空契 | ナノ
26.選ぶべき道 (4/6)

  
   

  
「へぇえええ………あなたがあのダイゴが惚れた女の子なのねレオちゃん…!」
「いや、ごめんモミさん、なにいってんのか俺ワカンナイ」

「……俺も、意味不……」
「…ああ、サヨリはダイゴという人間を知らないのであったな」
『…………知ってる僕からしても、意味不明だけどねぇ…』
「……こいつの目にはどんなフィルターがかかってるんだよ」

どうやらモミフィルターから見ると、レオにもラッキーにも理解できない世界が広がっているらしい。
違う…やめてくれ…変な勘違いしないでくれ……と膝と両手を地面につけながら項垂れるレオ。その背中を邪魔だと蹴り飛ばしたアイク。
特殊的なダメージと物理的なダメージに戦闘不能となったレオを、米俵のように肩に担いだアイクはその少女ひとりの重さなんて軽いと、表情を崩さず、それでも他から見たら険しそうな碧眼で、モミを睨み上げた。

「……で、ツワブキ ダイゴは何処にいんだよ」
「ぅ……ぁ…え…と…っ」
「…………」

細い眉を寄せて不愉快だと言いたげなその威圧的な眼付きに、モミはぞっと身を引いた。あからさまに身をすくめて怯えの感情を見せた主の姿に、はじめてラッキーは顔色を代えた。ほわほわと常に花を飛ばしているような、トゲもない空気が突然ピンッと張りつめた。ふわふわな笑みは、白紙へと雲隠れした。一気に殺気立った表情、だが、衝動的なその怒りと共に恐怖もぐちゃりと混ざって突っ掛かっているようで、じわりとその白い頬には汗が滲んでいた。
その、ふたりの畏怖という感情で塗り固められた顔に、アイクはぴくんと眉を跳ねさせた。その瞬間、彼の周りで移り変わる空気と、剣呑さを増す碧眼に、やばいとレオ達は敏感に感じ取ったのだ。

『あっ、ちょ、アイク!』

咄嗟に声を上げ、アイクの頭の上に飛び乗ったユウも、レオも、他のその手持ちからしたら、先程の表情は通常運転+少しの怒りがちょっとある、程度なのだが、モミやラッキーからしたら別だったようだ。だが、それよりもまずいのは…………そのモミたちが抱いた、畏怖……。それだ。

そして、今は話が別だ。

深い深い、光を失った夜空。
そんな碧の色の中に、ぞっとするような感情を見付けてしまったのだ。

『っ、アイク! もっと落ち着いて先のことを考えたら!?
モミさんとラッキーさんがびっくりしてるじゃ───、』

「てめぇがそれを言うのかよ。半端野郎」
『は──っ、いて!』

低く冷淡な声で彼を否定し、頭の上から汚いものを退けるように払うとアイクは、頭に血を上らせているようでそのピチューを蹴り飛ばしていた。声を上げながら、ころころと転がっていったユウはナミに受けとめられた。
───普段なら、ここで文句のひとつでも言っているものなのだが、ユウはぐっと歯噛みした。半端野郎。その言葉が、彼を突き刺したのだ。ずんっと、胸を貫く痛み。

「……ユウ、?」
「…………」

くしゃりと顔を歪め、何も言わないユウの異変は、昨晩から気付いていた。だが理由など分からないナミと、分かるサヨリ。それでも何も声をかけることができず、声をかけようとも思わず、黙って小さな彼を見詰める。
レオも、淡々としたイロもない右眼で一瞥だけすると、再び思う。やっぱり、自分達は出会うべきではなかったと、眼を細めて、今日で何度も吐いた溜め息をつき、脱力していた身を一気に起こした。
突然上半身を起こしたからか、アイクがぐらついた。その一瞬の隙をついたレオは、迷わず両手を回して抱き締めたのだ。
周りから見たら、今のアイクは獣のような荒れ狂う怒りを、その眼に浮かべているように見えたのだろうか。レオには違って見えた。ぱんっとアイクの両頬を挟んで、微笑んだレオは彼の碧眼を覗き込んだ。違うんだよな。お前の、そのなにも変わらず綺麗な、夜空みたいな碧眼。
そこに、浮かんでいるのは、怒りじゃぁないよな。悲しみでもないだろう。そんな感情で、こんなにも彼は、その碧眼に痛みを浮かべる筈はないのだ。

「はい、どーどー」

空色の右眼が彼の碧眼を捉えた時から、その碧眼は徐々に落ち着いたイロに染めていた。
無言で、近い距離で笑ってくれている少女を見詰めて、口を少し開いた。すぅ…とゆったりと流れる冷たい空気を飲み込み、それからアイクは抱き抱えるような体制にいたレオを、地面にと下ろした。それまで、彼の顔は呆けた、ちょっとだけ馬鹿みたいな顔のアイクだった。
そして、そのままじっとレオを見詰めた碧眼を、伏せて言った。

「……どーどー、とか、
俺はギャロップじゃねぇんだよ馬鹿が」

「誰が馬鹿だこの……いっだぁああー!」

憎まれ口を叩く余裕も出てきたかと噛み付こうとしたレオの額に、衝撃が入った。ビシィッと破裂音みたいな衝撃音。どうやら指弾が命中したらしく、その目で追えないその攻撃を食らってしまったレオは、大きく仰け反った。
バランスを崩して後ろえと、砂ぼこりを上げながら倒れた哀れなレオの事など知ったことかと、鼻で笑い捨てるとスタスタと歩み行ってしまった。彼に、この森の出口が分かるかどうかは微妙な所だったが、ハッと我に返ったナミが、レオとアイクをオロオロと見比べ、とりあえず主の事は隣のぼけーっとした彼に任せるとして─────アイクを追って走った。
そのナミに抱えられていたユウは、あの碧眼の者の傍に、行きたくない。
あの碧眼に、畏怖を感じたのは、あのモミやラッキーばかりでない。ユウもその内のひとりであるが、ナミもである。ただし、モミやラッキーとは違って、彼女達のその目を認識してしまった時のアイクの眼に、彼らは恐怖を感じたのである。
一瞬、ダイゴのような、忌々しいものを見るように、どろりと鈍い怒りが、その空に浮かんだのが見えた。見えてしまって、ユウら本能的に恐れてしまった。その恐怖と、見透かされそうな、恐怖。
でも、だからと言って、自分の主であるレオの、傍にいるのも苦であった。

『(……僕は……どうしたらいのかな……)』

自分の中で、昨晩、レオが自分に突き付けた言葉が反響していた。

───自分が変わるなり、俺の目の前から消えるなり、自分でしろよ。
───この半端野郎。

そんな、突き放すような、突き刺すような、冷たい言葉。自分を見下ろす──────冷たい、人形みたいな、右眼。

『(……なにもしたくない)』

これが今の自分の気持ちだ。
なにもしたくない。なにも考えたくない。──────そうやって、自分はこの主の元で、過ごしていたのだろうか。
それはいつから? 最初は、出会った頃は、まだ自分の頭で考えていた筈なのに。
なのに、

いつから自分は思考を放棄した?

心の中で浮上しては、また沈む、数々の風景。
レオは、忘れっぽいあの子は、忘れてしまっていてもおかしくないような他愛もないような、あの日々。
ピチューは目を閉じて少し震えると、ナミのベストの中へと逃げるように潜り込んでしまい、ナミも何も言わず受け入れる。本当に、子供みたいだなと、自分もつい最近までそうだった事を棚に上げて、服の上から撫でてやった。力加減を間違えないように、優しくそっと。

「いっ……てぇー…」
「…………」

地面に着地をしてしまった背中を擦りながら、身を起こそうとした時にサヨリが後ろから抱き付いてきて今度は前のめりで倒れそうになった。彼は一体何がしたいのだろうか。たまにするこの抱き付いてくる行動が理解できずに項垂れていると、そんな彼から頭を撫でられる。なに、と問うまでもなく、これは理解できた。
実際その通りで、サヨリの無関心そうに上がっていた真っ黒な目の先には、ナミの背がある。かと言って、見詰める先がナミという訳でもない。
あの、小さく脆弱な──────……、
レオも分かって、その先を見ようとはしなかった。興味もないと、言わんとばかりに眼を逸らした先には、モミがいた。

「だ、ぃじょぅ…ぶ……です…か?」
「あー、うん。なんも問題ないぞー」

いつも通りの日常ですからとその青白い顔のモミに笑いかけると、彼女もやっとばかし気付いたようだ。あれが彼の通常な姿なんだと。
差し伸ばされた、白く震えているモミの手を掴んで起き上がり、レオはなんでもない顔で笑った。

「いやぁ、あいつは眼付きサイッコーに悪ぃからなぁ。
俺らはとっくに慣れてるから問題ねーけど……」
「あ、っ……ごめんなさ、い……」

「それ、言う相手違くねーかい?」

ズボンの汚れを払い落としながらの調子で、レオはおかしそうに首を捻って言う。だって、自分はなにもしていないのだ。
モミとラッキーは少し目を伏せる。彼の気持ちを思い浮かべてみた。自分達が彼に向けた感情の名前。それは紛れもない恐怖だったんだ。その眼(まなこ)を向けられて彼はどう感じた?
それはモミ達には分からない事だったが、人としてあれら間違っていたのは確かだろう。「うん……そうよね…」と俯いたモミの気持ちを労るようにラッキーが傍で寄り添っているその姿を、微笑ましそうに和みながら見ていたレオは、満足げに微笑むと彼女らの頭を撫でてやる。

「それがいいな」

そうだね、謝ろう。うん、うん、それがいい、それがいい。頷きながらにっこりと笑むその気持ちも、彼女らは理解できないのだろう。
ラッキーと顔を見合わせていたモミの手を掴んで、アイクやナミの背を追うように歩き出すレオは、ご機嫌のようだ。
しかし、サヨリから見たら、その笑みが──────とても自然的すぎて、不自然に感じたのだ。

「……今の、流れで…こうなるか……」
「え? 今なんて、サヨリさん…」

「…………レオ…変……」
「え、えぇ、まぁ、貴方の主様は不思議な方ですよね…」
「……ん……」

本当に変だ。
サヨリには分からない。レオがモミとラッキーを見て、何故あんな微笑みを浮かべたのか。

───この能力は、やはりモミが持っていれば良かったのに。というその願望を、レオが抱いたなんて、サヨリには、分からない事である。
この感情が理解できる者は、この場にはいない。

モミとラッキーの──────相棒という言葉に等しいその姿。

それを見て、少しばかり羨ましくなった──────なんてこと──────。





     
     

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