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「#エロ」のBL小説を読む
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正直察しはついていた。
少女漫画で使い古された、安っぽいワンシーンに自分が巻き込まれるようになること。

「ちょっと、聞いてんの?」
『……ああ。聞いてなかった。なんだっけ?』
「は?馬鹿にしてるわけ?」

質問されたから正直に答えただけなのに、すこぶる乱暴な仕草で胸倉を掴まれるのは理不尽であると私は思う。

アイプチで無理やり広げた二重幅が不格好な彼女は、指輪を嵌めた右手で私のシャツを捻り上げ、不快な表情を隠しもせずに私のことを罵倒した。
あまりに汚い罵詈雑言だったから、文字に起こすのは控えておくことにする。

さて、冒頭からなぜ私がこのような仕打ちを受けているのかというと、ひとえに万里のせいだった。
摂津万里。私の双子の兄であり、最近華々しく舞台デビューを果たしたばかりの新人俳優である。

話は今朝、私がここ、花咲学園高校の校門を駆け足で通り抜けたところから始まった。
今日は別に寝坊をしたというわけではなく、日直であることをすっかり忘れていつも通りの時間に家を出てしまったのがいけなかったのだ。

日直はホームルームの開始時刻までに職員室へ日誌を取りに行き、配布物の有無を確認してからそれぞれに配っておかなくてはならない。
朝っぱらから保護者に宛てた手紙なんかが用意されているというようなことはそうそうないけれど、昨日の授業の終わりに回収された古典のノートが積まれていることだけは確実だったし、何より進路を確定していない件で担任から呼び出しを受けていたから、それまでに仕事の全てを済ませておかなくてはならないのが痛かった。

そういうわけで急いで登校してきた私は、勢いよく開けた下足箱から紙切れがひらりと落ちてしまったことになどまったく気が付かなかったのである。
もちろんその紙に書かれていた内容がえらく不穏だったことにも。

放課後になり能天気にもそのまま帰宅しようとした私は、廊下に出ようとしたところでひとまず担任に呼び止められた。
外出しなければならない用事があるので、日誌は職員室の自分の机に置いておいて欲しいとのこと。
そもそも日誌というものの存在をすっかり忘れていた私は、ひとり寂しく教室に残って白紙のページを埋める作業に没頭することになる。

それが起こったのは、小学生の感想文並みに拙い所感を書き終えたところだった。
一人きりの教室に突然バタバタと複数の足音が近付いてきたのだ。

それはこの教室を通過していくものかと思いきや、驚いたことにこの教室の目の前で止まり、ご丁寧に扉まで閉ざしたあと、私の方へと向かってきた。
何事かと思い顔を上げると、知らない女子生徒が数人、私の目前に立っていた。

真ん中の女を観察してみる。
分厚い化粧を施している上に、スカートの丈がやけに短い。爪にはカラーポリッシュが1ミリもはみ出ることなく塗られており、すぐに同類だと分かった。

私と同類。気が強くて派手好きで、これは私の希望的観測だけれど、頭が悪い。

「おい、なにシカトしてんだよ」

彼女は開口一番にそう言った。
一目見て不機嫌なことは明らかだったから、私になにか文句でもあるのだろうなと察しはついていたのだけれど。
先程も彼女から呼びかけられてすらいないはずだから、はてさて、シカトとは何のことやら。

『どういうこと?』
「は?とぼけてんな。昼休みに視聴覚室来いっつったろ」
『いや言われてなくない?』

身に覚えもないことでキレられてたんかい、と苦笑しそうになったが、手が出ないギリギリのラインで話しているうち、どうやら彼女が私に手紙を差し出したらしいというのが分かった。
手紙と言っても要件だけが書いてある簡潔なメモのようなものだったようだが、無視できないようわざわざあんな書き方したのに、などと宣うことから大層礼に欠いた文面だったらしい。

告白じゃないかと勘違いされたくない気持ちも分かるけれど、私に好意を伝えてくる男は大抵が手紙など書いたこともないようなチャラついた野郎ばかりだからそこは全然気にする必要などなかったのに、なんて場違いなことを思った。

と、そんな感じで冒頭に至るというわけである。
つまるところここは私の教室で、私は意図せず彼女たちの呼び出しを無視してしまい、立腹した彼女たちがわざわざここまで足を運んでくださったという状況だ。結構待遇がいい。

まあ、そのようにふざけてばかりもいられなさそうなのだけれど。
なんと言っても多勢に無勢で、冷静にとぼけている私は胸倉を掴まれている。

『……で、何の用だっけ』
「だから、いい加減兄離れしろっつってんの」
『あーね。そんな話だったわ』
「舐めてんの?」
『全然』

そうだったそうだった。兄離れがどうこうとか言ってきたんだ。
つまりあれか。これはたぶん、私を邪魔だと言っている。

彼女たち……ええと、うーん。そうだ。
万里親衛隊の皆々様にとって、私が邪魔で邪魔で仕方が無いのだと言われているのだ。

『とりあえずこの手、離してもらえる?私は息が詰まるしあんたは腕がきついでしょ。誰も得しないじゃない』
「何であんたに上から目線で命令されなきゃいけないわけ?」
『めっちゃキレてんじゃん。ごめんって、全然上から言ってるつもりないけど勝手にそうなるのよ』
「何それ、本気で言ってんなら社会に出て苦労するよ」
『うそでしょあんたが言う?』

結局彼女は手を離してくれた。
以前も同じようなことが何度かあったが、そのうちのひとりはとんでもなく話の通じないタイプのメンヘラだったので少しだけ安堵する。
勿論、今回はある程度落ち着いて話が出来るだろうという一点のみにおいて。

私を取り囲む女子生徒たちは、目の前に立っているこのギャルを含めて6人程度いた。
大体が似たり寄ったりな見た目をしているけれど、2人だけ系統が違っているようで、少しだけ感心する。
ふうん、万里は清楚系も手玉に取ってるわけね。なかなかやるじゃないの。

芝居を始めて、舞台に立つようになって、万里は人気に火がついた。
それまでああいうタイプを敬遠していたであろう層も、芸能人モドキには弱いらしい。舞台の上では真剣だから、それを見て落ちた子も多いようだけれど。

そもそもちょっとヤンチャな先輩に人気が出るのはどの時代においてもきっと変わらないだろう。
以前から万里に憧れる後輩はかなりいたようだから、舞台に出たことで同級生や年上の心まで射止めたというだけだ。器用でそれなりに分け隔てないあいつは、元々同級生からもそれなりの評価を得ていた。

『ええとそれで……なんだっけ。兄離れ?』
「そ。あんた、随分ブラコンじゃん?」
『そうかな。万里のことは嫌いよ』
「そうは見えねーけど?」

まあよく言われる、などという軽口を叩ける雰囲気ではなく、私は鼻から吐いた浅い溜め息で不満の意を示した。
私がブラコンだなんだと難癖をつけられることには比較的慣れていたけれど、それは万里と同じ空気を吸っているのが1番楽だからであって、決して私がブラコンなわけではないのだと毎度声を大にして言いたい。

誰だって気の置けない相手の隣にいたいだろう。私にとってそうである万里が同学年であるから一緒にいることが多いだけで、それと万里のことが気に入らないことは全くの別問題だ。赤の他人ならともかく、私たちは家族なのだから。
それがブラコンなのだと言われたらその時はもう、どうしようもないのだけれど。

私が何も喋らずにいると、彼女は「とにかく」と言った。

「万里の周りをうろちょろされてると邪魔なんだよ。万里に彼女が出来ないの、絶対あんたのせいだよ」
『いや。彼女がいないのはここ最近だけだし、今はお芝居に夢中でそれどころじゃないだけよ、あいつ』
「知ったふうに言ってんじゃねーよ。万里だってあんたのことうざがってるに決まってんだろ」

だって知ってるもの、と返そうとして、口を噤んだ。
確かに私は万里から直接「なまえはうざくないし邪魔じゃないよ。俺は芝居に夢中だから彼女なんていらないよ」などと言われたわけではない。

けれどあいつはきっと私のことを邪魔だと思っていないし、現状可愛い彼女が欲しいとも思っていない。
言われなくても知っている。万里のことは、私が一番。

だけど、そんなことは言葉で説明しようがないことだ。
私と万里が、生まれたその瞬間からずっと双子だったから。未来永劫、肉体が死ぬその瞬間まで双子であり続けるから。
だから分かるのだ。そういうものなのだ。
そう言ったところで、この感覚は誰からも理解されない。

変わりに彼女の目を真っ直ぐに見据えて、口を開いた。

『じゃああんたたちは、私が万里の傍からいなくなったら自分にチャンスがあると思ってるんだ?』
「……は?」
『私が万里から離れさえすれば、自分が万里と付き合えるかもしれないと思ってるのね』
「……何が言いたいわけ?」

彼女は露骨に眉根を寄せる。
私は薄く笑った。

人をあげつらうように左の口角だけを引き上げる、そう、まるで、万里のような笑い方で。

『いいこと教えてあげる。万里は基本的に面食いなの。私が離れたところで、万里はあんたたちのことを好きになんてならないわ』

ぱん、と乾いた音が鳴った。
次いで左頬に衝撃が走る。

叩かれたのだとすぐに分かった。
ごつりと鈍い音も鳴った気がする。
いくつもの指輪を装着した彼女の右手は、殆ど凶器と言ってよかった。

俯いた自分の髪の隙間から、静かに怒りをたたえる彼女の表情が見て取れる。
顔を上げてついに睨みつけると、彼女も眼光を鋭くさせた。

「馬鹿にしてんの?」
『……は?どっちが』

傍らの机を蹴り上げる。
周りの女たちは咄嗟に飛び退き、倒れた机からはバサバサと教科書だけが散乱した。そういえば置き勉をしていたのだったと気付いたが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

ギャルの後ろに控えていた女が喚いた。
うるさい、と怒鳴りつけると、呆気なく口を閉じる。

『そっちこそ、万里のこと馬鹿にしてるよね』
「は?」
『こういう陰湿なやり方でしか勝負出来ない女に万里が靡くとでも思ってるなら、死ぬほど不愉快なんだけど』

背筋を伸ばして、顎を上げて。
視線をひとつも動かさないまま、彼女の両目だけをとらえ、真っ直ぐに睨み上げる。

彼女は一瞬だけ口を噤んだが、すぐに微笑した。
不自然に下げられたアイラインが、持ち上げられた下瞼のせいでひどく歪んでしまっている。
横幅のないくりくりとした丸目は、サイズの大きなカラーコンタクトレンズをめいっぱいに飲み込んでいて、なんだか気味が悪かった。

「はは……やっぱブラコンじゃん?」
『そう思うことをブラコンだって言うなら、私は別にブラコンで構わない』
「…………お前さあ。状況分かって言ってる?」

彼女がそう言うので、私も丁寧な笑みで返した。

『それはお互い様なんじゃない?』

瞬間、閉ざされていた扉が音を立てて開く。
女たちが迷惑そうに振り返り、そうしてその後には私の予想を全く裏切らず、それぞれが驚愕の表情を浮かべた。

しん、と空間中が静まり返り、だだっ広い教室に、ただその足音だけが響いた。
足音の主は真っ直ぐにこちらへと歩み寄って来る。

おい、と、その口が音を発した。

「何やってんだ、なまえ」
『見ての通り、あんたのファンからリンチを受けてるのよ……万里』

呆気にとられた女が我に返り、ちょっと、などと言いながら私を睨みつけた。
殴られたのは確かなのだから、別に嘘は言っていない。

横目にちらりと見ながら薄く笑う。
彼女は悔しそうに下唇を噛んだ。形勢逆転だ。

裏表がなくて性格がいい、とはよく評されるが、性格がいい、というよりはいい性格をしている、という方が自分には似合っているような気がする。
こういった場面において毎度のことながら、ざまあみろ、と笑ってしまうほどには。

女たちを挟み込むように私の向かいに立った万里が、すっと息を殺すようにして表情を消した。


「ち……違うの万里!私らはほら……話してみたくてさ!」
「なまえと?それにしちゃ物騒なことんなってっけど」

私の頬から周囲の床へと視線を移した万里が言うと、彼女は分かりやすく怯んだ。
床には蹴られた机だけでなく巻き込まれた周りの机や椅子なんかも横転していたものだから、温厚な人間同士が話し合いをしていたわけではないことなど明らかだった。

まあその床を派手に汚した犯人は私なのだけれども。

「つーかさ、」

万里はそこで言葉を区切った。
そしてゆっくり彼女の目を見る。射抜くような視線に、彼女は身を強ばらせた。

「俺のファンだか何だか知らねーけど。俺と付き合いたくてこいつを邪魔だと思ってんなら、そりゃもう無理じゃね?」
「……え?」

彼女は困惑する。
私はもはや、この現状に興味をなくしていた。

すでに蚊帳の外であることを自覚しているのだ。
ふっと窓の外を見ると、いつの間に雨が降っていたのか、ずっと向こうの方にうっすらと虹が見えた。

「悪いけど、俺らは腹ん中にいたときからずっと一緒なんだよ。俺の隣にはなまえがいて、それが一番しっくりくる。それが一番正しい。理解できねーなら、俺と付き合うのは無理だろ」
「…………彼女よりも、妹のことが好きってこと?」
「好き?気持ちわりーな。そういうもんだっつってんの。俺の人生の半分はなまえのもんで、なまえにとってもそう。そういうもんなんだわ。変えようがねーの」
「……なにそれ……変。気持ち悪い」
「はは、分かんねーだろうな。別にいいよ。お前らに分かって欲しくもねーし」

万里は諦めたように目線をずらして、乾いた笑いを漏らした。

私と万里が、双生児として生まれ落ちたこと。
同じ顔をしていること。同じことを考えること。同じことに心を動かして、同じように笑うこと。
神様に願っても、変えようがないこと。

誰にも分かってもらえないから、私たちは2人だけの世界に閉じこもっていたのだ。
私には、万里がいるから。万里には、私がいるから。それでいいのだ。こんなふうに互いに害をなす相手など、私たちの世界にはいらない。

「つーかお前さ。前から俺に絡んでくるけど、誰?」
「っ、はあ!?」

これ以上ないほどに自尊心を傷つけられたであろう彼女は、ついに万里に対して激昴した。
万里は意に介さない。彼女を嘲笑することだけを目的に、ただただ笑う。

なまえ、と、名前を呼ばれた。
どうしてかやけに機嫌のいい声色だと思った。

「帰んぞ。今日は実家に寄る」
『あっそう。職員室寄っていい?日誌出さなきゃ』
「真面目かよ。ついてかねーかんな」
『下で待ってて。すぐに行くから』

頷いた万里が踵を返して教室を出ていく。
誰も声を発さずにいると、やっぱり足音が響くほどにしんとしていた。

私はしばらく視線をうろうろとさ迷わせてから、ようやくあっと声を上げ、教室の前の方まで足を進める。
鞄は足元に転がっていたが、日誌は教卓の下にまで滑り込んでしまったらしい。自分の蒔いた種ながら、面倒くさいなと他人事のように思った。

私が日誌を拾い上げても、彼女らは何も言わなかった。
一体自分たちの身に何が起きたのかと、理解しようとすることで精一杯なのかもしれない。

俗に言う“推し”から謗られ、嘲り笑われたのだ。
少しやりすぎたかなとも思ったのだけれど、よく考えてみれば致命傷を加えたのはほとんど万里だった。

女子高生の拡散力というのはすごいから、彼女たちが逆恨みをするようであれば万里のファンが減るかもしれない。
まあこの子たちがファンのままでも恐らく万里にとっては害悪だっただろうし、そう憂うことでもないのかもな、とも思う。どちらにしても、その辺りの事情は私には関係の無いことだ。

教室を出ようとしたところでハッとして、私はくるりと振り返った。

『あのさ。じゅうぶん分かってもらえたことかと思うんだけど』

廊下の向こうから、私を呼ぶハスキーな声が聞こえる。
何も言わない女子生徒たちに向かって、私は努めて朗らかに笑った。

『妹のピンチにわざわざ駆けつけるほどシスコンなのは、万里のほうなの』

なんか、ごめんね。

嫌味ったらしく言ってから教室を出た私は、万里と連れ立って帰路についたところでようやく、好き放題に散らかした教室がそのままであったことに気が付いた。

そういうわけで、明くる日にも誰より早く登校しなければならないことが決定したのである。
これだから、私は万里のことが嫌いだ。