三國/創作:V | ナノ


三國/創作:V 
【Under WorldW】
 




そして俺は、君が愛する国の為なら、自分の大切な人々を守るためなら、自分の命を棄てる事も厭わない人間だという事を、前の『赤龍事件』の時から知っている。

だが、名無しちゃん。前回と今回では事情がまるで違う。

例え政府が国を挙げて売人グループの摘発に挑んだとしても、すでに中毒になっている人間達を救う事は不可能だ。

それに…どれだけお上が厳しく取り締まっても、この世から完全に違法ドラッグの存在を消し去ることは出来やしない。

それが大金を生み出す温床になる限り。

そして、一度でも摂取した人間が、『禁断症状』に陥る限り。

君がどれだけ頑張って薬物を追放しようとしても、その期待は大きく裏切られ、君はその現実に絶望するしかない。

涎を垂らしてヘラヘラと笑っている、大切な部下や友人達の変わり果てたその姿を、ただ指をくわえて見ている事しか出来ない。


────君の心は酷く痛めつけられ、君が信頼していた全ての物が、君が大切にしてきた全ての物が、足元から無惨に崩れ落ちていく事だろう。


「……。」
「旦那様……」


いつになく真剣な顔付きで黙り込む主人の姿を目の当たりにし、黒服が不安げな顔をする。

「旦那様。我々が掴んだ情報を、お嬢様に…お教えしますか…?」
「────その必要は、ない」

躊躇いがちな声で自らに向けられた部下の問いかけに、珠稀がきっぱりとした物言いで切り捨てる。

「俺は、お上が嫌いだ。大嫌いだ。その俺が、何だってお上と協力して自分の組織を守らなきゃなんねえの。自分のケツは自分で拭くぜ。お前達も余計な口を挟む暇があったら、さっさと俺の部屋から出て行きな」
「…はっ。申し訳御座いません。出過ぎた真似を…」
「キングの動向が把握出来るまで、俺の前に顔を出す事は許さねえ。いいか。猶予は一日だ。明日の昼までにヤツの情報を全部、耳を揃えて持ってこい」
「かしこまりました」

主人の命令を受けた黒服達は彼に向かって厳かにお辞儀をし、それぞれの愛用する武器を携えて出発の準備を整えると、扉の前で再度頭を下げて珠稀の部屋から出て行った。

店の主以外誰もいなくなった広い部屋の中で、珠稀はけだるそうな様子でソファーの上から起き上がり、自分専用のベッドへと歩いていく。

珠稀はそのまま体を倒してフカフカのベッドの上にゴロンと横たわると、見るからに高級そうな布団に手を伸ばし、自分の方へと手繰り寄せる。


(……自分一人が犠牲になれば、全てが丸く収まる。そんな短絡的で自己犠牲的な思想ほど、この世で危険なものはないんだよ)


────君の事だよ。名無しちゃん。


珠稀は心の中でそう呟いて、抱き枕ならぬ抱き布団、といった感じで両腕の中にぎゅうっと布団を抱き寄せる。

ゆっくりと瞼を閉じると、もはや彼の耳には何の物音も聞こえてこない。

ただ、トクトクと鼓動を刻む己自身の心臓の音と、冷たい秋の空気だけが珠稀の全身を包み込む。


ああ、暗闇が迫ってくる。


例えどれだけ外の世界が騒々しくても、こうすればもうここは俺一人の世界。


誰の邪魔も余計な干渉も受ける事はなく、僅かな月明かりが差すこともなく、星の輝きが俺の頬を照らす事もない。


俺の眠りを妨げる存在は、何一つ無い。

この暗く静かな闇の空間のみが、時間の経過すら分からない蒼い夜の空気こそが、俺の最も愛する世界。

この孤独こそが、俺の世界。


闇夜が迫れば─────俺の世界。


「お休み。名無しちゃん……」


珠稀はそっと瞳を伏せて、仮初めの休息に身を委ねていく。

完全に外の世界から遮断されたその室内には、彼の規則正しい寝息と心拍音だけが暗闇の中でいつまでも響いていた。





その日は朝からずっと一日天気が悪かった。

珠稀が部下の男達にキングという男の周辺を洗う事を命じた翌日、名無しは一人ある場所へと向かって歩いていた。

彼女の向かうある場所とは、常に闇の空気に包まれた、太陽の光が全く差さない夜の世界────『蠢く者』である。

彼女が珠稀のいるあの店を訪ねようと思ったそもそもの発端は、呉城に渦巻く『恐怖』によるものだった。



彼女が身を置くこの呉国に不穏な噂が立ち始めたのは、丁度1ヶ月ほど前。

優秀な軍師でもある陸遜と周喩の両者によって彼女に告げられた警告の内容とは、最近正体不明の薬物が呉国全土に急速に広まっているという事だった。

光ある世界には、必ず闇の世界が存在する。

彼女達のような役人達がどれだけ身を粉にして国の平和を守ろうと努めても、現実問題、彼女達の世界を取り巻く犯罪は後を絶たない。

万引き、窃盗、住居侵入、強姦、詐欺、違法賭博、人身売買、人殺し。

その規模の大きさと罪の重さは個々によって違っても、犯罪行為にはかわりない。

検挙しても検挙しても一向に根絶する事の出来ない犯罪と、それを取り締まる側の闘いに終わりが来る日が訪れるとしたら、それはこの世界が終末を告げるその瞬間くらいしか無いだろう。

それが分かっている上で名無し達も己の職務に専念しているのだし、この世から悪の芽を根絶やしにする事自体は不可能だとしても、その数を少しでも減らす事は出来る。

そう思っていた名無し達にとって、今回の薬物事件はその理想論を根底から覆すものだった。

一般市民達なら別にいい、という訳では毛頭無いが、国の治安を守るべき存在である名無し達のような『城の人間』は、世間の人々とはその成り立ちや存在意義からして身の置き場が全く違う。

率先して規律を守るべき。そんな彼女達の棲む空間に、突然あの『怪物』が現れた。

一人使用者が見つかれば、また一人。

強烈な依存力を持つ『謎のセックス・ドラッグ』は、あっという間に一大勢力を築き上げ、まるでネズミ算のように中毒者の数は日に日に増加する一方の道を辿っていた。

このままでは国家の存続自体が危ぶまれる。

そう思って薬物の弾圧に乗り出した周喩達だが、時すでに遅かった。

城の者達全ての荷物検査を行って、城内の人間達が隠し持っていた薬物を全部押収したつもりであっても、そんな彼らの行動を嘲笑うかの如く、また次の日も、そしてそのまた翌日も、どこかからその薬が発見される。

謎の薬が切れた時の禁断症状は、俗に麻薬と言われる危険薬物の引き起こす『それ』と比べてみても遜色がないどころか、それをはるかに超える強さだった。


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