空契 | ナノ
28.俺が駆ける道 (5/7)

  
     
    

ああ、やばい。もう昼の1時過ぎじゃないか。
部屋の時計を見て悲鳴を上げかけながら、俺はいそいそいと荷物を纏めた。
片付けは、うん、これでいいと思う、けど、なんかボロボロなのは仕方ないからとりあえず、リビングの机の上にお金を数万置いておいた。リフォームってこんなもんで足りるだろうか。これくらいかな?と思った金額より多目に置いてから、俺は急ぎ足でロビーへと向かった。
サヨリに「……無駄に、律儀……」と呟かれたが、まぁ、律儀というより……あのお金自体があんまりいいお金ではないし……。
なんてったってチンピラ狩りの勝利品。

「ほーい、部屋の鍵っすー」
「はい、ご利用ありがとうございました」

受付のジョーイさんにトレーナーズガードを見せてから鍵を渡して、やんわりとした笑顔のお辞儀を見届けてから、こちらも会釈を返し背を向けた。向けて、あ、と口を開けて止まった。
視線を巡らせ、ロビーの待合室で、女の子の熱い視線を送られているアイク、ナミ、サヨリを見て、思う。……うらやましい……。
じゃない!
……彼らはケンカのおかげでボロボロである。で、俺らはこれからジムに行かなければならないわけなのだ、

「が」

腕を組んで、イラッとした心情を刻むように、片足で床をコツコツコツと鳴らす。すわった右眼に加え、笑顔は変えないまま息を吐いて肩を落とした。できることなら、あんの馬鹿の奴らを放置して、ギャラリーのようなあの女の子たちに声かけたい。声かけて? そりゃ、カフェにでも…………じゃなかった。くそ。女の子可愛い。
こほんと咳払いをし、気を引き締めながら彼らに近付く。その途中、そのギャラリーの女の子と目があって、内心ガッツポーズをしながら微笑むとポッと頬を赤らめて慌てて顔を逸らしていた。なに、天使なのあのこ。思わず本気モードに入ったが、後ろからアイクに足蹴りを喰らってそれは叶わなかった。
ずってんと顔面からつ

「ちょ、アイ君頭狙うのはやめてもらえません? 脳震盪起こすぞ俺」
「うるせぇ死ね」
「いや、せめてあの天使な女の子達とお茶したいんだけど! それから死にたいんだけど!」
「黙れ変態」
「…今すぐ…」
「死ねと?」

当たり前のように蹴られた後頭部を抱え、苦笑い交じりに睨むも、襟を引っ張られて首がしまる。タンマタンマアイ君タンマ!
抗議の声なんてなんのその。微塵も気にすることなく、彼は辺りを見渡すとギッと眉間にシワを寄せた。それから、途端に空気がズシン、重くなる。息を飲む音がロビーに小さく響き、小さな掠れた悲鳴も聞こえた。
因みに、息を飲んだのも悲鳴を上げたのも、俺らではない。その重い気が、向けられたのも俺らではない。───周りの少女などの、人間に、だった。

「(……いや、俺も人間だけども)
……おーい、アイクー」
「…………ッチ…うぜぇ……」
「おいおい、女の子たち逃げちゃったじゃねーか」
「はっ、知るか」
「……」

顔を真っ青にして、慌てたようにパタパタと逃げていく彼女たちを引き止めようと、伸ばした手は行き場を無くしてプラプララーン。……くそ、可愛い女の子……。
追いたい追いたいと手足をバタつかせる俺の襟を掴み上げると、アイクは俺を投げた。ぶん投げた。
そのまま椅子にぶつかるかと思いながら受け身を取ろうとしたが、それより早くナミが受け止めてくれる。「レオ、怪我は?」と優しく聞いてくるナミが、うん、イケメンすぎて可愛すぎて。
これが俺の癒し、だが、

「こらこら、ポケモンセンターで冷凍ビームはやめなさい」
「……すまない。では、外で」
「そういう意味ではなくてね?
ナミさん、分かってます?」

この後ジム戦行くんだぜ? 俺ら。
抱き止めてくれたナミから身を離しながら、ずいっと人差し指を押し付けそう言えば、彼は少し瞬きをしてこくんと頷いた。分かっているらしい。偉い偉い。

「で、その前にさ、
回復しといた方がいいか? お前ら」

だってボロボロだもの。アイクは必要ない、と一蹴したものの、彼を初めとするナミ、サヨリも怪我しまくりだ。
しかも、大体のその傷を負わせた相手は、割りと本気で技を放ち当たってしまったばかりのもので、ダメージは少なからずあるはずだ。……そんなに全力でバトルしなくてもいいじゃねぇかと、げんなりする。
こんなのでジム戦を挑んでも、問題はないのだろうか。すると、アイクは腕を組んでふてぶてしくいい放った。

「余裕に決まってんだろうが」
「……さいっすか。
…ナミさんは?」
「私は……大丈夫だろう。これくらいなら」

「マジか。
……サヨちゃんは?」
「……意外と、元気……」

おいおい、マジかよ。
思わず、呆れ顔で「あ、そうですか」と頷きかけたが、我に返る。
腰に手を当てて、彼らの顔を見渡した。ちょっと、油断しすぎじゃね?

「お前ら……本当に大丈夫かよ?
今回のジム…………ハクタイジムは、草タイプ使いだぞ?」
「……だからなんだ」
「相性だよ、相性」

ジュプトルで草タイプのアイク、ポッタイシで水タイプのナミ、ナックラーで地面タイプのサヨリ。
対する、ハクタイジムリーダは……なんだっけ、ナエトルとロズレイドと…チェリム、あたりを使ってきた筈だ。少なくとも、ゲームでは。
まぁ、つまりは相性が最悪なのである。

「クロガネジムのヒョウタさんにさ、キミらは確かに完勝したぞ?
だけどさ、相性がとてもよかっただけだからな、あれ」

彼が岩タイプの使い手だったから。アイクもナミも有利だった。
けど、今回は……ナミとサヨリが相性が悪い。もっと言えばナックラーは素早さが低いし、先手を取られると色々辛いのだ。
ロビーの待合室にある長椅子に座りながら、そう説明すると、サヨリが少し沈黙した。それから、まるでヤドンのような動きでゆるゆると、首を傾げる。

「……、……」
「なにさ?」
「………俺、バトル出る…前提なの……」

そ、っ、か、ら、か、!
俺の正面にある長椅子に、ごろんと寝転がるサヨリからは、本来ポケモンにはあるのが望ましい意欲、関心が見受けられない。
……これらつまり。

「…………正直、」「面倒くさいですよねそうですよね」
「……ん……」
「うわー、マジかよ……」

なんとなく予想はできていたサヨリの覇気もない声に、同じようにやる気をなくした。
やばい詰んだなこれ、とごろんと脱力してしまう。

「……多分、3体はポケモン出してくるから………どうしよ、アイクが2回連続で出るか?」

確か、もうそろそろアイクは連続斬りが使えた筈だ。
あとは彼の素早さに頼ろうかと、立ったままの彼を見上げると、アイクはとても落ち着いている色の碧眼で頷く。問題ないと、そう確かに伝えていた。……流石うちのエース様。
彼に舌を巻きつつ、それを中心にバトルの構成を考えようとしたときだ。サヨリが俺の服を引っ張った。

「ん?」

素早く立て上げたビジョンを一時停止。それを壊さないようにしつつ、顔を彼へと向ける。
無表情で無感情な眼を見返して、言葉を待つしかない俺に、サヨリは小さな、棒読みでその台詞を言った。

「……黄色鼠、は、
……出さないの……」


なにも色もない無色な声。
それはなにも感情を持たぬ筈なのに、心なしか俺の心を責めるかのように、すんなりと侵入をしてきた。
ずっと気にしていたのだろうか。なんとなく、彼のどこらからか疑問の色に似たものが滲んでいる。
それに、俺は少し考え込むように、黙り込んだ。───実際は、違う。考え込むように意識は闇へと沈みかけたが、そこに思考らしいものは見当たらない。
───ぼんやりと、水の中で、その質問を繰り返す。

「…、……レオ?」
「……あ……、うん」

うん、そう呟いて俺は笑みを変えることなく、身を起こす。
よっこらせ。ナミの怪訝気な声を笑って頷いて、それから、考える、ふりをして、口を開いた。

「……鼠……あぁ、
……ピチューくん、ね」

──────空気が、
先程のように、冷たく、そして重くなった。
ひゅっと、吸い込む息の音。
鋭く、鋭く、突き刺す、なにかの塊。
───しかし、俺は、不愉快そうに眉を寄せて碧眼を鋭くさせるアイク、瞳と睫毛を震わせ困惑するナミ、眼を静かに細めてただその言葉を受け止めるサヨリ……彼らのそれぞれの反応にしか、気付かない。俺が、鋭利に煌めく───ナイフのような言葉で、彼らを抉っている、ということは、知らぬことであった。
淡々と、まるで「さっきまでそんなヤツのことなんて、忘れていた」かのような顔で、うっかりしていたと言い出しそうな笑顔で、言う。

「……あんなヤツ、知らねーよ?」

みんな……というより、主にナミが表情を大きく変えたから、なんでそんな顔をしているのだろうと思いながら、空を蹴り飛ばす反動で立ち上がった。子供みたいな動作で、軽い足取りで、彼らを背に、歩く。
大きな歩幅で、ふざけたように笑う。通常。いつも通り。
そうしながら、俺は天井じゃないどこかを見上げて、唇を───……しばらく開けて、少し、なにかを考える。
“これも”“やっぱり”“ふり”だった。


「…………すてた」

「は……、」


「あいつ、使えないから」


だから、そう、


「棄てた」


そう、
俺が、棄てたんだ。

あいつは、俺が、棄てた。

それと違いないことを、
俺は、したんだ。


「棄てたんだ」


唖然とした声を背から受けながら、淡々と、呟いたその言葉は、誰にでもない。自分に言い聞かせるような、自戒、のようだった。そう、自分の声をどこか遠くで聞きながら、他人事のように思う。
これが他人の話、なら、嗤ってすぐに捨て去るような、どうでもいい記憶、なのになぁ。

───なんでだよ……。

「っ、レオ……?」
「…………」

くしゃくしゃになった顔と、握った眼帯。掴んだ震えた手。全てがらしくなくて、吐き気がした。それでも描き続ける、口元のこの弧。それがせめてもの、救い。
くつり、自嘲するように零れた攻撃的な笑み。こんな顔で振り替えるのもなんだったから「回復、いらねーんなら手っ取り早くジム行くぞー」と弾んだ声を上げて歩みを再開した。
ふらふらーん、

「───別に、さ」

ふららーん、

「無理して、ついてこなくてもいいんだぜ?」

らーん、子供が地面の白線を平均台のように踏みしめるような、足取りで扉の前まで立つ。それから、くるりと振り替えって、

「……これが俺だからな」

扉から昼の太陽光が差し込んでくる。
それを背景に、俺は右眼の中の空を細めて、にっこり、微笑む。
選択を、こうやって迫ったことは、あまりないかもしれない。
いつも、俺が勝手に決めて、勝手に実行している。
そんな───トレーナーとして、人間として、ダメな自分がいた。
それでいいはずだった。
なのに、

───僕は、あんたが嫌いだ……ッ!

……その言葉は、深く、俺の心に染み込んでいた。
悲しいと思ったわけではない。仕方ない、そう思っている。だって、そう思われて仕方ないことを彼に俺はした。他に方法はいくらでもあった。棄てる、なんて道以外に。
しなかったのは、俺が優しい人間ではないから。
自己中だから、こうなった。
そんな自分に、まだついてくる気なのかい?
問いかけというよりは、挑んでいるような言葉だったのかもしれない。
自分達以外、誰もいないポケモンセンターのロビーに静寂が支配した。
最近この旅に加入したばかりのサヨリ、俺を尊重しようとしてくれるナミ──────それぞれ、無言でなにか言いたげな表情で、こちらを見上げてくる彼ら。その中で、彼が、先に動いた。タンッ────その道に、一歩踏み締めた、彼の靴の音。

「───……」
「…………」

上着のポケットに手を突っ込んだまま、気だるそうな姿のまま、長い深緑の髪を揺らしながら、そして、なによりも印象的な───その、鋭い碧眼。
深夜、月のない暗い空───そんな色を封じ込めたようなその眼が、真っ直ぐ俺を、みていた。
───アイク───俺の、相棒。
俺の目前まで来て足を止めたアイクは、静かに息を吸い込み、口を開いた。

「……俺は、後悔なんざ…する気がねぇ。
だからいらねぇ心配すんじゃねぇ」

「うぜぇ…」
と思わず目を丸くしてしまうことを吐き捨てて、アイクはぽかんとする俺を追い越して、ポケモンセンターを出ていった。───思わず振り返った俺の眼に映るその背は、決して置いていくようなものでなく──────先に行っている、ような、広い背。
その背を見つめて、くすりと眼を細めた。───途端に、気持ちが穏やかになっていく。その不思議な感覚を心地よく感じて、余韻に浸るように眼を閉じる。



   
  

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