とヴァンが声を潜める。まるで狩人が獲物を見つけた時のような声だ。標的の背中を確認する。鞘に収まった剣を緊と胸元に抱えて深呼吸をひとつ。今度は、震えていない。
ライトニング、と声をかけると彼女は後ろを振り向き、彼女の炯眼は私の頭から爪先まで値踏みするようにして見る。その瞳と上背から出る威圧感に生唾が出るが、瞼を下ろすと現れる暗闇を見るとそれは引けていった。ゆっくり瞼を上げ、ライトニングを見据える。
「ごめんなさい」
「聞き飽きたと言ったはずだが」
静かで、冷たい物言いだ。まるであの時と正反対ではあるが、場の雰囲気があの時と同じで、彼女の矛先が私の眼球に触れようとしている。腰に携えた剣の柄を握り締め、身震いをしそうになるのを止める。
「もう一度、戦おうと思います」
「また疲れたと言うんじゃないだろうな」
「その時は、また叱って下さい」
彼女は、自ら張りつめた雰囲気を溜息で破った。そして緩く腕を組むと「叱るのも、疲れるんだがな」と言い相好を崩した。
「それと、ライトでいい。今更そう呼ぶのはお前くらいなものだ」
「ライト……さん」
言ってみたはいいが、その呼び方に違和感を覚え、さんを付けてみる。すると彼女は微笑みながら眉を少し顰めて、困った様に言った。
「……その呼び方はやめろ。ライトで構わない」
「ライト」
「それでいい」
「ライト」
確かめるように、私はその名を繰り返した。星が爆ぜて光が瞬く時の名だ。そしてそれはとても美しい。



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