Fate Long Story


 極力魔力消費を抑えるため、キャスターには食事や睡眠を取ってもらうことにした。または、常時霊体化していてもらうという手も考えられたが、性質上それではあまりに活動の機会が減ってしまう、というわけで前者の措置が取られた。
 魔力減少により稼働可能なゴーレムの手数が減ってしまったことについてはあまり気にしていないらしく、「今あるゴーレムの省エネ化をテーマに改造しよう。世の需要に合わせた製造を行うことは必要だ。使われない道具は置物と変わらないからね」などと現代を生きる老舗メーカー社長のような台詞を吐いて意気込んでいた。
 もっとも、キャスターのゴーレムは造形美を兼ね備えているから、置物としても需要がありそうだけど。
 片眼になって以来遠近感どころか視力自体が大幅に落ちた私では、手伝えることもない。ベッドから出ないよう命じられ、監視としてナマエちゃんを部屋の前に置かれてしまった。
 視力が落ちるだけならまだしも、どうにも少しずつ視界が狭まっている気がして仕方ない。外側から景色が消し去られていくような……左眼だけになったヴィオルツカは、急激に磨耗しているのだろうか。半減したとはいえ、魔力の残量はまだあるはずなのに。

 魔力は半分。そして、左手の甲に刻まれた令呪は残り2画。最後の命令については、聖杯戦争を勝ち抜けるにせよ、そうでないにせよ、決めてある。だから、実際使える令呪は1画だ。火傷のようにうっすらと残った使用済の令呪の跡をなぞり、その事実を再確認した。
 ベッドに面した窓から中庭を見ると、キャスターがゴーレムに向き合ってなにやら作業している。元々小柄な彼だけれど、ゴーレムを前にすると本格的に小人に見えた。
 折角やっと体が馴染んできたのに、手伝いが出来ないのは残念だ。なんて、手伝いの名目で、本当はキャスターとお話ししたいだけだったりする。
 仮面の横顔を眺めていると、胸がビリビリ痛んだ。失ったのは眼だけで、ここは何も支障ないはずなのに可笑しな話だ。
 キャスターの声が聴きたい。キャスターに私の姿を見て欲しい。キャスターを見ていたい。キャスターに触れて欲しい。

 子どものころ、父の言いつけを破って部屋に閉じ込められた時、窓から飛び降りて中庭に逃げた記憶が甦った。ドアから出たらナマエちゃんに押し戻されてしまうだろうが、これなら外に出れる。
 窓ガラスを開けると、初夏の風がカーテンを、シーツを、髪を翻した。
 2階とはいえ結構高い。あの頃の私は勇気があるというか、無謀だった。いや、馬鹿だった。確か、結局足を骨折して病院送りだったのだっけ。もし、足を痛めなくても、体の弱い私は家の敷地の外にすら出られなかっただろうに。
 しかし、今回は勝算がある。すぐ下には外壁に沿ってスリープモードのゴーレムが配置されているのだ。これを足場にすれば階段を下るよりも容易く地上に辿り着く。

 「鳥のように」なんて贅沢は言わないけれど、せめて「蝶のように」軽やかに風に乗れたら。いつもの浮遊感なら少しくらい飛べてしまう気がするのだ、窓の縁を蹴り、思い切ってジャンプした。
 夏に近い青空は高く、伸ばしたあまりにも手は短い。宙を掻いてそのまま落下した。まぁこんなものだろう。ゴーレムの頭に着地して落胆の息をつく。

 物音に気づいてキャスターが見上げた。

「えっ、マスター!?」
「もうバレてしまった……すみません今降りま……す!?」

 体力もなければ運動神経も皆無であることをすっかり忘れていた。忘れていたというか、自覚がなかった。加えて遠近感が死んでいるため、ゴーレムの頭では中々バランスが取りにくいこと。ぐらりと視界が揺れ、お約束のように足元を滑らせる。そして、更にその場所から落ちた。
 せめて受け身を取れば良かったのに、それも出来ずにお尻からやってしまった。人形の体を造る際、痛覚を鈍めに設定しておいて良かった。あまり痛くない。
 目蓋を開けると、芝生に叩きつけられた割に視界は少しだけ高く、違和感がある。

「……?」
「大丈夫かい、マスター」

 キャスターが受け止めてくれたようだ。 同じくらい体格かつ重力と私の重さのせいで、地面すれすれのところではあるが。2秒ほど間があって、すとんと腰をつく。キャスターは自身も座り込んで、荒くなった呼吸を整えていた。

「スマートに受け止められなくてすまない。ご覧の通り非力でね」
「いえ、ありがとうございます」

 この抱き留められ方、キャスターが王子様みたい。正真正銘惚けたことを考えてぼうっとしてしまうのだが、胸の高鳴りが止められない。

「僕は時々、マスターの考えていることが全く分からないのだが。特にその魂が抜けたみたいな顔」
「ええ、絶対分からないと思います。分かったら逆に困ります」
「良かったら話してはくれないだろうか。生前も、これまでの聖杯戦争も、僕は真の意味で他人を理解したことがない」

 どうしよう。そう言われては説明せざるを得ないのだが、私の場合どう考えてもキャスターを困惑させてしまう。これからの戦いにも差し障る可能性がある。

「あっ、でもキャスターが誰かのために詩を書く夢を視たことがあります!その方は貴方と親しい方ではなかったのですか?」
「ああ、彼は僕の恩人、後見人……いや、親代わりと言うのが一番近い。他人とはまた違う存在だ」
「そうなんですね。ん……?生前もこれまでの聖杯戦争も、ということは、キャスターは聖杯戦争に喚び出されたことがあって……前のマスターの記憶があるのですか?」

 ゴーレム鋳造をはじめとした豊富な知識を持ち、理性的で冷静で、いつも導いてくれるキャスターが、前のマスターを「理解したことがない」……つまりは、上手くやれなかったというのは想像しがたい。むしろ、今回の場合は私自身がちゃらんぽらんだからキャスターの能力を最大限活かせていないが、並以上のマスターが彼を召喚すれば、容易に聖杯を手に入れられるのではないか。
 軽い質いのつもりだったが、いつまで経っても返答が来ないことで、何かあったのだと悟る。踏み込んだところで、私に何か出来る可能性はないに等しい。キャスターが嫌なら話さなくても、と言い掛けて押し留まる。

「私、生前の貴方のことは詩人としても哲学者としても、可能な限り書物を集め、学びました。でも、前の聖杯戦争のことは知りません。私も……キャスターのことを理解したいんです。だから、教えてくれませんか?」

「記憶が断片的で、整合性がない。それでもいいだろうか」

 記録ではなく記憶と表現したことに僅かな違和感を覚えつつ、もちろん、と頷けば、キャスターは腰を下ろしたまま、立ち並ぶゴーレム達の方を見遣る。遠い過去へ気持ちを飛ばすように。

「あの召喚の時、僕は宝具の完成にこだわっていた。王冠の栄光、我が受難の民を楽園へと導く究極のゴーレム」

 生前、キャスターは私欲のため、己の利益のために他を省みない人間を厭った。結局、言葉で人を導くことは出来ない。

「そして、僕はゴーレムを、アダムを完成させるのに、自軍を裏切り、自分のマスターを炉心にした。まだ幼い少年だった。かくして望み通り宝具は発動したが、同時に気がついた。僕は、僕が生前忌み嫌っていた人間……私欲のために他の犠牲をいとわない連中と同族だったということに」

 ゴーレムの炉心になれるなんて、通常の人間では得難い栄誉だ。その方は、望んで炉心になったんじゃないんですか?等とは流石に言えなかった。語り口からも、これまでの私の申し入れに対する反応からも、察することが出来る。きっと、そうではなかった。そして、彼はそのことを悔いている。少年の顔も声も、交わした言葉も、最期の表情も思い出せない。そこに至るまでの道筋もはっきりしていない。ただ、自分の目的のためにマスターを犠牲にした事実だけが残り、キャスターの霊基に強く刻まれた。
 前の召喚の記憶は引き継がないのが通常であるが、マスターを殺した場合は例外になるのかもしれない。自嘲気味に彼は続ける。

「きみが自分を炉心にしろと言い出した時は、悪夢の続きを視ている気がした」
「だいぶ空気読んでないですね……」
「それはいい。きみには何ら関係のない話で申し訳ないが、僕は、次召喚されることがあるなら、今度は同じ過ちを犯さないようにするのがせめてもの償いだと考えた」

 難儀な人物だと感じた。人民の救済という理想は高く、そこに至るためある程度の犠牲を看過しなくてはいけないことを覚悟している。実行する冷徹さもある。だけど、だからこそ、罪の意識の強さもまたアヴィケブロンを示すものとして霊基に再現されてしまった。

「少年とはいえ、魔術師だったのでしょう。ならば、多少なりとも覚悟はあったはずです。もちろん、それとキャスター自身が自分を許せないことは別問題ですが……」
「きみは、この話を聞いても僕との関係が変わらないと?」
「もちろんです。話してくれてありがとう。理解と言うにはおこがましいですが、キャスターのこと、少し分かった気がします」
「ああ、そうか……僕は卑怯だな。きみに懺悔することで、どこかで救われたかったのかもしれない」

 それに、経緯を知ったとしても、マスターが態度を変えることはないと、きみがここに至る道のりを知ったときから何となく想定していた。低く絞り出すような呟き。初めてキャスターの方から歩み寄って来てくれた気がした。
 もし、私に打ち明けることでキャスターの気持ちが楽になるなら、いくらでも話して欲しい。彼とこうやって真っ直ぐ話し合えるのは「前のマスター」があってこそなのだろう。順番が逆だったら、間違いなく今のような関係は築けなかった。

「そうなると、次はマスターが話す番だ。きみが聞いてくれたように、僕も何でも受け入れよう」
「話が戻ってきた!忘れていただいて大丈夫ですよ」
「僕への信頼は話すに値しないということか……いや、無理強いは良くなかった。うん」

 ちょっと拗ねてるみたいな口調でキャスターは顔を逸らした。ずるい……ずるすぎる。信頼とかいう言葉を持ち出してきた。言えない私が悪いみたいになってる。だってこんなの、きっと前例がない。前例がないことを学者の貴方は受け留めきれる?考えれば考えるほど頭がおかしくなりそう。額は熱く、湯気が出ているかもしれない。

「マスター?何だか、顔が紅いが……熱では?やはりちゃんとベッドで休まないと。ゴーレムに運ばせよう」
「ま、待って。大丈夫です。熱ではありません」
「本当に?僕に出来ることがあれば言って欲しい」
「じゃあこのまま、膝を貸してくれませんか。落ち着くまで、ここで横になっていたい」

 キャスターの膝を頭に見た空は青すぎて紫がかっていた。菫色……キャスターの外套やボディスーツの色。たぶん、私の髪や眼も似た色彩だ。

「堅くないかい」
「堅いですね」
「眠れる?」
「どうでしょう……」

 心臓の音がうるさくて、これではとても。

 ねえ、キャスター。救いとは、楽園とはどんなものなんでしょうか。私には想像できません。
 魔術師として聖杯戦争に参加し、多少負傷はしたけれど、貴方の助けがあって勝ち抜いて来れた。自分のやったことは、きっと何の記録にも残らないけれど……この左眼の記憶にはなる。生きた証を、私は既に手に入れた。
 ヴィオルツカは蝶の両翼のことを指し、一対の宝珠だった。失った右の眼が持つのは幽世の性質。不可視の夜の力を宿す。本来なら元の持ち主である精霊に還すべきものだったのだろうが……役目が終わったのなら、せめて残った左眼だけでも。

 正午を告げる音が響く。屋敷の更に北、裏山の頂上に聳える教会にある組み鐘。家の中にいると気づかないが、この中庭には音が届くようだ。

「この戦いを生きて勝ち抜いたら、お話しさせてください。私のことを」

 鐘の音と風の強さの中で混ざり合い消えていくくらいの小ささで、呟く。聴こえなくても良かったのに、同じくらいの声で「分かった」と返されたのを聴き逃さなかった。


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