三國/創作:V | ナノ


三國/創作:V 
【Under WorldW】
 




それなのに、今回もひょっとしたら珠稀が助けてくれるんじゃないか…と思っていた自分がここにいた。淡い期待を心に抱いて、彼を訪ねてきた自分がここにいた。

恋人でも、夫でも、友人でも、家族でもない赤の他人が、どうして自分の事に親身になってくれると言うのだろう。どうして自分を守ってくれると言うのだろう。

しかも珠稀は自分達とは違い、今回の『ユートピア』によって多大なる恩恵を受けているサイドの人間なのだ。


そんな彼が、どうして自分のようなたった一人の女の為に、わざわざ立ち上がってくれると言うのだろう?


「ごめんなさい…珠稀さん。私…珠稀さんが『ユートピア』でそんなに利益を得ているなんて知りませんでした。自分の利益さえ守れればいいと思ってて…。自分の周囲の人々だけでも…守りたいと思ってて…」
「…名無しちゃん」
「私も十分…自己中心的で…。結局は自分の事しか…考えていなくて…。珠稀さんの組織の事なんて…珠稀さんの事情なんて…全然…考…」


ポツリ、と、名無しの薄いベビードールの生地に何かが落ちた。


それを合図とするように、立て続けに二粒、三粒、名無しの頬を涙の粒が伝って流れる。

呆然と開かれた名無しの両目から、涙は音もなく溢れ出た。

「と…止められませんでした。私の力では…『ユートピア』があんなに広まるのを…」
「止められる訳がない。俺にも止められなかったよ。君は何も悪くないぜ。何で泣く?」
「でも…私が、あの時彼女達の事を厳しく処罰していたら…。初めてあの薬に手を出した時に、すぐに田舎に強制送還させていたら…命までは…」
「何でそんな風に考えるんだ?おかしいよ。二度も三度も繰り返すのは、名無しちゃんのせいな訳ないじゃないか。本人の意思が弱いからだ。そんな風に君が思い詰める事、無い。孫堅サマだって、君の事…怒ってないんだろ?」


良く分からない、と。


優しく問いかける男の声に返事をする事も出来ず、名無しはただ首を振る。

確かに、おかしいのかもしれない。

いくら自分が国の内政に携わる仕事をしているとしても、たった一人で、しかも国家にとっては天敵とも言える指定暴力団組織のアジトに顔を出し、そのトップに助けを求めるなんて、馬鹿げている。

でも、どうしてもあのまま自分の執務室でじっとしている事は出来なくて、どんな些細な事でも良いから、何か少しでも活路が開ける手立てはないかと思い、出口のない答えを求めて永遠に彷徨っていた。


そう考えた瞬間、名無しは突然理解した。


国の為に、とか、呉国全ての人々の為に、とか、自分は偉そうな事を言っていたけれど、それは全て自分の偽善心から出た『嘘の言葉』だったのだ。

本当に自分が守りたかったのは、孫堅様。そして尚香や二喬。凌統や陸遜のような、呉城の武将達。自分の女官達。城の人々。

全ての人を救う事なんて、絶対に無理だと言う事を、理屈で十分承知している上で。

自分は自分の愛する身近な者達を、ドラッグで失う事が本当に怖かったのだ。


そして愛する珠稀の事を、失う事が怖かったのだ。


いつか皆を失う日が来るのかもしれない。二度と会えなくなる日が、来るのかもしれない。

戦場に身を委ねている以上、それは今日かもしれないし、明日なのかもしれないし、いつなのかは分からない。

でも、例えその日が来たとしても、決して怯えはしないと思っていた。それも全て覚悟の上で、自分は軍に身を捧げていると思っていた。

だが、本当はまるで違った。何の覚悟も決意も出来ていなかった。

ドラッグの過剰摂取で命まで落とした周囲の人々を見ている内に、『それ』のせいで自分の大切な人達まで失ってしまうんじゃないかと思って、怖かったのだ。

そしてこのドラッグが、万が一。

珠稀の元にまで及んでいたらどうしようと思って、怖かった。



他の誰よりも、愛する珠稀と二度と会えなくなってしまう事が─────怖かったのだ。



「珠稀…さんは…」

凍えそうな程に冷たい液体が頬を流れていくのを感じたが、名無しは自分が泣いているのだという感覚すら麻痺していた。

「俺にちょっと冷たくされた程度で、諦めんのか」
「……え?」

名無しの言葉の終わりを待たず、珠稀がムスッとした顔で口を挟む。

いつもキレのある彼にしては、どことなく口ごもったような、何とも微妙な言い方だ。

「善でも、悪でも。何だっていいけどさ。勝つのか、負けるのか、闘い続けている間は最後まで分からねえけど、諦めたらそこで確実に全てが終わりだよ」
「!!」
「やらない偽善より、やる偽善ってね。口ばっかりで何にもしないヤツに比べれば、有言実行。こっちの方がまだマシじゃねえの。俺は両方とも嫌いだから、良く分かんねーけど…」

珠稀の口から低い声で吐き出された言葉は、彼らしくもない程に歯切れが悪い。

「俺は、お上は嫌いだよ。だからお上の為だったら死んでも動かない」
「はい。存じています…」
「んで?今日の名無しちゃんは、お上として俺に頼み事をしに来た訳。それとも政府とは全く関係なく、名無しちゃん一個人として頼み事をしに来たのかな?」
「……っ!」

何の脈略もなく、ある意味ものすごいヒントとも言える台詞をさらりと言われ、名無しの喉がヒクリと鳴る。

「だから、アレだよ。仕事として俺のトコに来てんのか、それとも俺の可愛い名無しちゃんとしてお願いしに来てんのかって聞いてんの!」

ツンとした表情で何気なく話題を振る珠稀と言えば、わざと名無しから目を反らすようにして素っ気なく言い捨てる。

その様子を見て黒服達は『旦那様も、相変わらずお人が悪い』とでも言いたげな様子でクスクスと笑っていたが、名無しはここにきてようやく珠稀の言わんとしている事に気が付いた。

「こ、個人ですっ。私個人として、この国から、『ユートピア』を…」
「ああ、ダメダメ。それじゃ役人としての言い方でしょ〜っ?人に物を頼む時は、それなりの言い方ってもんがあるでしょうよ。俺の事も5代目としてじゃなく、ただの男として。名無しちゃんもただの一人の女として、俺に頼んでみな」

ギシッと豪華なソファーを軋ませながら、珠稀が名無しの顔を覗き込む。

その瞬間、甘ったるいムスクの香りが名無しの鼻腔をくすぐって、名無しは反射的に肩を跳ねさせる。


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