空契 | ナノ
45.Dawn (3/6)

          
   

かつかつかつ、と闇の中をかける音が響く。
は、は、と息が荒く乱れるのは聞いていられるほど、彼女は冷静ではない。耳に響くのはただの雑音。ノイズと、嘲笑混じりの悲鳴にも似た声。


───っにしてんだ、レオ……っ!!


(やめて、)


───いやだ。
───やだ。

───逃げたくなんか、ない。


(やだ、やだ、や、逃げなきゃ、)


───本当……お前は馬鹿だな。
───レオ。


(やだ、や、だ、ごめんなさ、い、ごめ、なさ、)


───そして、
───俺も馬鹿なんだろう。


「っ───……」


───大丈夫。


───やだ、
───エン。


声が、うるさい。
これは、ぜんぶ、ぜんぶ、かこの、声で、聲、乞え、請え、
越え、

「エン……っ」

闇を逃げる逃げる駆ける漂うそして駆け上がる階段音を廊下に虚無に響かせながら笑い声と悲鳴と共に響かせながら、逃げる。
逃げる。
階段から、
僅かに光差し込む、

屋上へと。



───バンッ、と扉を蹴破るように開け放った。途端にぶわりと風が吹き付ける。荒々しい息が外気に触れて白ずむ。

ひやりと無機質の冷たさがあるコンクリートの床を、俺は裸足の足で踏み込む。自分はいつだかと同じワンピースを着ているらしくて、むき出しの肩や腕、脚を空気がざわりと撫でた。しかし冷たい筈のその感覚はなかった。
落下防止の錆びれたフェンスが添え立つ。その向こうには校庭や町並みが一望できた筈だった。───そう、ここは学校の、屋上。俺の、通っていた、中学。

だが、フェンスの向こうは、ただ、ただ、空が広がる。

白のような、青。

青のような、白。

薄い色。

乾いた、秋や冬の、空。

眼帯のしていない右眼の色と、似ている色だ。



その空とフェンスの前に、みっつの人影が並んでいた。

「っ……、あぁ」

見覚えあるばかりの面々を見て、少女が下唇を噛んで呟いた。

「…………道理で」

苦々しく呟いた言葉は、ぶわりと吹き荒れた風に消された。藍色の髪が靡く。白いワンピースが白い脚を晒しては、はためく。
冷たいだろう風の中で、少女はしっかりとした足取りで、5m程の距離を残してそれに近付いた。
その面々の顔を見て、レオは道理でと呟く。

───道理である。

───道理で、こんな“夢”を見てしまうのだ。

そう、夢。
寒さも痛みもなにも感じない、夢。
ただ、少女の脆く、継ぎ接ぎだらけの心を切り裂くばかりの、夢。

───レオの前に立つ、みっつの者達が、悪夢を見せる。


ひとりは、レオが名付けた名を持つ青年だ。───シュウ。感覚はないものの、冷たい風に吹かれウェーブがかった銀髪と闇色のコート、赤いマフラーがはためく。アクアの左眼だけは揺らがない。すぅ、と……静かに見据えてくる。
シュウは、少女の姿を認めると浅く息をついた。口は相変わらずマフラーに埋められ表情は乏しい。彼はそっと錆びれて今にも壊れそうなフェンスに、躊躇することなく寄り掛かっていた。

危なっかしいようなそのシュウの前に、思わぬ人物が立っていて、その姿にレオは「道理で」と考えた。
片や、金剛のような煌めきを放つ、横の高い位置に一つへと纏めたブルーの髪で、赤い目のひとつにモノクルをした男。
片や、真珠のような艶めきを見せる、腰までの長さがあるピンクの髪で、赤目の男。
いつか見た通り、双子のように似ている顔は相も変わらず人間離れした美しく、この“学校の屋上”という場には、夢でも不似合いだった。
それもその筈、このふたりは───神である。

「…………ディアルガ、パルキア」

未だに信じがたいその名前を呼ぶと、ブルーの髪の男、ディアルガと、ピンクの髪の男、パルキアはぴくりと肩を震わす。頷いて呟いたのは、ディアルガだ。

「……久しぶりですね」

以前出会った通り、彼は拙い敬語を使っている。少女の手持ちであるイーブイとは大違いである。以前出会った時は、雰囲気も態度も上部だけで強かさも隠しきれず、ふてぶてしかったのを覚えてる。
しかし、今はどうか。
パルキアもこの前、確か………一週間近く前か。彼等が夢に出てきて、唐突にレオの身体についてや能力について話し───更には、世界を救えと、言ってレオを混乱させたあの時は、苛立った顔で睨み付けていた。
それに、もっと神々しくひしひしと感じる覇気があったというのに、それが今はない。

「……すみません…………疲れているだろうに…………、
聞きたいことがあって、奴に、協力を頼んで貴女様を呼んだのです」

「…まさか、アンタがこいつ側につくとはなぁ…」

「…………」

赤目は伏せられたままながら、ディアルガ、そしてやっと口を開いたパルキア。
こいつ側、というパルキアの発言に内心首を傾げながらも、視線を滑らす。時空を司る神々と吟われる彼らの後ろに。
奴、というのは彼の後ろで腕を組んでいる、シュウ、だろう。───こいつ側の“側”って、なんのことだろう。ちらりとシュウを見ればこくりと頷かれる。しかしシュウは一言も喋らず、無言でディアルガとパルキアに向かって顎をしゃくる。なんだかよく分からないものの言われた通りに黙って、ふたりの神々を見た。聞きたいこと? それは、レオにもあった。

「…………レオサマ、」

つ、とディアルガの鋭い赤目がレオを見た。
その目は弱々しく、神というには疑問が残ってしまうとレオは思った。以前までの、上から見下ろすような視線もなく、食えない笑みもない。
まるでなにも掴めない。唐突に現実世界で意識を失ったと思われたら、悪夢をさ迷い、ここに辿り着いたと思ったら、何故こんな顔をされなければならないのか。
───訳のわからないまま、ディアルガはぽつりと言う。


「───アースに、会ったんですね」

「…………!」

───どくり、と心臓が跳ねて、目蓋が大きく開かれる。
音を立ててさっと血が足元へと下がっていくように感
じた。肌で感じる寒さとは違う悪寒が胸の中で渦巻く。ざわりと全身の毛が逆立つ。かっと目の前が赤くなるような感覚。躊躇しつつもディアルガが溢したその名は、レオを揺さぶるには充分だった。

「っ……!! …っ……」

ディアルガとパラキアはレオが纏う空気がざわりと豹変したのを肌で感じた。刺すようなぴりぴりとした風が膨らんだ。
少女は奥歯を噛み締めながら、じっとふたりの男達を見据える。誰かを恨み殺しそうな右眼の鋭さがある。
その気迫に推されたわけではない。彼等は神である。たかが小娘ひとりの、殺気のような怒気のようなそれに怯みはしない。
ただ、

「………っ………、………!」

唇を歯が噛み千切るような音が聞こえそうなほど。掌に爪が突き刺さり肌を突き破りそうなほど。筋肉が軋むほど。
震えた身体はいつにも増して小さく見える。
顔を、伏せる。藍色の、この神々が創り出した深い色の藍の髪が力なくさらりと落ちた。
項垂れた、姿が、あまりにも弱々しくて、

「───レオ」
「…俺を呼んだのは、アースを、どうにかするため……」

パルキアの心配げな声を遮ったのは、その弱々しく縮こまった少女自身だった。
片手で自身を抱え込むように片腕を握って、彼女は顔を伏せたまま、ぽつり、と。

「……アースという、イレギュラーな存在が、この世界に現れて、
だから、運命が、歪んでしまった」

ぽつり、ぽつり、
その末の厄が、レオはアースだと思った。
歪んだ運命。故に歪んだ世界。

「イレギュラーに対抗するには、イレギュラー……だから、俺を、呼んだ」

レオが良く知るあのゲームの主人公やライバルとなるふたりの子供が、居ないのだから。
───アースに、殺されたと言うのだから。
対抗できるのは、イレギュラーな存在だけ。
だから、自分はこの世界に呼ばれたのだと思っていた。

「───けど、
本当に、それだけ…?」
「………」

明確な、確証が有るわけでもないが、何かが引っ掛かっていたのだ。
その蟠りは、アースの顔を見た、あの直後から生まれた。生まれた、のだが、それに気付くまでは時間を費やした。眼が覚め、ぼんやりとした頭でシュウと会話をし、アイクと言い争いになり、飛び出し───それから、暫く空白の頭で過ごして、やっと自分について振り返ったのは、紅、もといイルに連れられ、デートをした時だ。

アースの顔に、良く似ていたエンを、思い出していた。

アースは、エンに良く似ていた。
似ているなんてものではない。───本人そのものだと、その親友であるレオは思ったのだ。
───顔、目付き、声、性格、主義、体術、全て、
そして、エンしか持たぬ筈の───緑の笛のペンダント。


「あれは、誰だ………?」


単純な疑問。
そして、偶然か。

「俺が呼ばれ、
この世界に、運命に、引きずり込まれ、
アースと、出逢ったのは」

歪んだ運命が生んだ結果というのか。

それとも、
顔を上げたレオの顔は、静かなように見えた。先程のような荒々しい、あの空気は幾分かはましになっていた。それよりも、つんと冷たい空気がそこにある。
ディアルガとパルキア、そして、シュウをと、静かで澄んだ眼で見た。

「───なにか、俺に隠してないか」

視線は、逸らされる。
皆が皆、眼を伏せる。
そのさんにんの姿を見て、レオは無言で息を吐いた。やはり、白く濁る。



───今思えば、おかしな事が多々あった。



ディアルガも、パルキアも、アースの事を知っていた。
当然だ。
「全てはとある男が、この世界に生み落とされたことで、始まった」と口にしたのはディアルガで、それがアースだと名前を挙げたのはパルキア。───その時、この男たちはどんな顔をしていたか?

アースというのは、ギンガ団ボスの側近になってる、とかいう男のことだろう、とレオが指摘した時、彼等はどんな顔をしていたか?


───……そうですか。
───………そこまでは、知っていましたか。


歯切れの悪く言った彼は、どんな顔をしていたか?

そこにはただ単純に“世界を陥れる悪役”を語るには、とても不似合いな感情があった。
何かが気掛かりのように、恐れるように───同情───するように、彼女を一瞥しては眉を引き寄せて、いたのだ。

「……アースと、エン、
それに関係してるのか」

同情だ。

「神だから?
俺に、なにがあったのか、知ってるんだろ」

今もだ。

「俺が、エンと、なにがあったのか」

哀れむような、

「二年前」

後悔するような、

「それを知って、エンを知って、
それでも、黙ってたのか」

複雑な顔で、パルキアも同様に唇を噛んでいた。


「………俺を、騙してたのか」
「違……っ」

だったら、何故、そんな顔をするのだ。
ぐっと言葉を詰まらせ、下を向く。こちらを見ない。
否定の言葉も中途半端。
何だと言うのか。

「じゃあ、なんだっていうんだよ…。
なんで、アースは、あの顔、なんだよ」

なんで、懐かしい想いを抱くんだ。
なんで、過去を思い出してしまうんだ。
なんで、悲しくなるんだ。
なんで、あの約束のペンダントを持っているんだ。

なんで、


なんで、


「なんで、俺なんだ」


騙したんだろう。レオは、もう一度そう責め立てた。───否、責めるような声ではない。自虐的な、笑みをも含んだ声。

二年前、
レオはその年数に、縛られる何かを持つ。それはエンという親友に繋がるのだ
そして、それはずっと忘れていた繋がり。
忘れようとしていだ。
レオは、思い出したくなかった。

二年前、
その過去。
記憶。
エン。



立ち竦むのは、容易だ。
逃げ続けるのは、簡単だ。

少女がどんなにその現実を、直視してなくても、時は流れる。
空間は移り変わる。
置いていかれるのは、少女のみ。
───それでいい? 変わる理由が、少女にはなかった。
今も、その理由は見えてこない。


───見えてこなくても、いい。


そう思って───生きてきて、
二年、


変わるきっかけはなかったのだ。どこにも。


だからこのままでずっと、ずっと、生きて、死ぬんだと思ってた。
だから過去を振り返らないように前だけを見据え───生きてきたというのに。




この世界にやってきて、
アースと対峙して、契機、
彼女は思い出す。


無理矢理、記憶を引っ張り出されたのだ。




アースとエン。
瓜二つなその存在によって、




騙したんだろう。

忌々しげに、もう一度、彼女は呟いた。


   
  

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