空契 | ナノ
45.Dawn (5/6)

   
   

例え、自分が騙されていようとも、それに気付いても騙されたままでいなければならないのだろうか。
騙されたまま、アースを止めなければ──────止める? 止めるなんて、生温いとレオは拳を握った。
アースが、エンならば、自分の親友のエンならば、一度決めた道を立ち止まる、何て事はしない。
止めるには────────────覚悟が──────、



それを分かっているのに、成さなければ、ならないのか。



なんて、理不尽なのか。
そのパルキアにも以前突き付けられた現実。それをも………理解していた。
その現実を、過去を、思い出したから。

「権利、………義理、………資格、か」

確かに、そんなものない。
何故と聞かれて答えれない事から眼を逸らすのと同じ様に、彼女は視線を上へと向けた。薄い霞んだ、寒いような空を見詰める。



そうだ。
レオは、過去を、
完全には思い出せていない。

意図的に忘れていて、または、時の流れで思い出せていない、風化した記憶があることを事を、彼女は理解しているのか。


彼女は、まだ眼を背けている。




「……そこまで、
あんたが歪んだのは………俺らの責だ」


ずっと黙って話の行き先を見守っていたパルキアが、ふと溢した。
逃げてるだけのお前如きが何も選べないと気付け。知らないなどと言える義理かと。そう怒鳴り付けたのは前の話で、パルキアは力なく項垂れる。今は力ない。
覆う髪の隙間から伺える顔は苦痛に歪んでいる。唇は震え、血の気のない。
赤い目が、見上げた。レオと同じ様に、空を見上げる。夢の中のあの空は、レオの右眼そのものでどこか虚しい。空しい。空っぽ、のようだ。

「俺らは…」

あの空(から)に、レオは似ている。
から。
空。
失って、拒絶して、逃げ、空(から)。
空(うつろ)。

そこまで、追い込むきっかけを与えてしまったのは、自分達。
パルキアは、

「…あんたを守れなかった」

───懺悔のような言の葉に、ゆるりとレオが視線をこちらへと戻した。空の右眼が射抜く。そこに力はない。その視線の前で、パルキアまでもが、だ。
彼までも、ディアルガと並ぶように。
膝を、ついた。

ふわり、風に……金剛の煌めきと真珠の煌めきの髪が、揺れた。

「………なに、して、」

何十センチも背の高い筈の彼等の頭を、見下ろしていた、という光景に困惑した。
彼等は、神である。誇り高き、神である。
否、神でもなくても普段、このような体制を目の前にすることはまず無い。
ディアルガが同じ視線の高さになったパルキアを一瞥するも、それだけで何も変化はない。跪く。忠誠を誓う騎士のように、僕のように、

「レオ様」

しっかりとした口調でディアルガは、再び言葉を紡いだ。

「レオ様。
───我等は貴女様を、騙していました。
それは、自身が犯したミスを、いや、罪を、自分の口から話したくなかったからです」


流れ行くそれは開き直りのようだった。

「恐ろしかったのです」

懺悔でもある。

「今も、恐ろしくてたまんねんだよ」

そこには嘘偽りない、

「───あんた、いや………、
レオ“様”が言うように、くだらねぇミスした俺らの尻拭いをしろって言ってるんだからな」


惨めで情けのない、到底神らしくはない、弱音。
そう、情けのない。ぼそりと呟いて眼を強く閉じた。

「………どういう、ことか、わからない」
「一生、知らずに逃げていてほしかった」
「…」
「これが、我等の本音です」

勝手だろう? ふっと微笑んだディアルガに、よくわからないとまた首を振った。
自嘲的なその顔の意味が分からない。同情の意味も分からない。懺悔の意味も分からない。
さっきは、逃げているレオを責める声だったと言うのに、
ディアルガはそれを「八つ当たり、ですよ」と答える。パルキアは「俗に逆ギレとも言う」と頷く。更に不可解な顔をするレオをふたりが見上げる。

八つ当たり、だ。
自分達が犯した、ミスを指摘されて逆上しただけ。

「どうか、我等の無礼を許してください」
「申し訳、ない」

自分勝手だ。
それでも、願うのだから。この世界を、救ってくれと。


道は、それしかないというのに。


「………」

白い息を、吐く。
レオは少し力を抜くと、しばらく無言のまま視線をさ迷わせた。
シュウは空気に溶け込むように、まるで眠っているかのように腕を組んで眼を閉じフェンスに背を預けている。レオの視線には、アクア色の眼を僅かに開いたのみで直ぐに閉ざされた。気まずさがあるらしいのだが、それを知らないレオは困ったように肩を竦めた。

「………今すぐは、帰せない、か」
「悪ぃな。………それは、無理だ」

そうしている時間も余裕もない。
今にもアース率いるギンガ団に攻め込まれそうな中で、ディアルガとパルキアは藁にもすがる思いだ。
息を、もう一度吐いて、レオはゆっくりと、視線の高さを合わせるために、ふたりと同じ様に膝をついた。両膝をひやりとした床につけて、ふたりを見詰める。
まだふたりは顔を上げない。ブルーとピンクの髪を見詰めながらの沈黙を感じながら、唇を震わす。

「………………正直、………俺も、図星」

…逃げてきたばかりで、騙されたとか、そんなの殆ど関係ないくせに、臆病に気にして、
このふたりの事を自分勝手だとは罵れない。自分もだから。
レオには、覚悟がない。
弱き、人間。
騙されたから、どうするというのだ。

「………どうすれば、いいかな」

まだ、わからないでいる。

「………………アースが、誰だとしても、
だから、といって、………どうすればいいのか、……わからない」

なにが、したいのか。

アースが、
これから戦うべき敵が、もしも───、恐れている正体だとして、
だから、なにが、したいのか。

それを知って、どうするのか。


その一歩が、まだ、進めない。
進まなければ、それは、分かっている、………………………本当?
分かっている、はず。…帰るという目的が、存在するのならば。

「他にもたくさん、知りたいこと………いや、知らなくちゃいけないことがあるんだと、思う」

自分が逃げていたから、見落としたこと、
未だ、忘れたままのこと、
ただ単に知らないこと、
それを知る必要はあるのだろうけど──────それを、ディアルガとパルキアは何処か歯切りが悪い。
そしてそんな事実を知るのが……少し、怖い。


知るのが怖い少女。
少女が知る事が怖い神々。

それでも前に進まねばならない少女。
少女に進めと願うしかない神々。


どうしようもないなと、少女が息だけで呟いた。

「ごめんな」

と。
いつもの口八丁は、機能しない。ただ、謝るしか今は見付からなくて、はっとして顔をやっと上げたふたりに罰が悪い顔でレオはもう一度消えそうな声で言う。

「ごめん。
……あんたらが、そんなに、思い詰めてたとか、全く考えて、なかった」

なんせ、分からない事だらけだ。
…分かろうともしないで、逃げていたのだ。

「…もう少し、歩み寄るとか、………できてたら、よかったのに、な」
「レオ、さま」
「ごめんな。…ばかで」

もっと、もっと、優しい人間ならば以前夢で出会った時点で、話を聞けていただろう。
理解しようとしていただろう。
いいえ、いいえと、ディアルガが首を振る。

「われらが、もう少し、なにか、もっと………っ」
「大丈夫だよ」
「だいじょ、ぶ、って、なぁ………っ」

「……大丈夫」

だから、頼むよ。
泣くなと、濡れていた神々の頬を、ゆっくりと撫で、た。
夢の中だからか、感触は乏しいものの、酷く冷えていたように感じる。
ぽたり、ぽたりと落ちていく滴が指先を濡らすも、それをも感覚は薄い。だからだと構わず撫でて、レオはもう一度、

「………大丈夫」

言って、笑ってみる、のだ。
誰かの真似をして、全く大丈夫ではないくせして。
言い聞かせるその言葉は、誰に向かってか。

痛ましい、と、思った。

「レオ、悪ぃ…っ」

震えた声。手。少女の小さな手に重ねるよう、パルキアの大きな手が触れる。弱々しくも握りしめた。
悪い。下手な敬語は使わない声で、呟いてレオに凭れ掛かった彼の髪を撫でる。

気丈に振る舞っている訳ではないのだろうが、彼女の笑顔は醜く歪んでいるとディアルガには見えた。
下手な、笑み。下手な、虚勢。
でも、こうしなければと彼女は生きてきたのだ。
────ここまでになるまで、自分は、どうする事も出来なかった。
それが、嫌と言うほど実感できて、ディアルガはレオの後頭部に手を回して抱き寄せた。

「………すまない、レオ、さま」
「……」

下手くそな、敬語。下手くそな、手。
レオはおもむろに抱き締める。ふたつのぬくもりを、神といわれる存在を。
大丈夫だと囁きながら、苦痛に顔を歪めながら、歪められながら、撫でて、撫でて、抱き締めて、


知るのが怖い少女。
少女が知る事が怖い神々。


それでも前に進まねばならない少女。
少女に進めと願うしかない神々。


何も出来なかった少女。
少女を守れたのに守れなかった神々。


なんとも、哀れで、
しかし────、
シュウは眼を、開けてそのさんにんを見詰めた。小さくなってるその姿は神にはどうにも見えぬ背を、見詰める。
彼等は、とある過去を悔やんでる。その過去をレオが知ることを恐れている。
罪悪感から。そして、レオが壊れてしまうから。
勝手に、同情まで傾けた。


臆病で、卑怯で、汚ならしい────彼等。
それが神と呼ばれる男たちの、真の姿。

………シュウはそれを批難する事はできなかった。


「(俺も………、………臆病で、卑怯だ)」

そして、汚ならしいと、自覚があった。



この藍髪が本来の黒だった頃から、青年とこの神々はレオを知っていた。
その頃から、ずっと自分達は観ているだけだ。


このままでは運命が歪むと知っていながら、
全てを諦めて、ただ、傍観していた。
そして、もう───手遅れになって───、

───だから、いや、それでも、
そうやって願う彼等が続く言葉は容易に想像つく。


シュウは、────元は名など持っていなかったこの青年は、懺悔をしたあの時、レオに「お前の傍にいたい」と願った。
仲間となれば守れる。救えると。
名を、呼べと。願った、この道が………青年、シュウが選んだ道。その道を与えてくれた彼女を、見た。
シュウの視線に、レオが気付いてゆるゆると視線を向けた。



仲間となれば守れる。救えると。
名を、呼べと。願った、この道が………青年、シュウが選んだ道。その道を与えてくれた彼女を、見た。
視線に数秒経ってから漸く気付いた、レオがゆるゆると視線を向けてくる。その空(から)色の右眼には「これから自分がなにを成すべきか」という疑問が浮かんでいて思わず笑うも、この赤いマフラーの下に隠れてしまい向こうには伝わらない。

「レオ」
息だけで囁いた声も届かなくて、少しシュウは思案するように宙を眺める。
声は、あえて出さず。呼び掛けようと。結果的にの、彼の行動は────、



───レオ───



「……、」

眼を丸めてレオは、脳よりもどこか深いところで響いた声に、ぼんやりと瞬きをした。
今の声が誰なのかは直ぐに分かる。自身が抱き締め抱き付いて、崩れ落ちるように膝をついているこの神達の向こうで、静かに立つ彼。シュウと名付けた彼だ。
フェンスを背にした彼は、左眼を細めている。きっと、微笑んでいるのだろうと思った。口はマフラーに隠れ、空洞の右眼も髪で隠されいるから、分かりにくいけれど。きっと、優しく微笑んでいるのだと。
……何故、シュウが自分を呼んだのか。想いを汲み取る事は至って簡単で、レオは瞬きして応える。
シュウ。
その名で、彼は縛られることを望んだ。
それで、救われた、らしい。
救ったつもりは、ないけれど、


「………ごめんな、さい」


ぽつりと、謝罪を溢した少女をディアルガとパルキアは濡れて歪んだ赤眼で見上げる。
───自身達を宥めるように抱きしめる少女は、眉を下げて困惑している。少女は、“自分のせい”を、嫌うと、この場にいる全員が知っていた。

自分のせいで、誰かが傷付くのは許せない。
“自分”というもの自体がそもそもなくなれば、起きなかった出来事がある。それが許せない。
そんな少女に、どうして罪悪感を覚えてるのか。少女はそれを分からない。


   
   

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