空契 | ナノ
31.僕と君が歩む道 (3/6)

   
   
   

少しずつ、徐々に、だが確実に、
ユウの中の様々なものが狂っていく。

『……ずっと、人間の元で暮らしてた僕が、野生で生きていくのは、少し大変でね』

もう少し強かったらどうにかなったかもしれないが、ポケモンの縄張りなどに間違って侵入してしまい襲われたり、トレーナーに捕まりそうになったりの毎日で、食料を確保するのもままならない事も少なくなかった。
人間の元に居たときが、一番楽だった。───歪んだ思考回路がたどり着いた先は、堕落だ。

『僕はね、人間に媚を売って、気に入られて、
取り入ることで生活してたんだ』


人間を見下す冷たい表情を笑顔で隠して、可愛らしく振る舞うことで醜い自分を追いやったつもりで、人間に擦り寄っていく。
擦り寄る相手は選んだ。
人間の女だ。特に、少女。年頃の女は可愛らしいものが好きで、単純なものを好む。そう知ったピチューは擦り寄っていく。擦り寄って、にこやかに微笑む。そうすれば大方の出来事はうまく運んだ。
だがいくらたっても進化はしないピチュー。──……当然だった。懐いてなど最初からなかった。それに気付き激怒した者たちは、ピチューを捨てる事が多かった。

『女の子を見付けては、擦り寄り、取り入って、拒絶されて、捨てられて、また、新しい誰かを探す……その繰り返しが数年続いた』

狂っていく自身の軋めきに、気付くことはなかった。いや、気付いていたのだろうか。やはり、見ぬふりをしていたのだろうか。
感情は錆び付き、思考は曲がりくねって、意志は冷えていき、堕落、堕落、堕落、堕落。
彼はこれで良いのだと、これが幸せなのだと、麻痺した感覚で呟いて軋む音など、知らぬ顔で歩いていた。

そんな荒れ果てた道の頭上、ずっと曇っていた上に、ある時、綺麗な空が広がった。

『何度目か、また捨てられたんだ。……ミオシティでね。
…いつも通り、また違う女の子を探してたんだけど……うん、そうだよ。

そこで、キミがいたんだ』


───藍色の髪を靡かせながら、チンピラ風の男の集団の中でひとり立ち回っていた少女。
それに目が止まった。
綺麗な空色の右眼。───その時は特に何も感じなくて、変わった気配の女の子だな程度の認識だった。
だが、ポケモンに人間を攻撃を命ずる男の存在に、ついカッとなった。体が勝手に動き、ほぼ反射的にピチューは、雷で少女を、馬鹿な男たちから守ってしまう。そして、また反射的に彼女前から逃げてしまったが、何となく、思うことがあって彼女とキモリの跡をつけた。
そう、何となく、自分の目的に合う人間なら、いい。そんな自己的な理由だけが行動に必要だった。

『驚いたよ。
キミとキモリ……アイクか、普通に会話してるんだもん。原型のポケモン相手なのに』


会話を交わしながら、バトルをしていた姿があった。
そのふたりの様子は、仲が良いとは言えぬものだったが、どこかで心を通わせているようにも見えた。不思議な関係。当にそれ。
そして、コトブキシティできちんと会話を交わして───思ったのは、彼女が知りたい。なんて、小さな興味もあったが、一番の目的は変わらず“暇潰しで楽をするため”である。いつも通り。ただ自分が楽に生きていく為に選んだだけだ。
言葉が通じると知ったから“嘘の告白”をした。そうすれら女なんて気をよくすると知っていたから。
レオというこの少女も例外などなく、受け入れてくれた。そう思っていた。うまくいったと、勘違いしていた。
実際、彼女の手持ちとなって対偶は悪くなかったし、たまに遭遇してしまう、ポケモンを道具としてしか見ない人間とは違ってきちんと扱ってくれていた。

『それを当然だと思って、傲慢になってた。僕』

こんな自分を良くしてくれたのだ。彼女は、最初っから自分の嘘に気付いていたのに。
彼女は、騙されていて、間抜けなやつだと見下していた自分がいた。本当は彼女が気付いていたことに気づかなくかった自分が間抜けだった。

───ユウは、人間が嫌いと言う訳ではなかった。
ただ、全ての人間が馬鹿みたいに思えて、見下して生きてきた。

『僕ね、いつだって自分が正しいと思ってた。
人間なんかより、自分の方が強いし、だから、正しいって』


自分と人間が対等だとは思ってはいなかったし、思う理由はなかった。
能力、個体値、全てが自分の方が勝っていると思い込んでいたからだ。
自分が弱いなんて、知っていたのに。目を背けて、気丈に振る舞っていた。滑稽な嘘。

だからこそ、敗北と言う現実に直面した時、ユウはとても脆弱であった。
それを聞いたレオに思うことがあるからこそ“中途半端”と評した。

“バトルで負けて泣きそうになってるくせに、泣かないし、
自分のせいだとか抜かしてたくせに、いざとなったら認めないし、
嘘ついたくせに、嘘を最後までつききれなかったし、
作り笑いするくせに、下手だし、
演技なくせに、たまに本気になるし、
どっちにもなりきれない、弱いヤツ”と。

「……ユウ」

レオが正しいとユウは笑った。己はこんなにも、ずっと、中途半端だったのだと。そんな泣きそうな表情なくせに笑う彼の手を、静かに包んだ。
見上げてくる、丸い瞳。ふわりと微笑んで、ずっと黙ってベッドに預けていた身を起き上がらせる。本人に長いこと寝ていたという自覚はないが、その身体は怠く重かった。だがそんな事も気にせず、優しく言った。

「ごめんな。
……少し、俺の話、聞いて欲しいな」

───ひとの事、中途半端なんて、言えるほど、
───強くもない俺の話をさ。

驚いて見上げてくるユウの頭をぎこちない手付きで撫でて、ふわりと笑んだ。
その笑みは優しく、自然的なもの。そこはいつもと変わらなかったが、空色の眼に───陰がかかる。

「……俺さ、
キミに、嫌いだって言われた時、さ。
どうとも思ってないような、そんな風に振る舞ってた」
『え……? 振る舞ってた、て……』
「ごめんな。
俺って、凄く、すごく、弱いんだ」

眉を一瞬寄せて、その眼を逸らして窓の外を見据えた。その姿、その笑顔……そう、あの夜も、彼女は何も変わったように見えなかった。
自分が嫌いだと言ったのに、彼女は“あっそう”と興味もなさそうに呟いて“どーでもいい存在”と吐き捨てたのだ。変わらず笑ったままで、掻き乱されていくのは自分ばかりで、どうしようもなく腹が立ったのだ。だというのに、

「ごめん。
あれ、ただの強がり、みてぇなもんだった」

罰が悪そうに眼を伏せて、彼女は続けた。

「……ハクタイの森の…洋館でさ、あの時、キミが気まずそうにしてたのも、気付いてた」

森の洋館───そこで雨宿りの為、一夜明かす時、2チームに別れて探検に行った時の事だ。
その気まずそうにする理由も、レオ自身にあることも、気付いてた。
ごめん、と呟き彼の頭を撫でる手を止めた。

「…俺、キミを試してたんだ」
『試す……? なにを、』
「……否定、してくれるかな、って」


───俺を利用しようとしたのは────キミだろ?

そう問い掛けた、あの言葉。
彼女にしては珍しく、自分からユウの核心に迫った言葉だ。それに対して、ユウは否定しなかった。
利用した。その言葉が、正にその通りだったから。否定できる訳なくて、何故バレたのかと焦っていた。
その反応を見て、そしてユウが呆気なく自分から離れて行った姿を見て───レオの中で、確かにとある感情が芽生えていた。

「落胆……してたんだ。
……そん時は意味も分かんなかったけど、それって気付かないフリ、だった」

落胆、した時点で答えは出ていたのに。

「ユウ、
俺、お前にずっと期待してたみたいだ」

ユウは眼を見開いた。苦笑混じりで淡く笑っていたレオは、ごめんと呟いた。
半端野郎。ああ、それは自分じゃないかと嘲笑う。それほど、馬鹿らしくて、本当に、今すぐ自分という存在を
消し去りたかった。
眉をぐっと寄せて、胸の内の感情を抑えながら笑い続ける彼女は、もう一度、ごめんと繰り返す。

「ごめん、キミのこと、嫌いじゃなかった」

好きだよ、なんて、素直に言えない弱虫な自分を、どうか笑ってくれ。

『っ───……ぼく、は』

きゅっ、強く、強く、両手で彼女の手を握る。
この小さな手では彼女の手を包みきることなどできない。大きく見える手。強く、握る。
───俯いて、いくつかの沈黙。それから意を決したように顔を上げて、少女の顔を見つめた。
不器用に、笑った。ふんわりと、泣きそうな瞳が、真っ直ぐとレオを見上げた。
ぐっと、震える唇を噛んで、言い聞かせるような強い口調だった。

『僕は君の事が、好き、だよ』

強い口調で、消えそうになった声を無理矢理出して。
そんな、告白だった。

そして……手を引いた。
え、と信じられないと耳を疑うレオ。その顔を引き寄せて、強く、ぎこちなく抱き締めたのだ。

それは、明らかにピカチュウが成せるすべではない。
レオは、言葉をはっと詰まらせる。
───今、自分は、優しく、誰か、人に包まれていた。

知らない、温もりだった。今まで、一度もこうされた事はない温もりだと遠くで思って、いや、とひとつ瞬きをした。
違う。知らない事はない。───この前、つい最近にも、同じ───。

「……? ぇ……?」

自分の顎が誰かの肩に当たって、自身の手が布に触れ、耳と首筋に、柔らかい糸のようなものが当たる。自分を包む、二本の腕と力。
その事実をぼんやりとのろのろと、理解する。自分は、抱き締められていた。
黄色の服が見える。そして、黄色の、ふわりとした髪。その間から布が流れるように伸びている。長い、オレンジと黄色のハチマキのような布だ。それくらいしか確認出来ないくらい、密着した体制に、思考が追い付かない。───なんで、今、自分は、こんな風に、優しく、抱き締められている……?



  
    

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