「坊ちゃま、荷物持ちましょうか?」
「……いや、いい」
「良いというのは持っても…」
「持たんでええって事くらい文脈から読み取ってくれんか?」

水上敏志には、目下頭を悩ませる悩み事がある。
悩み事――もとい、悩みの種である女は素知らぬ顔で水上の言葉に首を傾げて見せた。その間にも、水上の頭の中では十通りもの女を罵倒する言葉が浮かんだ。勿論そのどれもが口に出すこと無く消えていく。軽口程度の罵倒なら口にしても問題は無いだろうとも思えたが、意外とこの女は記憶力が良く、水上が罵倒した事を水上が忘れた頃に思い出しては恨み言を放ったり揶揄ったりしてくる事があるのだ。

「どっちかというとそっちの方が荷物多いやろ、どれか持とか?」
「いえ、坊ちゃまに持たせる訳には……」
「…いや、普通に幅取って迷惑になるやろ」
「あ、ありがとう」

女の表情と口調が乱れたのを見て、水上は小さく鼻を鳴らした。
そうして“同級生”の顔をしていれば、幾分か可愛げが勝る。女は、水上とはいわば幼馴染という間柄であり、水上と同じくボーダーにスカウトされて三門市にやってきた経緯を持つ。水上にとっては親兄弟と同等かそれ以上に同じ時間を過ごした存在であり、身内に近い。なのに、女は何故か物心付いたときから自分の事を“坊ちゃま”などと呼んできては付き人の真似事をしてくるのである。昔はごっこ遊びの延長だとか、特別な存在のようで楽しくも誇らしくもあったが、もう二人とも高校三年生になる。楽しい、よりも恥ずかしいが勝る様になったその関係性が、最近また復活してきたのである。どうやったら辞めさせることが出来るのか。
その問題は、ここ数年水上をずっと悩ませている問題であった。


***


「エ!?苗字ちゃんってほんまもんのお付きの人やないの!?」
「ほんなもんな訳無いでしょ。てかホンマにそうやったとして、今時あんなコッテコテの付き人なんて居る訳無いやないですか」
「エッ!?」
「イコさんの中では割とある話やったんです?」
「……ウン」
「…まぁイコさんの知り合いの人やと居合いとかで無さそうな話でもって感じぽいからなぁ」

驚いて固まった先輩を横目にそうフォローを入れる後輩に、なるほど道理でやけに理解が早かった訳だ、と水上は一人納得をする。

「まぁ、来馬さんとか…割と規格外の人の話も聞くしなぁ。俺も半々で信じてましたよ」
「来馬さんは外れ値過ぎるやろ」
「そういや来馬さんの金で支部建てたとかいう話聞いたけどアレほんまなん?」
「さぁ?どうなんすかね」

どんどん話の流れが変わっていくのを感じながら、水上は相談する相手を間違えたかもな、と思いつつも態々自分から掘り返すのも面倒で相槌を打った。
水上とて、相談者に生駒と隠岐を選んだのは失敗したな、というのは感じていた。とはいえ、水上と女の関係性――彼女が、幼馴染兼付き人の真似事していること――を知っているのは生駒隊くらいのものだったので、他に相談する相手が居なかったとも言える。
彼女は、水上と同じく三門市立第一高等学校に所属し、かつボーダーにも所属しているため水上と彼女が大阪に居た時代からの知己だと知る存在は多いが、『彼女が水上の付き人の真似事をしている』という情報まで知る人間はほぼ居ない。
知っているのは、生駒隊か水上と彼女が二人きりで歩いているときに通りがかった通行人くらいなものであり――女は、知り合いが居ると、何事も無かったように“知人”の距離感に戻るのである。あくまで、水上が奇異な目で見られるのは避けているかのような塩梅をとるのがうまく、それが小賢しいとも思えた。――通行人に愚痴を述べる訳にもいかず、消去法での彼ら二人であった。

「というかそれならなんで苗字ちゃんは水上の付き人やっとるん?」
「あ、それは俺も気になる」
「いやー、そんな大した理由も無いですけどね」

適当に相槌を打っていれば、いつの間にやら話は本題に戻る。
相談するにはそこの説明から逃れられないのは分かっていたことだが、水上は少しだけモニョモニョと言い渋った。彼女との関係性の説明が難しいと言うよりも、己の境遇について説明することに慣れてないのだ。

「まずウチの親が小さな会社やってまして」
「え、初耳なんやけど」
「別にそんなん言う事も無いでしょ」
「まぁそうやけど……」

生駒が普段と同じ表情のまま、少しだけ『シュン…』とでも効果音が付きそうなポーズを取る。

「そんでまぁ、年数だけはそこそこ長いことやってるんで、俺が生まれる前から働いている人も居って…そういう人は俺や兄の事を坊ちゃまって揶揄ったりする事もあるんですけど……その古株社員さんの中の一人がアイツの親で…アイツも真似し始めた……という訳です」

水上は自分で説明しておきながらなんと呆気ない関係性なんだろうか、と少し息を吐いた。幼馴染の頃からのごっこ遊びの延長で、そこには感動で涙が出るような約束事や因縁があったわけでも無い。生駒と隠岐も何だそんな事か、と聞いておいて拍子抜けしているだろう。そう思って視線を向ければ生駒はいつも通りの表情のまま「ほぉん」と頷いてみせた。

「アレやな…可愛いな」
「ハァ?」
「わぁ、水上先輩凄い顔してますよ」
「いやいや、何聞いてたらそうなるんです?アレはただのママゴトの延長戦で、お姉さんぶりたい〜の気持ちのまま今まで来てるのに付き合わされてるだけっすよ、こっちは」
「めっちゃ喋るやん…」

隠岐が「イコさんの可愛いなんていつもの事や無いですか」と中々に辛辣なフォローを入れる。
分かっている、生駒の「可愛い」は女子という存在には大概つく言葉であり、中でも生駒は小さいもの全般を「可愛い」と評する心を持つ。幼馴染の幼児性の滲み出るような行動は、生駒からすれば確かに『可愛い』ものであるだろう。水上も、己が当事者で無ければ『可愛い(笑)』くらいは言っていたかも知れない。では、何故生駒のただの相槌のような可愛いに百通りほどの文句が出てくるのだろうか。
水上の気持ちを代弁するかのように、生駒が首を傾げた。

「水上は何に悩んでるん?」
「いや……」

悩まんわけないでしょ。と掠れた声が喉からこぼれ落ちた。
幼馴染がいつまで経っても小学生の時にやったごっこ遊びを辞めてくれない。平均的な男子高校生からすればそれだけでれっきとした悩みになってくれそうなものなのに、生駒と隠岐はやはりいまいち納得しきれていない様子で首を傾げた。おかしい、彼らは男子高校生では無かったのだろうか。生駒隊にもう一人居る男子高校生の顔を思い浮かべたが、彼は彼で「それ楽しそうですね!」と笑うもんだから始末に負えない。隊で唯一の女子高校生に相談すれば「それはちょっと困りそうやなぁ」と共感してくれそうな気がしたが、彼女が困るというのは恐らく周りから訝しげな目で見られる事だろう。それは水上の困る、とは少し違うのだ。水上は、別に周りから奇異な視線で見られる事に困っては居ない(だってそれは小賢しいことに彼女が細心の注意を払って態度を変えてくれているのだ)。水上が困っているのは……。

「あぁ、なるほど」
「なんや、隠岐。なんか分かったんか」
「やー、勘なんですけど」
「ええよ。言ってみぃ」
「水上先輩は、苗字先輩に距離置かれるのが嫌なんかな、と思って。例えそれがごっこ遊びでも」
「ほう…なるほど」
「……アホか…」

水上は先ほどよりも弱々しくほぼ息のような声をなんとか絞り出した。そして再度「アホか」と念を押すように繰り返す。前者は隠岐へのツッコミ。後者は自分への罵倒である。
隠岐の勘が、水上の悩み事をピタリと当てた事に対する、自分の情けなさに対する罵倒であった。

「ほぉん」
「…なんすか」
「いや、可愛いところあるんやなと思って」
「ホンマ勘弁してください」

自分が児戯だとあざ笑った幼馴染と同じ評価を下され、水上はもうこれ以上無いほどに頭を下げた。走馬灯のように幼馴染とのこれまでが思い返される。一番距離が近かったのは中学生の時だ。その頃が人生の頂点だったと、この年で既に感想戦を始めてしまうのは流石に野暮だろうか。

「……そう思うと、三門市に来てからやな。アイツが付き人の真似するの多くなったのは」
「え、もしかして先輩大阪帰ろうとしてます?」
「エッ、水上ボーダー辞めるん!?」
「アホ、辞めませんよ、こんなんで」

一言えば十以上の展開に飛躍する二人を軽口で鎮めながら「それもアリかもしれんな」と僅かでも思った自分を沈めた。
水上にとって幼馴染の存在はかなり大きいが、とはいえ流石にそれだけで大阪に帰るほどの決め手になるとは思っていない。ただ、どこかで長期休暇でも取って二人で大阪に帰るのはアリだろうと思えた。
三門市に来てから暫く経つが、シフトや学校の都合諸々で二人して長期休暇を取ることは難しく、一人ずつ帰省するか二人で帰ったとてとんぼ返りになる事ばかりだった。その時、幼馴染の態度がどうだったかどうかなんて一々覚えていない。一度ゆっくりと時間を取って緊急招集なんて邪魔の入らない土地で話し合うのも良いだろう。これで幼馴染に「話し合う事なんて無いですが?」とつれない返事をされてしまったら、流石にその時はどうにかなってしまうかもしれない。思いのほか弱っている頭が、回復させるためにか水上が特に可愛いと思っている幼馴染の記憶を思い起こさせてくる。
いや、今も充分可愛いと思っておりますが……そう、誰に言うでもなく弁明の言葉も浮かんだ。

「あ」
「「ん?」」
「あーーーーー、そういう事か…」
「お、どうしたんや」
「イヤ…己のアホさに……ホンマに呆れてきて……」
「エ、なになに、怖いんやけど」
「さぁ……?」

「水上先輩も、恋愛になると馬鹿になるんすねぇ」と驚いた様な声を出した隠岐に関西の人間としての意地で「せめてアホって言え」と負け惜しみの声を絞り出した。「水上、恋しとる!?」と今までの話は何だったのかと思うような感想を述べた生駒にツッコミをする気力は残っていなかった。


***


「…坊ちゃま」
「ん?なに」
「行儀が悪いですよ」

水上はそう言われてここ数分間の己の態度を振り返った。言われてみれば、確かに食事中に何回も箸を止めたりため息を付く様は見ていて気持ちの良いものでは無いだろう。すまん、と言いかけた口が止まる。

「アホか。こっちは己の甲斐性のなさに呆れてため息が止まらん所やねん」
「甲斐性…?」
「おん。料理は普通にいつも通り旨いから安心し」
「それを心配している訳では…」

幼馴染は何か言いたげに口を開くが、水上が箸を動かしたのを見て口を噤んだ。自分で行儀の事を言い出した手前、それ以上口論を広げる訳にもいかないと思ったのだろう。腑に落ちぬ顔で自分の作った料理を口へと入れていく。実際、いつも通りご飯は美味しいのでそこから先は水上も意識してため息を留めご飯を口に運んでいった。

「ごちそうさま」

水上が手を合わせて挨拶をすると、幼馴染は軽く頷いて席を立った。お互いに食事が終わってから席を立ち、食器を片付けそのまま幼馴染が皿を洗い、水上が拭く係を担う。水上の家は各自ご飯が終了したタイミングで席を立ち自分の皿は自分で洗い自分でしまう方針であったが、幼馴染の家ではどうやらそういう習慣だったらしい。三門に来てから初めて知った事であり、当初は慣れずになんともこそばゆい気持ちを覚えたものだが、今となっては既に慣れたものであった。
そうして、気付かぬうちに慣れてしまったことが増えたから、今回気付くまでにここまで回り道をしてしまったのだろうか。
考え込むと自責のターンに入る自分の思考回路を振り払う様に口を開いた。

「名前ちゃん」
「……は」

思ったよりも湿度の籠もらなかった声に、「なるほど」と思う。なにがなるほどなんやろうか、と自問自答するよりも幼馴染が声を上げる方が早かった。それから、次いでパリンと思わず肩が跳ねる様な陶磁器の割れる音が響いた。シンクの底を見れば、先ほどまでエビチリが載せられていた大皿が復元不可能なほどの勢いで割れていた。エビチリのタレがまた嫌な感じを漂わせており、幼馴染が無意識に皿を拾おうとした手を掴む。

「わっ」
「あぶな、何しとんの」
「いや、だって」
「だってちゃうやろ、チラシとか…なんか適当な紙持ってきてもろて」

指示を出せば、納得のいかなそうな顔がリビングの方へと向かっていった。水上はわざと彼女から視線を逸らし、棚からポリ袋とキッチンペーパーを取り出して拾える破片を拾っていく。窘めておいて自分が怪我をしたら元も子もない。ここ暫く思考のリソースを割いている悩み事については一旦考えるのは止めて、皿を拾っていくことに集中をしていく。
それに、悩み事はもう少しで解決しそうな気もしてきている。
動き回ったからにしても赤い頬をした同居人が戻ってきたのを見て、水上は動きを止めた。

「これ、チラシ無かったからプリント。去年のだし捨ててもいいやつ」
「よう持ってたな」

驚きはしたものの、いやでもそういう所があるよなと直ぐに思い返す。良く言えば物持ちが良い。悪く言えば、過去の事をいつまでも覚えている、意固地、強情、粘着質…エトセトラ。悪口の様な言葉ばかりポンポン出てくるが、普段はそう悪い所ばかりではない。どちらかと言えばこちらが忘れた様な些細な善行をいつまでも覚えており、どこかの機会で何倍にして返す機会を伺っている昔話の登場人物の様な奴である。あぁでも、そう言えば昔話の人物も悪いことをすると何倍にして返してくる様な所あるよな、と水上は一人思い返した。

「ていうか、名前…」
「意外とすんなり言えるもんやな。最近呼んで無くても」

思えば、三門に来てからというものはこの幼馴染の事を名前で呼ぶ事は減ってきた様に思う。確か、来た当初は名前で呼んでいた筈だ。それが、高校に転入して、ボーダーでB級に上がり各自別の隊に所属し始めた頃、もう既に名字で呼ぶのが固定になっていた、はずだ。

「…急に、名字で呼び始めるんだもん」
「せやけどこっちには名前のおばさんやおじさんも居らんから、一々下の名前で呼ぶ理由説明するのも怠いやろ」
「…それは、敏志くんの都合でしょ」
「うっ……」

流石幼馴染だけあって、水上が彼女を下の名前で呼んでいる事についての説明……それは、例えば幼馴染や彼女だから下の名前で呼んでいるという説明をした後に付随する“彼女とどうやって出会ったのか”の経緯の説明を省きたがっている事をしっかりと分かっている目が、水上を射抜いた。

「やって…面倒やろ、一々親が会社やってて働いてくれてる社員さんの娘さんがお前で……とか説明すんの」
「敏志くんが今数十秒で言い切ったそれに何が面倒な事があるの。敏志くんが面倒がってるのは、ご両親が会社やってる事についてあれこれ言われる方でしょ」
「……そこまで分かってるなら、察してくれたってええやろ」
「だからって…そこを面倒くさがって欲しくは無かった」

幼馴染故、彼女が何を指して“そこ”と言ったのかを一瞬で察する事が出来てしまい、そうして、彼女の言い分があまりにごもっともとしか言えない言い分だったため、水上は黙って両手を上げた。
恋人が、“自分の両親が会社を経営している”という説明を面倒くさがった為、その情報とくっつく“自分と彼女は幼馴染兼恋人である”という情報を言い渋った為に腹いせの様に態度を変えた。
改めて思うと、嫌がらせにしては可愛い部類だな、と水上は思う。
勿論、嫌がらせの理由が分からない時はそれなりに腹立たしさもあったが、蓋を開けてみれば水上が全面的に悪い、という結末だったのだから、これくらいで済ませて貰っていたのは有難いものであった。

「私は…自然消滅ってやつかな、とか思ったりもしたんだけど」
「……俺は一度だって別れてくれと頼んだ覚えは無いし、やることもやってたろ」
「そういう問題じゃないでしょ!」
「…それは、本当にそう」

これ以上何を言っても勝ち目は無いと、元々見越していた訳でも無い勝機やプライドを放り投げて水上は恋人の手を掴んだ。水仕事を率先してやるのに、ケアも欠かさない為か元々の肌質なのか、女性らしくさわり心地の良い手に水上はこんな時だというのに酷く安堵を覚えた。水上は、こうして彼女と触れる度に安らぎだとか好意を得て居たわけであるが、彼女の方はそうでは無かったのだろう。……いや、違う。水上がそうであると伝えて居なかったのが問題であって、彼女の捉え方に非がある訳では無い。少しでも己の感じる想いが伝わってくれないものかと彼女の手を握る力が強くなる。

「……隠岐かイコさんに感情表現の仕方聞いてくるかぁ」
「あ、他の人頼りなんだ」
「アホか。それほどお前を離したくないって事、分かりません?」
「なんで敬語?」
「…素っ気なくされて悲しくなった俺の気持ち、少しでもお裾分けしたろと思って」
「そういう品のない揶揄い方、どうかと思いますよ。敏志くん」
「いや…もう、ホンマに何も言えへんわ」

これからは面倒くさがらないので…と続ければクスクスと全てを許したように笑う彼女を見て、漸く事態の深刻さを受け止めたような心臓が喧しいほどに鼓動を早めていった。


20250515
nanoへのご支援
- ナノ -