桜吹雪のない空 (9/13)
「あいつはさ、相棒なんだよ。
俺の唯一の、な」
「……?
だったら、なんで…」
サクラにも相棒、パートナーと呼べる者たちがいる。
それらは仲間であり、家族である。離れたくもない。掛け替えの無い、唯一無二の大切な者達……。
少女は、顔を上げた。ブランコは大きく揺れる。
「なぁ、サクラちゃん。
お前にとってポケモンや手持ち、相棒って、やっぱり特別なんだろうな。
けどな、俺はお前のその認識を受け入れてない。
同じじゃあないんだよ、キミと他人の価値観は」
キーコ、キーコ、キーコ、
キーコ、キーコ、
キーコ、キーコ、キーコ、キーコ、
揺れる揺れる。大きくぶれる視界の中で、少女は楽しそうに空だけを見つめる。
「俺にとっての手持ちは手持ち。
ポケモンはポケモン。家族は家族。相棒は相棒。
それが混同することはねぇよ」
「、なら」
サクラも食い付くように、ブランコに板の上に立ち上がってレオに食い付く。
レオの視線を追うと、徐々に地平線に近付いていく夕陽が、徐々に赤みを増して輝く風景を、彼女は眺めていた。
「お前にとっての相棒ってなんなんだよ……っ」
ポケモンってなんだよ。家族ってなんだよ。
ポケモンを捨てて、どうでもいい世界に帰る意味が分からない。
柔らかい、優しい眼で、口調で、相棒と呼んだのに、何故、
「相棒は、事務的に考えればただ一緒にいるだけの役割。
実際はキミとキミのピカチュウ。ああいうのを相棒って呼ぶべきなんだろうな。
俺らは、そんな立派にはならなかったし、相棒なんて仮な形だったけど、俺はね、あいつのコトは嫌いじゃねーんだよ」
彼が相棒でよかったとか思ってる。
「それでも、俺はでき損ないの関係より、大切なものがある」
きっと、あいつらにもある筈だ。
あの、意地っ張りで寂しがり屋な相棒も、猫っかぶりで馬鹿みたいな演技をしてるあいつも、怖がりなくせして真っ直ぐで自分勝手なあいつも、冷徹だけどなに考えてんのかさっぱり分からないあいつも、なにか、譲れないなにかがあるはずだ。
だからこそ、彼らは俺が消えるとしても追って来はしないわ
ブランコが、大きく茜色で染まった空へと、一段と近くなったときだ。
ぱっ、と、レオがブランコの鎖の綱を手放し、空へ身を投げた。真っ赤な空。それに手を伸ばしたけど、届かないのも当然で、
一瞬でまたレオは重力に従い落ちていく。─────そして、低めな鉄の棒の柵に着地し、両手をVの字へとポージングをしたレオの周りに輝く星達。体操選手か、と余裕があれば突っ込んでいたが、ただただ呆れた白い目で見るばかりなサクラである。
「それにさ」自由奔放に振る舞い、髪を翻しながら、くるくるくるり、片足を軸に回転して振り向いた少女は、明るい笑顔を見せ続ける。
「元の世界でさ、親友と約束しちゃったんだ。
それがさ、他なんかと比べもんになんねーくれぇ大切で、守んなきゃいけねぇ」
待っているのだ。親友は。
「……いや、どうだろうな?
俺は親友に酷いことをした。だから、もう待ってないかもしれない。
けど、俺はその約束を守らないと、果たさないと気がすまない」
「…………」
夕陽に溶け込んでしまいそうな、儚い笑顔だった。
本人としては、ただ普段通りに微笑んでいるだけかもしれない。
だが、サクラは、レオの話を聞いてしまったサクラは、そう錯覚してしまう。消えそうに見える。
───……違う。怖いんだ。彼女が、分からなすぎて。何をしてしまうのか、分からなくて気掛かりなのだ。
そんな優しい気持ちも好意も、気付いているのかいないのか、定かではないがレオはおどけた様子をやめようとしない。寧ろ、調子にのって、ピエロのようにパイプの塀の上で芸を披露して見せていた。例えば、片手で体を支えながら逆立ちしたり、
「まぁ?
そもそも俺はこの世界に存在しないワケでさ、
いない方がいいのさー、この世界にとっても、ここの人間、ポケモンにとってもーっと」
ほら、イナバウワー。
「……なんでそう思う?」
「んー……勘?」
柔軟な身体を駆使し、その某アイススケーターが大袈裟な技を付け加えたようなそらから、ブリッジのように持ち込むと、パイプから足を離した。そして逆立ちのようになると、サクラの方に突き出した顔と、絶妙に反らした背と、空に伸ばされた足。海老反り!そうレオが言うと、遠くから拍手が聞こえた。ちょっと遠いあの砂場から、あの子供達が見ていたらしい。
サクラ側に向いたその顔で、レオは嬉しそうに唇を剃り返すようにニッと笑った。
「キミにも分かるんじゃねーかなぁ……、
なぁ、異世界の旅人さん?」
「……まぁ、な」
それは同意できた。
もしかしたら、世界に異世界の人間が深く加入することで、その世界が壊れるかもしれない。壊して、しまうかもしれない。…そう思ったことは、サクラにはある。
レオもそれを挙げている。───ならば、例え、彼女の他の理由が理解しきれなくても問題ないのか……。
「これでいい?
俺、喋るだけ喋ったぞー」
よっ、そんな掛け声と共に、足を地面へと着地させた。
あんなアクロバティックな動きをしてみせたのに、汗ひとつかいていない彼女は、普段から鍛えているのだろうか。と、まで想像しても彼女の普段生活が考え付かないのが謎だ。
でも、これがレオ、なんだろう。
薄く笑って、サクラはぴょんっと軽い調子でブリッジから降りた。ギシギシ揺れる主を失ったブランコ。気にせず、微笑んだ。
「……ああ、
ありがとう……レオ。
あたしは、お前を信用に値する、と判断した」
薄ら笑みを浮かべながら断言すると、レオは少し意外そうに右眼を剥いた。
「…よく、
今のワケ分からん話で、そう判断したなぁ……」
「あたし、見る目は悪くないとは思ってるからね」
「ふーん……まぁ、チャンピオンだから当たり前か……」
「……へ? はっ!?」
「あ、当たり?」
「おまっ、なんでっ、えっ!? えっ!?」
「いやぁ、だってサクラちゃんさっき、カントー地方とジョウト地方のチャンピオン誰だ?って聞いてきたじゃん?
やけにピンポイントな質問だなーって思ってたから、鎌掛けただけさー。そっかそっかーチャンピオンかーすげぇ有名人じゃーん」
「……前言撤回。やっぱお前信じらんない…」
「あーごめんごめん!
で、真面目になんで俺、信用されたんだ?
自分で言うのもなんだけど、ほら、俺って胡散臭いじゃん?」
「本当に自分で言うなよ……。
てか、自覚あるんなら直せよ!」
「あーもう、これ癖だしなぁ」
「なんじゃそりゃ……」
「……」
「…………まぁ、真面目に言えば、さ、
……あんたを、手助けしたい、っていうかさ……、
他人事、に思えないってか…………いや、同情なんかじゃない。それは、断言する。
ただ、なんか………………あたしも、レオみたいな生き方あったかな……とか思ったら…大変っていうか……」
「……え、えーと……、
つまり?」
「つまり、
……つまり…………信用、したくなった……ていうか……」
「…………」
「………………」
「……なるほど、
どうやら俺は本当に女神に出会ってしまったようだ…」
「いや、意味分かんねーから!!」
「とりあえず、
これで……俺は帰れんのか……マジか…」
「まぁ、そう、なんだけど…、」
「ん? まだなんかあんの?」
「……………あの、
……親友との約束と、その眼帯。
…まだ、聞いてなかったな、って」
「あー…………」
「……」
「……………………、
本当はイヤなんだけどなぁ……」
「…………」
「……いいよ。
キミは恩人になるワケだから。
でも、他言無用、だからな?」
「…分かってる」
「これはさ、
──────……」
夕焼け。闇がゆっくりと忍び寄る時間で、迎えに親が来たらしい。
名前を呼ばれた子供達が、無邪気に笑いながらそれぞれの愛おしい親の元へ駆けていく。
その、様子を見詰めながら、レオは花が咲くような微笑みを浮かべながら口を開き──────、
話は纏まった。レオにとって、いい方向へ。
サクラからしても悪い話な訳ではなく、そもそも迷い人を見付けたら元の世界に送る役目も持つのだから、異論の意見はない。
そして、交渉が正しく、完全に成立したふたり以外は誰もいない薄暗い公園で、凛とした声が響く。
「秘伝の鍵よ…。
我を、元の世界へと導け!!」
金色に神々しく輝く、鍵を取り出し、先を一本の太い木に向けた。そして、呪い(まじない)のような言葉を唱える。
瞬間──────ぶわりと空気が、大きく流れた。解き放たれたように風として起こった波動は、ふたりの髪を巻き上げ吹き抜けていく。
空気が、変わった。
人目が気にならない、公園の茂みの中突如として現れた力。それは確かに空の様子を変え────遠くのふたつの力を呼び起こす……。
─レオ─
「っ……?」
───突然、脳内で鳴り響いたそれに、レオは笑顔をしかめた。いつか、聞いたことのある……ノイズが鳴り出したのだ。
この世界に来た瞬間、そして旅の途中に度々鳴っていた、それ。だけど理由などレオは分からなかった。───それが、今鳴った。なにか意味はあるのだろうか……?
そう僅かに思考した時には、力は明確な形へと成し遂げていた───。
あの木の幹に、神秘的な光を放つ───不思議な紋様が施された扉が出現したのだ。この公園とは不釣り合いな、見事な装飾が輝く扉が。その直後、鍵も姿を変える。これが、扉が異世界と繋がった証だとサクラは言った。
そこだけ雰囲気が変わった。童話、不思議の国のアリスの原作の最中に出てくる、ドアのついた木と何となく雰囲気が似ている。───まるで自分がアリスとなり、世にも奇妙で不思議な世界に迷い込んでしまったようだ。
見開かれた右眼はしっかりとそれを見詰める。笑みがどうしようもないくらい溢れたその顔には、興奮、期待、歓喜らの感情が浮かんでいた。
サクラは首から外した、不思議な鍵ネックレス。それを先端を、扉に向けながらレオを見た。
「この鍵は、扱う物の記憶に触れ、それを元に星の数と同等に存在する世界を探し、繋げる事ができる。
こんな風にな」
「───ってコトは、」
「ああ、
この扉の先は、こことは違う異世界だ」
「すっげ…」おとぎ話を聞かされているような気分で、レオは呟く。
「あたしはこれを“秘伝の鍵”と呼んでいる。」
「(こんなすげぇ一体誰が作ったんだよ……。
やっぱ、パネェなサクラの世界は)」
作った人と、仕組みがとても知りたい。
だが、余計な質問をして疑われては困るので、無難な質問をする。
「因みに、今はどこに繋げたんだ?」
「あたしの世界の、あたしの部屋だ」
「えっ!」
「……なんで眼にハートマーク浮かべてるんだ。
入れないからな、部屋には」
「えー…」「おい」
ふぅと息を吐くサクラ。その顔は僅かに青白い。
レオの視線がサクラに向かい、その右眼と視線が合うと、知らず知らずの内に拳を握りしめていた。じわりと流れる汗。
「あんま、
俺なんかに気ィ使わなくてもいいからな?」
レオは慣れたような「気にすんな」と爽やかな笑顔を浮かべた。
その笑顔が、分からない。首を横に振って「ごめん」と呟く。それでも彼女はにっこり笑う。
サクラがそんな言動をしたのは、レオの眼帯の意味を聞いたからか、それとも、約束とやらを聞いてしまったからか─────その両方か、それはサクラのみしか分かりえぬことである。
「───……レオはさ、」
「ん?」
「疑わないんだな…」
この鍵の事とか、あたしの事とか。
もしかして、巧妙に騙してレオを嵌めているかもしれないのに。
でも、レオは自分に過去を、伝えられる事全てを伝えてくれた。
少女は、一瞬キョトンと眼を丸めてから、肩を竦めて眼を反らした。頬をかいて、呟く。「俺はキミが思ってるのとは、違うよ」と。
「疑ってないワケじゃあねぇ。
本当は半信半疑。
本当に、そんな鍵ひとつで異世界に繋がるとか言われても、こんなのいくらでも偽造できそうだし、わっかんね」
だって、こんな事態はどんな本にも乗っていない。
前代未聞なのだ。
でもね。レオは両手を上げておどけたように笑う。
「どんなに不可能なコトでも、
可能性が低くっても、俺はどんな手を使ってでも絶対帰らなきゃならない。
もし、キミが俺を騙して、俺のコトを売るつもりだとしてたら、俺はキミを殺せる自信がある」
言い切ったその時の眼は、いつも以上に鋭い。
上がったそれを降り下ろした手のひらには、いつの間にかナイフが握られている。ぎらりと輝くその強い光は、右眼に浮かぶそれと同じだった。
「俺はキミを信じきったワケじゃあない。
俺はキミが信じようとしてくれた俺を信じただけだ。
……分かってくれた?」
「…………ああ、分かった」
理解など、到底できない事。
それは彼女を突き動かす、約束を知っても尚、彼女を理解しきれる事はない。
けれど、何となく分かったこともある。
不敵な笑顔を浮かべるレオに、サクラはにこりと柔らかく微笑んだ。
「それが、お前なんだな」
強がりで、周りを見たくなくて、眼を閉じて、前だけを真っ直ぐ向きたくて、笑いを閉ざしたくなくて、ただ必死で、約束を果たそうとしている。
それは少女の強さで、弱さなのだろう。
そう、思えて、それでも少しだけレオが羨ましくなった。
きっと、彼女は優しい。でないと、約束は……“あの”約束は、果たそうなんて思えない筈。
サクラには、もう迷う理由なんてなかった。
手にしていた秘伝の鍵を、今度はレオに向けた。「次はあんただよ」と。
それが交渉の、正しい完璧な成立だった。
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