三國/創作:V | ナノ


三國/創作:V 
【Under WorldW】
 




『平穏と安息の日々は、ヤクザな商売の男達を殺す。《マフィアとアーティストにとって、【家庭】はすなわち死を意味する》ってよく言うでしょう?』

皮肉な口調で断言し、キングが薄い唇を微かに歪める。

『あたしも旦那も、その事がよく分かってる。骨身に染みて分かってる。だからこそ───旦那はその子の事を避けているのよ。その子の事を恐れているのよ』
『……っ!』

男の言葉を聞くなり、瞬時に息を詰めた珠稀の顔を、キングが真剣な面持ちでじっと見つめ返す。

冗談混じりの言葉ではない。

珠稀は彼の表情からそう判断すると、口元だけでニヤリと不敵に笑い、普段よりも幾分低い声で言葉を落とす。

『てめえ…。今なんつった。この俺が、何を恐れてるって言いてえの?』

見るからに不機嫌そうに眉をひそめた珠稀を見据え、キングは肩を竦めるようにして笑い、意味深に唇の端を吊り上げる。

『旦那もあたしも、自分の幸せには無頓着。自分以外の誰かと愛情を育むなんて事には無関心。だってあたし達は他人を愛する余裕が無いくらい、自分を愛する事で精一杯だから。実の親からも身内からも祝福されない、呪われた自分の魂を自分自身で慰めてやるだけで、精一杯の状態だから』
『!!』


───これが本当の自慰プレイってやつね、とキングは付け加えた。


『昼と夜。堅気とヤクザ。その子は光で、あたし達は闇。真正面から向き合えば、お互いの生活領域や信念の違い、価値観の違いが浮き彫りになる。真正面から相手の気持ちを受けとめれば、旦那もその子もダメージを食らう』
『……。』
『もしあたし達がその子と正面から向き合えば、それこそ太陽の光を浴びた吸血鬼のように消滅してしまうんじゃないかしら。聖水を浴びた悪魔のように、あたし達の存在はこの世から消え失せるわ……』


だから旦那は、その子と向き合う事を避けている。


その子の気持ちを正面から真摯に受け止めてやる事を、旦那は恐れているのよ。


自分が傷つくのが怖いから。自分を見失うのが怖いから。


───どうなのよ?


感情の起伏が少ないキングの声からは、男の真意が読み取れない。

『てめえも俺と同じ側の人間なら、考える事はどうせ一緒だろう。偉そうな説教を垂れながら、てめえだって俺と同じ穴のムジナじゃねえのかよ。違うのか?』

苛立たしげに吐き捨てて、珠稀が手近なテーブルの上にあった高級そうな灰皿を掴み取る。

キングは《きゃあっ》、とわざとらしい悲鳴を上げると、両手で顔を庇ってガードした。

『何言ってんの。旦那。あたし達はヤクザな稼業の男なのよ?気に入らない事があれば全力で暴れるまでよ。どうしても欲しい物があれば、力ずくでも手に入れてみせるまでだわ』
『……!』
『手足の一本ずつでも平気で切り落として、自分の元へ引きずってくるまでよ。欲しい女が自分だけの物になると言うのなら、別に五体満足の状態じゃなくても構わないわ』

一見機嫌の良さそうに聞こえるキングの声が、闇よりも不気味な優しさと謎めいた妖しさを秘め、暗い部屋の中で静かに響く。

珠稀はそんなキングの台詞を聞いて僅かに目を細めただけで、それ以上何も言い返す事もなく、黙り込んでいた。


『じゃあね、旦那。《名無しちゃん》によろしく……』


そう言って艶やかに笑うキングを無視すると、珠稀は無言のままで部屋を出る。


もう季節は秋になっているというのに、自分を包む空気はやけに温く、不快に感じた。




「旦那様……」
「……。」

先程からずっと黙り込んでいる主人の姿を認め、黒服が心配そうな素振りで声をかける。

だが珠稀は酒の入ったボトルをじっと見据えたままで、部下に返事を返そうともしない。


『……今の旦那にとって、その名無しちゃんって子が旦那の《ユートピア》なのね』

『だからこそ───旦那はその子の事を避けているのよ。その子の事を恐れているのよ』


(……分かったような口、聞いてんじゃねえよ)


しばらくそうして無言のままでボトルを見つめ、珠稀はスーッと両腕を肩の辺りまで持ち上げる。

珠稀は己の手で手刀を作ると、目にも止まらぬ早さで何もない空間を切り付けた。


シャッ。シャッ。


珠稀が手を振り下ろした直後、ガラス製のボトルにピシッと亀裂が入った。

中央付近から真っ二つに破壊されたボトルから、中に入っていた酒がドボドボと溢れ出る。

その恐ろしい光景を直視して、黒服達の背筋が凍える程の冷気でゾッと凍り付く。

「旦那様……」
「───そっとしといて」

額から冷たい汗を流す黒服に構う事もなく、珠稀が割れたボトルの底を掴む。

空のグラスに酒を移していくと、珠稀は並々と酒が注がれたグラスに口を付け、誰にも聞こえないような小声で呟いた。


「……やっぱり、ちょっと熱くなってんのかな。俺……」


今夜の俺は、何であんな事を名無しちゃんに言わせようとしたんだろう。


そして、キングが自分と名無しの関係性について勝手に推理した挙げ句に出た言葉の全てが、どうしてこれ程までにムカついて仕方ないのか。


『欲しい女が自分だけの物になると言うのなら、別に五体満足の状態じゃなくても構わないわ』


───そんな事、一々お前に言われなくても……ね。


キングの放った台詞を頭の中で反芻し、珠稀の瞳が闇の輝きにギラリッと光る。

「風呂の用意、頼む」
「はっ。かしこまりました」

短い吐息を漏らし、珠稀が長い指先で鬱陶しそうに前髪を掻き上げる。

珠稀がチラリとベッドの上に視線を投げ掛けると、昏睡状態に陥っているように見える名無しの目蓋が、時折ピクピクっと動いていた。

その様子から彼女の覚醒が近い事を察すると、珠稀はゆっくりとベッドに近づいていく。

(俺だって、いつも必ず100%狙い通りの結果が出るとは思ってないさ)

完全に自分の思い通りの展開に持ち込むまでに未だ至っていない事は認める。

だが、名無しは自分にとって他の女達と何ら変わらない、己の望みを叶える為の道具にすぎない単なる獲物。

獲物を短く堪能するか、それとも長い時間をかけて、嬲り物にして愉しむか。

今までの自分は、そのどちらかしか考えた事が無かったはずだった。

「……ユートピア、か」

苦い舌打ちの音を漏らし、歯痒そうな目をした珠稀が、夢の世界を漂う名無しの姿をじっと見下ろす。

珠稀はしばらくそうして名無しの寝顔を見つめていたが、やがて慣れた仕草で名無しの体を抱き上げると、彼女の存在を確かめるみたいに、逞しい腕の中にしっかりと包み込む。

主人の命を受けた黒服達は、珠稀と名無しの分のタオルと着替えを用意して、バスルームの準備に向って行った。





この世に存在する全ての中で、『恋愛』と『結婚』が一番ふざけていると思うね。俺は。


俺の人生に『恋愛』と『結婚』が入ってくる。素晴らしい事だよね。


でもね、正直な話、俺の中から『そいつら』が全部出ていってくれたら、もっと俺の人生は快適で、最高だと思うけどね。


ああ…本当、面倒臭えな。本音を言えば角が立ち、妥協をすれば損をして、我を通せば邪魔をされ、嘘を吐けば責められる。


いつから世の中ってやつは、こんなにも生きにくくなっちまったんだろうね。


あいにくと俺は、好きでこんな仕事なんかやってる訳じゃねえんだよ。名無しちゃん。




────君に狡い男だって言われても、構うもんか。もう。





―END―
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