空契 | ナノ
37.激突 (7/8)

    
    


「レオ、離れるなよ」
「え、ぁっ、待っ」

俺を片腕で抱え直した男に慌てて腕を首に回した。男にしては細い腕に首。どこにそんな力があるのか、俺をしっかりと抱える。
それを確認すると、再び掌を翳した男に咄嗟に声を上げるが遅く、悪の波動が砲弾の如く放たれた。
アースは驚異的なスピードで身を翻すと、駆け出した。
右、左、左、ジャンプ、バク転、そして空中で避けきれないそれは、両手を振るきると暴れ狂うような力が悪の波動を一瞬押さえ込んだ。その一瞬で身を捻り、回避。
────地面を踏み締めた瞬間、アースはこちらへ一直線に疾走してきた。

まさか生身でそのまま仕掛けてくるとは思っていなかった俺に比べて、男はやはり冷静で、僅かに眉を挙げたのみだった。
掲げたままの掌から再度、砲弾。しかも連続で複数の悪の波動を生み出した。

刹那、

ぶわりと正体不明な風が俺らを包み込む。
それはあの朱眼を視た瞬間の感じた、自身の中を覗き込まれているいるような感覚を乗せた、風だ。

「───!」

ぞくり、恐怖を覚え──────たのは本当に刹那、一瞬で、
それは男が放った無数の悪の波動の衝撃で吹き飛んだ。生身の人間に容赦ねぇな!と思わず敵の心配をしてしまう程の容赦のない威力の悪の波動だった。

だが、不思議とその不安は、すぐにどこかにいってしまう。
──────アースはまるで、眼を閉じているように、そして、息を止めたように、存在感を異常なほどに低めていた。

そして、
両腕の力を抜き前傾姿勢で、そのまま更に加速する。
迂回する訳でもなく、真っ直ぐと突進してくるのだ。

「マジかよ……っ!?」
「凄いな」
「軽いなあんたは!?」

淡々と攻撃を放ちながら凄いと評価した男に突っ込みながらギョッとする。凄いってレベルではない。
何が、凄いって、アースは、スピードを落とす事もなくそのままで──────軽く頭を引く、下げる横へ飛ぶ、跳躍、それらの行動で、かわしていくのだ。悪の波動の雨を。

中には避けきれない、回避が間に合わない攻撃は、手を一振りして投げ払う。───波動と波動がぶつかり合い、相殺とまではいかなかったものの、一瞬の停止、そしてそのまま加速して後ろへと攻撃を逸らすのだ。
─────凄い、なんてレベルではない。

恐らく、アースは波動の力で予め、何処から攻撃がどう来るかと、予想しているのだろう。
この攻撃は避けれるこの攻撃はこう動けば当たらないこの攻撃は当たってしまうならば波動で──────、
そんな予想など並大抵の情報量ではない。膨大な情報がアースの頭の中で一瞬の内に整理され、そして対処しているのか。
よって、コートの端々が焦げたように穴を開けるのみで、目立った傷はなかった。

アースの並みではない冷静さを評価する言葉を見付けるには時間がかかり、その次の瞬間には、
タン──────ッ、
────目の前まで、踏み込んできていた。


朱く煌めく、眼と、
アクアブルーに揺らめく、瞳が、
交差する。


いつの間にと息を飲んだ。男にアースは、左腕を振り上げた。そこに煌めく刃が。
ナイフだ。
男はタンッと横に移動して、蹴りを放つ。体制を這うような低さに一瞬し、直ぐ様状態を起こすと巧みなナイフ裁きで斬り込む、アース。
鋭い刃が、男の頬を斬り上げた。思わず声が出そうになる俺を宥めるように抱える手に力が込められ─────男はアースのナイフの刃をなんの躊躇もなく握った。

「ほら、お返しだ」
「っ!」

ナイフを引き抜こうとせず手を離し回避しようとするアースに、重い蹴りが腹を殴りつけた。───ただし、ただではやられないと言わんばかりに波動を振るい、俺諸とも男は軽く吹き飛ばされる。
だが、それすらも障害にならないと男が掲げた、掌。

悪の波動が、体制を崩しているアースに向かって、放たれた。

避けようと足を動かす。だがひとつひとつの動作が何もかも追い付かなかった。ただ手を顔の前で交差して衝撃に備えるのみだ。
万事休すか。
だが、そんなアースを、救う光が突如輝く。

「───!」

何者かがアースの目の前に現れ、光のシールドを展開する。
───技の守るだ。
強靭なその壁は悪の波動とぶつかり合い、やがて負けたのは男の攻撃で四散、それと同時に壁を静かに消滅させて、光も四散する。
闇と光がキラキラと煌めきながら雨のように降り注いでは、溶けていくその中で、菖蒲色の髪をはためかす、女が立っていた。

彼女は、閉じていた空色の瞳を開き…………振り替える。自身の主人の方へと。


『アース様…………、
大丈夫ですか』

「ああ………、
陽恵」


すると彼女は、息を吐くのみで再びしっかりと前を向いたり
陽恵の、自身のパートナーである彼女の後ろ姿を見ながらアースは溜め息をついた。

「……勝手にボールから出たのか、陽恵」
「……すみません。
危険だと、判断しました」

「俺は体力が戻っていないお前の手を煩わせたくなかった」
「……すみません」
「…………」
「…………」
「…………はぁ。
助かった、ありがとう」
「……はい」


短いやり取りだが通じ合うものがあったらしい。それを遠目で見詰めながら俺は、あの女性の姿を見て気が付く。
彼女は、ハクタイのギンガビルに姿を見せたあの陽恵だ。
元からアースの持つボールに居たのか……。
男が眉を潜めた。

「───あの女は…」

何かが引っ掛かるようで無言で睨み付ける。彼女の何がそこまで彼をそんな険しい顔にさせるのか。
まるで目の上のたんこぶを忌々しく思っているような表情で、知り合いかと問えば「いや」と首を振る。

「ただ、
何処かで、感じた。
覚えるある気配だ」

「……それは…」

それは、俺も、感じた事が、あった。
どこかで感じた。そして、自分と近いような、感覚……。


「……アース様」

数秒間だけ彼女の空色の瞳と、俺の似たような空色の左眼が合った。
すぐに逸らされ、それは背後のアースへと向けられていた。

「どうしますか」
「───あのトレーナーは是非とも捕獲したい」

まだ仕掛けてくる気らしいアースに、陽恵は「……頑張ります」とこくりと小さく頷いて、その瞳をカッと煌めかす。そして空色のオーラのようなものを纏い、それを飛ばしてくる。

「いっ!?」
「サイコキネシス、か」

俺と男の体にまとわりつくような強い力の念のようなものが締め付けてくる。
これがサイコキネシスというもので、威力が90と高いものだと思い出した瞬間、さっと血の気が引く。だが、技が完璧に決まる前に男が静かに、指弾で弾くような音を鳴らすと───サイコキネシスが吹き飛んだのだ。
嘘だろ。ぽかんと口を開く。彼にはダメージが一切無いように見える。だが、煩わしかったらしく、手を振り悪の波動を生み出して投げ付けた。それを陽恵はシャドーボールでぶつけ合わせ防ぐ。
その空色の瞳には若干の焦りがあった。だがそれも直ぐに失せ、隙を見付け、両手を……まるで空中を撫でるかのように素早く広げた。
シャッ、シャッ、シャッ、シャッ、シャッ、シャッ、一瞬で現れたのは先程より光が薄いシールドだ。
───光の壁。これで男の威力が高過ぎる特攻のダメージを下げ、陽恵でも相殺できるようにしたのだ。

また悪の波動の嵐がぶつかり出す。それをどうにかシャドーボールで相殺しながら、彼女は振り向いて言った。

「すみません、頑張れませんでした」

いつも通りの機械的な表情のままで、アースは思わず額を抑えてた。「…だろうな」すみません、ともう一度言いながらシャドーボールを放った陽恵に溜め息をつきながら、頷いた。

「……あの男はおそらく、悪タイプのポケモンだ。
エーフィのお前とは相性が悪い。仕方ないだろう」
「……それでも、“カイ”さんなら……きっと……」
「そうだな。だが、あいつは例外だ。
…それよりも、はやく撤退するぞ。
陽恵、テレポー、」

───ダァァァアンッ

アースが指示を出した言葉は、爆音に紛れた。
勝つ見込みがないと悟るのはふたりとも速く、迷わず撤退を選んだのだ。
だが、

「逃がしやしない」

拳を伸ばす男が低く言い放つ。

「お前は存在すべきじゃないんだよ、アース。
お前は此処で、俺が殺す」

「……はっ!」

波動を広げ巻き上がる煙を払うのと同時に、陽恵の放ったキラキラ光る、スピードスターが直進してくる。
男を鼻で笑ったのはアースだ。

「存在すべきじゃない?
だから殺す? 貴様が?」

馬鹿馬鹿しい。

「貴様は神にでもなったつもりか?」

天罰のつもりか!?
ならばとても、

「くだらないな!
陽恵!」
「はい」

アースの波動が男を捉えた。足が止まる。動きが止まる。その瞬間を狙って陽恵が背後に現れ───俺へと手を伸ばした。
空色の瞳が煌めく。───俺へのみサイコキネシスが放たれた。

「っな」

ふわりと浮く身体は男の腕から離れて空中へと連れていかれる。怠くて体を動かすのが辛くて上手く抵抗もできずにいた。
締め付けこそないただ俺の動きを拘束するものだったが、汗が吹き出す。やばい。俺はそのままアースの方向へと飛ばされているらしい。
このままだと、俺が人質となる事態になる。それだけは勘弁しろと、どうにか指先、腕、動けとナイフを袖から取り出した時だ。


「神だと?」


小馬鹿にする男の、声がした瞬間、俺は空中へと放り出された。
悲鳴ももう掠れて出ない───なんて中で、スローモーションで見えた。

銀髪をゆらん、ゆらん、ゆらり。ゆらゆら揺らして、
背後の陽恵に、何かで斬り付けていた。
───あれは、シャドークローで、男が波動の拘束を解除したんだと。
陽恵が斬り付けられながらも後退して、スピードスターを放つ。その時には既に男の手から、あのどろどろとした邪悪な力が、放たれていた。

「きゃ、っ!」
「陽恵っ、!」

ほぼ零距離からの放射に、陽恵は飲み込まれた。
壁にぶつかり大爆発を巻き起こす。パリンと硝子が割れたような軽い音が聞こえた。咄嗟に守る、結界を貼ったらしい。それでも未完成でそれごと弾かれたのだ。
アースが手を伸ばし、波動を男にぶつけようとしているのが見えた。

全てがスローモーションで、ゆっくりゆっくりと時が進んでいるようだった。

ゆっくり、ゆっくりと俺がすべきことを判断する。
して、投げた。
ナイフを、アースへと。
しかし弱々しいそれは落下速度で勢い付いたのみで、アースに意図も簡単に弾かれてしまう。

邪魔をするなと朱眼が俺を睨んだ。

ドクリ、

ドクリ、

心臓が、
痛いほど震える。


そのせいなのか、それとも、ただ単に疲れからか俺は受け身なんか取れずに地面に叩き付けれた。
そして、ほぼ同時にアースに悪の波動が着弾した。


「ぐ、っぅ!」

「……誰も正義の鉄槌を下そうだとか、
そんなの考えてないさ」


初めて悪の波動が直撃し地面を転がったアースを、冷たく見詰めながら男は笑った。
爆風で長く右側に寄せられた銀髪が揺らされ、アクアの左眼が見え隠れする。
───色があったのは、左だけだった。


「これは、贖罪だ」



右眼は、空洞だった。
そこには、なにもない。
眼球が、存在してなかった。



「───呪いへの、贖罪だ」


  
    

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