空契 | ナノ
36.静寂 (5/6)

   
   
   
ドク、



『…み、…………ん、ナミさん! ナミさん、しっかりなさってください…!』
『ぁ、…く、ぅ……』

───ハッ、
シキの叫び声、ナミの呻き声で、黒に染まりかけた視界がスッと戻っていく。
それでも、どこか、遠く、ぼんやり感じた。景色。
紅色のナミに、必死に語りかけるシキの姿。


ドク、ン、

あれ、額を、抑える。
いつか、感じた痛、み。
じくじくと、刺すような、痛み。それが、頭を、脈打つように締め付ける。
確か、これは、
ユウが、あのハクタイシティの、ギンガ団のビルで、そこ、で、

あれ“違う”。
もっと、もっと、
“もっと”、
もっと、前の、“前”の“記憶”。

───波の、音が、響く。

ドッ、ク、

「…っシキ! アイアンテール!!!」
『レオ、さ……!?』

どこか、遠く、ぼんやり感じた。景色。それが、唐突に、途切れるた時に見えた赤。

江臨がシキに斬りつけていたのを俺は咄嗟に押し返せと指示を飛ばす。
頭を抱えながら振り払うように叫んだ。

シキは困惑しながらも尻尾を硬化、振り上げそのハサミに対抗しようとする。

洞窟に金属音が響いたその反響音を聞いてドクリと揺れた心臓。
脳細胞が凍り付いたように冷えきった。
冷静になりきった頭で考える。

今の指示は完全に自身のミスだと。


声を出せない。その前に、シキは地面叩き付けられていた。力負けして、反対のハサミに鋏まれ、そのまま地面に押し潰された。


『ぅ、ぁ、あぁっ!』
「し、」

身の毛がよだつ感覚に苛まれた俺に、笑い声が突き刺さる。
驚愕で動けない俺の目の前で江臨がシキを踏みつけて、嗤ってい、た。
俺の顔を視て、愉快そうに、愉快そうに、心底、愉しんでいるように、


『はは、
いい顔となったでござるなぁ!』



ど、く。
言葉を、消失した俺に、そいつは見せ付けるかのようにシキを踏む力を込めた。地面に穴を空けるほどに。


『自身の面を把握しておられるか?
いと愉快じゃぞ!!
微笑を、醜い微笑を歪め!
嗚呼、三日月の如く口つり上りとおる!

血、似合い、美しきであろうな……!』



ぐしゃり、
嫌な、音が響いて、俺の頬を、紅が濡らした。

恍惚に、息を飲む江臨。それが、血、で、濡れたその腕をこちらへと伸ばしてくる。
警鐘警鐘警鐘警鐘警鐘逃げろ逃げろ逃げろ殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される……。

しかしその手が届くよりもはやく、氷の塊が江臨の腕に当たった。
ナミだ。
かろうじて意識を保っていたナミが体を起こして叫んだ。

『レオっっ!! 今すぐ!! 逃げろ!!!』
『……チッ、猪口才な』


『逃げろ、レオ、はや、っく、がぁ、あ゙ッぁっ!』


刹那で消えた江臨はナミの頭上に現れ『黙れ』───拳を振り上げ、突き落とすようにナミを殴り付けた。
弾丸のように眼にも止まらぬ速さで重力も手を貸し、打ち付けたそのハサミは重くナミにめり込む。地面にこれでもかと押し付け、離し、そして踵を落として何度も、何度も何度も何度も蹴り付けた。


『嗚呼、』


煩わしいと吐き捨てた口。その口元にどす黒い色をした紅がこびりついた。
瞬間奴の口は、それこそ三日月の如しだ。
裂けるんじゃないかとくらい、つぅと弧を描く。

感嘆の、恍惚とした息を吐いて悦ぶ声を上げる。
狂ったように。


『嗚呼、ああ、ああ、ああっ!
美しいではないか! 貴様も! 血が! 美しく彩られておるぞ!!
紅(べに)が!!
生命が美しく!
形と成りて流れゆく……!』



足を、引く。
狂ったように、乱舞するように、腕を何度も振り上げ、降り下ろし、振り上げ、降り下ろし、嗤う、何度も何度も、何度も、


『あはっ、はは、
ははははは、はははは、は はは はははは は はは は は ははははははは はは ははははははっ!』

「っ、っ、な、ッ、み、、」


ぐしゃ、ぐしゃ、ぐしゃ、ぐしゃ、その光景が、絵の具を筆で押し潰すように柔く叩き付けられた光景が足を震わせた。
腕に力が入らない。がちがちと歯がぶつかり合って煩い。心臓の音なんて遠くで音が鳴り止まない。
逃げろ、逃げろと震える白い手で手首を掴んだ。違う、俺には他にやることがある。あるはず、


『ふ、は、は、はは…ははは…』


どうする、どうする、どうすれば、いい。
逃げ出したいと言う感情で一杯になった頭に容赦なく奇妙な笑い声が突き抜けていく。

そして、次の瞬間過ぎていった言葉。
それは我が耳を、疑うもので、


『……はぁ、
飽きた。』


「───は………、?」

鈍器で頭を殴り付けられたように俺は立ち尽くした。
理解ができない。
なにを言っている。彼は、英語だとか、フランス語だとか、そんな意味の分からない言葉を発しているのだろうか。


『嗚呼、つまらぬ』


欲しがっていたものが手に入って、でもそれにケチをつけるように、吐きつけた。
やはりその言葉は異国語のようで理解の範疇を越えていたのだ。

何故、こんなにも弱いのだ。話にならない。そう言った、言葉も、全部、


不意に、その狂喜に赫う眼が薄れた。


『かのようながらくた、要らぬ』


『レオ、』微かな声を溢しこちらへ手を伸ばすナミの姿を、
地を這う虫でも見下ろすような冷却された眼が細められる。


『捨ててしまおう。
そうでござるな、嗚呼、かのようなものは、
殺してしまおうか』

「! やめ、!!!」

「また勝手に暴走して……あいつは」

「っ…て、めぇ………!」


忌々しいという顔色で、ハサミを振り上げた。硬化したそれはナミを打ち付けようとする。殺す。その単語でようやく俺の身体は弾かれたように動き出した。

ナイフを取りだし投げ出す。

だが、その瞬間───どこか他人事で、呆れたように呟いたアースの言葉が聞こえ、カッとして頭に血がのぼってナイフの軌道を変えてそのままアースへと投げ付けた。

アースの額へと真っ直ぐ投げられたナイフは軽く身をズラされかわされた。
けれども俺からしたらそのズレのみの時間があれば十分だ。


「動くなこの外道侍!!」
『何…?』


アースの正面へと間合いを詰め、怒鳴るように叫んだ。
それから低く漏れたアースの笑みに、ぴたりと江臨は動きを止めた。
ハサミはナミにかすったところで制止したのを、アースの喉元に新しく袖から出したナイフを突き付けながら
見ていた。


『…何の真似であろうか』
「動くなっつってんだよ。
ナミから、……そいつらから離れろ」
『………』
「見て分かるだろ。
あいつらはもう戦えない」

「だから何だと言う」


江臨から眼を離しナイフを突き付けているアースに、じろりと視線を向けた。そうしてからやっと俺は、アースが自分よりも背が高いと気付く。アイクよりも高いだろうか。

動じることない、毅然とした態度。ギラギラと輝く鋭い刃を前に、自身を守るものはコートという布しかないだろうに逃げようとはしない。
正面から俺を見下ろしていた。

この近さで感じる威圧。
それに寧ろ俺が押されそうになりながら挑むように睨み上げた。それでも俯き気味で深々と被られたフードのせいで顔も確認できない。


「どういうことだ」
「それはこちらの台詞だ、小娘」


近くで響くその声に鼓動と共に震えが走る。


「確かに奴等は戦闘不能…………瀕死状態かもな。

だとして、
それがどうした」

「どう、って、」

「普通のポケモンバトルならそれ以上の攻撃は無意味だ。
ルールでは戦闘不能させることでバトルは止まる。止めなければならない。

だがな、
此処で行われてるのは“ポケモンバトル”“なんかじゃない”」

「は、」


なにを言ってるんだと笑う。
アースも笑う。
「ただの殺戮だろう」と。

ぐしゃりと、ペンキのようなものが撒き散らされる音が聞こえた。
振り替えれば、江臨が、ユウへとハサミで斬り裂いていたのが、眼に映り込んでナイフを握る手に力が、こもった。

ユウの、悲鳴が耳をつんざく。

ユウに意識が戻ったのだろうか。
そして、江臨に、飛び掛かったのだろうか。

なにを、しているんだ。そう、口を動かす。ぱさぱさに渇いた口だ。


『アース殿の申す通りじゃ』


かは殺戮である。


嗤って、紅を撒き散らした。

静かに、華を散らした。


「ゃ、」


何度も何度も何度も機械のようにそいつは何度も拳を叩き付けハサミで斬り裂き紅を散らす。
その光景、理解などできない狂喜、狂気、がたがたと震えが止まらない手でナイフを握り直して服に突き刺した。


「や、めろ…!!!

おい、お、い、
やめろ、やめろよ!!
分かってんのかよ!! こいつは人質だぞ!」
「そうだな、俺は人質だ」


だったら人質らしくしたらどうだ。そう言ってしまいたい程、他人事のようにアースは言う。
不敵に笑みを深めながら。


「お前は俺を人質に取ったんだ。

そして、お前は先程、江臨に対して簡単には勝てないと踏んだが為…二体のポケモンを繰り出し対抗した。
分かるか、この意味が」


随分と都合が良いものだな。


「自らもその“ポケモンバトルのルール”を壊しておきながら“ルールを守れ”とでも言うつもりか?」
「……黙れ、殺すぞ」

「図星じゃないか」

「黙れ、そんなこと知るか、さっさと止めろ」

「止める理由がないな。
言っただろう?

これは殺戮だと」

「黙、れ、っ、殺すって、
言っ、てん、だろうがぁぁあっ!!」




言っただろう。
これは殺戮だと。


どろどろとした感情に任せて突いたナイフは、空を斬っただけだった。

アースにいつの間にか手を弾かれていた。

小さな動作の小さな力だったのに意図も簡単に手はアースから離れ、バランスが僅かに崩れた。何が起きたのかは分からず唖然とするも、反射的に今度はそのナイフも投げ付ける。

アースはそれを長い袖で角度を合わせて払うとナイフは真上へと跳ね返った。同時に俺は走り出して拳を繰り出した。

右。右。左、右。変則的な殴りのラッシュ。
小さなモーションのみで放つ拳。だがしかしそれは空気を捉えるのみで、服にすら手は触れれない。


「っ、(くそ!)」
「無駄のない動きだ。
とてもレベルが高い教えを受けているのか?」


そう言いながらアースはしっかり俺の腕を見て、判断して後退、横飛び、それを使い分けている。


「独特な動きだな。
しかし、」


全てかわしきっている、
それだけではない。

ひゅ、と腹を狙って蹴り入れた足。
を、
掴まれた。


「!」

「“独特故に”“癖がある”」


軽く横に押されるようにして避けられた足、を、受け流すかと思いきや、アースはそのまま掴んだのだ。
受け止められたとは違う。
身動きを封じられた。

そこからの反撃をすべきだった。しかし、それよりも早く、アースの長い脚がコート下から伸び、俺の頭を打った。

片腕でそれを防ぐ。
そんないつもの動作すら、この時は何故か出来ずに気付けば俺は頭に衝撃を受けて成す術もなく固い地面に一身を叩き付けていた。


「っ、ぃ、…ッ…(なん、だ……なんだ、いまの)」


がたがたした地面が肌を打ち付けた痛み、それと茫漠とした感覚に頭がぼんやりとした。

からん、ナイフが遠くで落ちる音が遠かった。

なにがなんだか分からない。そのまま呻く暇もなく、アースの足が踏みつけるように迫ってくるのを俺は足払いをして回避しようとする。

軽いバックステップ、
それでかわされる。

なんでだ。
なんで当たらない。
足払いが失敗してからでも低い位置から走り出して肘鉄を入れる。
軽くいなされ、後退していくアースを打ち寄せる。

不意にアースが立ち止まった。

一弾指、

反撃───。
左右と拳が殴打する。


    
    

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