空契 | ナノ
31.僕と君が歩む道 (5/6)

    
    


和解は成立したと言っていいだろう。
ユウはぼろぽろと音もなく泣き続けて、レオを抱き締め続けながら、ふざけた発言をして笑っていた。そんなユウに突っ込んだり突っ込まれたりと軽い口調で会話を繋げながら、レオは彼が泣き終わるその時まで、背中を撫で続けていた。
あたたかい、空間がそこにあった。
いつもと同じような空気なのに、スムーズに会話が弾むように感じる。錆がとれた、歯車のように噛み合っていた。

それを噛み締めてじっくりと堪能して、ユウは体を離した。じんわり、あたたかくなっていた。
ユウはレオの体調に気付いて、食事を取るように促し、レオもまた空腹の為それに賛同して、座っていたベッドから降りた。

「あ……あのさ」
「ん?」

素足をぺたぺたと動かしながらリビングに向かおうとする背に、ユウが思い出したように声をかける。
ひとつだけ、聞いていなかった事があって、聞いていいかと控えめに口を開いた。

「その、レオが寝言……? でさ、
レイ、ユカリ……エン……って言ってたんだけど」

「──……」
「……誰かなって、
気になった…だけ」


雰囲気が、僅かに揺れ動いた。
聞いてはいけない事だっただろうかと、気配を敏感に感じ取って小さくなる声。ちろりと、顔を上げて彼女の反応を伺うと……レオは、微笑んでいた。
それこそ、いつも通り。
でも、やっぱり、不自然に見える笑み。
少し、その半透明の右眼を、すがめる。

「……レイと、ユカリは、親友。
俺の、大切な……人間、かな」

過去の記憶に想いを馳せるような素振りの少女のその瞳は、とても優しそうな空気を出していた。
自分、相棒であるアイク、また他の手持ちにはおそらく浮かべないだろう感情がそこにあるとユウは悟り、人知れず歯噛みする。
しかし、彼女が上げた名には、エンというのが入ってはなかった。

「エン?」

流石にそこまで踏み込むのは躊躇されたものの、もっとレオを知りたいという思いとの間に挟まれ口を開閉するユウを見て、先に彼女がその名前を口にした。

「───そんな人、知らないなぁ」

とても、無関心な、右眼を携えながら。
笑顔で聞き間違えではないか、とユウの髪を撫でた。
しかし、彼は確かに聞いた名であり、彼女が…とても幸せそうに呟いていた名でもあった。
……だが、事実、少女の記憶にはそんな人物はいなかったのである。
本人としても、事実を言っていて嘘は付いていない“つもり”だ。つもりと、そう述べたのは、それが真実だとは限らず、彼女存在そのものが曖昧だからだ。
───もしかしたら、忘れているだけで、記憶の奥底にはその名の人物の影があるかもしれない。
それを理解しつつも、レオは深く考えようとはせず、そこですぐに思考回路を切った。思い出そうと言う意思がそもそもそこにはない。

……ユウもそれを悟って、リビングへと向かった彼女の背中を見詰め、ひっそりと息をついた。
やはり、彼女の全てを知るには早すぎたか。無理もないかと肩を落とさず、彼も再び笑顔を取り戻して、レオの後を追って後ろから飛び掛かるように抱き付いていった。
これでいいと、確かに自分の感情に区切りをつけられたのだ。


これで、いい。
こう、ゆっくりと歩み続ければいい……。



「───てなワケで、
おっはよーござーまー!」
「おっと突然テンション高い」

ばーんっと扉を開け放って、片手を挙げながら声をかけたレオにすかさずユウが、元気だなと突っ込みを入れた。
そんな突然リビングに登場したふたりに、リビングでそれぞれ寛いでいた者達は動きを止める。……今、キッチンから出てきたナミが持っていたお玉を落とした。

「……ナミさん…キミお玉がよく似合うな……」
「いや、まぁ、そこは否定しないけどさ…」

「…おはよ、う?
レオと……ユウ、か?

「あ、うん。おはよー」

瞳を丸めて見詰めてくるナミに、苦笑しながら手を振った。ぎこちなくとも振り返してきて、ユウの笑みが深まる。
そんな彼の姿が、ついさっきまでピカチュウだったのに人の姿になっていて、ナミは驚いた。───彼がレオを慕っていたのは、知っていたけども。
アイクも軽く眼を見張った程度で、やっとかと息をついていた。予想済みだったらしい。チッとユウが舌打ちを溢すと、鋭い睨みが返ってきた。
そこから睨み合いが始まり、レオが一足先にその不毛地帯から脱出し、無表情でソファーに寝転がる、無気力なサヨリの元に向かった。彼は特に驚いた様子もなければ、全てを知っていたなんて寛容さもない。無関心とまではいかないものの、レオとユウの雰囲気が何処か心地よくなった事に特別反応を示す事もなかった。ただ、だらだらとブカブカなジャージの腕を上げて、レオを見上げ、

「……元気……」

と声をかけたのみだった。疑問符はないがおそらく疑問系である。

「おー、どっかの誰かさんに殴られた腹は痛ぇけどなー。
オカゲサマでよく寝たから、結構とゲンキ」

「……よく寝れたなら…結果オーライ、じゃない……ね、蜥蜴…」
「はっ、そりゃな」
「ユウくーん、とりあえずそこの蜥蜴ブッコロしちゃってー!」

「おっしゃ! 任せて!
今までのお返しをしなきゃね、クソ蜥蜴!」

「やれるもんならやってみやがれ、チビ」
「はぁ!? 誰がチビだって!? あんたがデカイだけだろ無駄に!」

「……ユウも元気になったようだな」
「まぁな……」

「でも、物を壊すほどの元気さはいらねぇよ……」と、いつも通り、いやそれ以上な破壊活動もとい喧嘩を繰り広げるユウとアイクをげんなり遠い目で見詰めた。
しかし、その右眼に呆れのみではない、あたたかい感情があるのを見付けたナミは、キッチンから運んできた物をソファー近くの机に置きながら「まぁ、酷くなったら私が止めよう」と宥めるように笑った。どうやら、朝食を作っていたらしく、レオの鼻を味噌汁の良い香りが鼻を霞め、食欲をそそるつやつやな白米と、味付けがしっかりしていそうな魚。
レオは「いや、既に酷いケンカになってんだけど」や「毎度思うけどこの魚はなんの魚なんだろう」とか突っ込みたいものがいくらか存在したが、食欲に負けてとりあえず空笑いをして味噌汁に手をつけた。隣でサヨリものろのろと起き上がり、魚に箸を差し入れた。

「恐れ入りますがレオ様、いただきますの御挨拶をなさってからお召し上がりください」
「あ、そうだった。いただきまーす。
……あ、うまいな今日の味噌汁」
「……うま……」
「そうか?」

「おう、昨日より味がしっかりしてる。
ナミさん日に日に料理上手くなってるなぁ」
「良かったですね、ナミさん」
「お前の助言のおかげだ。ありがとう」
「恐縮です」

「……」
「……」

「…………
……ブフォッ!?」

思わず味噌汁を吹き出した。無理もない。見たこともないし、知りもしない人物が正座をして、ナミとほのぼのとした空気を発していたのだ。サヨリは無反応でただ「汚……」とレオに冷たい視線を送っているのみである。
しかし仕方ないと声を大にする。

「うわぁっ!? え!? 何!? 誰っ!? どちら様!?」
「(あ、デジャブを感じる)」

なんでナチュラルに会話に入ってきてんのこの人!?
ガタッと中途半端に立ち上がりながら机を叩いたレオに、アイクの攻撃をかわしながらユウが当然の反応だと頷いていた。そして今、ハチマキをしてる額にアイクの拳が入った。
吹っ飛んだユウ。だがこちらはそれを気にする事なく、その人物が礼儀正しく軽く手を膝にそえ、頭を下げた。

「おはようございます。無礼を承知でお邪魔しておりました。
そして誠に恐縮ですが、味噌汁を吹き出すなど御行儀が悪いですよ、レオ様」
「あ、すみません」
「いえいえ。
それよりも、折角の美味しい朝餉が冷めてしまいます。どうぞ、御早めに」
「あ、はい。




じゃ、ねぇよ!!
誰ですかあんた、誰ですかカーチャンですか!」
「おや、レオ様の御母様は礼儀に尽くす御方なんですね。素晴らしいです」
「いや、まぁそれなりに礼儀にはうるさいけど、ここまで優しく構ってはなかったな……。
……ってこれも違うっ!!」

スッパーンッ

「いったぁ!? ちょっとちょっとレオ! 八つ当たりで僕にクッション投げ付けないでくれる!?
いや気持ちは分かるんだけどさ!」


とんばとばっちりを受けたユウが怯んだ隙に、アイクの足蹴りが飛んできた。それを的確に避け、逆に受け止め投げ飛ばす事ができた辺り、ユウも成長しているらしい。
……と、これも違う話である。レオはぴくぴくと米神が引き攣るのを感じながら、そこでニコニコと花のような微笑みを浮かべる人物を見詰めた。ただし、ここで言う花とは、ダリアのような優雅な花が似合うとレオは綺麗な笑みの相手を見据えて思う。ユウ、ナミの笑みも花が咲くようなものがあるが、またそれぞれ違う花である。
まぁ、それはイメージなのだが……そう評する程、その人物は美しく笑う。

その人物は、肩下程はあるであろう茶髪だった。その後ろ髪を肩の前へと流し、亜麻色のわたのようなシュシュで縛っている。前髪の一部分も、茶からその亜麻色へとグラデーションとなっていた。
ファーのフード付きドルマンスリーブコートはブラウンで、全体的に落ち着いたレディースファッションになっている。
灰色の瞳は大きく顔立ちも、美人で可愛らしい。歳はナミよりも高めといった所か。

じっくりと、寧ろじと眼で観察するレオにくすりと微笑んで、その者はやっと名乗ることにした。


「申し遅れました。
私は、昨日(さくじつ)貴女様にお助けしていただいた者でございます。
種族はイーブイ。名は、我が主、ミズキ様に渾名を頂いておりまして、シィと申します。
以後、お見知り置きください、レオ様」

「……あ、それはご丁寧にドウモ……」

45度と礼儀正しく腰と頭を下げられ、マナーとは無縁そうなレオまでも思わず居住まいを正してお辞儀をしてしまう。
……内心、全力で荒ぶっていて、汗が吹き出して吹き出して仕方無いが、せめて形だけでも。

「(……え……あぁ、あの時のイーブイか……あー……ん? あれ……ミズキ、さん…って)」

レオの世界で、ミズキという名前は珍しくもない名前でついさらりと流しそうになった。だがしかし、脳の片隅に引っ掛かったのだ。イーブイとミズキ……凄く、凄く、レオからしたら聞き覚えのある組み合わせである。
だらだらと汗が止まらなく、下げた顔を上げるのが臆する所である。そんなレオの傍らで、ナミが「…ミズキ…ミズキ…」と口のなかで反復させて、ふむとひとつ頷いた。

「…その名は、ポケモン研究所で聞いたことがあったな。
確か、ポケモンを預ける事ができるネットシステム……ボックス、その管理人者の名前がそうだった」

「ふふ、マスターも有名になったものですね」

「(うわぁぁマジかよあの人か!)」

否定せず寧ろ言い当てられた事を、嬉しく思っているような笑顔を見せるシィ、と名乗ったイーブイに思わず額を床に打ち付けた。やはり、そのミズキだった。
今、レオは手持ちポケモンの数が4体と、まだ少ないので使用はしていないが、ここの世界ではとても重要となっているボックス。ニュースでよくこの話題は見るし、管理人も有名である。
ゲームでは乱獲したり、孵化したりとポケモン廃人だったレオは、当然ボックスのお世話になっていた。しかも、ヨスガシティでは、イーブイをくれたりするかなり有りがたい人である。

───そのイーブイが、この、今目の前にいる、シィ……まさにこの者なのだろうか。
なんで、そんな子が巡り巡って、自分の目の前にいるのかと、やっと顔を上げたレオは首を傾げた。

「………なんで、キミあのオカッパ集団……えーと、ギンガ団?のトコに?」

いや、捕まっていたというのは分かる。ただ、どういう経緯でそうなって、そして何故此処にいるのかが知りたかった。
すると、シィは目を伏せた。

「42日前に、そのギンガ団と名乗る方々に……色々ありまして、捕獲されてしまったのです」
「(42日とやけに具体的な数字出したくせに、色々ってなんで急に曖昧なんだ……)」

細かいのか大雑把なのか、どちらだ。気になる所だが突っ込みは心の中だけに止めとくレオだが、アイクとユウも同じ気持ちになりながらバトルを続ける。ガッシャーンと大きな音を立てて様々な物が壊れていた。
その音を聞いて、笑顔のまま少し固まったシィが「…止めなくて宜しいのですか?」と目線を送ってきたがレオも満面の笑み考え、とりあえずナミに親指を突き立てたGOサインを送っておいた。「任せろ」といい笑顔であの不毛地帯に踏み込んでいったナミ。直後、悲鳴(主にユウ)が聞こえたがスルーを決め込んだ。考えたくない。
「で、」と続きを促すと、若干引いているシィが気を取り直したようにひとつ咳払いをした。(……それすらも穏やかで優雅って一体どういう事なのだろうか美形とは。と、これはレオの心境である)

「捕まってしまい、ずっとあのような所で換金されていた私でした。
そして、そんな中……ユウさんと、貴女様に御援助していただきました。
まずはそれについて、御礼を申し上げたく参りました。窓から」
「窓から!? さらっと爽やかないい笑顔で!」「あーデジャブー」

「並々ならぬご尽力を賜り、
心より感謝いたしております」
「いやいやいやいやいや」

今度は90度と深々と頭を下げられ、レオが慌てて制止にかかった。
そんなに感謝をされる事をしたつもりは本人にはない。

「あれ、完全に俺による俺の為の行動だからさ!
そんなに感謝されても困るって言うか……ユウくんに言ってくれ、その台詞……」

と、言いながらユウの方を一瞥すると、今、彼はアイクと並んで、仁王立ちするオトン……ナミの前で正座していた。ボロボロで。完全に不良息子とお父さんの図だ……。
……まぁ、感謝の言葉は後でいいか。あいつもそれどころではないだろう。

「あ、それより、キミあの集団になんかされなかったか?」
「なにか、とは?」
「いや、薬打たれたとか、そういう」
「ああ、私は特に……」

無事らしい。念のため、と昨日保護したポケモン達は、全員そのままポケモンセンターに預けたのだが、それは良かった……が、ますます何故このヒトは此処に。
まさか、さっきのお礼を言うだけにわざわざ来たのかと問うと「そちらもございますが、もうひとつ、私からのお願いがございまして……」と控えめに口を開いた。頭は、下がったままだ。

「…お願い?」
「はい。
……大変、厚かましく、個人的な願いでして、とても申し上げにくいのですが、」

その灰色の眼を伏せたまま、シィは言い切った。


「───どうか私を、貴女様の旅に、
御供させていただきませんか」

    
───下手に出る控え目な台詞とは裏腹に、隠された瞳、意志は消えず、したたかな印象を与えるものだった。

   
   
     

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