番外編 | ナノ
桜吹雪のない空 (4/13)

    




旅人は迷いかけていた。
大通りから外れて、細い小道に入ったのはいいが、進んで行けば行く程道が分からなくなる。あるならだが、まずはピカチュウ達を休ませる場所が欲しい。例を挙げるならば、ポケモンセンターだが、残念なことにサクラが持つトレーナーズカードは“ここ”のと少しばかり勝手が違うみたいだ。
────そう、まずは宿泊場所が最優先。見上げれば、もう日は沈みかけていて光が届いていない空がある。もう夜になる。
その前に、どうにかして…、

「────…ピカチュウ」
『…了解』

ふたりの間に短い会話が交わされた時、サクラは何故か壁の前にきていた。行き止まりだ。
しかし彼女は、こうなることを望んでいたように表情を崩す事なく……─────身を低くして、後ろを振り返った。同時に肩から降りたピカチュウが鋭い電気を纏う。
一瞬にしてピンッと張り詰めた空気。そこにある。確かに、そこに、物陰にいる。

「────出てきなよ。
…5秒以内に出てこないと…、」
『僕の10万ボルトで丸焼きにするぞ!!』

無害な人間を攻撃するつもりはないが、そうじゃない人間なら話は別だ。挑発的なピカチュウの言う通り、10万ボルトでも、人の気配が潜んでいるであろうそのゴミ箱の横に放つつもりでふたりは構える。
そんな一発即発の空気の中、放たれた言の葉は、

「……おー…かわいー……」

という間抜けな誰かのものと、

「『は?』」

という、サクラとピカチュウのすっぽ抜けたものだった。
…………なんだったんだ、今までの緊張感。一変した。それにやっと張本人は気付いたらしく「あ」と抜けた声が空気を揺らした。

「あー、悪ぃ悪ぃ。
いやぁ、キミらかわいーなぁ…って」

思っただけだぜ。と、軽い口調で言った気配がゆらりと揺れる。身を屈めていたらしい。ゆっくりと物陰からそれは姿を現した。

「や、
よく気付いたなぁ」

俺が後つけてた、って。そう口元は笑みを描くが、現れた人間は黒いコートを着てフードを目深に被っており、その姿を詳しく知る事はできなかった。
分かることと言えば、背丈はサクラより少し低くて、肩幅も小さく胸元に女性独特の膨らみがある。声はアルトで、楽しげ。少女であると判断する。


(image)


「…尾行やストーカーには慣れてるんでね」
「あー、お姉さん美人だもんなぁ」
「………いや…あのさ……」

本当に誰?
呆れを含んだ目で少女を見据える。ピカチュウもそれは例外ではないが、警戒はとりあえず説かない。しかし、どうにも解せない。
こいつは一体なんなんだ? 先程の言葉通りサクラは自身の容姿と身分上、様々な者につけられる事が多々ある。よって、ある程度気配を読む事には慣れているし、その少女本人が「いやぁ、気配を消すとかよくワカンナイんだよなぁ」なんて呟いている事から、気付けたのである。
…気配を消すのがワカンナイ…。なら、何故尾行なんてしてみたんだ…。しかも、バレても笑っているし、なにより少女から悪意という感情が感じない。
どちらかというと、サクラの“熱烈なファン”から感じるような…………“興味”“羨望”“願望”…そういったものに近いか。
つまり…、

『……サクラの追っかけ?』
「まさか。

…………なぁ、あんたポケモントレーナーか?」

ピカチュウの呟きに、有り得ないと小声で返したサクラ。まぁ、そうだよな。と頷くピカチュウは更にこう呟く。『だって、ここはあの“世界”と似てるけど違うから』
尋ねられた少女は、サクラの呟きを聞き取ったのか…静かにフードの下で眼を細めると、次の瞬間にはニコリと微笑んだ。

「あったりだぜー。
俺はポケモントレーナー。だが、今はポケモンはイン ザ ポケモンセンター!
なんで、手持ちはゼロなんだよーん」

なんだこのハイテンション。
終いにはくるくるとその場でターンしてみせる少女にはあえて突っ込まず、また質問を加える。

「…………ジム戦とかやってる人?」
「おー、コンテストとかよりは好きだしなぁバトルー」

「……バッジ何個?」
「まだ1個だぜ!」

「………………カントー地方とジョウト地方のチャンピオン…誰だか分かるか?」
「え? んー?
…名前が緑の人と赤い人が結構前にチャンピオンから降りて……、
今はワタルだかなんだかのドラゴンタイプの使い手じゃなかったか? 多分」

「………」

突然の質問に対して、少女は疑問を持った様子もなく、やけに眩しいにこやかな笑顔で素直に答えていた。自分が不審者であると自覚した上でサクラに従っているのだろうか。────だが、フードの下の影に紛れた少女の眼は、ギラギラと輝いている。

それに気付く事なく、質問の返答を受けたサクラは、やっぱりと内心頷いた。
少女が嘘を言っている訳ではなさそうだ。そもそも嘘をついて得られるメリットがない。しかし、その少女が口にした言葉とサクラの持つ知識には、差があった。
その差が、サクラをとある答えへと導く。
そう、やはり……“ここ”は…“この世界”は、

「異世界、…ねぇ」

───サクラの思考を遮るように、少女の声が路地裏に響いた。

「───……!」

まるで脳内を覗かれたかのようなタイミングで、ざわりと戦慄した。言葉を無くし瞠目したサクラに、やはり少女は笑う。にこにこと、楽しそうに、面白そうに。
じり、と自然と下がる足。バチリと弾ける電気と、敵意、緊迫、疑問、疑惑、謎、

「な………お前…っ」
「“なんで知ってるんだ”…か?」

また、遮る声。少女は手を横に手のひらを降った。いや、別に心が読めるとか、そんなんじゃないから、と。
ただ。少女はにこりと笑い、止めた手でピカチュウを指差した。

「そこの子の台詞を聞いただけだから」
『…え…!?』

「……? ………?」

あっけらかんと言う少女に、サクラは胡乱気に睨見上げる。

「…あんた、翻訳ツール…でも持ってんの?」
「へぇ、キミ“も”持ってんのかい?
いやぁ、便利な世の中になったなぁ」

「…………(…と、すると偶然聞かれたのか…)」

偶然ピカチュウの会話を聞いた少女は────今はフードで見えないが────ポケモンの言葉を人間の言葉に翻訳する機械を耳にでもしていたのだろう。その翻訳ツールは、おそらくまだ造られたばかりの研究段階であり、やはり偶然、少女のみが所持していたのか。
だから、大通りでピカチュウとの会話に気付いた者は他にはいなかったのだろうと当たりをつけ、サクラは思考を徐々に落ち着かせていく。
翻訳ツールが“この世界”ないものだと思っていたから少し動揺してしまった。なら、この人は偶然聞いてしまった単語に、興味を持ったのか。それはそれで面倒だな…。
逃げようかと、ひこうタイプのポケモンが入ったボールに触れた。その時、一歩少女が踏み出す。

「……でさ、
俺、さっきキミの質問にぜーんぶ答えてやったよな?」
「は、」

また、一歩一歩と踏み出す少女。

「だから、さ、
俺の質問にも答えるべきだと思うんだよ」

一歩、また、一歩。

「なぁ?」

その度に増す息苦しさ。

「…不審者さまよォ?」

────なんて無茶苦茶で理不尽な言い分なんだ。それの違和感に気付いているのかいないのか、少女が浮かべる笑みは変わらない。それなのにサクラとピカチュウを襲う、とてつもない圧力、威圧。
冷たい空気がじわじわと広がっていき、ぴっと息を飲んだピカチュウが咄嗟に電撃を放った。人間相手だからか、10万ボルトよりは弱い電撃だったがスピードは十分すぎるものだった。
─────しかし、少女はにやりと笑うと重心を前に傾けた────壁に跳躍、したのだ。まさか避けられるとは夢にも思わず、呆気に取られた。空中で霧散する電気と、壁を片足で蹴り飛ばし一気にこちらへと移動した少女に、ピカチュウは開いた口が塞がらない。
サクラもそれは同じで、ピカチュウの電撃がヒットした瞬間逃げ出すつもりだった。中途半端に出た足の行き先は、身を屈めこちらへと手を伸ばす少女だった。

「っ───…!」

こちらも咄嗟に放った蹴りは、僅かに少女の指無し手袋をかする。その鋭い蹴りを掻い潜って伸ばされた手から逃れるように身を引くも、不安定なバランスで軸がぶれる。その瞬間、少女の手が、サクラの帽子に触れた。




   
 

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