空契 | ナノ
29.とおまわり (4/7)

             
     


捨ててほしかったのか?
そう言っているようなイーブイの眼に、首を横に振った。違うという否定。
そんな、そんな悲しい事、望んでなかったんだ。きっと。
きっと、そう曖昧なのは、確かではないのだ。あやふやで、まだ自分自身、何も掴めてない。

『……あの、』

静かな、声を上げたのはイーブイだった。
困惑した様子で、先程のピチューの叫びを聞いていた。何と声をかけるべきなのか迷うのは仕方なく、それでも真っ直ぐと声を上げたのは彼(彼女)の性格故なのだろうか。
すぐに冷静さを取り戻し、彼の言葉の意味をひとり考える。答えは、憶測でしかなかったものの、ひとつの可能性に辿り着く。
小さな沈黙から抜け出し、声を上げて続けて、イーブイは優しく微笑んだ。

『あなたの、お名前をお聞かせ願えませんか』
『え……、?』

顔をイーブイの方へと向けたものの、微笑む彼女(彼)の意図は掴むことはできなかった。
今度はピチューが困惑の色を強めたのを見て、イーブイは首を傾げて少し不思議そうにしながら口を開くり

『名は、ありませんか?』
『え? 名、って……種族名……、』
『ではなく、貴方自身のお名前です』
『……』

答え、られなかった。

『……あぁ、
因みに私は名前ではありませんが……シィ、というニックネームはあります』
『……しぃ?』
『はい、主様から頂いた渾名です』
『……しぃ……』
『どうぞ、お見知りおきを』
『……あ…うん……シィさん……』

凄く最近聞いた名である。
覚えがあって、思わず動きを止める。
シィ……確か、あのやる気の無さそうな無気力なポケモンの、知り合い。そう、自分は彼を口実にここまできたのだ。レオにできなかった救出を、してやると。
それも、今じゃ叶わなくなったわけだけど。

『僕は……、』

ぺたんと力が抜けたように座り込んで、俯く。
僕に、名? ───それは確かにあった。
忘れた、筈はなかった。
でも、

『……名乗る権利は、もうないよ……』

───イーブイは、そうですか、とあっさりと下がったかのように思えた。
だが、すっと細めた眼はピチューを離さない。

『……では、何故その義理がないとお思いに?』
『…、え…だって……』

───だって?
口をつぐんだ。頭の中で自身を問いただす。
何故? その答えはずっと前から出ていた。

『……僕が……あの子を…捨てたから……、
裏切った……から……』

『……』
『…レオは……そもそも僕を信じて、なかった…筈……だから……、
裏切った、とかじゃなくて……、』

『…………』

『……繋がりが……、
あの子と……僕(結)との…繋がりが………きれてしまった、から』


『…………かな』

答えは、出ていた筈だった。
だがしかし、ぐるぐると様々な言葉、感情が混ざってぐちゃぐちゃになった脳で、それらを冷静に纏める事はまだしていなかったのだ。
今初めて、大地震がきてしまって荒れ果てた本棚を片付けるように、彼の思考は動き始めた。───ずっと、止まっていたのだ。
前ばかり向こうとして、でもその癖、後ろばかりが気になって……。
立った気を静め、一度振り返ってみてと、イーブイ……シィが、彼の肩を叩いたようだった。

『……では、
何故、その…レオ、さん、が貴方を信じていなかったと?』

そんなの簡単だ。

『僕が、嘘をついてた、って……知ってた、から…………、
その嘘、ばっかりな、僕を信じるほど……レオは馬鹿じゃ、ないんだよ……』

『…………そう、ですか』

少し悲しそうに、眼を伏せた。

『…では、
……何故、貴方はこんなにも、
悲しんでいるのですか……?』

静かなその声に、はっと息を飲んで顔を上げた。どくりと、心臓が音を立てる。
視線を上げた先で座ったままのシィは、笑みを消していた。真剣な顔で、でも鋭いものではない、やはり穏やかな顔付きだ。
その顔に、滲ませているのだ。疑問を。

『貴方は、レオさんを捨てたとおっしゃいました。
ご決断をしたのは貴方なのでは? ……何故、そんなにも、』

泣きそうなんですか?
まるで責めるような言葉だ。だが、誤解の無いように、と言いたげな灰色の眼は優しく、見守るようにじっとピチューを見詰める。

『…私はあなたの事も、レオさんの事も、何も知りません』

当然である。このイーブイ、シィはユウと出会ったのは今で、レオの顔は知らない。
どんな人間なのかも詳しくは知らない。だから、肯定も
否定もできず、ただ疑問。
何故、彼が捨てるという道を選んだのか、選んだのに、何故そんなにも悲しむのか、

『後悔を、お持ちになっているのか』

分からないのです。

『───貴方も、もしかしたら』

まだ、よく分かっていないのではないですか?
今、背負い込んでいる、その複雑な想い。
───こんな、想いを、背負ってしまったのは、何故だ。
ピチューは、何故、と呟いた。何故、こんな想いを、意味の分からない想いを、抱く?
元より、ピチューはそんな荷物は捨てて過ごしていた。なのに、今はどうだ。重くて持てきれないくせに、引きずってまでして此処にある。胸の中に、ある。いつまでも。
───それは、何故だ。
何故、捨てきれない。
何故、こんな想いを、持つ。抱く。

分かってるくせに。

───サァッと、草原を風が颯爽と駆けているように、意識がクリアになる。

『……』

何故、こんな訳の分からない感情を背負っているのか。
その感情は、レオに対して向けたこの感情は、憎しみや怒りではない。虚しさ。
……これが生まれた理由って?
本当は、全部知ってた。
何故、貴方はこんなにも、悲しんでいるのですか……?
そんなの、決まってる。

『……、…』

口を開いて、でもまた閉じてしまう。こうやって、いつもいつも、逃げてきたんだ自分は。
分かってるだよ。そう呟いた、ユウの瞳から感情が流れ出すように───雫が、落ちた。

『僕が、あのこ、が、
レオが、好きだから』


だから、悲しい。

『大好き、だから……っ』

だから、
嘘を嘘と言えなくて、
本当であると言えなくて、
嫌われたくなくて、
捨てられたくなくて、
媚をうって、
拒絶されたのが悲しくて、
否定されたのが苦しくて、
そうじゃないと否定したくて、

自分を、見てほしくて、

───涙が、溢れた。
ポタポタと、床を濡らした涙は、後悔の塊。


『ぅ、…ぁ……ああ…』


届かない手を叩き付けるように、地面に触れた。震えた。
今更認めた。だから、何だと言うのだ。
悔いて歪んだ顔を俯かせて、むせるように息を荒上げ、ユウは泣いた。

今更、認めてしまったのだ。
自分の愚かさを、弱さを、醜さを、
彼女への愛おしさを、

『……、───、っ!』

崩れ落ちるように泣き出した彼は、目も当てられない姿だった。後悔と悲しみで今にも壊れてしまいそうだ。
こんな筈じゃなかった。シィは穏やかだった顔を顰めた。壊したい、訳ではなかった。
自分で、答えを出して欲しかった。そして、気付いたのだから、あとは此処から脱出して、彼女に会いに行けば良いのだ。それだけ。そう彼を励まそうとした時だ。
この部屋に近付く、気配に気付いた。

「───おい、さっき侵入してきたポケモンって、強いのかよ?」
「いや、どうだかなぁ。なんてったってただのピチューだし」

そして、突然、この部屋の扉が開かれた事によって、シィ───そしてピチューの中の何かが、ガラガラと音を奏でながら壊されていくような感覚がした。
ガチャと開かれた扉から、廊下の薄暗い光が射し込んでくる。
その光を背に、男が二人入ってきた。その姿は青いオカッパ頭で、宇宙を連想させるような服装にGというマークを掲げる、という一度見たら忘れられなそうな姿だった。
そう、忘れる筈なかった。この場にいる捕獲されたポケモン達全員、見た事がある。自分達がこの檻の中に閉じ込められた張本人───ギンガ団の下っ端である。
その二人に、一気に膨れ上がるポケモン達の殺気、恐怖が部屋を充満した。
シィも腹立たし気に二人を冷ややかな眼で見据えているが、それよりもこの空気の居心地の悪さに眉を潜めた。ピチューを一瞥すると、彼は踞ったまま、びくりと震えていた。それほどまでにここの部屋の空気は淀んでいる。
だが男達は、鈍感にも気付かず入ってくる。そして、その内の一人がユウが入っている檻へと歩き寄ってくる。

「こいつだこいつ。一匹でこんなとこ乗り込んで来てよぉ……無駄に正義感のあるポケモンだぜ」
「そのくせ弱いけどな」
『…!』
『ピチューさん!』

ぐっと檻が持ち上げられ、ユウはガクンと揺れる。
上手く力が込められず鉄格子にぶつける。嘲笑う男達の声と、シィの憂懼した声を、身動きひとつ取れず聞いていた。
弱い、その言葉に、歯軋りをするのみしかできない。固まってしまったように、体が、重い。意識までもが、鉛のようでぼんやりしていた。
そんなユウに、男達は調子づいて話す。

「ははは! こんな弱いポケモンなんざ、必要ねぇな!」
「“モネ”様に実験に使えそうな強いポケモン以外は殺しとけ、っつー事だし……いらねぇよなこいつ?」
『っ……また、モネですか……!』

モネ。ユウは聞いたことがない名であるが、シィの顔が青ざめる。ここに監禁されている一ヶ月間、何度か聞いた事のある名前だ。
そして、その者の指示で───様々なポケモンが、連れていかれる。戻ってきた者を見たことはない。

『ポケモンを、……私達をなんだと思って……、
ふざけないでください……今すぐその子を、皆さんを逃がしなさい……!』

「あ? なんだ? ……またあいつか」「いっちょ前に威嚇なんざしやがる……うぜぇなぁ。さっさと殺しちまうか売りやぁいいのに」「あーダメダメ、上のお達しだからな。殺しても売っても実験材料にしても駄目なんだってよ」「あーだりぃ。ほんと、上の考えは理解できねぇよ。モネ様もそうだ。あのマッドサイエンスト…怖ぇしうぜぇ」「アース様の回りの奴等には近付かない方がいいなー」

低く唸り威嚇するシィの事など知ったことかと知らぬ顔で談笑を交わす男達のその言葉は、本来笑って済ませれるものではなかった。少なくとも、この部屋にいるポケモン達は。
失笑も生まれぬ、つまらぬ冗談であってほしかった。ガタガタを震え出す体。ポケモン達は恐怖で後さずりをする。殺される? 売る? 実験材料?
───ふざけるな。


『ふざけんなッ!!』


───ガンッと、殴り付けた音と、声がこの場の空気を沈静化させたように響いた。

ポケモン達の心の内で上げた悲鳴を、上げれずに、呑み込んで震えていたポケモン達の悲鳴を、
声として叫んだのは、ユウ、だった。


「、な、んだぁ!?」

檻が大きく揺れてその衝撃に驚愕した男が咄嗟に手を離してしまった。よって、落下した檻は固いコンクリートに叩き付けられて大きく、みしり、軋んだ。
その瞬間にもユウは再び、檻の鉄格子に突進を繰り出す。
笑顔で染め上げていた、嘘だらけの顔を怒気という露にされた感情で染め上げ、彼は叫んだ。

『黙って聞いてればごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃと……!』
『ぴ、ピチューさん……!?』

気が狂ってしまったかのように、何度も何度も突進を繰り返すユウの頭からじわりと血が滲んでいた。
みしり、みしり、音を立てたのは檻と、感情のみで動く体。鉄格子を紅くしながらも、ユウは止めなかった。
止まれなかった。
みしり、っ、
鉄格子に、走った亀裂。それを茫然と見ていた男達はひっと息をのんだ。おい、どうするんだと相方に肘を軽く打つと、知らねぇよと怒鳴られた。

「し、知らねぇってなんだよ! なんでこんなに暴れてんだよこいつ!」「だから知らねぇって! 前回なんかポケモンが檻壊して脱走したっていうから麻酔打ってんだぞ!? あのモネ様特製のよぉ!?」「なんだ!? 麻酔がきれたのか!?」

『ん、だからさぁ……、』

低い唸り声と、鋭い眼光がが男達を射抜いた。体の身動きがぴしりと固まった人間達を睨み上げながら、ユウは八重歯を剥き出す。
額から血が流れるその体から、ピシピシと突如ほとばしったのは、今にも肌を焼ききろうとする電流だ。それを纏って、身を低く。ぴしっ、ぴしぴし、軋むのは檻と体。気付いていながらも、それでも良いとユウは両足に力を込めて、一気に蹴り飛ばした。

『ごちゃごちゃと、』

狭い檻の中での小さな助走。
それでも溢れんばかりと発光する電流と力は、鉄格子に衝突した。
瞬間、

『うるせぇんだよーーーッ!!』

───ガッシャン、金属音が響き、ユウを覆っていた格子は、
粉々に砕けてぶっ飛んでしまう。
ユウの、ボルテッカによって。

   
   
     

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