40.predestined encounter (4/5)
そして俺は唐突に理解する。
いや、元々俺は理解していたのだ。
理解していたものを、今まで忘却しようと、忘れようと、考えないようにと、眼を背けて───この二年間を生きてきたから、
でも漸く俺は自覚したのだ。
「ああ、
俺はあいつらのマネをしてたのかな」
からん、と、氷が音を立てて沈んだコップを見据えながら、俺はやけに落ち着いていた。
やけに、落ち着いた空色を、揺らして。
優しい記憶と、苦しい記憶と、あたたかい記憶と、つめたい記憶。
そんな記憶の中の自分は、真っ黒な髪に真っ黒な右眼の、平凡な容姿の子供だった。
否、顔立ちも眼付きも、この右眼の眼帯は変わらなく、12歳の現在の違いと言えばその髪色と右眼や能力の有無。(この身体はあのディアルガ達に創られたのだから当然である)
そして、当時は非力すぎた小さな手と、子供相応の言葉。
歳に不似合いだったのは“化け物”という呼び名だった。
物心を付いたときから、“わたし”は周囲からは化け物と呼ばれ、恐れられていたようで、いつしかそれは俺の常識となっていた。
───六歳と言えば、売られた喧嘩を買ってはいつもボロボロになっていた頃である。
そんな中、出会った“エン”。
「エン、に、俺は世界について教えられた」
この世の人間について、心理、
それを踏まえた世渡りの方法。
それと───体術。
この体術は、エンが様々な流派や武術を自分で混ぜ合わせて、アレンジしたものだと言っていた。故に、普通の動きとは違う独特なもので、普通の相手には易々と見切れやしない動きがあるらしく、確かにあいつと手合わせしてみれば攻撃を当てづらいし、避けづらい。
───そういえば手持ちのひとりにも言われたことがある。
「レオさんの動きや、パターンが、独特なのです」と。あれはこの事だったのかと今なら納得できる。
そのエンの高校生時代の友だという男と出会うのだが、そいつの名はユカリ。
「……ユカリには、笑顔とか、そういう、の、もらった」
彼は底なしに明るかった。眩しいくらいに輝いていて、“わたし”の陰っていた部分を照らしてくれた。
そんな眩しい笑みをいつも浮かばせていた彼は、“わたし”にくどくどと言うのだ。“女の子は笑ってる方がカワイイぜ!”……と。
辛い顔よりも暗い顔よりも、笑っている顔の方が、自分も周りも楽しいんだと言っていた。エンは彼のその長所を「敵を作りにくい一番良いやり方だ。もっとも、あいつのあれは算段じゃねぇから、周りも信じてアタリマエのようにあいつに集まるんだ」と評価していたのを覚えている。
“わたし”も簡単に絆されていくのを自覚していた。
エンも、ユカリも、それぞれ違う強さがある。
エンは喧嘩、考え方、
───
ユカリは明るさ、立ち回り方、
それぞれ“わたし”にはなかった強さ。
───幼かった“わたし”は、教えられるそれらを享受して───、
「“俺”になったんだ…」
ああ、そうだ。そうだったのだ。
ずっと忘れたふりをしていたんだ。
「強く、あろうとして、
で、
あいつらのまねをした」
エンのように器用に立ち回れるように、ユカリのように明るく笑みを絶やさないように、
そうあれば俺はきっと強くなる。強くなれる。そう生き始めて、何年経っただろうか。
しかし気づけば“何故そうなったのか”という事を、俺は忘却───否、忘れようとしていた。
「何故」と聞かれれば俺はへらりと笑って「さぁー忘れちまったな」「なんでだろーな」とか言って自分の記憶と向き合う事をしない。誤魔化しているつもりもなく、ただただ記憶から眼を逸らして「そんなもの無かった」と暗示をかけるのだ。
「なんで?」
紅が声を上げた。
「……寂しくないの?」
忘れようとする、なんて。
ずっと黙って相槌を打っていた彼の問い掛けに俺は笑った。つもりでいた。
実際の所、窓ガラスに写った自分はひくりと醜く口角が上がったのみで、空っぽである。感情も、なにもかも。
「なにも、ない」
浅葱色が眼を丸める。肩を竦めた俺の耳元にはあの波音が聞こえていた。
エンが運転するバイクの後ろに乗って、ふたりで海に遠出した、あの日。
俺の思い出を、忘れてしまえとそいつは言った。あっさりとエンは言い切った。
良い思い出まで忘れるなんて寂しくないかと、その時は俺も思っていた。だがそいつは言う。いいんだと。
───それがお前にとって重みなら。
───いい記憶も、嫌な記憶も、どうせ過去だ。捨てちまっても、いい。
───お前が過去を忘れても、
───俺がいくらでも作ってやるからよ。思い出。
───ああ、いくらでも、溢れるくれぇにさ。
───約束だ。
俺はきっと、無意識に、その約束にすがっていたのだろうか。
なにも疑問を持つこともなく、俺は都合よく記憶を抹消しようとした。その思い出が重荷になってしまったのだ。故にずっと、眼を背け続けた。考えないように、楽しくあろうと生き続けた。───2年前、から。
ああ、つまりその重荷を忘れていたのに、突然思い出してしまって、混乱しているのだろうか。
ぽつりぽつりと話している内にぐちゃぐちゃになった思考回路は纏まってきたらしくて、少し頭が軽くなった気がする。さっきまで、溢れ出た記憶の波に流されて、流されて、溺死するような感覚でいた。
……かと言って、話終えた今、気分がとてもよくなった、というわけではないが。
ふと顎に手を置いているその青年を見てみれば、彼のへらへらとした笑みを何処かへ追いやって、俺を見据えていた。
………話しすぎてしまっただろうか。他人だからこそ話せたものもあったのだろうし、こんなものあの手持ちたちには話す気がない。それは、お互い変な情が要らなかったからで。
「……君は、」
「…………?」
眉を寄せていて何処か痛みを覚えた、そんな顔をした紅が一瞬躊躇してからようやく口を開いた。
続く言葉───は、この机に運ばれてきた料理たちによって、遮られてしまった。
「お待たせいたしましたー」
「あ、うん、ありがとう。
……ごめん、なんでもないや。飯、食べよ」
運ばれてきた料理を机に並べ、失礼しますとお辞儀をして行ったウェイターの女の子に手を降っていた紅の表情は既に笑顔が浮かんていた。
その中からピザやどんぶりやらを差し出してくる、その笑みを見詰める。俺が今まで浮かていた“自然すぎて不自然すぎる”ものとは違って、ただ明るいものだ。ダイゴの笑みや、ゲンの笑み…………それとは違う。どちらかと言えば、ユカリのものと似ていたが、また少し違う。
考えるのをそこですぐに止めて、俺は渋々差し出された食べ物を受け取って、とりあえず前に置いた。むわりと鼻腔を掠める匂いに眉を潜める。
「……今、食欲ない」
「ダイエット?」
「………」
「冗談だってば。
でも、本当に食べないと倒れちゃうよ?」
ていうか顔色悪いし、ね? と諭されるもかと言って腹が空くものではない。
いや、実際腹の中身は空だろう。4日間眠っていたのだから、それはそうだ。この体の気だるさもそれから来るものだろう。
…………けど、食べる気は、しない。
「…死んじゃうよ?」
「…、………」
「……死にたい、とか?」
「……う………なん…」
「え?」
……どう、なんだろ。
フォークを持ってじゅうじゅうと音をたてる肉片をつつく。食べなければ、死ぬのだろうか。この、化け物の体は。
この世界で俺が死んだら、どうなるんだろう。
俺は、死にたいのだろうか。
わからないな。わからない。わからないんだよ。
ぼやいて、項垂れる。
わからない。
「……冗談だよ。
死んだりしないでね。えーと…………レオちゃん?」
「…………」
「ね?」
駄目だよと、語りかける声に、反応はできない。そこで、うんと言ってもいいえと言っても、嘘になってしまう。俺は、嘘が嫌いだ。
嘘を一切つかない訳ではないし、よく多用するけれど「死ぬか死なないか」の不安定な質問に対して、軽々しく答えを出したくないし、出せない。
そんな屁理屈のような事をつらつらと心の中で並べている俺を悟ってくれた訳ではないだろうが、彼は仕方ないなと笑った。そうして立ち上がると「あ、俺テキトーに飲み物取ってくるね〜」とドリンクバーへと向かって行った。あの言い方からして、俺の分まで注いでくる気だろう。……さっき別にお節介ではないとは言っていたが、どこがだろうと思いながら、その真っ白なコートから視線を正面に戻す。…凄い量の料理だ。
「…………これは……やっぱり無理だってば……」
元々少食だったのが、ここ2年間でますます食が細くなった。
この世界に来てから、手持ちの中のひとりに作ってもらっていたのを食べていたけど…………、
「…………」
エンが、料理うまかったなぁ、そういや。
それで、そう、小さいパーティとか開いて、作った菓子とかエンが持ってきて、
眼を閉じる。遠い、思い出。
消えてしまえばいいのにと意識を移そうとしたから、その次、移り変わったのはこの世界に来てはじめて食べた飯だった。
あの時は、がっつり食べた。久々にゆっくりとおいしいものを食べれて、満足感を得たのをよく覚えてる。
ふわりとゲンの顔が浮かぶ。それから、御曹司だという俺が苦手なひとの顔、らしくもない相棒となった碧眼のあいつ、子供っぽく自己中なあいつ、怖がりで強がりなあいつ、自分を消そうと必死なあいつ、酷く優しいあいつ、嘘つきなあいつ、俺を救った彼、の、顔が浮かんでは沈んで、
そして、過去に巻き戻る。馬鹿みたいにいつも明るいユカリ、泣き虫で卑屈だけど確かな俺の居場所のレイ、
最後に浮かぶのは───ずっと、大嫌いだった、エンの顔。
それがアースと重なるのが、どうしても、どうしても、受け入れなくて、もしかしたらという思いがずっと心にこびりついていて、
血が、流れたあの光景が重なって、
「っ…………」
気を紛らわす。
じわりと眼と眼の間が熱くなるのを感じながら、俺はフォークを肉に突き刺して、口に放り込んだ。4日振りに体内に入れた食物に拒絶反応を感じて吐き出しそうになりながらも、俺は続けて掻き込む。
今は、兎に角、生きなければ。そう、脳裏に浮かんだ光景とエンとアースを視て、思った。
死んでいるような、生きていないようなふらついた感覚。そんなのでどうすればいいのか、なにをすればいいのかわかなくなった。だから、ただ今は、紅に言われた通りに掻き込む。
そうすることで、どうにか自分が生きているという実感を得ていた気がした。
多分、俺は生きなければいけないんだ。
思い出した記憶を視て、それが俺の絞り出した答えである。
そんな俺の様子を、紅が浅葱色の眼を細め、やんわりと見詰めていた。
その浅葱色の眼に浮かぶのは、俺が棄てた“懐古”であると気付いたのはかなり後である。
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