番外編 | ナノ
桜吹雪のない空 (10/13)


 

   


「いいか?
自分の行きたい異世界を繋げるのに一番大切なのは、イメージすること」
「ほー」

先程も述べたように、秘伝の鍵は扱う者の記憶に反応し、触れることによりその世界を見つけ出す。
イメージするものは、風景、その場所の様子、人々の顔、そこ特有の物…。

「なんでもいい。
行きたい世界に関連する何かをイメージする必要がある……が、大丈夫か? レオ…」
「うん?」
「お前の記憶力の悪さ、だよ」

「おう! 俺の妄想力は無敵だからな!」
「もーそーしてどーすんだよ!」

妄想=あり得ないものを思い描くこと。それでは当然元の世界に辿り着く事はない。
グッと拳をつくりキラッと星を飛ばしペロッと舌を出す、やけに擬音語をつくるレオを怒鳴る。そんな無駄なことしたら七転八倒するのはこいつである。
まぁまぁ、と宥めるように手を翳される。こうなったのはお前のせいだと睨むと、レオは苦笑して冗談だと笑った。

「大丈夫!
確かにあの世界はどーでもいーヤツらばっかだけど、流石に親友の場所は覚えてるよ!」

忘れようとしたこともある。
けど、やっぱり、それまで忘れたら俺は空っぽになるから。
───俺は、更に堕落するから。

だから、覚えてるよ。
にっこり笑って、レオはサクラから受け取った秘伝の鍵。それを、もうとっくに消えてしまったあの扉が、先程まであった太めの幹に向けてレオは眼を願うように強く閉じる。

「─────秘伝の鍵よ……」

頼むよ。俺は帰りたいんだ。あの場所に。あの、優しい場所に。
思い浮かぶのは、あのまっさらなあの空間。狭い、狭い、狭い、親友の世界。
レオはどうしても好きになれなかった、あの世界……───。

「……我を、元の世界へと導け……!」

────ざわり。
その呪い(まじない)は、この公園だけでなく、

ざわ、ざわり、ざわり、

世界中の空気さえ変えた。
それに気付いたのはサクラで、それとは違うことにレオは気付く。───ノイズが、また頭で鳴り響いたのだ。
ふたりはそれぞれ疑問を感じて顔を見合わせる。が、その時ふたりの髪を大きく揺らした。反射的に眼を閉じるふたり。───先程とは何かが違う、波動───。
眼を、開けて視界を巡らす。
すると────そこには、ひとつの扉が現れていた。サクラが出現された扉と変化させた鍵は、今のそれらとは形状が異なる事から、この扉はサクラの世界とはまた別のものを出現させた訳だ。
つまり、成功───だろうか。

「……なんだったんだ…?」
「………さぁ……」

首を傾げるふたりはもう一度お互いに顔を合わせた。……ものの、謎が解ける訳ではないので、先にレオが我に返った。
まずは、こちらが優先だ。何よりも、こちらが大切だ。じっと扉を見詰める。見れば見るほど不思議な気配がする扉だ……。
───確かに、これなら帰れそう。そんな予感までしてきた。

前に歩みを進めて、その扉のドアノブを握る。それは不思議と、金属独特な冷たさはなかった。まるで幻のような、夢みたいなものがそこにある……。
顔を後ろに向けると、サクラがそこで、少し眉を下げて笑っていた。悲しそうな微笑みだった。
レオがこの選択を選んでしまうのが、やはり心残る事があるのだろう。手持ち達を残して、元の世界に戻るという、この選択が。

サクラは、ポケモン達が好きだ。大切だ。自身の手持ちは、もう既にただの手持ちではなくなっていた。家族である。大切な、大切な……。
だからこそ、この選択はサクラだとしたら選ばない。せめて、仲間たちにきちんと伝えたい。

───しかし、それがレオを責める理由とはならない。
否定する理由にもならない。だが、彼女の事情を聞いても肯定まではできなかった。
でもそれでいいのだろう。
これは、彼女の運命である。彼女がこれを、選んでいる。それで……いいのだろう。
レオですらも、この選択は正しいのか分からないかもしれないけど、こうしたかったのは確かなのだ。

だとしたら、止める権利はない。
それでも微妙な顔をするサクラの表情に、レオは苦い笑顔を浮かべる。それでも、その細められた眼には後悔なんて負の感情はなかった。
ただ、ただ、歓喜していた。

───これで、やっと親友に会える。
待ちに待っていた、帰還。再会。
久々に会えたら、あいつはどんな顔をするだろうか? 笑うだろうか? 怒るだろうか? 拒絶されるだろうか? 悲しまれるだろうか? 残念がるだろうか? それでもいい。なんでもいい。否定されても構わない。
これはただの俺のエゴ。
俺がこうしたいだけ。そう、呟いて、レオはその扉に力を込めた。ギシ、音を立てる。隙間から光が溢れ出す。
その瞬間、何故か、脳裏に掠めたのはあの星空だった。



──…もし、だ。

──てめぇが失望させるような事したら、
俺は迷わずてめぇを…殺す。



あ、と思った。
懐かしい、って感じるほど前ではないと思っていたが、彼のその誓いの声は、また遠くなった。

「(───……あー……、
あれも、一応約束だったなぁ……)」

叶えられない、約束、だったなぁ……。レオは眼を閉じる。きっとこんな自分を知られたら失望されるのが眼に見えていた。
だったら殺されるべきなのに、あの碧眼の相棒に。
でも、こればかりは守れない。
ギッギッ、音をたてながら扉を押すと、淡い眩しい光が眼を刺した。細めた眼に手を翳しながら、レオは一歩足を進める。

一歩一歩ごとに勝手に浮かぶのは、旅の記憶。

どうにか旅についてこようとして、告白までした彼の言葉。
自分を弱いと言って、強くなりたかった彼の言葉。
冷たくて、淡々として物事を受け入れた彼の言葉。

ああ、いつかこれも忘れてしまう記憶(もの)なのだろうか。
─────だとしたら、自分は本当に酷い人間だな。そんな当たり前な事だと笑いながら、歩みを早め、走り出す。
知らない知らない。旅の記憶なんて、もう関係ない。
……けど、少し楽しかったのは、あったかも。

だから、できることなら、覚えていよう。
忘れないでいよう。

ああ、さようなら。さようなら。
俺の手持ちたち。相棒。さようなら。
意外と楽しめた。これは嘘ではないんだよ。




だからさ……もう、いいよ。

俺のことは忘れていいんだぜ……?




不意に光から抜けた。
一瞬、ふわりとした感覚がした直後だった。
体感温度が変わったら。秋晴れの涼しいあの外から比べ、ここは温度が僅かに上がった。あたたかい……ここは室内だ。
そして、閉じていた眼を期待を込めて開けると──────レオは、息を止めた。ひゅっ、と音を鳴らし飲む息。
そこは見覚えのある建物の、廊下だったのだ。つい、先程まで、外に……公園にいたのに。移転、したのか……。
─────だが─────、

「レオ、」
「……、」

後ろの扉からサクラが続いてやってきた。その扉は、この廊下とは正直不似合いだ。当然である。違う空間から無理矢理繋げたのだから。
景色の違う様子に、サクラはほっと胸を撫で下ろした。一応は、秘伝の鍵は成功したらしい。

「……ここはどこ?
レオの家か…?」
「…………」

フローリングの床。白い壁紙。右を向けばリビングに繋がっているだろう扉や、他に風呂や部屋がありそうな扉ばかり。左を向けば玄関が見えた。……一般的な家の廊下である。あえて言うならば、マンション風ではある。
ここがレオの家なのか、と思っていたが、レオの首は横に振られる。

「違う……俺の家じゃない……」
「え? じゃあ、」
「……ちが…う……ちがう……ちがう」

うわ言のように呟きながら、首を振る彼女の様子は普通ではなかった。
いつも通りの笑顔も、辛うじて、浮かべているように見える。さっと血の気の引いた顔に、汗がこぼれる。開かれた右眼は揺れ、茫然と唇が動く。

「おかしい……」
「何がだ? どうした?」

もしかして、失敗したのだろうか。失敗して関係のない世界に来てしまったのか。
だとしたら、またやり直せば良い。絶対その世界にいける訳ではない。そう声をかけようとしたサクラに構う暇もないような、焦った表情は初めてみた。
声をかける間もなく、レオが玄関へと駆け出した。扉に、手をついてまじまじと隙間を鋭く見詰める。
一瞬だけ、その動きが止まると、レオがこちらを顧みて手招きしていた。指差されたそれに迫りながら確認すると、それは何かが挟まったような跡だった。

「? なにこれ」
「覚えねーかサクラちゃん?」

え?と瞳をぱちくりとしたサクラに、レオはその真新しいその傷のような跡、を細い指先で撫でた。
挟まったような、刺さったような、抉れたような、傷跡……「これ、アイクが投げたナイフの跡だ……」

「……え、?」

まさか。少なからず困惑するも、一番当惑しているのは彼女である。レオがなぞる指先が震えている。マジかよと乾いた唇。

「そんな……だって、レオ、お前イメージしたんだろ?
その、帰る世界を……」
「した。確かに、した」

間違う筈はない。強く疑う事なく、頷いた。あの親友の元を、強く想ったのだから。
だから、ここは異世界でないと困る。いや、サクラの目から見ても、あの扉は確かに異世界へと繋がったように見えたのだが。

「……こんな傷跡、偶然じゃないのか…?」
「…………いや、間違いない。
ここは………、」

あんな場所と全く似ていない。俺の求めた世界なんとは何もかも違う。
空気も、雰囲気も、独特なあの臭いも。

「……ここ、
俺らが借りたポケモンセンターの一室だ…」

間違いない。呟いた彼女が玄関の扉を開いた。───確かにそこから見えた景色は、サクラも見覚えのあるそれだった。───……先程、自分達がいた部屋だ。
ぎこちなく振り替える。この一室の廊下の先のリビング。扉に設置されたガラス越しに、光が見える。サクラの秘伝の鍵を使ったときに現れた扉が発した光とは、質が違う。ただのリビングの光。
人がいる。
それが誰かなんて分かりきってたが、行かない訳には、確かめない訳にはいかなかった。重い足を、進める。リビングへと向かわせ、そのドアノブを握る。
そこから、動かないレオを見つめた。思い詰めたように揺れる右眼。
もし、これが本当にあの世界ではなかったら、自分はどうすべきなのだろう。そう、思っているのだろうか。自慢のあの笑顔も、今では少し硬い。
見詰める瞳。それに気付き、その空色の眼がこちらを向く。それから1秒だけ時間が流れた。頷くふたり。そして、握ったドアノブを……一気に引いた。

ガチャリッ、その音と共に開かれた扉に飛び込む二人。
そして、その広いリビングで見たのはレオにとっては想定内の事で、一瞬眼を閉じると溜め息をついた。深いそれに、リビングでくつろいでいた面々は気付きこちらを見上げる。

『あ、レオに例のサクラさんだぁ』

最初に声を上げたのは、レオにの手持ちと思われるピチューだ。
その伸ばされた語尾の口調。レオはそれを聞くと、辺りを見渡して見慣れた面子を認めた。緑と碧、黄色、青、茶色……見慣れたカラフルな髪色。顔。気配。それに、確信所か、諦めに近い感情を覚えてしまう。……ああ、本当にここはなにも変わらない。ポケモンの、自分が飛ばされてしまった世界だ。
あの憎たらしい顔や口調(一部除く)を見て思わず苦笑する。そいつらの他に、見覚えのない者達がいるがサクラの仲間だろう。と、彼らの主であろうその人を見て、レオは瞬きした。

「……サークラちゃーん?」

彼女はじっとリビングに集う面々を見詰め、固まっていた。口を開けて凍り付いたのは、今日、これで何回目だろうか。それでも、今回のは一段とインパクトが大きすぎて、顎が外れたようにパカリ開く。

「…サクラ?」

今度サクラに呼び掛けたのはレオではない者だ。燃えるような赤の毛先が橙色の、長い髪の青年である。レオは、その人間の姿をした者を知らない。しかし、サクラも分からなかった。声は、聞いたことのあるものなのに。いや、だからこそ彼女を更なる混乱へと巻き込んだのかもしれない。

「サクラ? どうしたの?」と、桃色の髪の素直そうな少年。
「……もしかしてその女が、わたくしのサクラに何かしてくれたのかしら?」と、紫ピンクの髪の艶めかしい雰囲気の女性。
「ばっかじゃないの? というか! サクラはあんたのものじゃないって何度言えば分かるんだよ! 僕のだから!」と、黄色の髪に毛先が黒いメッシュが入ったボーイッシュな少女。
「喧嘩はお止めなさい、おふたりとも」と、水色の髪の凛とした涼しげな女性。
「そうね。それ所じゃないもの」と、黄色に橙、黒とメッシュが入った優しげな女性。

桃色の髪の少年は、唯一サクラが見覚えのある顔だったが、その他はどうも覚えがない。しかし、どこか懐かしい、落ち着ける雰囲気。そして、声。
それらに、勘の良いサクラの思考は薄々気付きつつあるが、ショート寸前である。
既にぷしゅーと煙を上げつつある頭で、固まるサクラにあの赤髪の青年が近付いてきた。精悍な顔付きで頬に傷が刻まれた男だが、サクラを見下ろすその細い眼には、優しげな感情が宿る。

「サクラ……混乱しているだろうけど、すまん。
俺らもなんだ」
「そ、その声に、傷……!
まさか、お前…リザードンか……っ!?」

そんな馬鹿なと思いながらも、絞り出した声は荒上げてしまった。いつも冷静なサクラからは珍しい驚愕の色だが、仲間たちは仕方ないと苦笑しては頷いていた。
青年を差したサクラの指先はぷるぷると震えている。その心中を察する。
が、ひとり空気の読まないやつが。

「こーらサクラちゃん、ひとを指差しちゃダメだぞー?」
お、ま、え、は、な、ん、で、そ、ん、な、に、れ、い、せ、い、な、ん、だ、よ
「えー」

なんでと言われてもねー?
ピキッと米神を引き攣らせる、大分余裕のないサクラにレオはニコニコと笑いながら、小さく唸った。

「んー……、
俺からしたら、なんでそんなに驚いてんの?だけどなぁ」
「……は、ぁ?」
「てっきり、サクラちゃんの住んでた“場所”もそんなもんだと……」

いうことを前提に、サクラと関わっていたレオであるから、少し驚いた。……それもそうか。世界が違うんだもの。そう思ったが、こんなにも変わるものなのか……。科学力も、こういう現象も、こんなにも認識の差がある。
───だからこそ、異世界───か。
意味が分からないと瞳を白黒させてるサクラと、レオは見覚えのない面子を眺めながら推測したそれは、実に興味深く、関心が絶えないものだった。
いつかは、自分もサクラのような旅がしたいと遠い眼で笑っていると、一匹のピチューが寄ってきてはレオの肩に落ち着く。彼は可愛らしい見た目通り、小首を傾げると子供っぽい口調で呟いた。

『へぇ……本当に、“擬人化”を知らないんだねぇ』
「……ぎじんか……?
こっち(の世界)ではみんな知ってるようなことなのか…?」
『うんん、違うよぅ?』
「はぁ……?」

益々意味が分からないと脱力するサクラに、レオも苦笑した。自信の手持ちであるピチューの思う所が理解でき、納得したのだ。ピチューが疑問に思っていること。

「つまり、
あんなにサクラは懐かれてんのに、擬人化を知らなかった……いや、手持ち達が擬人化を今までしなかったってコト……。

それが不思議だったんだよ。こいつにとっては」


    

    






 *←   →#

back   top