三國/創作:V 【悪魔の花嫁U】 だが名無しの懸命なその言葉も、李慶を睨み付ける気丈な態度も、それこそこういった場面に手慣れている李慶の前では何の効力も持たなかった。 李慶は魏国にいる間につまみ食いしてきた他の女達と同じように、名無しも上手くカタにはめる事が出来ると思っていたのである。 「人を呼びたければ呼んでもいいですよ。その時は『名無し殿の方から私を誘惑してきたので仕方なく』と言いますから」 「…!!李慶殿!なんて事を…。そんな話をしたとしても、誰もっ……」 「誰も?信じますよ。名無し殿は特定の相手もおらず、男日照りの日々が続いていた為に男に飢えていた…。そう言えばいいのです」 「なっ……!?」 「我慢できなくなった名無し殿は、酒の勢いに任せて私に誘いをかけてきた。渇いた体と飢えを満たす為に、自分から身を預けてきたのだと。…どうですか?」 李慶の口から吐き出されるあまりの言葉に、名無しは絶句してしまう。 それに対し、李慶はしてやったりとばかりにニヤニヤと両目を細めるだけである。 (この人は…手慣れてる。きっと李慶殿は、こういう事を今までに何度もしてきた人なんだ……!) ここにきてようやく李慶の本性に気付いた名無しであるが、時すでに遅い。 ここで大声を上げたとしても、誰か近くに人はいるのだろうか。 緊迫した面持ちでサッと周囲に目線を泳がせた名無しの一瞬の隙を、李慶は見逃さなかった。 いつの間にか距離を詰めてきていた李慶が素早い動作で名無しの両肩をガシッと掴み、そのまま廊下の壁に勢い良く叩きつける。 「痛……っ」 鈍い痛みが背中を襲い、名無しの唇からくぐもった悲鳴が押し出される。 「李慶殿…離して下さいっ!どうしてこんな事をするんですか」 男の強い力で乱暴に体を押さえ付けられながら、名無しが果敢にも震える声で言い放つ。 その時。 ビシッ!! 一瞬乾いた音がして、名無しの意識が吹っ飛ぶ。 一向におとなしくならない名無しの反抗的な態度に腹を立て、李慶が右手を振り上げて名無しの左頬を平手で勢い良く打ち据えたのだ。 「いい加減、おとなしくしろっ」 低くドスの利いた声とギラリと光る妖しい瞳は、先程までの爽やかな好青年の面影もない。 平手で打たれた名無しの左頬が、少しの時間差を経てジンジンと痛み、熱を帯びていく。 名無しは叩かれた頬の感触を確かめるみたいに手を当てて、キッと強い目付きで李慶を睨み付ける。 しかしそんな名無しの可愛い抵抗は、李慶の男心をより一層煽るだけだった。 「離して…下さいっ。李慶殿…ひょっとして貴方はいつもこんな事をしていらっしゃるのですか!?」 頬をぶたれてもなお怯む様子のない名無しに、李慶が一瞬息を呑む。 「触らないで卑怯者っ。王族出身者で体を鍛えているのをいい事に、弱い女性に対して力ずくでこんな事をするなんて。きっと今までに他の女性達にも自分の地位と腕力を見せ付けて、いいように扱ってきたんでしょう。ひどいっ…ひどすぎるっ」 「……何だとぉ?」 『卑怯者』という言葉で罵られ、李慶は思わず眉間に皺を寄せた。 一族の中でも未だ年若い末っ子の皇子とはいえ、李慶に向かってそんな言葉でなじる命知らずの女は、国内外問わず今まで誰一人としていなかった。 生まれて初めて受ける耐え難い屈辱に、李慶の全身がわなわなと震える。 次の瞬間、李慶は険しい顔のままでもう一度名無しに向かって片腕を振り上げて、先程とは反対側の頬めがけて叩きつける。 ビシィッ!! 「……っ!」 二度目のビンタに、名無しの顔が悲痛に歪む。 先刻よりも威力を増した平手打ちを受け、名無しの唇は僅かに切れ、口端から出血していた。 やり返してはいけない。 我慢しなくてはいけない。 この人は、どこまでいっても同盟国の皇子なのだから。 いくら魏の内政を任されている身だとしても、彼のような王家の人間とは地位も身分も明らかな差があるのだ。 下手にやり返しでもして、万が一彼の顔や体に傷を負わせてり、怪我をさせてしまったとしたら、自分の事が原因でせっかく結んだ同盟にヒビが入ってしまうかもしれない。 自分の事が原因で、国際問題に発展するかもしれない。 「このアマ…。人が優しくしてやろうと思えば、つけあがりやがって…。曹家の王女でもないくせに!」 宴の席で見た李慶とは全く別人のような形相で李慶が名無しに憤る。 「ちょっとは手加減してやろうかと思ったけど、やめたぜっ。お前も俺に逆らったバカな女達と一緒の目に合わせてやる。顔面の形が変わるまで殴り付けて、一切の抵抗が出来ないように首を絞めながら犯してやる!」 口汚い言葉で名無しを罵る李慶は、すでに普段の彼とは言葉遣いまでも変わっていた。 腹の底まで響くような李慶の怒声を聞いた時、名無しの中で何かの糸がプツリと切れた。 正確には、李慶の放った言葉の内容に激しい怒りを覚えたのだ。 やっぱりそうだった。 自分の知らない所で、李慶は何人もの女性達をその毒牙にかけてきたのだ。 しかも、か弱い女性を何度も殴り付けて、首を絞めて───無理矢理。 バシッ!! 「!!」 怒りが頂点に達した名無しは無意識の内に李慶に向かって手を伸ばし、思い切り彼の頬を叩き付けていた。 思えば、今まで曹丕や司馬懿によって散々『力による服従』を強要されてきた事もあり、名無し自身の中にも欝屈した物が溜まっていたのかもしれない。 李慶によって力ずくで暴行された女達の話がそのまま今の自分の姿と重なって、名無しは感情の赴くままに李慶に反撃をくらわせた。 ハッと思った時には、もう手遅れだった。 自分の行った事の重大さに気付いた名無しの目の前に、今まで見た事もない位に恐ろしい顔をした李慶が立っていた。 「コイツっ…!!」 震えた雄叫びを上げ、男が堅く握り締めた拳を振りかざす。 ─────殴られる。 覚悟を決めたようにギュッと両目を瞑った名無しの後方から、謎の声が降ってきた。 [TOP] ×
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