空契 | ナノ
27.キミが歩む道 (3/4)


     
   



「……気づいてる…でしょ……」
「うん、なにが?」

「……鼠、が……弱い理由……」
「あー……うん、まぁ、なんとなく」

相変わらずゴロゴロしているサヨリに視線を向けたレオ。彼もそうだが、レオもどうでもよさそうに笑いながら片方の腕を立てて寝転んだまま頬に手をつく。なんとなくだ。なんとなく。でもユウがラルトスに勝てなかった理由なんて、それくらいしか見付けられなかったのだ。
だけど、それがなにさ? あくまでもレオは無関心でいたかった。
……サヨリは眼を軽く黙り、ナミが口を開く。

「……いいのか?」
「だーかーらー、なにが……、」

「レオ」

低音。それにへらへら笑っていた顔を停止させた。
それでも消えることのない微笑みを、ナミは静かに見据えた。
その瞳は、普段のきらきら輝いたそれとは違う。真剣な色を帯びた、冷静な眼。───こんなナミは初めてかもと、やはり脳内はどうでも良さげに違うことを考えている。
そう、だって、
息を吐いて、レオはにこりと笑う。そうして、吐き捨てた。

「どーでもいい」

だから、もう、なんでもいーや。呟いた言葉はいつも通りの軽い音を含む。それから再びソファーに頭を沈めた。腕枕をして天井を見詰めていた右眼を閉じる。
どーでもいい。その言葉をもう一度呟く。自分に言い聞かすようなもので無ければ、誰かに伝えようとしたものでもなかった。ただ、自分自身の、素直な気持ち。
欠伸するレオの、その気持ちはなんとなく、ナ───ナミは、ユウがミにも伝わってしまい、ぐっと押し黙る。“そうなってほしくない”という気持ちが特に強い訳ではない。確かにあるが、一番は“レオ”は“それで”“後悔しないのか”という不安だった。
でも、レオはそのナミの気遣いさえ、どうでもよさげで、うとうととソファーで微睡んでいた。
投げやりで自分勝手な言葉を咎めるべきだったのだろうか。──────できる筈がない。自分も勝手にしているのだから。どうするべきなど、分からないのだから。
何も言えず、ナミは眉を下げてレオをただ見詰めた。疲れて、いるのだろうか。靴下を脱ぎ、捨てた彼女は脱力したように肢体が、だらりとソファーから垂れ下がっている。それでも、尚、その唇に浮かぶその孤。
──────彼女の、それが消えた所を、まだ見たことがない、なんて、それはやはり異常なことだったのに、それすらもナミは何も言えない。
それを批難する者など、この部屋には存在しない。

仕方ない事だと割り切って、また彼らは元の行動に戻っていった。




彼らの気配が、散り散りになっていくのを感じながら、うっすらと右眼を開ける。
白い天井。なんの面白味もないそれに5秒で飽きて、ソファーの後ろにある窓を見上げた。
その眼は──────アイクの眼のように鋭く、ナミの瞳のように静かで、サヨリの眼のように無感情で、
歪むような笑顔と不釣り合いだったのだったのだ。



見上げた先の空は、青から紫、赤、徐々に色を変えていって、光を失っていった。



風の強い、夜になりそうだと、少し吹いてきて窓を揺らすそれに、ふぅと息をついてレオは浅い眠りにとついた。







もう、全てがどうでもよかったのだ。

だって、とユウは夜空を見詰めて呟く。だって、自分は失敗したのだから。

レオが予想した通り、風の強いこの夜は満月だった。
雲が流れる空には星はあまり見当たらず、月がよく輝いている。
綺麗だなぁとぼんやり、冷たい風に吹かれながら思った。秋風はじわりじわりと小さな身体を冷ましていく。そして冷やしていく。
寒さを感じかながら、それでもその身体は微動だにする事はなかった。
ぼうぼうと生えている雑草の上に座り、じっと月を見上げていた。いや、その目は、月を見ているようで見ていない。そう言うとしたら、夜空を見詰めていた、の方が表現としては正しいのだろうか。
────どちらも、見てはいないのだから、結果的に、何も変わらないのか。

そうやって、魂が抜けたみたいに感情のないまま、見上げる。なにかを見詰める。もう、なんだって良かった。視界に入り続けていた月が、雲に隠れてしまっても、闇に辺りが包まれても、何も反応は変えない見せない。
そこで座っているだけ。
──────何も、したくない。
何も、何も、何も─────変わりたくなかった。


なのに、変えなければならなくなったキッカケを作った者がいた。


その気配に気付いたのは、正直遅すぎたかもしれない。
ユウが逃げ出そうとするまでもないくらい、近くにいた。後ろにいた。

「────ありゃ?」
『ぇ……っ』

今、一番聞きたくなかったその声に、心臓が、ドクン、と、跳ねる。
はっとして振り向けば、いつもの黒コートを着込んだ不思議な気配をしているレオが、そこに立っていた。
髪とコートの裾を風に靡かせるレオも、逆にまたポケモンセンターの壁を背にして、草が生える地面でぽてりと座っているピチューを見ていた。
少し開いた距離。でも不自然な距離に、レオは不思議そうに瞬きをしていた。くりくりと空色の右眼を丸くさせて、笑顔を浮かべる。その、子供みたいな自然すぎて不自然な仕草は、なにも変わらない。ユウの目が見開かれ、震える。不自然なその行動はある意味自然なのだろう。
迂闊だった、と自分を責め立てる。ぼんやりしすぎて、気付かなかったのだ。あの奇妙な気配に。
彼女に、今本当に会いたくなかったのに。なのに、『なんで、ここに』途切れ途切れの言葉をなんとか紡いだユウに、レオの中で何かが繋がる。ああ、やっぱりなぁと確信を持ちながら、彼女は素直に言った。

「いんやぁ……どーも早めに寝すぎたよーでさ、
目ぇ覚めちって」

時刻は3時過ぎ。そんな夜中にぱっちりと眼を覚ましてしまったレオは、こっそり抜け出して来たのである。
目的としては、チンピラ狩りだ。朝帰りしてもアイクはどうせ起きてないし、ナミが起きる前に帰れば問題ない筈だとずる賢い頭で考えたのだ。サヨリはよく分からないから、スルーの方向である。
とりあえず、ぐっすり眠っている彼らを起こさず、誰にも会わないようにして外に出てきたのだ。───まさか、こんな形で会ってしまうなんて、思ってなかったけれど。

「(いや、)」

心の、どこかで、実は想像していたのかもしれない───。
そんな予感を感じて微笑む。眼を細めて───そしてひとつの感情を見せた。
眉を寄せて、眼を暗くした、その笑顔に薄っすらと浮かぶその感情。

「─────キミは、どーして?」
『っ、ど、して…て…』

彼は、今頃ポケモンセンターの医療施設で寝静まっている筈なのに、何故ここにいるのだ。
あの、冷たい右眼が容赦なく彼を貫く。瞬間、ずしりと重さを与える空気。胸を締め付けるような圧迫感と対するように、中で響いていた心臓の音が一際大きくなった。
小さな身体を更に縮こませて、こちらをすがるように見上げるその目。───自分の心が、眼が、夜風のせいか冷えていく。冷ややかな嘲笑が、突き刺す。
分かってる。
答えは、分かっていた。
認めていなかっただけで、今実感した。
眼を閉じて、顔を空に向ける。
風が吹く。
藍色の髪がキラキラと輝くそれが、陰るレオの周りを彩り、儚く見える笑顔───。

空色の右眼が緩やかに、輝きながらピチューを見下ろした。


「……行くんだろ?
ピチューくん」


そうやって微笑んだ、それは、彼女と彼が出会った頃からなにも変わらない。
言葉を失い、愕然と目を見開くユウ──────いや、ピチュー。
彼も何も変わっていない筈なのだ。
だから、ここにいる。

「……キミは最初から、
俺を利用しようとして近付いたんだろ?」

ミオシティで、レオを見付けて、良いカモだなんて思ったのだろうか。

「コトブキシティにまでついて来て、わざわざ俺に恩を売って、」


──でも……僕、
──人間さんに惚れちゃったよ?


そんな嘘まで吐いて、

「ほんと…さ…、
見え見えな嘘だって、分かってたはずなのに……なぁ。
なんで俺はキミをここまで連れてきちまったのかねー……」

嘘だという証拠に、彼は旅の中でレオを好きだとか、そんな甘い台詞を溢すことはなかった。
最初っから、全て嘘だ。
なにもない。

『──────なのに、
僕をここまで許してきたんだね……』


──────にこりと、彼が微笑んだ。
満月が雲から顔を出して、ユウのその苦笑に似た笑みを照らした。参ったと言ったように、彼は息を吐く。

『……うん、そう。
僕はなにもないよ』


───あんな旅は、全部、嘘だ。
泣きそうな、顔を隠して笑った。
ピチューも、分かっていた筈だ。理解していた筈だ。
自分は全て嘘だということを。そしてこの微笑みも。
嘘の色が混ざる目が、レオを見上げた。──────微かに、手が震えた。

『僕は、レオ、君を騙してきたつもりだった……ん、だけどなぁ』
「不幸なヤツだなぁ………俺なんかを選んじゃって」

自分じゃなければ、まだ何もなかった。


『…君を選んだのは、偶然だよ』

ただ、そこにいたから、
興味が湧いただけ。

『レオって中々可愛いからねー、
ちょっと、イタズラしたくなったのと……暇潰し、かな』


にっこりと弧を描く口は、まさに悪魔のような妖しさを含んでいた。
レオの「質悪ィなぁ」という台詞の通り、彼はとても凶悪な雰囲気を纏っている。
楽しそうに立ち上がった彼は───辺りが暗いからか、いつもよりも気味が悪く見えた。月が、また隠れる。
それと比べて、振舞い全て旅の最中のものと何も変わらないような愛らしいもの。先程までとは、正反対のような明るさ。
不自然さが目立つそれを、違和感なくレオは受け止める。

「───どうせ、こんなことだと思ってた」

はぁと息を吐いて、前髪をかきあげながら微笑む。冷たい風が吹き付ける。息が白くなり、空に滲む姿をゆっくり見つめる。

「キミ、今までこうやって過ごしてきたんだろ?」

『……ふーん、分かるんだね…』
「ちょいちょい違和感、感じてたからなぁ」

のんびりとした口調のレオの脳で、思い返してみれば思い当たることはいくつかある。

例えば、以前、彼と「ポケモンなどの専門の本」の話をしていた時だ。
彼は、知っていた。その本の値段や内容まで。読んだことがあるかのように。
そんなものを、何故彼は知っている? それは、トレーナー用の本だろう?
そんなものは簡単だ。
彼はトレーナーの元に居たことがある、という事だけだ。

「しかも金持ちなトレーナーの元にいたのかい?」

その本、5万もするって言っといて、中身まで知ってるというのだから。

『……うん、そう!
若くてお金もある女の人間、だったよ。
…ほんと、操り易くって、よかったよアイツも』

「…………“アイツも”ねぇ」
『、レオは、違ったなぁ……。
他の人間と違って、扱いが難しくって』


困ったよ。そう言う彼は随分と上からな口調だと思うレオも、なんだか自分も見下されているかのような気分に陥る。
それでも笑みを消さないレオ───だから、扱いが分からなかった。

『───なにを僕が言っても、レオは変わらない。
僕が、告白した時だってさ、笑顔は消えない』


そして、今も。

『……穏やかな、顔しちゃってさ、』

ほんと──────気持ち悪い。
すると、レオはやはり口元のそれは変えないままでも、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。少し意外そうな顔で「それが本心かぁ…」と呟いた。その顔に怒りや、悲しみは見えない。ただ単に、意外そうに思っただけの顔。それに、ピチューの矜持にぴしりと音が走る。
────どうしても、彼女の顔は変えれない。

『っ……ほんと、変な人間』

気持ち悪い。
奇妙な存在だ。
あの時、森の洋館でも感じたこの居心地の悪さ。
どうして彼女は、顔色をそんなにも保てる?
──────自分は、こんなにも必死なのに。

『僕は、あんたが嫌いだ……ッ!』

あっそう。そう告げた彼女のピチューを見据える眼は、無関心だ。

「俺は、キミのことはどーでもいい存在だ」

『っ』
「─────で、キミは俺を嫌うから、
俺から離れようとするわけだな」

容赦なく言葉が彼を抉るも、事実だから仕方ないと肩を竦めるしかない。
行動を移したのは、いつだって彼だ。

彼が、ただレオを嫌って、離れる───つまり、
手持ちを外れようと、しただけ。



   
     

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