空契 | ナノ
30.選んだ道の果て (3/4)

        
    


ピチューというポケモンは、個体値がとてつもなく低い。防御力はワースト1といっても過言ではないだろう。そんなポケモンを、俺はゲームで使ったことなどない。使って勝ち目があるかと聞かれたら、ない確率の方が高いのだ。
廃人らしく厳選をして努力値ふりをして、死に出し。そして状況に応じて技を使う。それで相性が良ければ勝てるかもしれない。だが、それで試したことはない。知識として持っているだけである。
試したことはないからこそ、不安なのだ。普通、ピチューがスカタンクに勝てるだろうかと。スカタンクは、攻撃力が高いポケモンなのだから。
種族値も全て負けている。素早さも、だ。勝利は、難しい。
だが、それは普通という話と、ゲームの話だ。


そんな馬鹿みたいな話なんて関係ない。そう示すかのように───彼は目映く力強い“光”を放って姿を眩ませた。

突如部屋を満たした光はふたつだ。
ひとつは、優しく、しかし強い力が凝縮されたような光だ。それがユウを包み込んで、彼の姿を変えていく。そんな目映い光にスカタンクは圧倒される。俺も目を丸めて見守るしかできない。その目の前で、光輝く彼のシルエットが変わっていく。
大きかった耳は細く尖り、小さな尻尾は大きく雷のようにギザギザとなり、身体は大きく、太く、力強く、逞しく──────、

「───!!」

そして、鏡が割れたような音と共に光が弾けた瞬間、今度は荒々しく攻撃的な光が、スカタンクを貫いたのだ。
それこそが、俺が命じた技、10万ボルトだったのだが、空気中を走ったその電光の煌めき、迫力が、以前までのそれと何もかもが違っていた。以前よりパワフルで、素早いその10万ボルトはあきらかに威力が上がっていた。
しかし、それは至って簡単な問題である。
スカタンクが地面に叩き付けられた瞬間、その電光も消えて、視界に程よい暗闇が戻ってくる。そして、チカチカと点滅する視界の中で、彼を探し出した。

そこにピチューなんて、小さくて弱々しい子はいなくて、
“ピカチュウ”という───逞しい、彼がいた。

「…………ユ、ウ……」

こちらを振り返り、嬉しそうに華やかに笑った彼の瞳は、強い光を宿していて…………すとんと、胸になにかが落ちた。
そうか、彼は、これを予感、していたのか。だから、信じてもらいたかったのか。
信じて、くれたのか。

「っ……ユウ……!」

ぐっと込み上げてくる。じわじわと競り上がってくる感情。口がぎこちないながらも笑む。……あ、これ、嬉しがってるんだ、俺。
眼と胸が熱くて、息が詰まるような感情の中で───僅かに身動きしたスカタンクの姿を視界の端に捕らえて、再び息を殺す。───くそ、まだ……、

「さっさと立ちなさいスカタンク!! ほら!」
『っ……』

「──もう、無理だ…そいつ」
「煩いわね! 黙りなさい!!」

まだやれるとでも言うのか。雷と10万ボルトを諸に避ける暇もなく直撃したスカタンクは、呆気なく体力を全て持っていかれたようだ。
それでも、ジュピターの金切り声に叱咤されるようにスカタンクは必死に立とうとしている。そこまでするだろうか、と考えた。だが、するんだろうなって、ユウの傷だらけの背中を見て思い直した。それがポケモンとしての矜持からなのか、個人の矜持なのか、なんなのか、俺にもよく分からないけど。

「ユウ」
『……うん、
さっさと終わらせよう、レオ』


名前を呼ぶ。応えて、呼ばれた。それだけで、思考、感情、意志──心──全てが繋がっているような感覚に、陥った。
なんとなく、彼がアイアンテールを次に選ぼうかと考えているのが手に取るように分かるのだ。だから、思わず違う、と心に思う。───スカタンクの特性は、誘爆と悪臭の二種類のうちどちらかなのだが、万が一誘爆だった場合に、ユウが物理攻撃をしてしまえば自分達をも巻き込む爆発がおきてしまう危険性があるのである。
本来ならその理屈を説明しなければならないのだが、彼はすんなり納得したように感じられた。まだ、なにも口にしていない。俺も、彼も。なのに───眼と瞳を合わせているみたい。なんだろうか、これは。
世界には、俺とユウしかいない。そんな不思議な感覚で、どくりと世界が波打つ。

「辻斬りよスカタンクッッ!!!」

ジュピターの怒号に反応して───まるで、死力を尽くす形相のスカタンクが斬りかかってくる。それを、冷静に見ていた。空が斬り裂かれ、風が凪ぐ。それを、見ていた、だけだった。

───気が付けば、ユウの10万ボルトが、スカタンクを地面へと打ち付けていた。
それが合図となり、世界が切り替わったようにあの不思議な空間は途切れた。余裕があれば唖然としていただろうが、そんな暇はない。
もう力ないスカタンクを眼前に、言葉を失い立ち尽くすジュピターの───それこそ醜いように歪められた顔を見て、息をついた。スカタンクは動かず、目を回してる。これは紛れもない、ユウの勝利だ。
いつでも飛び込めるようにと構えているアイク達の手を借りる事もなく、ユウはスカタンクを倒したのだ。これも、彼が進化したおかけだ……。
緊張で固まった肩の力を抜いて、息をつく。ユウに歩み寄ると彼は息を荒らげていた。体力的に限界だったようでふらついた彼を抱き止めると、以前よりずっしりと重さを感じさせた黄色の体に驚いた。確実に彼は大きくなっていた。こんなにもボロボロなのに、逞しかった。

「……おつかれ」
『……うん。
…ありがと……レオ』


信じて、くれて。

「…どういたしまして」

それと、

「…………ありがと、う。
……ごめん、な……」

抱きしめて、ぎこちなく呟いて彼の頭を撫でた。汚れまみれで、帰ったら洗わないとなと笑うと、彼も戸惑いつつも『……うん』と笑った。
それが聞けただけで満足で、もう一度抱き締めてから……歩み寄ってきたアイクに無理矢理押し付けた。不満げな顔をする彼は口をへの字に曲げ、ぞんざいにユウをつまみ上げていてナミに怒られて、ユウが控えめに抗議していた。結局ユウはサヨリの腕の中へと避難して、穏やかな顔で安心したように瞼を下ろす。大分疲れたのだろう。いつもならぱっと手を離してしまいそうなサヨリも、軽く息を吐いて受け止めたままである。面倒臭そうな眼の色ではあるけど。
なんだか、懐かしい感じがして、ほっと胸を撫で下ろしてから───睨みあげる。ジュピター、だ。
彼女は地に伏したスカタンクを、信じられないという顔で見詰めていて力なく壁にもたれていた。

「なぁ、ジュピターさん……質問、答えてもらいてーんだけど?」
「っく……」

かつん、足音を響かせてジュピターに近付く。キッと睨み返されるも、反撃の様子は見られる茫然自失が続いているようだった。
彼女には、聞かなければならないことが、山積みある。

「まず、プテラの件について詳しく聞こうか。
……プテラがクロガネシティで操られたきっかけは、俺のせいだって言ったな? そうなった経緯は? 理由は? ……なんで俺を狙った?」

「……貴女……っ……コトブキシティで私の部下の邪魔をしたじゃない…!
それの報復と! そのトレーナーの実力を知るために……っ……アース様が提案し実行に移した……それだけよ!」
「……それ、だけ?」

ナイフをちらつかせて問えば、あっさりとジュピターは吐き出した。マーズは口をつぐんでいた事だったが、詳細まで聞けたのは俺が優位にあり、彼女は動揺をしているからだろう。
それで聞けたその事実は、バカみたいにどうしようもなくて、とても呆気ないものだった。

…それだけの理由で、プテラは苦しんだというのか?
俺のせいで……プテラが?

とうてい許せるもではなく、拳が震えた。
今すぐそのアースとやらを殴りたい。殴り飛ばして、で、殺したい。殺意。これが、殺意、か。
でも、本当に殺したくて、消し去りたいのは、自分自身だった。

「なんだよ……それ……」

俺のせいで。
それを考えると今すぐ消えてしまいたい感情に囚われる。強く強く壁を殴り付けると、ぴしりと壁と拳が音を立てる。ジュピターがびくりと大きく震えている目の前で、荒ぶる意志を、感情を収めようと息を吸う。吐く。……ダメだ。今は本当に、なにもかも、ダメだ。

「……………、
で……そのアースって?」

頭を振り、冷静になれと言い聞かせながら笑みを浮かべる。ダメだダメ。こんなんじゃ、冷静にならなきゃ、いつも通りでいなきゃ、見えるものも見えてこない。
今は知れるだけの情報を手に入れなければならない。
だって、不可解な事が多すぎる。その不可解な事を、起こしてるのは───全て、アースだ。

「アースつーのは……一体なんだ?
お前は幹部あたりの人間だろ? それより上の人間なのか?」
「……アース、様は……あのお方、は……」
「そいつは……何者?
答えろ。全部答えてもらえれば俺はいい。あなたを逃がしてやっても……、」

構わない。と顔をうつ向かせて唇を噛むジュピターに言うと、彼女の睫毛が震える。
俺が彼女を警察に突き出す気は元々ない。ここで彼女が捕まってしまえば、ただでさえ俺やアースみたいなイレギュラーがいて狂い始めている物語が、変わってしまう。俺はそれが怖い。
そしてジュピターも逮捕だけは避けたいだろう。向こうは向こうで作戦がある筈だし───食い付くだろうと思っていたその時だった。


「───その必要はありません」


「──!」


知らない女性の凛とした声が、部屋に響いた。
突然だった。突然、気配がこの部屋に現れたのだ。
何もなかった、そこに、突然。
誰もが虚をつかれ、振り返る。気配には誰よりも察知するだろうアイクも碧眼を見開いて、振り返っている。

そこには先程自分が蹴散らしたギンガ団したっぱの男二人がのびていて……近くにその女性は立っていた。
誰も悟られる事なく、そこに舞い降りたように、菖蒲色の長く伸びた髪が揺れている。髪留めらしい空色の水晶から更に伸びている二人の髪は尻尾のようだ。ゆらり、ゆらり……紫の服の長い袖と裾、額を飾る紅色の水晶の装飾らが風に吹かれたようにゆら、ゆらり、揺れる。
真ん中で分けられた前髪。そこから覗く───空色の瞳と、自信の眼が合うと、どくりと鼓動。
俯き気味のその綺麗で、機械のように冷たい顔のその女性は、どこか不思議な雰囲気を纏わせていて──────俺の中の直感のようなものが、なにかを覚える。

どこかで、感じたような気配。

懐かしさ? いや、違う。分からない。けど、決して知らないわけではないような、気配───……。

彼女は誰だ? 見知らぬ顔に動揺していると、追い詰められていたジュピターがその女性を見詰め唇を震わせた。


     
     

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