「“望みを持とう。でも望みが多すぎてはいけない”」
『誉さん?』
「ヨハン・アマデウス・モーツァルトの言葉だ。知っているかね?」
『モーツァルト?トルコ行進曲の?』
「うむ、そうだよ。偉大な音楽家さ」
『それで、そのモーツァルトの言葉がどうかしたんですか?』
「いやね。ふと考えてみると、ワタシには望みが多すぎるな、と思ったのだよ」
『そうなんですか?意外です』
「そうかね?ふむ。それでは3つほど例を挙げてみようか」
『3つが多いのか少ないのか分からないなぁ』
「ワタシにとっては欲深い望みばかりなのだ」
『量より質の方が問題ということですか?』
「どちらもさ。話を続けさせてもらおうか」
『ああ、はい。どうぞ』
「ではまず1つ目。ワタシの詩集が多くの者の目に留まること」
『誉さんは芸術家ですから、それは大事ですね』
「そうだろう?そして2つ目は、他人の心に寄り添えるようになること」
『とっくになってると思いますよ。私から見れば』
「そうかね?それでは2つ目の望みは、この劇団の更なる飛躍と発展ということにしておこうか」
『無理やり3つにしなくてもいいんじゃないですか?なんだかアラジンみたいになってきましたよ』
「アラジンか。それでは、さしずめランプの魔人はキミかな」
『私に望みを叶える力なんてありません』
「あるさ。3つ目の望みを言おう。キミに隣にいて欲しい」
『……は』
「命の灯火が尽きるその瞬間まで、キミの隣にいることを許して欲しい」
『…………それは、どういう意味ですか』
「おや、伝わらなかったかな。ワタシにしては随分ストレートな言い回しだったと自負しているのだが」
『分かりません。詩人じゃないので。……もっと、理系の私にも分かるように言ってくれなきゃ』
「愛しているよ」
『、』
「キミが笑うと胸が苦しくなるのだと、紬くんに言ったんだ。けれど嫌な気もしないと。すると彼は教えてくれた」
『……何を?』
「それが、愛おしいと形容するに相応しい感情であるということを」
『……本当に珍しいですね』
「そうしなければ、君には伝わらないと分かっているのさ」
『……ほら。じゅうぶん私の気持ちに寄り添ってる』
「おや本当だ。驚いた。しかし君以外のこととなるとこうはいかない」
『…………』
「はは。それは照れている顔かね?非常に愛らしいではないか」
『……誉さんは、ずるい』
「お気に召さなかっただろうか」
『ううん、逆です。とっても嬉しい』
俯いたままで誉さんに抱きつくと、彼は「おっと」と呟いたのち、私の身体を抱きしめ返した。
強すぎもせず、弱すぎもせず。至って紳士的なその振る舞いは誉さんらしく、そういう誉さんのことが私は好きだった。
私はじわじわと緩む口元を抑えられなくて、誤魔化すように彼に訊ねる。
ねえ、リリアン・ヘルマンの言葉を知ってますか?
それは誰だね、と首を傾げた彼に、私はアメリカの劇作家ですよと答えた。
分かっている。おそらく私は浮かれていた。
そういうわけもあって私は、今だけは特に、彼女の言葉に心の底から賛同できると思ったのだ。
“私、おりこうな女になんてなりたくないわ。
だって、恋に落ちたんですもの”
私が耳元で囁くと、彼は大口を開けて嬉しそうに笑った。