空契 | ナノ
31.僕と君が歩む道 (4/6)

    
    


「ずっと、」


耳朶を、近くで声がうつ。さっきまで、この手を握っていたピカチュウと同じ声だった。
吐息を吐き出して、抱き締める力を一瞬強めて、ふっと笑った。

「ずっと、こうしたかった……」

抱き締められてばっかで、撫でられてばっかで、
ずっと、本当はこうしたかった。

「やっと、できた…!」
「おま、え…………ユウ……!?」

「うん…!」

心底嬉しそうに成し遂げたと笑う声は彼そのもので、声を上げると、体を離され、顔が確認できた。幸せそうに緩んでいた頬。少しだけ水分を含み揺れているダークブラウンの瞳を細めて、彼は大きく頷いた。
彼は、ユウだった。
ハチマキで額を隠していて、そこからひょこりと出ている耳のような髪先だけ黒く染まっている。他はふわふわな黄色の髪で、思わず撫でるとピカチュウを撫でていた時と似たような香りが鼻を擽る。
レオの優しい愛撫に目を閉じて浸って、それから彼はもう一度彼女に両手を広げてそのまま抱き締めた。声もなく、茫然とした様子の固い体で茄子がままになっていたレオは、頭を撫でられながらぼんやりと口を開いた。

「……ユ、ウ……」
「ん?」
「…………なん、で……擬人化、なんて……」

「君が好きだからに決まってるでしょ」
「っ、だって……嫌いって……」

嫌いって、言われたし、そう言われても仕方がない、態度を取ってきレオは自覚がある。
だからこそ責任を感じていたレオだったが、ユウは静かにそのまま抱き締め続けた。

「…あのね、それも、レオと同じ。
ごめん。嘘だったよ」

「同じ、って……」
「うん、本当は、ずーと……君の事が好きだったのに」

レオは笑みを消さない。ユウが何を言っても消すことはなかった。多分、今も───抱き締めているから分からないが───笑っているだろう。
そんな余裕を捨てやしない彼女に、過去の自分は苛立って、嘘をついたのだ。自分も、余裕ぶって。
───するとレオが、ユウの着ているカーディガンの裾を握ったのが分かった。動揺しているのだろうか。……ああ、やっぱり。ずっと、自分が気付かなかっただけで、こんなに彼女の人間らしいことがある。それを愛しく思い、微笑する。

「………そう、本当は前からね……、
擬人化、できてたんだよ?」

「え…!?」

男らしいガッシリとした肩に手をついてレオが叫んだ。これは確かに驚き。
自分の一言でこうやって彼女の反応を引き出せるのが、前から好きだったのだ。くすりと笑んだそれは、悪戯を仕掛ける子供のよう。
しかし、レオが驚くのも無理もない。そんな素振り、全く見せなかった。

「え……えぇ、いつから、」
「あの洋館で。
洋館で、レオが突然意識を失ったじゃん。
……あの瞬間」


レオが石に触れて何故か気を失った時、彼女は無抵抗に床に散らばっていたガラスの上に倒れそうになっていた。
それを、ユウは後の説明で、レオ自らが自力で体制建て直した、としたが、あれは適当についた嘘である。
まさにあの瞬間、ユウは、擬人化を成したのだ。

「レオが、あのままだと大怪我をする。……なんて考える間もなく、体が勝手に動いてね。
助けなきゃ、守らなきゃ……って」


手を、伸ばした。徐々に倒れていく背に、遠ざかっていく背に。
小さな手を、必死に、伸ばした。届いたとしても、非力な自分が支えれる自信はなかった。それでも、手を伸ばしていた。
───手は、届いた。
無理だと思っていた距離を縮める事ができた。そして、何よりも驚くべきだったのが……ユウは後ろから気を失っている彼女の肩を抱くように、支えていたのだ。
物理的に考えて、ピチューがレオを支えるのも、抱き締めるのも不可能だったが、出来ていたのだ。───その時、自分が人間の姿をしている事に、ユウは気付いた。

「……驚いたよ。
それから、分かっちゃった。僕が君が大切、なんだなって」


───嘘だろ……。
自覚して、気付いてしまって、愕然とそんな言葉をこぼした。無音だった部屋に、染み込むように溶けて消えていった声……。
それらは、レオが闇に意識を染めていた時の出来事であり、感じた違和感である。

「(あの違和感は、そういう……)
なんで、黙ってたんだよ……」

やはり、それを認めたくないという頑なな気持ちからだろうか。
ユウは「それもあったけど、」と呟いて、複雑そうにした。少しだけ躊躇して開かれた口から聞こえた言葉は、

「…その、直後、
…黒コートを着た男、にさ……」

「は……、」

レオの眼を点にさせるには十分であった。
黒コートの男。その言葉で脳裏に浮かんだ者に、ひくりと頬を引き攣らせたレオの反応は予想していた。更に苦い色を滲ませて、ユウは離れた顔で眼を泳がせていた。

「フードを深く被ってて、顔は見えなかったんだけど…………その、もしかして、もしかすると……」

クロガネシティでの騒動に関わったかもしれない、奴なのかな……?

「会ったのか!? そいつと!」
「…うん、まぁ、 軽く話した…」
「な、なんて!?」

「……その、話したってより……忠告、された」


───あの時、自分が成した事がまだ信じられず、現実から逃げるように、レオを抱き締めたまま動けなかったユウは……遠い思考の中で、ただ少女の冷たい温もりを感じていた。
どこかで雷が落ちた。そんな音を、ぼんやり聴いていた。そんな、薄明かるい部屋、空間で、嘘だろ、と泣きそうな声で吐き出した。

また、そして無音になったその部屋に、ゆらり、ゆらりと影がひとつ現れたのだ。音もなく、気配が現れてユウがやっと気が付き顧みれば、人身の後ろ……5歩ほど離れた場所に、闇色のコートを身に纏った誰かがそこに居たのだ。
ゆらゆらと、コートを飾る赤色の装飾が揺れていた。

最初こそは警戒していたものの、低めの声。黒コートの男のものらしい。その声で、見透かされたように問われた。「お前は何をしたい」「何を望む」と。
意味が分からないと狼狽え黙り込む彼に、更に畳み掛けるように黒コートの男は問い続ける。
「お前の意志が成し遂げたそれは、擬人化だ」「主人を好いてるか、頼っているか、または、何かを成してやりたいという想いが生むものだ」「それを、お前は成した」「──何故?」と。…淡々としたように聞こえて、そこには静かな怒りのようなものも、あった気がする。
そこでユウは認めるべきだったのだが、目を、逸らしてしまった。
再び問い掛けられた質問。
「お前は何をしたい」「何を望む」
……それに、知らない。わからない。そう答えたのだ、ユウは。

───そして、その答えを聞いた男は、僅にフードの下で眉を寄せると……「そうか」「…精々、間違った道を選ばないように努力しろ」と言い残し、闇に溶けるように姿を消したのである。

「……忠告、わざわざしてもらったんだよ? あんなにどう見ても怪しい男に……。
なのに、僕は認めたくなかった」

擬人化したなんて何かの間違いだと言い聞かせ、見ぬふり気付かぬふり。自分の好意にプライドという名の蓋で覆い隠して、でも消しきれないのは自分のせいなのに、腹が立って仕方がなかったのだ。

本当、は、ね、

「だい、好きだよ…レオ……っ」

遅すぎた、かなぁ。
そう言って、ユウははにかんだ。
その空色の、ずっと好きだった右眼を見詰めて。
ぼろぼろと、自身の瞳から、大粒の涙を、堪える事もなく溢しながら。

「僕、
君に、惚れちゃっ、てた…」

「……なんて」

冗談のような口調で、でも誤魔化しきれない気持ちを真っ直ぐと伝えられた。
その事実に、どうしようもなく涙が込み上げてきた。
鼻を赤くして溢した涙は、レオの手の甲に落ちる。彼女は止まらない涙を指で拭ってやりながら、照れ臭そうに微笑んで言った。

「……俺も、ごめん、好きだよ。
大切だって、思った」

思ってしまった。本当は、そんなの……。ごめんともう一度呟いてレオは笑った。
……分かってる。レオが、何かを抱えてるって事。それがブレーキになっている事。以前の自分のように、その感情に困り果てている事。
……それでも、不器用ながら、頬を撫でてくれる冷えているその手、右眼の色、感情、全てが酷く優しくて……嘘偽りなんて必要ない言葉。
それが、嬉しくて、ユウの涙は更に流れを増して、頬を濡らし続けたのだ。

「僕ら、似た者同士だったんだね」

お互い、物好きー。明るく笑いながらユウがそっと、またレオを抱き締めた。大事そうに。確かめるように。
「ホントだな」ふっと漏れた笑みは似たように明るいもので、柔らかいものだ。眼を細めて、弱い力であるもののユウの服を軽く掴んだ。これも、大事そうに。存在を確かめて認めるように。

「ホントに、馬鹿だな。お互い。
こんなに、とおまわりな道を歩いてきて、さ」

「……でも……ねぇ、レオ。
僕、後悔、しそうだったけど、したくない。この道のおかげで、この……幸せな時間があるんだと思うんだ」

「……そっか。
……俺も、後悔は、したくないな。

……後悔してない道、選べたと、思う。
俺にしては、多分、上出来、かな」

「ねぇ、レオ」
「ん、」

「あのね、こんな……僕でもいいなら、ね」
「ん」

「また、君の隣に居させてほしい、な。
また、君の道を、一緒に歩きたいよ…僕」



ひゅっ、と、息を止めた音は、聞こえなかった訳ではない。
でも、それでも居たかった。それが痛いほど積もり積もっていた想い。
隠していた、想い。本当の声だと、逃げずに言ったユウに、レオは少し、呼吸を止めて、数秒間、眼を閉じていた。

「……」
「……ありがとう。ごめん。
それでもやっぱり…………俺は自己中にしか進めない。
俺は俺の道が……あるから」

いいよ、と彼は泣きながら笑った。
また、違う涙が、溢れてきた。

「いいんだよ、レオ。
どんなにとおまわりでも、行き止まりでもいいよ」

それでも僕は……結として、繋いでいたいんだよ…。





「……ほんっと、
バカだなーお前……」

「えー? レオに言われたくはないなぁー」
「あははー、俺もお前にも言われたくはねぇよー」
「ははっ、お互い様だね!」
「うわ、くやしー」
「えっ、酷いよ!?」





きっといつもみたいに、だがしかし、いつもより優しく、綺麗に、ふたりは笑えていた。





    
    

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