36.静寂 (6/6)
「くっ」
一発目、それをどうにか横へとズラして避ける。二発目、屈むことで回避して逆にカウンターをしかける。
それを予想していたように、脚が顔を蹴り上げた。
はやい。
だが反撃を予想していたのは同じで髪のみ当たる。刹那後ろに回り込んで、肩を掴んだ。今度こそ逃がさぬように殴り付けた。
「何故だろうな」
どくり、と、揺れた。
拳を握られ、引かれる。
顔が、相手と、アースと近付く、
一瞬、フードが浮いた。
一瞬、朱色の、鋭い眼が見えた。
鏡のような、綺麗で、鋭く、
心の奥底まで見透かすような、
“特別な眼”が、
「貴様の動き、
とても分かりやすいな」
そう言って笑う、その“眼”、
“言葉”、
「───ぇ、」
“俺が”“ずっと”“嫌い”で“苦手”で“怖かった”、
それが、目の前に、あったんだ。
───ガ、
頬に、固い感覚。
茫然と意識が飛んでいた瞬間、カウンターを頬に食らったのだ。
予感だとか、警鐘だとか、記憶、だとか、それら全てが吹っ飛ぶ痛みによろけた。
頭が、霧がかる。
頭が痛い。
「は、……っはぁ、」
動きが止まる。
動けなかった。
頭が、ぐらぐら、して。
「(なに、いま、の)」
今の、
俺の中からなにか、抜け落ちていくような、感覚。
「どうした」
「あっ、か、は…ッ」
ぼんやりしたままよろけていた俺を畳み掛けるように、腕を引かれて腹に膝が直撃した。
鈍い痛みが貫く。
「っ、はぁ、……は……、
……な、んで、ッが!」
声はなぶるようにまた放たれた蹴りによって詰まる。
力が抜けた。手足がだらりと垂れる。アースに片手を持ち上げられてるだけで、引き摺られるように立たされていた俺の、まだ角が上がっていた口からは血と唾液が混ざったものが流れ落ちた。不規則な息が白い。ボタボタと血が腹に滲む。
痛い。
気が抜けるような痛みに、頭が冷えてくる程だ。
そんな頭で呻くように呟く。何故、当たらない。届かない。
さぁな。目の前の男は嘲笑って力ない俺を放り投げた。受け身。そんなの取るような思考回路は停止している。
「ぅ、っ、ぁ……は、ぁ、っぁぁぁ゙ぁ」
「ふむ………本当に、何故だろうな」
ぎちりと踏まれた腹の浅かった筈の傷から血が流れた。にじる度言葉のならない悲鳴が歯と歯の隙間から溢れる、様子を見下ろしながら冷静に彼は首をかしげる。
「何故だろうな。
貴様の動きは独特で、本来は捉えきれないものだろうに」
「ぐ、ぅ、ぅぁぁ、」
「何故か、な」
何故か予測がついてしまうんだよ。
「貴様の行動のな」
「ぁ、が……っ、ん、ぁ、…な、ん……だよ、
なんだってんだよ…ッッ!!」
痛みで朦朧としているのだろうか。叫びながら、じくり、傷を踏みにじるその足にナイフを突き立て、た。
咄嗟に握って袖から出したナイフだ。なにも考えずに、空っぽの頭でナイフを突き刺す。
ほぅ、と嗤い声。
「先程といい、今といい、
貴様は人を傷付ける事に対して恐れはないのだな」
珍しい子供だと嗤い声はまた少し後退していた。ナイフは脹ら脛へと狙ったと言うのにかすったのみらしく、黒いコートが僅かに切れていた。
ナイフを再び投げながら俺は地面を蹴った。血が滲む、痛みが全身を纏う。それすらも忘却するつもりでまた新たに構えたナイフで斬りかかる。
「“恐れ”“も”、“覚悟”“も”
そんなもん“ねぇ”よッッ!!!!」
そう、忘却。
どうせそんな事実も忘れてしまうのだ。
それよりも俺は生き残ること───それが大切なんだから……!!
「まったく、歪な子供だ。
欠陥品、こいつにこそ、そう名付けるべきじゃないのか」
そう誰かに向けるようにひとりごちるアースは、蹴りでナイフを弾き飛ばそうとする。そんな足に逆にナイフを突き立てれば、靴底に刺さった。厚底らしく貫通はしない。
だが保険にと男は足を引き俺も抜いた所で回し蹴り。
足払い。
それは不発に終わったけれども、僅かに重心をズラさせた。
殺してやるつもりで、俺はナイフを、突き立てる。
「だが」
ツ、と上がっていた、笑み。
「やはりまだ未熟か」
笑ったままのアース。
構わず喉目掛けてギラリと反射するナイフを向けるのだ。
それはもはや拳銃から放たれた弾丸だ。一度引き金を引けば止まらない。止められない。
俺の意思で、はやくここから、こいつの前から逃げようと、こいつを消して、一刻もはやく記憶からも消してしまおうと叫ぶ本能のまま引いた引き金だ。
止めたのは、背後に現れた気配、だった。
『主殿に近付くな。
害虫如きが』固い、鋼のような鈍器で腹を強打して俺は真横へぶっ飛んだ。
「ぐぁあ……ぁ…あ…っ」
大きなハンマーにでも殴られたような衝撃。地面に打ち付けられ、そしてやがて壁に背を打って息が止まる。
なにかが折れて軋む音が耳に残る。息ができないほどの痛み。忘れかけていた痛みが帰ってきてまた全身に絡み付くのだ。乾ききった唇が血で滲む。
口紅の如し、それはまた、美しき成り。詠うような口振りで言いながら歩み寄る江臨の足音が、響く。
体は動かない。
視線のみ見上げる。
ユウ、サヨリ、ナミ、シキ───地面に伏す、彼等の事など気にも止めず雑草のように踏みつけながら歩む、江臨が、死神のように見えた。
俺を浚っていく、死神。
その後ろで立つアースはニヤニヤと愉快そうに笑っているまま。
「貴様が先に刃を向けたのだ」
片手で玩んでいた、俺が投げたナイフの刃を自身の首にそえて見せ付けるように笑う。
『ならば、
然るべき罰を』応じた江臨は、硬化させたそのハサミを振り上げながら距離を縮めていく。
カツン、カツン、カツン、音が近付く、ぼやけた視覚の中でも赤が近付くのも見える。
そして、やがて目の前で止まる。
音。
振り上げたそれを降り下ろす音。
風を切り裂き迫る音。
それが聞こえた瞬間、その声は聞こえた。
「まぁ、
貴様のそれがなくてもどうせ、こうなっていただろうがな」
静寂
“そして”
───
死ぬな、レオ。(殺させは、しません。)(死んではいけない。)
(嵐の前の静けさの中で)(聞こえた)(誰かの声)
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