番外編 | ナノ
桜吹雪のない空 (8/13)

  
    
  

  
あれから無言で、少女ふたりは走り続け、ポケモンセンターから出て近くの公園へとやってきた時には、赤い夕日の光は徐々に青空を蝕んでいった。
綺麗な空だった。サクラは、それが疎ましく感じてしまう。今の空気と何も比例していなくて、空気の読まないヤツだと心の中で呟いた。
公園の中まで入ると、そこには子供の姿とポケモンの姿がちらほら見えた。砂場で小山を作って遊んでいる。だが、まぁこれでも話せるよなと言ったレオは、少し歩いてふたつあるブランコの内、ひたつに座った。サクラさんも来いよ、と手招きする彼女は、空気を読まず笑っていた。あぁ、やはり彼女が分からない。眉を寄せて、とりあえず、彼女の右隣のブランコに乗った。いつぶりだろうか。久々に乗ったブランコは、あまりにも不安定な気がした。遠くでいる子供たちが、楽しそうに笑っている。

「……」

「……」

「……なぁ、
お前、さ」
「んー?」

きーこ、きーこ、きーこ、呑気にブランコを漕ぎ始めた少女の伸びた返事。
それを聞いて、今は、この質問をすべきではないなと思い治したサクラは「なんでもない」と首を振り「いいよ、説明、してくれ」と促す。ブランコは揺れない。
大きく揺れているブランコは、彼女の「んー…」という唸り声と共に、徐々に動きが小さくなる。きーこ、きーこ、きーこ、きーこ、煩い音も、縮んでいって、数十秒。やっと、ぴたりとブランコは止まる。その瞬間にはもう、レオの唸り声も止んでいた。

「話すよ。今から。
キミの信用とやらを、買うために」

でもさ。
彼女は足をぶらーんと上げた。

「あんま、期待すんなよ?
なんせ、俺記憶力ねーから」
「……?
それはどういう……、」

「率直に言うぞ」

視線を空に向けてから、口を開いた。

「元の世界での俺の記憶は、
ほぼないに等しい」
「──────は……、?」


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なに、それ。声にならない言葉は、サクラの口の中で霧散した。
あっさりとそれを告げたレオに、言葉を、声を無くしてしまった。
そうまでなるのも無理もなく、おかしいのは笑い続けるレオの方だ。少女は、身動きを取れないほどの衝撃を受けているサクラの、その気まずそうな顔を見て、くすりと笑った。

「やだなぁ、別に記憶喪失とかじゃあないぞ?

……俺はさ……うーんドコから話そうかな? とりあえず、俺の世界について。
俺が住んでた世界は、ポケモンなんて生物は存在しない、ただゲームとして存在する世界で……、」

「あ……その世界なら一度行ったことあるよ、あたし…」
「ほぉ、サクラさんは色んな世界を回ってんだな!
なら話す手間が省けた」

感嘆の声をもらして眼を輝かす。それからレオはまず、自分の大まかな特徴を思い浮かべ、言う。自分の、好きなものや、スペック……メリット、デメリット。

「まぁ、俺はオタッキーてヤツでさ、ポケモンのゲームやアニメ、マンガのファンだった。所謂、空想世界のポケモンのバトルが好きで、技や特性とかを覚えるのも好きで、いくらでも覚えれた。道具の使い方、特性、ポケモンの詳しい図鑑説明、タイプ、相性、以下略。ストーリとかの台詞とか、まぁ、好きなものだったからか、多分全部の情報を記憶してると思う。
でもさー、脳内容量がピークにきてんのか……どーでもいーコトは、いつも忘れちゃうんだわ。昔とか、1週間前になるとヤバイ。特にどーでもいーコト。俺の脳内から瞬殺されんだぜー」

困りものだよなーと、使い古したパソコンのような口調で言っても、サクラは瞳を見開いて僅かに動揺していた。

「───……ま、だからさ、多分、そんな理由で、元の世界での記憶はあんまない。
なんとなく、昔の自分があそこにいたなーとか、あんなことあったかなーとか、家は無駄にでかかったなーとか、そんなアバウトなコトしか覚えてない。
自分の部屋はすっげー鮮明に覚えてる。やっぱ好きなもんだしな。ゲームとマンガまみれだぜ。

……あ、親はいた。いや、いる。どんな顔?って言われても、あんま思い出せない。仕事で忙しいヒトタチでさ、顔合わせねーし、どーでもよかったから、覚えてない」

「……、それ……本当、か?」
「あぁ、うん、本当本当」

さも、当たり前だという風に、少女は頷く。彼女は、そんな自分の体質に疑問など覚えていないのか、なにも迷いがない。それが、恐ろしく感じた。

「冷めてる人間だなーとは思うぜ? 一応な。
でも、なんかそれすらもどーでもよく思えるんだ」

ぶらーん、ぶらーん、伸ばされた足。空を眺めるレオの顔を、風が撫でた。

「だから、俺がキミに伝えれる過去なんて、
ないに等しいんだ。サクラ」

これが俺だから。
彼女は爽やかな笑顔を浮かべているようだった。
到底、サクラには理解できぬ理屈だ。だがしかし、文句などは一言も喉を通らない。頭にすら浮かんでこなかった。

「今、伝えれることと言ったら……俺はオタッキーで、マンガ好きで、ついでにチンピラ狩りっつーケンカが好きで……、

そうそう。俺がここの世界に来た経緯だっけ?
それも残念ながら知らんわ」
「……知らない…?」

「おう。
…………うっすら、覚えてるのは……家でひとりで1週間くらい過ごしてたら食料つきて、行き倒れたんだわ。家で。

そしたら、友人から電話きて………………あ、そいつは外国住みなハーフなんだけど……まぁ、どうでもいいとして、
ポケモンについて軽く喋ったら、なんか耳鳴り? ノイズ? みたいのがして……それからは覚えてねぇや」

首を傾げる。意味が分からないと控えめに言うと、彼女も笑いながら、うん、俺も意味不明だと言った。どうやら原因不明らしい。
そして気が付けば、シンオウ地方の北西方面の海に浮かぶ、小さな島─────鋼鉄島に、彼女はいたらしい。
その時、その島に住みかを置いているというとある人物に拾われたとの事だが、レオは腕を組ながらしみじみと言う。「いやぁ、あれは驚いたね。気ィ付けば、なんかポケモンいるし、黒髪黒眼だったのに、藍髪に空色の眼になってるし」と。髪や眼の色まで変わったんなど、サクラでも一度しか聞いたことがない事例だ。

確かに、無数もある世界と世界の間で起こってしまった歪みに、ごく稀に人が巻き込まれ、異世界の迷い人となることもある。だが、髪、眼まで変化、更にポケモンの言葉が分かるようになっていた、なんて聞いたことがない。理由など、大まかな推測はできるが……お手上げである。
そう素直に告げると、レオは特に落胆した様子もなく、だろうなと頷いた。彼女は特に理由は求めていないらしい。ただ、帰りたい。それだけの目的で、彼女は鋼鉄島を旅立ったようだ。
その島で出会った、キモリを連れて。

「───え、勝手にモンスターボールに入ってた?
キモリが?」

「おう。もう意味わかんねー。
しかもポケモンの言葉分かるし、キモリ手持ちにしちまうし……、
ま、それからは少し長いかも」

思い返してみれば、本当に意味の分からないものだった。
元に帰る旅を始めて、ピチューと出会って、ポッチャマに出会って、ムクホークの群れとガチンコバトルしたり、プテラに命狙われたり、キモリが進化したり、ポッチャマの要望でジム戦したり、進化したり、御曹司に目ぇ付けられたり、ナックラーと出会ったて、谷間の発電所でドンパチしたり……ひとつひとつ挙げていくレオの表情が徐々に苦くなっていく。苦笑を通り越したもっと酷い顔である。
「しかもさ! 俺、経験してきたイベントほぼ全部理由わかんねぇんだぜ!?」と訴えられても、サクラはそれこそ笑うしかない。空笑いで宥める。

「そ、それは……ご苦労様…?」
「だからさぁ、説明しろって言われてもビミョーなわけよ。
だから俺の過去なんてこれでイイ?」

適当だ。大切な、彼女自身の話なのに。
笑ってまた、揺る出すブランコ。溜め息をつきながら、サクラも少しブランコを揺らした。

「……覚えていないって、」
「んー?」
「昔を覚えてないって、
それはお前にとってどんな感じなんだ?」
「どんなって?」
「例えば……怖かったり、不安だったりしないのか?」

だって、自分が昔、何をしていて、何をされて、どう思って、どう生きてきたのかとか、覚えてない訳だから。
よっこらせ、レオは少し考える素振りを見せてから、頑丈な鎖で繋がれ吊るされている板の上に立ち上がった。意外とぐらつくブランコの感覚を楽しみながら、彼女は揺れる。

「サクラさんだったらどう?」
「あたし……だったら……」

勢いをつけて揺れるレオと、影を見詰めながらサクラは過去を思い出した。
サクラは、過去を覚えている。当然のように。
その過去の中には、辛いものもある。思い返すと、腸が煮えくり返るようになるものもある。けれど……、
遠くで小山にトンネルを作っていた子供たちは、そこで楽しそうにはしゃいでいた。

「…………、
……あたし…は……、
……………………寂しい、かな……」

色々な記憶がある。ガラスの破片のように輝くそれ。
それは様々な世界を踏み入れ、旅をして、出会った人の数度に増えていく。そして、輝きを増すそれ。

「………過去の記憶が、あたしをつくってるから。
……過去がなくなったら…………あたしがなくなってこまう……」

ゆらゆら、ふたりの影が揺れる。

「…………だから、
なくなったら、寂しい……かな…」
「……サクラちゃんは強いなー」

ゆーらり、ゆーらり、きーこ、きーこ、ゆーらり、ゆーらり、
レオを見上げると、彼女は空を見上げたまま、笑ったまま。右眼は細められ、ゆらゆら光が揺らめいていた。それは硝子玉のようで、感情を映っているようには見えない。

「(…俺なんて、
そんな気持ちすら、忘れちまったよなぁ……)」

寂しいとか、悲しいとか、なんだったかね?
誰に尋ねているのかと聞かれたら、レオはレオ自身に問おっているのだ。冷たく、冷めきってしまった薄情な自分自身に。
記憶と共に風化したそれは、大切なものだったのか。
そらすらも分からない。覚えてない。
レオは、考えることを放棄した。そんな自分がいることは、覚えているんだけど。そして、そんな自分がどうしようもなく、脆弱な存在だということも、分かるんだ。

だから、全てを覚えていて、受け入れようとしているサクラが、強靭な人なんだと、思った。優しい人なのだ。ふっと薄い笑みで、サクラを一瞥した。
じっと、遠くの子供達を眺めていたその横顔は、夢の波を漂ってたるように、ぼんやりとしている。遠い、子供達を、まるで古いフィルターをかけられた映画のように、達観して見ていた。

───レオは、思わず桜の吹雪を思い浮かべる。ひらりひらり、散るその姿は美しい。そして、儚い。だからこそ美しいものが花というものだと、誰かが言っていた気がする。……だから、彼女は美しい。強く、優しく、脆く、儚く、それでも受け入れて生きる彼女だから。
右眼を細めた。輝かしく見える。彼女が、自分なんかと違って……。

「(彼女は優しいから、
辛い記憶の中にもある大切なものを、失いたくないのか)」

全く気にしないで、良心などないと思うくらい何も、胸も感情も痛まなくて、記憶の中からも誰かを殺そうとする自分なんかとは違って、サクラは誰かを殺すのが怖いのだろうか。消えるのが寂しいのだろうか。ああ、彼女は切なくなるほど、優しい人間だ───。
過去に何かあったのだと想像するのは容易かった。───……俺もあったのかもなぁと真面目に、記憶喪失でもない人間がら過去を一瞬だけ振り替えるも結局思い出すのは無理で、どうでも良くなる。そんなレオを一瞥して、サクラは一息置いて口を開いた。

「なぁ、レオ。
お前はお前の世界の記憶がほぼないんだろ?」
「ないってか覚えてねーってか……」
「……それ程どうでもいい世界なんだろ?」

彼女はその顔のまま無言でサクラを見詰める。
確かに、どーでもいーコトは、いつも忘れちゃう、なんて先程口にしたばかりだった。
それをきちんと耳にしていたサクラは、だから疑問だった。

そんなどうでもいい世界に、何故戻ろうと思う?
───……思い返されたのは、ポケセンで見たあの碧眼の青年。
レオの手を掴み、何かを欲する眼をした、あの青年。アイ君、と言われていた彼は、きっと、

「……ここに残って欲しい人もいるんじゃないのか?」
「そうかなぁ」
「………さっきの人だって、きっと、」

「ああ……アイ君ね。
……あいつは、違ぇよ」

そういうのではない。少し、小さな声で呟かれたそれは、悲しそうに最初こそは聞こえた。
だが直ぐに違うのだと分かったのは───彼女の、伏せられた眼。
─────酷く、落ち着いてる空だった。まるで、強い風が吹き荒れる嵐が通り過ぎたあとの、曇りのない空。
あれは、安堵している眼、である。



   
     


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