空契 | ナノ
40.predestined encounter (3/5)

    
   


街を行き交う人々の間を縫うように進む青年に抱き上げられていた俺は、無抵抗でいた。
どこに向かっているのか、この青年が何なのか、なにも検討はついていないが考えようとする気力が今の俺にはなかった。

「(……きもちわるい)」

頭の中に、ぐわりぐわりと痛みのない衝撃が満ちているのだ。手足は震えて力が入らないし、だらりと力なく抱えられたまま身を任せていた。
警戒していない訳ではないし、信じきった訳でもないが、それらもどうでもよかったのだ。
このまま自分がどこに行こうと、どこに消えようと…………あのまま助けられず、あの頭の悪そうなチンピラに殴られようが殺されようが何でもいいと思った。どうでもよかったのだ。本当に。

かったんかったんと揺れながらぼんやりしていた俺は、ひとひとと感じる辺りからの視線に気付いた。ちらりと見てみれば、街を行き交う者達が好奇の目を向けてきていたらしく、俺とこの青年を見比べていた。
今思えば確かにこの体制、横抱きともいうが、俗にはオヒメサマダッコ、というものでもあるこの体制は目立つものがある。しかもこんなきらびやかな街だ。ゴシップが好きな女性も多そうである。

「くだらない」

……俺は少しだけ眼を揺らした。今のセリフは俺のものではない。
見上げると、俺の心を代弁したかのようなセリフを呟いた彼は、にんまりと笑った。

「───って、思ってる?」

猫目と言うのだろうか。ぱっちりとしているけど、つり上がっているそんなは意地悪げに細められていた、その浅葱色の眼を、俺は無言で見返した。
思っていたと言えば思っていた。だが、それはこんな自分に興味を持つ野次馬達のみではなく、この世界全員に言えると思う。
それをわざわざ口に出す、という考えはなく、俺はただ無言で無表情を貫いた俺に、その青年は大して気にした様子もなく歩き続けながら笑った。

「こういう視線苦手なヒトいるよね〜」

…まるで、自分は大丈夫だ、みたいな言い方だ。

「あ、俺は大丈夫大丈夫」

「目立つの慣れてるから」と笑うそいつの顔を見上げながら俺はそうかと今更ながら思いながら、脳内に自分の手持ちたちの姿が浮かんだ。無意識ながら僅かに心に小さな波が立つこれを、押さえ込みながら俺は何事もなかったように考える。
この青年は、彼ら………先程、俺が彼らの本質について、見てしまった、あの彼らと同質で、顔が非常に良いのである。
……顔がキレイな男と、弱りきってぐったりとした少女(つまり俺)が、方やオヒメサマダッコ、そんな様子で街を歩いていればそれはそれは目立つだろう。
そして俺はさぞかし奇妙なものに見られているだろう。

またこれも、慣れきっている自分がいて眼を閉じると、その青年は走るスペースを少し緩め、気を使ったのだろうか。無言で歩みを進めていた。少し小さくなった揺れを俺は暗闇の中で感じていた。

次に眼を開けたのは「ついたよ」と青年が声を掛けて来たときだ。何処にそのままどこに向かったのかと視線を巡らせようとすると、ふわりと人工的に暖められた風がやってきた。どうやら室内に───ファミレスに入ったようで、いらっしゃいませーと高い声が出迎えてきた。人間とポケモンの両方の声でゆるりと見てみれば、どちらも店員らしい。
青年は2本指を経てて「ふたりね〜」と言って案内されたテーブル席のソファに、俺を降ろすと、彼は向かい側に座った。
メニューを渡されて、適当に頼もうかと彼は笑うが、どうも食欲は湧かない。壁に寄りかかり黙りを決め込んだ俺を見て、彼は少し困ったように笑うと勝手に定員を呼ぶと物凄い量の注文をしていった。「これと、これと、これ」そんなにこの青年は食べるのか、細身の割りに、と思ったが、どうやら俺に食わすつもりらしかった。

「君、病み上がりか何かでしょ?」
「………」
「ほら、
その黒コートの下、病衣ぽかったし、
顔色悪いし、包帯も服の隙間から見えたから」

それに、裸足だし。と足元を指差されて俺は今自身の格好について漸く自覚した。言われた通り、自分は病衣を着たままな格好の上に素足でここまで走ってきたらしく、足は何か障害物を踏んだのか傷だらけだった。
女の子が傷なんてと呟きながら手当てをしようとしていた青年に黙って首を振って止めた。怪訝そうな目で見られたが、視線を合わさず窓を見ていれば渋々といったようにだったがそれ以上の言葉はなかった。

手当てなど必要ない。痛みは確かにあるが、その感覚がどこか遠いのだ。さっきから、意識も霧がかっていて現実的な感覚がしない。それに、どうせ放っておいてもすぐに治る。


───…………ほらな、
───化け物じゃねぇか。


「…………(うるさい、なぁ)」

ぐわんぐわんと聞こえてきた気がした。
………確かに、窓にうっすらと写るの顔は顔色が悪いものである。

「……ねぇ、本当に大丈夫?」
「…………」

「びっくりしたよー、裸足で、カワイイ女の子がなぁんかガラの悪い野郎に絡まれちゃっててさー。
あ、因みに最初呼んだ名前は昔好きだった女の子の名前なんだけどねー?」

大丈夫かと聞かれて、はいともいいえとも答えれない俺は無視という形をしたが、青年はやはり気を悪くした様子もなくけらけらも笑いながら言う。

「その子に、なんか似てた気がしてさ」

それで思わず助けたという。
お節介な者だ。

「あ、俺別にお節介とかじゃないからね。
女の子はほっとけない。そーれだけだよ?」
「…………」
「それに、お節介なのはあのオッサンじゃない?」

にやりーんと冗談が本気か定かではない台詞を吐きながら、ウィンクをしていたその青年。こちらは無反応である。
それでも気にも止めてはいないらしく、ふと意識を飛ばすと“オッサン”と呼んだあのいかつい見た目とは裏腹に柔らかい空気を纏うあの初老の男の姿を思い出したようだった。
「あのオッサン、大丈夫かな。汚れ仕事させちゃったなぁ」と苦笑を溢す彼の通り、あの初老の男には嫌な立ち回りをさせたのだろう。
あれは俺が素直に謝っておけば済んだもの。そんな事「あーゆーのは形だけでも謝っておくもんだよー?」とわざわざこいつに言われるまでもなく、分かっている。普段の俺ならしていたのだろう。おそらく、本当に申し訳ないと思いながら、へらりと苦笑し、

今は、できない。

何故だか反応する事すらも億劫である俺を、そいつは配られた水をこくりと飲み込みながら、じぃっとを見詰めていた。その浅葱色の眼がいつまで経っても逸れないのでちらりと眼を合わせる。
不意に、かたん、と机に置かれたコップがぽつん、音を、経てた。

「…君、名前は?」

へらーと笑いながら尋ねてくる彼の眼は、あくまでもきらりきらりと明るい色である。何か得体の知れないもの、とまではいかないがどうにも腑に落ちない何かがある。どういうことか、きらきら輝いてはいるものの………シュウみたいな綺麗なものは感じない。
硝子玉。屈折して俺を反射している光。そんな無機質な感じ。
そして、この気配は、人ではないだろう。
───と、俺はここでやっと、口を開いた。

「…………あんたは、ポケモンか」
「え?」

びっくり、とその硝子玉を丸めて彼はへらりとした締まりのない顔である。「凄いね、分かるんだ」パチパチと手を叩くそいつの気配は、人ではなくあの手持ちたちの気配に近いと感じた故にそう思ったのだ。彼は不思議そうな顔をするもののその説明は面倒だからしない。
口を閉じるとやはりそいつは深くは追求してこない。こないで、明るく笑って自己紹介を始めた。

「そうそう、俺ポケモンだよー。
紅、ってゆーの」

アカちゃんってよーんでね?と機嫌良く名乗ったその名前に俺はそれでいいのかと思わず思ってしまった。
紅と書いて、アカ。そのままである。

「ほら、俺所々紅いから」
「…………」

ひょいと、紅と名乗った青年は先が紅く染まった前髪や、服などをつまみながら「単純だよねー」と笑っていた。
まさか、なにか深い意味でもあるのかと思ったら、紅いというそれだけ?

「名前つけてくれた子はさー、まだ子供でね?
ちっちゃくて、まだ名付けとかできてなくて…………最初はポチとかタマとかつけられそうになっちゃってねー」

楽しげに笑いながら言う彼のその硝子玉の眼は昔を懐かしんでいるようだ。そしてそこにあたたかそうな感情も滲んで見えたから、その子供というのを好いているからこそ、この青年、紅はこうやって何事もないように擬人化をとっているのだろう。

……しかし、ポチとタマかと俺は思わず目を細める。なんとも、昔の自分を思い出してしまうような名付けである。
自分も、昔はよく野良猫とか好きなぬいぐるみとかに名前をつけていた。ミミ、とか、ミケとか、そんな幼稚な名前である。

「そうそう、俺、白銀、紅、浅葱色の眼、で三色だからさー、
ミケとか名前つけられそうになってさ〜」
「……、…」

お前は俺かと突っ込みたくなった。
なんとも容易な名前だと呆れたくもなるが、俺も人のことは言えない。幼い頃はそういう名前をつけようとしていた。……ぬいぐるみに。
その度に母と父に苦笑されて、かわいらしいねと撫でられる。あぁ、そんな事もあったなと懐古に浸る自分がいて、ちょっと前までは考えもできなかった事である。
もう二度と手にはできないぬくもり。
それを夢見るこの現象。いつもなら目を逸らし続けていたそれを、少しずつ直視していこうとする。それは簡単なようで、確かに少しずつ俺の心はぎしりときしむ。

「…………レオ。
……俺の、名前」
「レオちゃんねー。
レオちゃんもポケモンー?」

心のきしむ音を振り払いながら、気をまぎらわす為にも自身の名を呟くように言えば青年は首を傾げてくる。
俺は否定する。ポケモンではないと。否定して、でも人間だ、とは言い切る自信がなかった。

俺は、化け物である。

それはただの事実として受け入れていたんだと思った。
口にするのは今更なんでもなかった。だが、そうする事でふとまた先程の映像が頭を巡るのだ。
じわりと滲む感情が、どうしても…………滑稽で、俺は言葉と共にそれを追いやって「ポケモンか」という問い掛けに頭を横に振るのみだ。
それを受け取った紅という青年は俺を人間と解釈したらしく「へぇ、人間にしては不思議な気配がするもんだねぇー」と不思議そうにしつつも笑っていた。

「しかし、“俺”か〜」
「…?」
「いや、ごめんごめん。
キミみたいなカワイイ女の子が“俺”なんてちょっとびっくりしただけ」
「……」

………なんて反応を返せばいいのか、そう考えるのも無駄な気がしたから無反応でその言葉を受け流すも、確かにと少し思った。
確かに、今まで………少なくとも、この世界に来てからはなんとも思っていなかったし、気にも止めなかった事であるが奇妙ではあるかもしれない。この“俺”という一人称と、可愛いげのない口調。
言われないと気付かない、既に癖となった口調だけど。

「…………」

ふとなんでだろうと考えてみれば、それは直ぐに検討がついた。普段なら「わっかんね」と「忘れた」笑って自分自身も
誤魔化していただろうその答えは、やはり記憶の中にいた。

「…昔は、こんなんじゃなかった」
「え?」
「………俺は、…………、」

俺、は、昔、は、

───ノイズ混じり雑音混じり霞む記憶が吹き出す。記憶の渦の中でぐるぐるとかき混ぜられる感情。
ふっと息を吐き出して、俺は続きを切った。

………記憶の中に居た過去の自分は、こんなんではなかった。
その言葉は自然と流れ出たものだったが、他人にその話をしてなんになるのだと口をつぐんだ。だが、紅という青年が「昔は? レオちゃんの昔は?」そう、優しく続きを促す。
それが単なる好奇心などによる物ならば一蹴して話を終わらせてしまっていただろうが、それはどちらかと言えば俺を案じるものだった。

混乱している、俺を鎮めようとする浅葱色の眼。
やっぱりそれは硝子玉のようで無機質だったが───思い出す。あの姿を。
アースと良く似た顔の、親友と。

気が付けばぽつりぽつりと、自身の混乱し入り交じってる記憶を何かしらに定義付けようとするように、口から言葉がこぼれていっていた。

昔の話。
覚えていた、昔の話。
忘れたふりをしていた、昔の話。

「俺は、
…………ただの子供だったんだよ」



優しい、記憶と、
苦しい、記憶と、



「───わたしに触んないで」

その手を払う弱い力、そして言葉使い。
そして当時………あの頃の俺は、荒んだ光もない右眼で“彼”をいつも睨んでいたのだ。

六歳の春、
出会った“彼”を。

「───そう怒りに任すの止めろっての。
───レオ」

「───名前呼ぶな。
───気持ち悪い」

「───そういうてめぇは?」
「───人の名前、
───いい加減に覚えたらどうだ?」

覚えてる。
その鋭く見透かす眼を、よく覚えている。

「─── エ ン 」



あたたかい記憶と、
つめたい記憶と、



「───えっ!
───エンちゃんに妹なんていたっけ!?」
「───………だから、こいつは俺の…」
「───カノジョ!?
───……pedofilo!? えっと……小児性愛者、つまりロリコンぶへらっ」
「───人の話を聞きやがれボケ」

「───キミ、レオってゆーの?」

「───そっか、ヨロシクな!」

「───え?
───俺の名前?」

「───俺は───、」

覚えてる。
その明るく優しい笑みを、覚えてる。

「─── ユ カ リ 」



   
   

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