37.激突 (6/8)
「レオ」
ふわり。
覚悟していた温もりに包まれた。
優しい温もりだった。
予想していた、江臨の温もりではなかった。
頬がぶつかった。それは、布越しで感じる、固い、誰かの胸板だった。
あれ、と思う。
江臨ならば、もっと、固くて、冷たい筈なんだけど。
だって、彼はハッサムだ。
擬人化をしたらしい。
と判断をして反射的に閉じていた眼をそろそろと開けた。
本当は、今すぐにでも、眠りたいほど、瞼は重いんだけど、
開いた右眼に写ったのは、黒。
「レオ」
「、ぇ……」
そして、聞き覚えのある、男の、声。
───江臨、じゃない。
あの、冷酷な声ではない。
ならば。
これは、誰だ。
この、闇色の、この男は。
優しく、俺の背に腕を回して抱きかえてくる。
混乱が走る。
くすりと笑う声が降ってくる。
誘われたような気がして、見上げた。
───アクアが、そこにある。
それは真っ黒なフードの下で、ゆらゆらりと揺らめいていた。
赤色のラインが入った黒コート、黒ブーツの──────、
ゆらりと、揺れた、赤の、装飾。
───眼を疑う。
そこに居たのは、
江臨でもアースでも、アイクでもない。
ここに居るべきではなく、そして、俺の記憶から外れていた、人物。
「死んではいけない」
なにも声が出ない俺に囁きかけたその、男は、
───俺はやはりまだ幸せだったのか、
───お前のその呪いに比べたら。
───お前には、幸せになってもらいたいんだよ、俺は。
───見ないふりをするのか?
───気付かないふりを、するのか?
───自分の心に。
───その選択(みち)に、悔いを持つなよ。
「……ハクタ、イ、シティで、の…………」
ハクタイシティで、後悔するなと、俺を諭してくれた──────男。
正に、そいつが、ここに、いたのだ。
ふっと笑った彼は「良かった。間に合って」と微笑み俺の頭を撫でた。
───そこに飛びかかる赤があった。江臨だ。
『なんじゃ、貴様は!
いずこから現れたでござるか!!』「何処って、」
男は肩を竦めて、フードの下で苦笑しているらしい。
のんびりとした口調で返しながら、男は撫でる手をそのまま───空気を切り裂くように振り切った。一瞬だ。一瞬で掌を向けた先は、技を決めようとする直前の江臨だ。
「波動が届かない、影の中からだが?」
大胆不敵に、笑いながら、放ったそれは、
闇を具現したような邪悪な力だった。
───ドンッ!
江臨を巻き込み爆発したそれは並みの威力ではない。
凄まじい攻撃力だ。アイクなんて足元にも及ばない、そう言わざる終えない程の威力に口が塞がらない。
───なんて、威力だ。
江臨のみならず俺等まで吹き飛ばすような風圧に、吹き飛ばされそうになるも抱き留めてくれている男は何処吹く風だ。
なにが起こっているんだ。その疑問の声はアースの「何故」と被って響いた。
巻き起こる砂埃からコツリと靴の音がする。瞬間、江臨の一振りで煙が打ち払われた。
───江臨はあの攻撃を諸に受けていたからか、ダメージがかなり蓄積しているらしく、息が上がっていた。それでも尚、しっかりと立ち睨み付ける気力は流石というべきか。
その後ろから、黒のコートをはためかせるアースが姿を見せた。
「中々の手練れだな。
そして貴様、ポケモンか」
アースと江臨は完全に戦闘体制で、突然現れた彼に少なからず動揺しているようだ。警戒がとても高まっている。
俺も例外なく眼を白黒させているしかなく、アースとこの男を見比べる。どちらも真っ黒な服装をしてるくせに───気配はどちらも違う。
俺を庇う、この何処からともなく───影から現れたという男はとても優しい気配を纏っている。
彼は───敵ではない。
かと言って、
「その娘の手持ちか」
「いいや」
手持ちでもない。
アースが俺へと視線をやる。俺に振られてもと心底思いながら首を振った。男が今否定した通りだ。
そもそも、このハクタイシティで出会った男が………ポケモンだと知ったのも、今だ。
影の中に入れるポケモン……? 堂々と答えた男を見上げたまま、言葉を頭の中で反復させる。
なんだ、そのポケモン。ゴーストポケモンだろうか。そして、擬人化をしているという事は、慕う人間やトレーナーがいるという事だが、
「なん、で、なんで、おれ、を、助けるん、だ」
ハクタイシティで、そして、今も。
どうして助けてくれる。
あんた、誰だ。
服を掴んで問い掛ければ、彼はちらりとそのアクアブルーの瞳を向けて、逸らすと唇に指を当てて、少し沈黙した。
返答にあぐねているようだ。
「……本来はこうやって姿を現すのも許されないんだが…………、
こうやって手を出してしまったんだ。今更、か…」
「…?」
「ああ、また“主”のご機嫌を損ねてしまう…」
覚悟を決める、か。───男はそう呟くと、タンッと突然後ろに掌を向けた。瞬間、凄まじい爆風が襲う。
───一瞬の内に江臨が背後に回っていたのだ。気付けなかった。それほどのスピードに対して、この男が勝ったのだ。先程の力───悪の波動だろうか。それがまた深く江臨に決まり、吹き飛ばすのだ。
『クソが…!!』「江臨! …ならば、高速移動!」
一瞬にして江臨が消えた。アイク達を苦しめたあの神速のような速さだ。麻痺は未だ解けていないだろうに眼でなど追えず、男の服を掴む手が強まる。
しかしそれでも、男はあくまでも冷静。
すぅと冷えたアクアブルーは一点を見詰め、そして、パチン。───洞窟に、指を鳴らした軽い音が、反響した。
ぞわりと何かが変わるような予感が駆け抜けた。
その弾けた音が耳に入る。その瞬間だ。こちりと時計の音が聞こえて、時が止まる。そんな不思議な感覚が支配をした気がした。
しかしそれはあながち間違っていなかったらしい
───突然、江臨が、足を縫い止められたかのように動きを停止させたのだ。
『なんだ、これは……っ!?』「金縛り……!」
「お前には強制退場を願おうか」
ついっと指先を江臨に向ける。すると今度産み出されたのは、悪の波動ではなく──────、
アースの反応が早かった。
「(気合い玉、だと───!?)
戻れ、江臨!」
危険をいち早く察知したのはアースで、咄嗟にボールを取りだし翳した。
それとほぼ同時に男から放たれる気合い玉とモンスターボールの光。微妙に、江臨が無念と呟きながらボールに吸い込まれる方が速くて、気合い玉は行き場所を失い壁にぶち当たり、四散した。
先程よりも何倍も威力が増した爆風を巻き起こして。
「う、わ…………っ」
「レオ、掴まっていろ」
「なんで名前、うわぁっ!?」
男は俺の膝の下に手を入れると、背に回した手と共に軽々と持ち上げ軽く跳躍した。直後その足元に岩石などが崩れ落ちてくる。
気合い玉を放った壁が、粉々に崩れながら穴を開けたらしい。どんな威力だと顔を真っ青にしながら男の首に手を回していた俺は、下を見渡す。
アイク達は…………!
その姿はあっさりと見付けられた。いつの間にか、地面に倒れていた俺の手持ち達は一ヶ所に集められ、何か見えないバリアーのようなもので爆風から守られていた。
はっとして男を見上げる。微笑んだ男と、眼が、合う。───フードの下で、さらりと、銀色が揺れていた。
「お、まえ……、
ほんと、何者なんだよ……」
──────男が地面へと着地をした。その時、ふわり、フードが浮いた。
それを男は抑える事もない。浮いたフードはどういう訳かコートから離れると、溶けるように空中に消えてしまう。
まるで、影のように。
「俺は────、」
さら、さらりと、
透けそうな銀の美しい、ウェーブした髪が、風に靡いて揺れて、
白い肌が晒された。
そこに埋め込まれたようにある、アクアブルーの宝石のような瞳が、真っ直ぐ前を向く。
──────フードが消えて、顔を出したのは、
右眼を銀髪で隠した、青年だった。
首元で、ひらひら、ひらりと、長く赤いマフラーが、揺れていた。
「名乗れる名前は持っていない。
ただ、俺は本来この“抗争”に、関与できる者ではなく、
レオを見守るのみ許された存在」
だけどな、
「個人的な都合により、俺も手出しをすることにした。
───それが、
例え、許されやしないことでも、な」
まるで覚悟を決めたという、
強い意志を秘めて俺を抱きすくめる力を、込めた。
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