空契 | ナノ
28.俺が駆ける道 (6/7)

  
  


「……聞くまでもなかった、か」

約束、果たしてから死ねよ──────そんな約束を、結んだ彼だ。
彼は、彼なりの理由で、俺の傍にいる。
───そうだった。彼は、俺についてきているわけではないのだ。
ただ、俺と背中合わせ。そんな場所にいるだけ、だ。
バラバラの方向を見ている。俺は自己中心的に、旅を続ける。彼は、俺にわざわざ付き合ってくれているわけではない。
──────そんなに、彼は器用ではない。
ただ───彼なりの、感情があって、傍にいて、駆けてるだけ。俺のそれに近い、その道を。

「───私は、」

後ろから、声がした。凛とした、ナミの声。
優しいけど、強い声。

「私は……例え後悔したとしても、それは明らかに自身のせいだ」

静かな足取りで、俺の背を抜いた彼は、少し微笑みながら俺を見た。
俺を溶け込ませるその瞳は、僅かながらだがまだ困惑と不安の色がある。それは、棄てられる、かもしれないという予感からだろうか。それでも、

「もともとは、私が無理矢理レオの元にいるのだから」

その宛のない予感を拭うような声音は、決心したような硬さを持っていた。
「そして、」光を宿しつつある瞳は、俺から逸れて、前を強く見据えた。

「これは誰でもない──────自分の意思で、決めた」

────お前の道を、共に、駆けよう、と。
だから、誰かに咎められる筋合いもない。だから、誰かを咎められる筋合いもない。
そんな道を、選んだのだから。
──────そう、きっと、ユウも……、
きゅ、とグローブで包まれた手を握り込んだ、ナミの表情はこちらからはかくにんできなかった。だけど、その背は力強くて、優しくて……晴れ晴れとした空気を感じた。そして、彼もポケモンセンターから飛び出すように出て、でも足を止めて顧みる。柔らかな笑み。昼の太陽が、あたたかそうに見えた。

「…………俺は……、
……ただの、興味……」


もう昼過ぎだというのに、眠そうな声で拾い読みをするかのような彼独特な言葉は、後ろから聞こえた。
隣に並ぶようで、でも、半歩下がっているサヨリはじっと俺の顔に、感情が見えない眼を向けていた。
その眼からも、表情からも、意思や感情なんて見えやしないのに、何故だか彼の存在は心の傍にいる気がした。
「それに」ぽつりと零れた声と共に、振ってきた衝撃にぐらつき倒れそうになった。とりあえず、訳もわからなかったが両足を踏ん張り倒れることはしなかったが、重さは変わらない。

「……俺は……あんた、のこと……嫌いじゃ、ない……」

感情の籠っていない言葉を発した顔は俺の肩の上に乗っていた。地味に重い。覆い被さるように抱き付いてきたサヨリの真意は見えず、俺も空笑いを浮かべて肩を竦めるばかりだ。

「んー、じゃ好きなのかい?」

俺のこと。

「……好きじゃ、ない……」
「デスヨネー」

嫌いじゃないと言ったときと、1mも変化しないイントネーションと感情は予想済みで、はははと乾いた声で笑う。
……こいつが一番、よくわかんねーかも。
眠そうな顔しやがって……ここまで感情出ないヤツは、本当にはじめてだ。
─────興味って、なんだろう。ずっと疑問に思っていたその単語。
俺の道を、共に駆けるキッカケだろう、その興味はなにかを欲しているようで、でも俺があげられそうなものもないからよくわからない。俺についてくる理由も……抱き付いてくる理由も、皆無だ。

「……、サーヨーちゃーんーおーもーいーぞー」
「……俺、楽……」
「でしょうね!」

そりゃそうだ。これで疲れたとか言い出されたら、とりあえずジョーイさんに預けてこよう。
でも一先ず、彼女に用事はないので俺も、足を、踏み出す。
コツン……ブーツの音。
相変わらず重い背と肩に、笑いながら俺は仕方なしに歩き出した。

やっと、センターから出た空気は、秋らしくからっとしていてひんやりしていた。
すぅ、と息を吐き、吸い込む。
背筋や間接などの節々を伸ばしてから、上がった視線の先にある空はちょっとだけ曇っているように見えた。風は強い。ぴゅうぴゅうと音を上げる風に、藍色の髪が揺れる。
なにも、変わっていないように見えたのは、錯覚である。
それに気付いているのか、いないのか、それすらも考えないように笑みを深めた俺は、さっそくジムへと向かおうとした。
ナミとサヨリはボールに入れて、アイクは入りたがらなかったからそのままで街を歩く。さくっとジムを制覇してしまおう。
そうしたら、すぐにここを発とう。───そう心に決めたのは、やはりいつものような焦りからだろうか。
少し、なにかが、確かに、違って感じたのは、気のせいだろうか。

「……おい」
「なーにさ」
「…………うっぜぇ…」
「……あのなーアイくーん。あなた急に理由もなくそれ言われてもなー?」

口をへの字のように歪めて、なにか言いたげな顔を背けたアイクは隣を怠そうに歩いていた。
視線を寄越して、おいおいと半眼になるも、彼はどこ吹く風だと図太く無視をしてくる。あ、ウザい。
はぁと半分無意識にため息をついて、正面に戻そうと目線を巡らせた。その時だ。
空に近い位置になにかを、見た。
それはよく目立っていて、俺の眼にも止まり意識は自然とそこへと向く。
───それは、この穏やかな時を刻むような町には、明らかに浮いているような、背の高いビルだった。
ビル、その2文字を認識しただけで……ざわり、なにかが波立った。

「……?」

どくと、決して鈍くない自身の勘が音をたてた、そのビルの影を見詰める。近くはない。だけど、大きくて、特徴的なそのシルエットはインパクトがやけに強かった。
眼を奪われたように、思わず足を止める。
道の真ん中で突然足を止めた俺はとても邪魔者で、迷惑そうに通行人は避けて歩いていく。その内の何人かに、アイクがぶつかり少し遠ざかる。「おい、」かかったアイクの声は低かったようだったけど、それすらも俺は脳内に入れようとしなかった。
否、入らなかった。
ザッ、ザッ、と、砂嵐のようなノイズが、頭をしめてい、て、


───なんで───


声、が、きこえ、た。
聴こえた。
響いた。
鳴った。
言った。
どこかで。
頭で、
脳内で、
勘より、もっと深いところで、
それは正に、心に、響いたような、
以前から度々きこえる、その音色(ざつおん)。

「っ、(また、)」

なんだ、これ。
ノイズ混じりの誰かの声は、もうきこえない。
だけど、頭のなかで繰り返すそれは、まるで泣きそうなそれだった。
そんな感情。
だけど、なにより、右眼を見開くこととなったのは──────今の声は、自身の乏しい記憶のなかに、存在していた声だった、のだ。
幼い、少年にすら満たないような、カレ、の、声、
忘れてしまおうか。
そう、さっき、思っていた、あの、声。

に、
心が掻き乱されたように、俺は動揺していた。
それはもう、笑みが歪むくらいには。

「、おい、レオッ」
「アイク」

人込みを掻き分け、怪訝げな顔で近寄ってきた彼のフードを、すれ違い様に掴んだ。抗議の声を上げる彼は今にも殴りかかってきそうな険しい顔だが、気にすることなく(気にすることなど)(でき)(ず)俺は笑って足を無理矢理動かした。「行くぞ」「は、」
錆び付いた機械のようにぎこちなく、それでも強引に顔と視線は前を見る。聞こえなかったフリ。知らなかったフリ。分からないフリ。見なかったフリ。見えなかったフリ。気付かないフリ。
それを咎めるほどアイクは現状を把握していない。引き攣られるように歩かされそうになり、苛立ちが募る。前を向いたまま振り返ろうとしない傲慢な、俺。そんな俺に後ろ蹴りを放とうとする。が、1、2歩歩いた俺は、また再び、急停止しなければならなくなる。
─────視線を前に向けてから、1秒も満たないその行動。

目の前に、黒が広がっていたのだ。

「うわっ!?」

突如、視界が闇に占領されたような感覚に襲われて、慌てて足を止めた。
どぎまぎしつつ、それが衣服の黒色だと気付いて顔を上げると─────水色と、眼があった。
自分の目の前に、誰かがいたのだ。分厚そうな黒いコートを着ている、誰かが。
見上げたそこにいたそれは、真っ黒な頭をしていた。と、一瞬認識してしまったが、それは誤りであったとすぐに気付く。相手は、黒いフードをすっぽりと被っていたのだ。まるで、人目を避けるかのように。
目深に被られたそのフードの下から、僅かに見えたのは水色。それと、首もとこ赤色。
水色────アクアブルーのように、透明感があり、鮮やかなその色────俺の右眼と色の質が違うそれは、眼だった。
例えるなら、夏の明るい空。爛々と輝いていて、それはとても綺麗だったが、ただし、左側という片眼しか確認できなかった。もう片眼はフードが邪魔して確認できない。
そんな左眼と、俺の右眼が、空中で結ばれたのは、一瞬だった。

「…………」
「ぁ、」

ふいっと剃らされた顔。赤い紐の装飾がついた長い袖から伸びた、手がフードを更に引き下げて俯いてしまった為、それ以上あの眼は確認できなかった。名残惜しくて声を上げてしまうが、慌てて我に返る。なにやってんだ自分。
……明らかに、怪しいじゃん、相手。
冷静になってその相手を見上げる。アイクよりも背が高く、更に骨格がしっかりしている様子から、きっと男だろうが、顔は確認できない。フードで両眼は隠れ、コートの長い襟で口元も隠れてしまっている。そんな男が空気に晒しているのは、白い肌と、つんっと高い鼻。それと、襟から少しだけ出ている、赤色の布。それだけ。
…明らかに、怪しい。
俺も黒コートは着ているし、場合によってはフードも被るし伊達眼鏡だってつける。が、流石にここまで不審者ではないと思う。……第3者から見たら、同類に見えるのだろうか。それを想像したら、ちょっと苦い顔をしてしまう。もうちょっとマシな格好をしよう。変装について、そう考え直してしまうほど、その男は不審だった。頭から足、ブーツまで黒というのだから、そう思ってしまうのも仕方ないだろう。
そして、警戒心を抱くのも、仕方がないのだ。

「(黒コート……?
……あ、れ……なんか、)」

やばくね?
ふと、クロガネシティでのプテラ騒動後、ダイゴが呟いていた言葉を思い出した。
「黒いコートを着た“誰か”を見た」という、言葉を。
そしてその話は、その黒コートを着た“誰か”がプテラを操っていた。そいつが首謀者だ。……そういう話に行きついた、筈だ。
からの、これ。
眼前に、黒コートの、男。

「(…………え、やばくね?)」
「(……おい、当りかよ)」

アイクも同じような考えに行ついたらしい。ただし、根拠はない。この黒コートの男と、ダイゴが出会ったという“黒コートの誰か”。これは同一人物───かもしれない、という、疑い。
そこに行ついたのは、なんとなく。いや、こんなにも町に溶け込もうとしない黒コートの者というのも珍しいのではないだろうか。中々いない。俺? 俺はこんなのと比べたらまだ全然マシだ。髪の毛先見えるし、口も鼻も見えるし、首見えるし、足見えるし。
こいつは、前髪すら見えないほどに、フードは被られている。もう、怪しいという言葉を擬人化させたようなくらい、怪しい。
怪しい、のだけど、
ここで取り押さえよう。なんて、思わないのは俺の正義感の希薄さが原因だ。
───だって、勝てる気が、しない。
あの“黒コートの誰か”には、ダイゴを退けられる程の力をもったバンギラスが手持ちにいるのだ。───正直、勝算は低い。
せめて、
せめて、そいつを問いただしたい。色々と、聞きたいことはある。そう、色々と。
だが─────思わず力んでいたフードを掴んでいた手を、アイクが掴み返す。俺の体温よりは温かい。彼の温もりが指無し手袋越しに感じて、冷静になれた気がした。それまでは長い時間だった気がする。
はっとして、歪んだ笑みを浮かべ直して、へらりと笑った。

「あ、えーと、失礼しましたー」

アイクに手を引かれる形で、相手の横を回ってそろそろと逃げていくように歩く。
ぶつかりそうになったのは、まぁ自分のせいなので軽く会釈をしてから去ろうとした俺に、そいつは特に大きな反応をする訳でもなく、こちらを見ようとせず、ただそこにいるだけである。そんな姿に更に不審に思うも、何事もなく去れる。そう、確信してから一瞬後、
ひらひらと挙げていた手を、掴まれたのだ。

強く、その、黒コートの男に。

「な……、っ」
「っくそ」

ドクンッと心臓が跳ねて肩が揺れる。警鐘警鐘警鐘警鐘。予感がぞわぞわと悪い方向を想像して勝手に震える。
嫌な予感は当たったと、俺とアイクが感じとり反射的に攻撃体制に入ろうとした。
した、その、瞬間、
ピン、
なにかが、自分の肢体に纏わりついたように、全てが重くなった。



   
    

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