三國/創作:V 【悪魔の花嫁V】 蜘蛛やカマキリの一生について考える時、我々男は非常に憂鬱な気持ちになるな。 己の子孫を残す為に雌に近付き、やっとの思いで交尾にこぎつけ、挙げ句の果ては生まれてくる子供の養分となる為に交尾相手の雌に食われてしまう。 こうして文字にしてみても、実に哀しい『恋の終わり』というやつだ。雄にとっては本気でつまらん一生だ。 だが、考え方を変えてみれば、それこそがまさに種の本能なのであるから、本能のまま交尾の後で雌に食われていった奴らはあれで意外と己の運命に満足しているのかもしれん。 名無し。そこで考えてみたのだが、お前に対する私の愛はこの蜘蛛やカマキリのケースに似ている。雄と雌が逆の立場でな。 私の愛を成就させるという事は、お前の身も心も全て私の掌中に納め、お前の魂を食らい、残った骸を魔界に引きずり込むという事になる。 だが何も構う事はないだろう。お前達女はよく言うではないか。恋に一生を捧げられれば最高だ、愛に死ねれば最高だ、と。 お前はただそういう女達が主張する『愛に死ぬ』というのを、お前自身の命を使って私の前で実際にやってみせてくれればいい。 本来愛とは惜しみなく全てを奪う物だ。愛する男に身も心も、魂ごと支配されるなど、それこそ至上の幸福ではないか。 昆虫には昆虫なりの。善人には善人なりの。悪党には悪党なりの。そして悪魔には悪魔なりの『愛し方』がある。 悪党に向かって『善人達がするのと同じように愛して下さい』と求めても無駄なように、悪魔に向かって『普通の人間のような恋愛がしたい』と求めても、それは無理な話というものだ。 お前も私の妻となり、悪魔の皇子の花嫁になる覚悟が出来たなら、よく覚えておくがいい。 人は一度魔界に堕ちて人間の心を無くしたら、その瞬間からもう元の世界には戻れなくなるのだ。 だから名無し。お前の理想とする『愛の形』と私の理想とする『愛の形』は、必ずしも交錯するとは限らない。 私は確かに『愛』という感情を知っているし、お前の存在も愛しいと思っている。 だが、人を愛する事は出来ても、所詮悪魔は悪魔にしか────なれない。 ─曹丕夢・【悪魔の花嫁V】 [TOP] ×
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