三國/創作:V | ナノ


三國/創作:V 
【悪魔の花嫁U】
 




冷たく突き放すようでいて、どれだけ曹丕が名無しの事を大切にしているのかという事を、司馬懿だけは知っている。

曹丕にとって寵愛の対象である名無しを傷付け、侮辱した李慶に激しい憤怒の感情を向ける曹丕の姿から、司馬懿はその事を改めて理解した。

「全く…。今回の李慶の事といい、最近は面倒な事ばかりが起こる。これでまた不眠の種が一つ増えたな」

客人としてではなく戦場で李慶と出会っていたら、間違いなくなぶり殺しにしていた所だ。

低く凄味の利いた声音と細められた黒い瞳は、そんな曹丕の本心を雄弁に物語っていた。

「……殿。差し出がましい申し出かもしれませんが」
「良い。言ってみろ」
「実は私、不眠に良く効く薬を持っております。もしよろしければ殿に献上したいと思いまして」

いつもと変わらぬ平静な口調で、司馬懿が言葉を投げ掛ける。

そう言って司馬懿が机の上に差し出してきたものは、正体不明の粉末が内包された、白い包み紙だった。

「睡眠薬の一種か?そのような物私にはいらぬ。今までに何度かこの手の類の薬を試してみた事があるのだが、どれもこれも私の体質に合った試しがない」

曹丕は『またか』と言いたげな顔をして、嫌気がさしたように言う。

つい先日も行商人の勧めで購入した睡眠薬を試してみたばかりだが、案の定曹丕の体には何の変化も起こらなかったのだ。

「いいえ、殿。これは殿の不眠症を解消するのではなくて、不眠の根本的な『元』を解消する薬なのです」
「不眠の根本的な『元』…だと?」

それでも司馬懿は会話を続け、疑わしそうな視線を向ける曹丕に対し、『睡眠薬』の詳細な説明を述べる。

「この薬は…無味無臭です。食べ物に入れても飲み物に入れても、味は微塵も変化しません。そして一度に摂取する量によって、その効果も段階的に違ってきます」
「ふむ……」
「まず、一包み全てを飲用した場合───即死です」
「!」

司馬懿の口上を耳にした曹丕の眉尻が、ピクリと跳ね上がる。

「半分飲用した場合、その場でジタバタと苦しみのたうち回り、数時間後に死に至ります。3分の1飲用した場合、時間の経過と共に手足が痙攣し、強烈な頭痛や吐き気を訴え、2〜3日後には死に至る……」
「……ほう」
「そして4分の1飲用した場合、最初の二日程は風邪のようなけだるさと微熱を覚え、徐々に先述のような手足の痺れに移行して一週間以内には死亡します。分かりやすく言うならば、大量の毒素が即座に体内を侵していくか、それとも微量の毒素がゆっくりと時間をかけて人体を破壊していくか────そのどちらかという事ですね」

流暢な口調でそう告げて、司馬懿は机上に置かれた白い包み紙に目線を落とす。

司馬懿の言葉の終わりを待つまでもなく、曹丕は司馬懿が言わんとする事を理解した。

司馬懿は、何の躊躇もせずに同盟国の皇子・李慶の命を奪おうとしている。

宴の席を抜け出した後、李慶が企てた犯行と名無しに対して行った罪。

この魏国で自分達の目を盗んで横暴の限りを尽くしてきた上に、そればかりか、曹丕の所有物である未来の正妃・名無しの体にまで傷を負わせたという紛れもない事実。


これはもう、殺されるには十分な理由でしょう───と。


薄ら笑いを浮かべた司馬懿が、曹丕に向かって問い掛ける。

曹丕は、そんな司馬懿を冷ややかな眼差しで射抜いたまま僅かに目を細めると、彼の発言に同意を示すかの如くニヤッと口端を吊り上げて笑う。

その姿は、まさしく冷酷非道な魏国の皇子として国内外に広く知れ渡っている曹丕本来の姿であった。

「奴は噂に違わぬ女狂いの男であったな、仲達」
「はい。あれだけ好き放題やっていたのなら、もうこの世の快楽はあらかた味わい尽くしたも同然でしょう。今の李慶は…何の悩みもない夢の世界を永遠に漂っているようなものです」
「フフッ。この現世に、夢やロマンなどは一切不要だ。長い夢の終わりには…むしろ後味の悪いリアルな結末が似合いだろう…」

何かを企んでいる時の、特別低い曹丕の声が広い室内に響き渡る。

曹丕の残忍な言葉に司馬懿は妖艶な笑みを浮かべ、無言のまま頷く。

司馬懿は、自分が仕える主人の悪魔の如く美しい美貌と自分以上に残忍な一面を認めると、その事実に満足しているようだった。

「出来る事ならありとあらゆる苦しみを与え、苦悶の末に果てる李慶の姿がこの目で見たかったが…。我が国内で死なれて、あちら側に余分な疑いを持たれては困る」
「では……」
「そうだな。不眠の『元』には無事自国に戻られてから命の灯火が燃え尽きるのが一番良かろう」

故郷に帰った喜びと共に己の身体がどんどん不自由になり、やがては身動き一つ適わなくなって死に絶える絶望を味わうがいい。

この世に限った事ではなく、あの世の終わりまで、ずっと苦しむがいい。


永遠の────果てまで。


「失礼します」

不意にカチャリ、とドアが開く音がして、何者かが部屋の中に入ってきた。

曹丕と司馬懿が反射的に扉の方向に顔を向けると、彼らの視界の先には一人の女が映し出される。


名無しだった。


「あの…お話し中だったみたいで御免なさい。さっきから何度かノックしていたんだけど、全然返事がなかったから」

野性の獣のような鋭い眼光の集中射撃を浴びせられ、名無しが躊躇いがちに言葉を紡ぐ。

曹丕に減俸処罰を言い渡された後、名無しは自室に戻っていた。

一日の仕事を終え、入浴も済ませた名無しはふと外の騒音に気付き、『何だろう』と思って耳をすませてみる。

どうやら宴を終えて自分の部屋に戻ろうとしている人々の話し声が廊下で響いているようだった。


(宴は今終わったんだ…)


もうこんな時間だし、私もそろそろ眠りにつこう。

そう思って名無しがベッドに潜ろうとしたその時、誰かが彼女の部屋の扉をコンコンと2回ノックした。

こんな夜遅くに、一体何だろう。

名無しが不思議に思いつつも扉を開けてみると、そこには一人の兵士が立っていた。

『夜分遅くに申し訳ありません、名無し様。曹丕様からのご伝言をお預かりしております』
『曹丕から…?』

兵士は曹丕の使いであった。

使いから受けた伝言によると、『用事があるので、今から来い』と曹丕が名無しを呼んでいると言う。


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